022.「殺戮領域」

 ◆◆◆ ◆◆◆


 もう、これ以上。

 思い出したくない。


 ◆◆◆ ◆◆◆


 合図とともに、リーナスとキャスティは辺りのクラス2をそれぞれ二体ずつ、瞬く間に風穴を開けて見せた。

 さすがとしか言い様がない。アンダイナスは近接戦を選択したこの状況を、この二機は互いの位置関係を補い、牽制することで、結果として一番有利な間合いで戦えるよう立ち回っていた。

 今も、リーナスの狙うロパリデカメムシの斜め前方にキャスティの火蜥蜴ザルマンが陣取っている。手近な獲物を狙う習性を逆手に取って、移動方向を限定させているわけだ。そして、一番大きな隙が出来る攻撃前に身を屈める動きを取ったタイミングに合わせ、リーナスの駆るアッシュASHが近接、ベアリング弾が放たれる。また、砲撃を合図に、キャスティはその場を離れてリーナスを追う別の個体を狙撃。互いの射程距離や得意分野を熟知しているからこその動きを取る。

 味方機と連動した動きを、俺ももう少しは学ぶべきなんだろう。そう考えつつ、こちらも何もしていなかったわけじゃない。橋の前に散開するバグを誘い出し、砲撃が出来るだけの猶予を作らなければいけない。

 尋常ではない動きで包囲するバグどもをなぎ倒す二機に援護されているといっても、相手の物量は未だ脅威だ。包囲も少しずつ広げられてはいるけど、全力の砲撃体勢に移行できるほどの余裕はまだない。こちらはこちらで、少しでもその余裕を作る必要がある。

 今も、しびれを切らしたシルフィデシデムシを一体、脳天に猩角ショウカクを突き刺し屠った。見たところ橋までの距離で、邪魔になりそうな個体は6体。時間をかければ橋のほうに詰める個体まで出てくるだろうから、さっさと片付けてしまいたい。


「……あれ、試してみるか」


 ぽつりと呟くと、エミィが反応してくる。何を指しているのかはすぐに分かったのだろう。


『賭けですよ。個々に相手をした方が』

「うまくハマる目もあるんだろ。シミュレーションの通算成功率は?」

『68.4%です』


 五分の賭けよりはまだ勝ち目がある。それに、外れたとしても相手がまだ非力だし、先ほどまでとは違って援護もある。挽回は可能だろう。


「なら、早く片付けるメリットを取りたい。……読込ロード、<猿舞モンキーダンス>」

『失敗したら私が全権を取らせてもらいますから。……優先プライマリアルゴリズム変更確認。標的制御をアイポイントからN次ベジェ曲線軌道にセット。脚部挙動、フルオート確認』


 <猿舞モンキーダンス>とは、エミィと二人で近接戦闘インファイトアルゴリズムを組んでいたときに、ちょっとしたお遊びで作り上げたものだ。

 そもそもが、アンダイナスの挙動はこちらの入力した命令を機体側で解釈して実行するという、いわばセミオートだ。なら、機体側の判断ができる箇所を、限界まで拡張してやればどうなるか。

 砲撃の時にはそんなことをするわけにはいかない。流れ弾の影響や本当に撃っていいかの判断は人間に委ねられるべきだし、その不文律を破れば戦闘用リムはただの無人殺戮兵器に変わる。

 ただ、近接戦闘に関して言えば流れ弾の心配は無い。攻撃半径に他の機体や生身の人がいなければ、こちらが選別した標的を最大効率で倒すような挙動も取れる。

 ……なんて上手くいくわけがないと思っていたけど、見事にはまった。機体側での解釈が難しい局面では意味不明な動きをすることもあるけど、うまく立ち回った際の撃破効率キルレートは仰天するものだった。


『対人緩衝レート、許容限界まで拡張確認』


 極めつけはこれだ。リムの挙動を制限する根幹は、搭乗者の身体に対する配慮に他ならない。なら、こちらが我慢できるぎりぎりまで、好きな動きを許してやれば、アンダイナスは本来の動きに近いことができる。

 そうして行ったシミュレーションの結果、セミオートでの撃破効率キルレートである毎分八体に対して、<猿舞モンキーダンス>は三倍以上の27体を堕として見せた。

 視線に沿って動いていた照準レティクルが、レーザーポインターのような赤い光点に変わる。そのまま、視界の中に収まるバグ、その弱点をなぞる。

 アンダイナスがブーストを開始。一気に間合いを詰められた、敵集団の先頭にいたスカラベイデコガネムシは、反応すらできていない。間合いに入った刹那に、右手の狒角ヒカクが振るわれ、スカラベイデコガネムシは頭部を爆発させさせながら崩れ落ちる。アンダイナスは落とした相手に微塵の興味も無く、振るわれた腕の慣性を殺すどころかそのまま機体全体で転回ターンし、押っ取り刀で飛びかかるそぶりを見せた左側のシルフィデシデムシに迫る。袈裟切りの軌道が取られ、頭どころか胴体の半ばまでを断たれて、シルフィデシデムシが沈黙。

 踊りは止まらない。俺の操作では到底追い付かない複雑な軌道を取り、広げた腕を存分に振るい、瞬く間に残りの四体がぴくりとも動かないただの残骸に変わる。その間に俺がしたことと言えば、標的の選別とトリガーだけ。

 色々な建前とか前提とかをかなぐり捨てて言えば、人間もそろそろ要らなくなるんじゃないかな、と、がっくんがっくんと視界を揺らされて十秒ちょっとでグロッキーになりながら思う。

 便利に見えるこの機能も、遊びの副産物である以上はまだまだ未完成で欠点も多い。その一つ目は、今の俺みたく搭乗者に過剰な負担を強いることで、今のように数が限られていればいいけどさっきのように20体以上を相手にしてはこっちの身がもたない。これについては、もう少しマイルドな挙動を取りつつ効率的に動ける、いい感じの制限値を探る必要がある。そしてもう一つ。


『橋のバグ集団、最後方に動きがあります』


 エミィからの報告を受けるまでもなく、その兆候は見えていた。橋の上にひしめき合っているバグの集団、その中でこちらに近い位置にあった、他と比べて大きさの目立つ個体が一体、身を屈めて跳躍する。こんな動きが出来る個体、俺が見た限りでは一種類しかいない。


「久しぶり、って言えばいいのかな」


 三ヶ月ぶりに見る、凶悪な面構えと両腕の鎌。長旅をして機嫌が悪いのか、以前の動きよりも所作が荒々しい気がする。


『マントデア……こんなところに』

「丁度いい。接近戦インファイトがもうお前の専売特許じゃないってこと、分からせてやる」


 レドハルトからの遠征である以上、こいつの存在も意識していなかったと言えば嘘になる。<猿舞モンキーダンス>の解除処理をしつつ、軽口を叩く。弱点の二つ目だ。マントデアくらいのバグになると、回避や後退の駆け引きが要る。それができない以上は、雑魚潰し以上の使いどころはない。

 砲撃体制には移行できない。この距離に詰められてからでは隙が大きすぎる。当然狒角ヒカク猩角ショウカクは構えたまま、マントデアとアンダイナスこっちで睨み合う。

 雨は弱くなりながらも、まだ止む気配は無い。雨滴がレーザー刃に触れ蒸発する音を遠く聞きながら、視線は目の前の宿敵に吸い込まれる。


 ◆◆◆


 自分の身内を勝手に武器にされて怒っているのだろうか、マントデアカマキリが威嚇のポーズを強くする。

 勿論、機械仕掛けの蟲にそんな感慨も敵愾心もあるはずがない。全ては、俺の感情が生み出す勘違いだ。


『ユート。雨も上がってきました。センサー類の制御は自動オートに移行して、攻撃制御を担当できますが』

「大丈夫。エミィは、すぐに砲撃体勢に移れるように準備と、橋脚部の耐久度計算を優先して。近接戦なら、機動制御と攻撃制御を一緒にやらないとタイミング合わないし」


 エミィの操縦は充分に戦力だ。それを断るのは痛いけど、後のことを考えるとこの手の計算はやっておいて貰う必要がある。


「適材適所ってやつ」

『操機が適所とは、ユートも出世したものですね』


 エミィにも余裕が出来たらしい、切れのある皮肉を甘んじて受け入れて再度前方に集中する。橋の上に詰めかける集団は動きはない。橋の反対側で奮戦を続けるリットン兄弟の活躍もあり、馬鹿正直に殺到した結果、マントデアのような離れ業が出来る個体以外は身動きが取れていない。

 後は、こいつを片付けてしまえば一網打尽だ。右手のスティックを握り込み、相手の細かな動作を注視し。


 ――動いた。


 普通のマントデアの猪突猛進的な軌道とは違う。セオリーから外れて、跳躍は斜め前方へ。覚えがある。トキハマ郊外、最後に仕留め、アンダイナスの腕に傷を負わせた二体のマントデア。着地後、向きを改めてこちらに変え、再度の跳躍を試みる。

 今回、相手は一体。潔いとは思わない、必ず伏兵がいるはず。しかし周囲はそのほとんどを、リーナスとキャスティが狩り尽くしている。ならどこか。決まってる、橋の上に動くことができる他の個体がいる。

 マントデアが跳躍の頂点に達し、降下軌道に入る。二度も同じ手は食わない。前回は降下を回避し、体勢を立て直すために余分な時間を食わされ、そこを見計らって二体目からの攻撃を受けた。苦い記憶だ。その時の無茶な機動で、俺は使い物にならなくなったのだから。


『回避を!』


 同じ愚は犯さない。フットペダルには触れもしない。出来る、という確信がある。


 ——今回は、敢えて受けてやる。迎え撃ち、倒す。


 視線誘導で攻撃目標をポイントする。先行入力する対象は、初手で二箇所、次手に一箇所。手順を頭に思い浮かべることもない、考えは自動的に変換され、半ば機械的な動きで過去最高の速度を伴って入力される。

 マントデアが落ちてくる。着地と同時に、落下の慣性を消さずに叩き切るもりだろう、腕は振りかぶったままだ。


 なめんな。


 落下速度を見切り、着地の直前に攻撃を指示トリガー。アンダイナスは健気に、愚直にこちらの命令を実行する。大きく手を振る動作で、右手の狒角ヒカクが弧を描く。

 

 着地。轟音。


 こちらから1メートルも隙間を空けず、マントデアが首を垂れた格好でいる。その位置に着地したということは、本来ならば自慢のレーザー鎌が振り抜かれ、アンダイナスにはVの字に深く裂け目ができている、はずだった。


 鎌が、そこにあれば。


 振り抜かれたはずの鎌は、確かにある。しかし、その刃に光はなく、こちらの肩先に引っかかっている。残った熱量で穿たれたわずかな傷は、塗装の表面を焦がしただけ。肘から先を絶たれ、熱量を生み出せずにいるそれは、今やただの棒きれに過ぎなかった。

 両手の先を無くし、着地の反動で身動きの取れないマントデアに、脳天から左手の猩角ショウカクが突き込まれる。まるで生きているように肢がびくりと震え、腹ばいに沈む。

 その光景を見てある種の感慨に耽りながら、砲撃アルゴリズムを優先プライマリへ。まだ終わっていない、時間を無駄にはできない。


「警告! アンダイナスより、第三橋付近の全機へ! これより高威力砲撃を行う! 種別、超音速電磁加速砲! 射線からの退避、および対衝撃波防御を勧告!」


 射線からの退避を勧告しながら、狒角ヒカク猩角ショウカクを格納、そのまま流れるように両腕の手首が折れ、互いに接続される。左の肩から先がパージされ右腕を前方に構えることで、現れたのは長大な砲塔。


「繰り返す! 第三橋の延長線上にいるものは退避されたし! 巻き込まれても知らないぞ!」


 出来上がった砲塔の各所に分散された超伝導コイルに、またそれらを束ねる増圧蓄電器ブーストキャパシタに、狂ったように電力が注ぎ込まれる。新顔にこれまで出番を奪われ、ようやくの見せ場に歓喜したのか、砲身が震える。過電流により発生した獰猛な磁力により、外装が微細に変形して各所に刻まれた傷から塗装がひび割れ、元あった白い素肌が顕わになる。


「3カウントにて砲撃トリガー、3!」


 おい急すぎるちょっと待て構うなさっさと逃げろ、と声が漏れ聞こえる。恐らくは橋の先にいるリットン兄弟だろう。お前達に配慮してここまで手間をかけたのだから、早く逃げてほしい。


「2!」


 橋の上のバグに動きがあった。先ほどのマントデアとセットの伏兵か、立ち上がる素振りをするもの。もう遅い、お前はそこで砕けろ。


「1!」


 断続的に響いていた、他のリムからの砲撃が止んでいた。退避は済んだのだろうか。近距離の探査マップを確認、射線上の味方機無し。


発射ファイア!」


 トリガーを引くとほぼ同時、限界まで磁力で多段的に加速された砲弾が、衝撃波と急速な気圧変化に伴う濃密な霧を引き連れて放たれる。狙いに狂いはなく、橋の上で密集する敵集団、二桁を優に超す中を貫く。まともに当たったものは言うに及ばず、遅れてたどり着く衝撃波と、着弾し破砕されたバグの残骸がさらに他のものを薙ぎ倒す。

 暢気に眺めている場合ではない。未だ破片の雨が本物の雨と混じって降り注ぐ中を、砲身の解除もせずにブーストで駆け抜ける。無茶な体勢で走らせたことへの抗議か、繋げたままの砲身で左右の重量バランスが狂い、聞いたこともない軋みが機体の各所から響く。衝撃波によってひび割れ始めた橋は、まだアンダイナスの巨体を向こう岸へと繋いでくれた。


 ——抜けた!


 予定された砲弾はあと二発。まずは背後へと急速旋回し、砲撃の余波にもめげずに形を残した第三橋に砲口を向ける。


『ユート! 電圧が安定していません、最大出力フルロードまであと十秒!』

「撃てればいい! 橋脚の耐久計算は!?」

『問題ありません、必要出力まで増圧……完了しました!』

「ッ!」


 返事をすることすらせずに、二度目のトリガー。たまらず亀裂を深くした舗装部が橋脚の崩壊に巻き込まれ、盛大な水音を立てて消失する。


「ラストだ! 目標、中央第一橋!」

『強度計算は済んでいます、橋脚部の砲撃を推奨!』

「照準完了! 吹き飛ばすぞ!」


 最高出力フルロードに近い砲撃を三連射もする羽目となった砲身が、たまらず軋む。長時間の高出力磁場が、砲身のみならずアンダイナス本体まで影響し始める。塗装の剥がれは腕だけでなく、いよいよ胴体にまで及び始めた。

 構うことはない、これで終わりだ。ぴたりと据えられたままの照準を信じて、最後のトリガーを引く。


「落ちろおおおおおぉぉぉぉ!!」


 過度に加速された砲弾は、最早肉眼に映ることはない。橋脚に穿たれた穴が次に見える結果で、その次の瞬間には数十のバグが乗っても罅一つ入らなかったそれが爆散し、数多の敵影が崩れた橋梁と運命を共にする。

 今更になって、スティックを握っていた右手を震えが襲う。

 ようやく終わった。実感が震えと共に、体中に浸透した。

 ざまあ見ろ。姿も見せないチキンめ。俺はお前のくだらない謀略を、この通りかいくぐって見せたぞ。

 推進剤はもう欠片も残されていない。視界に映る機体は僅かに取り残された黒い塗装が、まるで血に塗れたような凄味を見せている。

 その姿を見ていた、待避していたリットン兄弟の片割れが、こう呟いた。


銀の背中シルバーバック……』


 また名が知れてしまった、とどうでもいいことを考えた。まあいい、後片付けを終えたらトキハマから離れることになるから。打ち明けたら、見知った人たちはどんな反応をするだろう。それだけは、考えが及ばない。

 中央の第一橋を死守していた三機のリムが、最早防衛の必要はないことにようやく気づき、駐機場で護衛を待つ輸送用リムの元へと歩き始める。箱形に四本ないし六本の脚が付いた輸送用リムは、全部で五機だった。どれもが脚を伸ばして、一機ずつ村の出口へと向かい始める。

 こっちは、とりあえず推進剤を取り込んだら北側のバグを砲撃して、辺りの安全を確保しなければならない。守った人達の顔が見れないのは残念だな、と村の出口に差し掛かったリムの列を横目で見ながら歩を進め、


 その時。

 先頭の一機が、飛散した。


 ◆◆◆


 何が起きたのか。

 頭が混乱している。確かに五機あったはずだ。それが、何故、四機になった?

 思考が追いつかないまま、両足はフットペダルを踏みしめる。ブーストしない。推進剤は無い。必死にもがくように歩いている。砲身がそのままだ、早く戻さないと。

 ひどく緩慢に見える動きで両腕があるべき所に戻り、ようやく腕を使いまともに走り始め、その時、二機目が横倒しになるところが見えた。あれは、確かフジワラのリムだ。ミツフサの滞在中、何度か食事を世話してくれたことを思い出す。


『敵影! 南側全域に、そんな、何故……!』


 悲鳴のようなエミィの声を聞く。近距離の索敵マップ、そこに今まで欠片も無かった赤い光点が、無数に点る。


「ゲンさん! サツキ!」


 思考が追い付いた。何故だ。俺は、クリアしたはずじゃなかったのか。場違いにそう思い、次いで助けにいかなくては、と当たり前のことに気付く。中央第一橋と、そこから伸びる村の出口に至る道へ。生き残りは誰だ、目線が答えを求める。

 三機目、その箱形の本体に、ファスマトーデナナフシの細長い肢が絡みついていることにようやく気付いた。砲撃を……、しかし全身が異様な細長さのそれに命中させたとして、リムまで巻き添えにしてしまう。


「あぁ……、あああぁぁぁああ、あああああぁぁぁっ!」


 こんなにアンダイナスの歩行速度が鈍いと思ったことは無かった。ようやく崩れた第一橋の南詰にたどり着き、少しでも助けなければと向きを変え、その時こちらに取って返してきたゲンイチロウの緋牡丹スカーレットピオニィは、まだ無事だった。

 その背後から、アラーネアが迫っていた。急いで射撃体勢に入り、その胴体を砕こうと、できない。

 川に没したはずのロパリデカメムシスカラベイデコガネムシが現れ、纏わり付いていた。機体がとうとう警報を発する。関節が締め上げられ、射線が定まらない。加速できないからと、マチェットをマウントしなかったのが裏目に出た。


「離せ……! くそっ、離せっ!」


 視界の彼方に広がるのは地獄絵図だった。崩れたリムの中にいた、かろうじて生きていた男がよろよろと歩き、何か言おうとしたその瞬間に、グリロイデが脳髄の一部ごと頭を齧り取っていた。びくんと体が跳ね、崩れ落ち、お零れに預かろうと数体の他のグリロイデも群がる。

 他方、歩行するファスマトーデに下半身を踏み潰され、腕だけで逃げようとする女性がいた。残された片腕で子供を抱きかかえる年配の男がいた。すぐさま、グリロイデが群がる。血飛沫が上がる。言葉にもならない声が響く。死ぬ。みんな、死んでいく。


「やめろ、何でだ、何でだよ! お前ら何の恨みがあって、」


 出鱈目に動かすスティックにアンダイナスが反応し、細い肢を引き千切りながら締め上げられていた腕を動かす。早く、早く照準を。

 ほぼ同時に、アラーネアの肢がスカーレットピオニィの脚を切断した。

 悲鳴が上がる。接続したままのNSVPから響く、内部の音声だ。幸い、本体部には攻撃は届いていない。照準、射撃。アラーネアを砕く。大丈夫、まだ生きてる。早く救助を。

 すぐに絶望した。そのすぐ横に、ファスマトーデが辿り着いていた。細長い代わりにクラス4に近い巨体が、肢を振り上げる。

 背後からは、異常を察知したらしいリーナスとキャスティが対岸に向けて射撃を繰り返している。焼け石に水だ。橋を落としたのが今更悔やまれる。リムを使ってでは、この川は渡れない。

 アンダイナスに取り付くバグは、五体に増えていた。背後から脚と胴体と左腕を締め上げ、崩された体勢で右腕の砲口が定まらない。


「やめろ」


 一瞬だけ動きを止めた肢が、落ちる。本体の中央、穴を開けるに留まらず外装がねじ曲がった。

 照準が定まり、高い位置にある頭部が消し飛ぶ。ただ、それに構っていられない。スカーレットピオニィの貨物スペースはその高さを半分にまで潰され、それはドライバーシートがある場所にまで及んでいた。


「ゲンさん! サツキ! 早く、早くそこから逃げて!」


 呼びかけても返事がない。いや、ごく小さな声が聞こえる。


『おい……、逃げろってよ、サツキ』

『ダメだよ! 兄ちゃん、兄ちゃんから、早く』

『いいから行けっての。折角無事なんだからよ』

『兄ちゃん! だって、お兄ちゃん、腕が……!』


 腕がどうしたと言うのか。早くしてくれ、向こうからまた新手が来ている。またアラーネアだ、今までどこに隠れていた。


『行け! あんな体張って、なのにこっちが全員死んだら、……っ、ジュートが、可哀相だろ……』


 俺のことなんてどうでもいい。生きててくれればいい。頼むから、早く。

 必死に、片腕の射撃を繰り返す。助け出す可能性を少しでも高めたい。もう誰も死んでほしくない。


『……、……っ!』


 サツキが何か言おうとし、そのまま何も言わず、開け放たれたハッチから這い出てくる。ゲンさんは、どうしたんだ。


『行け!』


 サツキが走り出す、こちらに向かって。もはや安全な場所なんてない。東側を守っていたはずのリットン兄弟も、輸送用リムの守りについた三機も、反応は既に無い。


『ああ、そういや、遺言ってやつ、忘れてたな……。おい、聞こえてるかよ……』


 遺言。その言葉に、冷や水を浴びせられた気分になる。何を言ってるんだ、こんな時にそんな冗談は。


「ゲンさん! ダメだ、やめて!」

『……誰も、恨むなよ』


 誰に対してのものか定かではないそれが、俺が聞いた、彼の最後の言葉だ。

 カドマゲンイチロウは、アラーネアの振動ブレードで、粉々に磨り潰された。

 機体の隙間、僅かなそれから、血とそれ以外とが噴出した。


 ◆◆◆


 泣き叫ぶことすら出来なかった。何が起きた。今、そこに誰がいた。誰がいなくなった。俺はもう、あの人と会えないのか。


『ユート! 狒角ヒカクをマウントします、早くサツキを!』


 腕も動かせない。どうすれば良かったんだ。俺は、何を。


『何をしているんですか! ユート!』


 動けない俺に業を煮やしたのか、エミィがアンダイナスの操縦コントロールを奪い取る。腕が振るわれ、機体各所に纏わり付いていた甲虫が切り刻まれる。


「……そうだ、サツキを」

『今、向かわせます! ユートはハッチからサツキを』

『あー、ごめんねー? ちょっと待って、お二人さん』


 のろのろと動かした身体を、そんな脳天気な声が押し止める。

 キャスティの声だ。今は、あの奔放な発言を聞いている場合では、


『ようやく答えが出たんだよー、戦時リンク障害。ねぇ』


 今更それが何だと言うんだ。今は少しでも、一人でも、


『ジュートくんと一緒にいるの、だれ子ちゃん?』


 再び動かし始めた身体が止まる。何だ、何を言ったんだ、この人は。


「……なんで、それが今、エミィが、何の関係が」

『エミィちゃん、って言うんだー? そっかそっか。うん、わかんなかったんだよねー、普通の通信阻害プロトコルブロックじゃ無いんだもんこれ。ウイルスなんかが原因だったらさー、無差別にそこら中全部通信止まるじゃん? でも出来てたじゃん? うち達だけじゃん?』


 ふと。ミツフサに辿り着く前の疑問が、繋がる。

 本部HQとの通信は繋がっていたはずの戦時リンクは、俺達との通信だけ、阻害されていた。

 避難警戒ラインの三機を思い出す。あいつらは、俺達との距離が近付いたから、ああなったんじゃないのか。

 最後に、豪雨の中とはいえ常識外れのセンサー精度を誇るアンダイナスこいつが、何度も待ち伏せアンブッシュだったとは言え至近距離に入るまで敵影の察知が遅れた。

 不可解な通信阻害とセンサーの不調。あれは、明らかに俺達だけを選別していた。何故だ。簡単な答えがある、アンダイナス《こちら》こそがその原因だとしたらどうだ。

 記憶は更に遡る。トキハマ外縁部、全てが片付いたと思った後。あの時現れた、巨大なバグ。エミィと、アンダイナスのセンサーには映らず、俺の目にしか見えていなかった。


 ——君の同行者には、完全に気を許してはいけないよ。


 幻聴が聞こえる。あの胡散臭い、勿体ぶった言い回しの商人。植え付けられた疑問の種が、疑念の葉を生い茂らせる。


『獅子身中の虫って言えばいいのかなー? バグ相手に虫だって。へー。大胆なこと考えるねー?』


 聞きたくない、聞きたくないけど耳が拾ってしまう。全てが繋がる。あいつらは、何を目的にしていた。誰を目がけて殺到してきた。俺は誰に言われて、こいつアンダイナスに乗り込んだ。


「……嘘でしょ、エミィ」


 自分でもぞっとするほど平坦な声で、そう問いかける。


『う、嘘です。私が、そんな』

『でも、実際に出てるんだもん、この変なイーサ波』


 とんだ道化だ。俺は、被害者面したこれに従って、今まで。

 シート横に転がる刀と、ライフルを拾い上げた。端末を操作し、ハッチの開放を指示する。


『ユート、どこへ!』

「……」


 何も信じられない。今わかってることは、サツキがまだ生きていて、こっちに向かっている。それだけだ。


『ユート!』

「ごめん」


 外に躍り出る。背後からは何かを言う声が聞こえ、でも、もう聞きたくなかった。

 助けないと、いけないんだ。


 ◆◆◆


 サツキが走っている。十数体のグリロイデが、その後を追う。こちらの背後では、アンダイナスがもがく音が響く。

 砲撃。群れの奥側にいた数体が、弾け飛ぶ。何のつもりか知らないけど、助けようとする意志はあるのか。まぁいい、どちらにせよ砲撃では、サツキの至近にいる個体までは狙えない。衝撃波に巻き込まれる。

 走り出す。刀は鞘を捨て、ライフルの先端に装着する。銃剣に出来るように手を加えてくれたのは、ゲンさんだった。最後まで、助けられている。


「サツキ! こっちだ、早く!」

「ジュート……! ジュート! ねぇ、お兄ちゃんが、お兄ちゃん」


 涙を流しながら、それでもサツキは走っている。何をするかは決まっている。何のために、俺は戦うための練習をしてきたんだ。

 ライフルを構える。サツキの背後に飛び掛かろうとしたそれの頭部に、弾丸がめり込む。まだだ、追ってくる奴は全部仕留めないと。

 面白いように弾が当たる。不思議だった。これまで当てようとしても当たらなかったのに。自分のためじゃなく、人のために戦うからか。ここで失敗したら全てが終わりだと思っているからか。

 射撃で、三匹を仕留めた。サツキを追う影は、それほど減っていない。あと十メートル近く、数を減らせ。助けろ、死んでも。

 距離が近くなる。もう銃撃は使えない。銃床を握りしめ、振りかぶりながらサツキの横を走り抜け、群れの先頭に身を躍らせる。刀を振るう。銃剣にしたのは、リーチを稼ぐためだ。振り下ろす。一匹、頭を縦に割られて動きを止める。一匹、複眼から斜めに断ち割られて動きを止める。一匹、すり抜け様に頭部を落とされて動きを止める。一匹、


 近い。刀がもう届かない。腕に、焼けるような痛み。


 見るな、見たら動けない。刀を振るう。出鱈目に胴体を絶たれ、しかし動き続ける。頭を狙え、そこは意味が無い。

 足が冷たい。動けない、何が。見てしまう。膝から下が無い。

 それがどうした。助けるんじゃ無いのか。腕を振るえ、刀を振るえ。引き金を引け。


「ジュート! ジュート、だめ! やめてよ、ねぇ!」


 叫ぶ声が聞こえる。銃を握る腕の感覚が無い。でも、まだ生きてる。助けられてる。


「サツキ、」


 眼前に、あの物騒な形をした顎が迫るのが見える。実際にこの距離で見たのは初めてだ。確かに、これに囓られたらひとたまりも。


「にげ」


 ああ、凄いなこれ。もう痛いとか感じないんだな。脳は痛覚が無いって本当だったのか。みしみしと音が聞こえて、それが俺の頭を、かじり、

 その時、限界まで引き延ばされた時間で、半分だけ残った視界が、それを捉えた。

 巨体。アンダイナスのさらに倍近い、黒山のような。

 そうか。そこにいたのか。俺達が足掻き、死んでいく様を、そうやって睥睨へいげいしてやがったのか。

 覚えてろ。お前は、必ず俺が殺す。死んでも、身体を粉々にされても、必ずだ。必ずおまえを、


 ごりゅ

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