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 エスカレーターを上りきってすぐにヒースくんを追いかけたが、彼の姿は何処にも見えなくなっていた。暫く周辺を探してみても、その結果は変わらない。

 駆け出したくなるほど楽しみだったお出かけだというのに、ヒースくんを捕まえられなかったことで意気消沈してしまった。再び待ち合わせ場所へと踵を返して、大樹の前で友達を待つ。


「メリエルちゃんお待たせ!」

「可愛い格好だねー」


 約束した時間の五分前には皆集まり、大樹の前には小さな輪ができた。私服では初めて会うことに高揚し、一頻り談笑してから化粧品店に向かう。


「化粧下地はこれがおすすめだよ」

「メリエルちゃん色白だから、ファンデーションは明るめがいいんじゃないかな」

「あっこのグロス気になってたやつ」

「やっぱアイライナー必要だよね」

「まずはアイシャドウだけで良くない?」


 彼女たちに見立ててもらい、化粧下地、ファンデーション、チーク、アイシャドウ、リップを揃えることにした。どんな服装にでも合うように、無難な色を選んでもらう。


「これで、ヒースくん?に会う時もばっちりだねー」


 にやにやと意地悪な笑みで冷やかされ、私は顔が熱くなったのを感じた。思わず先ほど擦れ違ったヒースくんの姿を思い出す。


「さっき、ヒースくん、見かけたの……」


 ぽつりと呟くと、彼女たちは興味津々とばかりに迫ってきた。


「えっ!?」

「嘘、話しかけた?」

「ううん、見失っちゃって……」


 そう返すと、彼女たちは目に見えて落胆した。しかしすぐに持ち直し、腕を組んで考え始める。


「話しかけられなかったのは残念だけど、此処に居たってことはこの辺りが行動範囲なのかもね」

「あれ、でも幼稚舎この辺りだったんでしょ? だったらそもそも近所に住んでんじゃない?」

「あっ、そっか! 家に行ってみればいいじゃん!」

「私、ヒースくんのお家に行ったことないから知らないの」


 彼女たちの期待に満ちた目は再び曇った。


「他になんかヒント無いの?」

「あ、そういえば制服だった……」

「それを早く言ってよ! 学校分かれば会いに行けるじゃん!」


 彼女たちにどういった制服だったか教えてと急かされ、覚えている限りで特徴を伝えていく。

 最初は食い気味にうんうんと頷いていた彼女たちだったが、ブレザーのボタンの並びがダブルだったことを思い出して付け加えると、途端に神妙な顔をしてお互いの顔を見詰め始めた。


「な、なに? どうしたの?」


 思い当たる学校が無いのかと不安になり、私は慌てて彼女たちに問うた。

 彼女たちは言葉を濁した後、気不味そうに口を開く。


「今聞いた感じだと、多分、オルムステッドじゃないかな……」


 私は驚きの余り呆然とした後、歓喜に口元を押さえた。まさか進学希望先にヒースくんが居るなんて。

 打って変わって彼女たちは、浮かない顔をしたまま真剣に話を進めている。


「オルムステッドにはそうそう行けないよね。彼処セキュリティ厳しくて有名だし」

「しかもエリートしかいないし、行きづらくない?」

「雰囲気が怖いよね」


「私……、高校は絶対にオルムステッドに行く!」


 そう宣言した時の、彼女たちの驚いて目を見開いた顔が忘れられない。


 その後はウィンドウショッピングをして、夕食前には帰路についた。私は帰宅するなり夕食を済ませ、すぐに勉強に入った。オルムステッドへの進学希望理由がはっきりしたためか、いつもより勉強に集中出来た気がする。

 気が付くと、机の上で朝を迎えていた。勉強している間にいつの間にか眠っていたらしい。いつも起きる時間より三十分ほど早く目が覚めたため、遅刻を危惧することなく朝の支度に入る。教科書を読みながら朝食を食べ、覚えたことを暗唱しながら身支度をし、車通学中は問題集を解いた。


「……頑張ってくださいませ、メリエル様」


 車を降りる時、黒スーツのその人に小さく応援された。その人が人間臭いことを言うのは初めてで、私は思わずサングラスを見詰める。相変わらず表情は読めなかったが、私が思っていたよりも柔らかい気がして、胸の奥が擽ったくなった。


「頑張ります。行ってきます!」


 教室へ足を踏み入れると、既に登校している級友たちは全員勉学に励んでいた。私は物音を立てないようにそろりそろりと教室内を進み、いつも座っている席に腰を下ろす。ペンを挟んだままにしていた問題集を取り出し、再び続きを解き始めた。

 応用問題に躓いて集中力が途切れた頃、音を立てて教室の扉が開かれる。そのような開け方をするのは、ただ一人しかいない。マクスウェルは左肩に鞄をぶら下げ、ポケットの淵に親指を引っ掛けて猫背気味に荒々しく歩いている。マクスウェルも定位置の席に勢いよく座り、鞄を机上に放り投げた。

 私はマクスウェルをちらりと窺い、意を決して話しかけてみる。


「あ、あの、マクスウェル」

「……あ?」

「えっと、おはよう」

「おう」

「その……、この問題、教えてほしいの」


 問題集を机に静かに置き、控えめにお願いしてみる。今までマクスウェルの手は借りまいと意地になってつれない態度を取っていた自覚があるため、都合の良いことを言うなと怒鳴られることも覚悟していた。

 しかし予想に反して、マクスウェルは筆記用具とルーズリーフを取り出し、問題を一読したと思えば瞬く間に解答を完成させる。


「おら」

「え……、ありがとう……」


 私は拍子抜けしつつルーズリーフを受け取った。それには走り書きの角張った大きめな文字が羅列しており、マクスウェルの性格を表している。


「どうなんだよ」


 端的にそう問われ、私は思わず間抜けな声を出してしまった。


「だから、勉強どうなんだよ」

「あ、うん、まあ、ぼちぼち……?」

「この程度の問題も解けねぇのにか」

「うっ」


 痛いところを突かれ、言葉に詰まる。もごもごとまごついていると、いつもより眼差しの柔らかい、とはいっても目付きの悪い赤い瞳が私を捉えた。


「まだ諦めてねぇのか」

「……うん。オルムステッドに、ヒースくんがいるって分かったの。だから、どうしても行きたい」


 マクスウェルは眉を顰めて舌打ちした。


「無謀かもしれないけど、何もしないで後悔したくない。受からなくても、やりきったんだから仕方ないって思えるようにしたいの」

「……」

「だから……、マクスウェル、やっぱりお願い。勉強教えてください」


 私はマクスウェルに頭を下げた。暫しの沈黙の後、マクスウェルはハーッと溜息を吐く。


「オルムステッドの受験勉強には手を貸してやんねぇ。だが、此処の高校に次席合格出来るくらいには学力を上げさせてやる」

「……! マクスウェル、ありがとう……!」


 こうして、マクスウェル監督の下、猛勉強の毎日が始まった。

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