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 私が此処へ戻ってきた理由の大半を、ヒースくんにもう一度会えないかという期待が占めている。幼少期の鬱屈とした日々から、その人たちの魔の手から救い出してくれた彼は、私にとってのヒーローだった。

 彼を思うと胸の辺りが暖かくなるのは、今も変わらない。憧れからくるものなのか、執着からくるものなのか、それは自分自身でも分からないが、今になっても彼の存在が大きいことには間違いなかった。


 ヒースくんはこの学校には居ない。その事実は私の頭の中を駆け巡り、その日の授業は全て耳を素通りしていった。授業が終わっても尚放心していたようで、オルセンくんが心配そうに顔を覗き込んできた。


「スチュワートさん、大丈夫?」

「……えっ、う、うん」

「午後辺りから元気無くねぇ?」

「いや、大丈夫大丈夫」

「ならいいけど……」


 少し釈然としていない様子のまま、オルセンくんはプリントを一枚手渡してきた。A4サイズの白いそれには進路希望調査書と銘打たれており、第一希望から第三希望までの枠が設けられている。


「スチュワートさんは進路どうすんの?」

「此処じゃないけど、高校に行くつもりだよ」

「そっか。俺はそんまま上がろうと思ってるんだ」


 大抵の中学校には同敷地内に高校が併設されており、中高一貫の体制を取っている。大学への進学を希望する場合、進学準備校である高校に駒を進めることになるが、特段の事情が無い限りは同高校に上がるのが主流である。

 私は最後の一年間を地元の中学校で過ごす代わりに、高校は指定された学校へ進学するという交換条件を交わしている。何処の高校になるかは判然としていなかったが、きっと其処へ通って大学まで進学するのだろうと漠然と考えていた。


 帰り支度を済ませ、学校の敷地の外れで車に乗り込み、外観も知らない白い家に帰る。黒スーツのその人が開けてくれている玄関の扉を潜り、ローファーを脱いでスリッパに履き替えた。いつもなら着替えるために自室へ一直線だが、進路希望調査書のことが頭に浮かんで、鞄を下ろしながらその人に問う。


「あの、高校のことなんですけれど、何処に行くことになるんでしょうか」

「オルムステッド学園高等部になります」


 私は脳内で聞き覚えの無い学校名を反芻しながら、自室へ戻った。

 鞄を机の脇に置き、帽子をポールスタンドに掛ける。制服を脱いでクローゼットに仕舞い、綿の白いワンピースの部屋着に着替えた。

 椅子を引いて腰掛け、本棚から高校の一覧が載っている進学案内の冊子を取り出す。索引からオルムステッド学園の名前を引いて、ページを捲った。


『オルムステッド学園

 国公私立:私立

 共学別学:共学

 中高一貫教育:併設型(外部混合有り)

 課程:全日制課程

 単位制学年制:単位制

 設置学科:普通科

 学期:四学期制

 中高一貫教育を提供する、私立男女共学中学校・高等学校。高等学校において、中学校から入学した内部進学の生徒と、高等学校から入学した外部進学の生徒との間では、第一学年から混合してクラスを編成する併設混合型中高一貫校。』


 学校説明を読んだ後は、偏差値順に学校が並べられているページを開く。指先でなぞりながら表を遡っていくが、中々学校名が見当たらない。そのまま指を滑らせていくと、表の先頭に差し掛かった。


『偏差値79 オルムステッド学園高等部』


「……!?」


 私は見間違いかと思って何度も紙面を見直した。しかし何度見ても偏差値は変わらず、オルムステッド学園は私立最高峰の学校として記載されている。

 案内冊子を一旦閉じて、嫌な冷や汗が額を伝うのを感じながら、十年生の学年末の試験結果を取り出した。試験結果と睨めっこしていると、自室の扉が叩かれて夕食の時間であることを告げられる。一先ず試験結果は机の上に置いて、リビングに降りた。いつもなら美味しい筈の夕食も、進学のことで頭がいっぱいになっており、あまり味を感じなかった。就寝する時も進学が不安の余り、中々寝付くことが出来なかった。


 翌朝学校に着くと、先生に教科書を取りに来るように言われた。職員室で教科書を受け取り、廊下に設置されたロッカーに仕舞う。国語と数学の教科書だけは取り出し、一限の授業が開かれる教室へ向かった。

 教室内の人影は疎らで、昨日昼食に行った面子はまだ登校していない。私は教室後方の窓際の席に座り、数学の教科書を開いて問題を解き始めた。


「何してんだ」


 応用問題に苦戦していると、肩を支点にして鞄を持っているマクスウェルが立っていた。


「おはよう、マクスウェル。勉強してるの」

「んなモン見りゃ分かるわ。一限国語だろうが」

「修了試験で良い結果出さなきゃいけないの」

「はぁ? 今更かよ」


 マクスウェルは眉を顰めて、私の後ろの席に乱雑に座った。

 私は問題が中々解けず手詰まりになっていたので、振り返ってマクスウェルに教科書を見せてみた。


「ねえマクスウェル、この問題解る?」

「あ? 面倒臭ぇ、自分で考えろや」

「あー、マクスウェル、勉強出来なさそうだも、」

「あぁ!? そんくらい秒殺に決まってんだろうが、貸せ!」


 マクスウェルは教科書をひったくると、ルーズリーフを取り出して怒涛の勢いで解答を書き始める。その手には淀みがなく、ものの一分足らずで本当に解答を完成させてしまった。


「おら」


 ルーズリーフを投げ渡され、解答を見る。先ほどまで糸が絡まったように混乱していた問題が、マクスウェルの解答を見ただけで容易に理解出来てしまった。


「えっ、す凄い、マクスウェル」

「当然だろうが」


 マクスウェルは鼻を鳴らしてシャープペンシルを放った。


「オハヨー、エイダン、スチュワートさん」

「あっケイト、おはよう!」


 マクスウェルの解答に感動していると、今日も今日とて長い脚を見せつけるように短いスカートを揺らすケイトがやってきた。ケイトはマクスウェルの隣に座り、数学の教科書に目を遣る。


「あれ、一限数学だったっけ?」

「ううん、ちょっと勉強してただけ」

「だよねー、焦った」


 ケイトはキャップを脱いで、少し乱れた長いブロンドの髪を手櫛で整える。


「ねーケイト聞いて。マクスウェルにこの問題聞いたら、あっという間に解いちゃったの」

「んー?」


 ケイトにルーズリーフを渡すと、ケイトは少し目を通して苦笑した。


「まー、そーだろーね。エイダン、学年一位だし」


 その言葉に、私は固まってしまった。はい、とケイトにルーズリーフを返された後、マクスウェルをゆっくりと見遣る。

 マクスウェルは両肘を背凭れに突いて踏ん反り返って椅子に座り、唇を突き出して周囲を威嚇するように眼差しを厳しくしている。私が驚きの余り何も言えないでいると、私の心情を推察したらしいマクスウェルが、より一層目付きを尖らせた。


「んだよ」

「マクスウェル……、学年一位って、本当……?」

「オレが其処らの雑魚に負けっかよ」


 私はその時、マクスウェルの不遜な態度は、確かな実力に裏打ちされた自信から来るものなのだと初めて理解した。

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