10:メリエル・スチュワートの愕然1

「パンをスープにつけてはなりません。スープが不味いという意味になってしまいます」


 私はテーブルマナーに駄目出しを受けながら朝食を摂っていた。パンを皿に戻し、スプーンで手前から奥にすくってスープを飲む。

 黒スーツの人たちに引き取られてからというもの、マナー、言葉遣い、所作、あらゆる面に於いて指導を受け、一挙手一投足一言一句が貴族然としたものとなるよう矯正されていた。日に日に洗練されていく立ち居振る舞いに、私は以前の自分が消えていくような不安を覚えている。

 朝食を終え身支度をし、開けられた扉から家を出ると、今日も黒塗りの高級車が停まっていた。既に出発の準備は整っていて、後は私が乗り込むだけである。しかし私はドアの前で立ち止まって、黒スーツのその人を見上げた。


「車じゃなくて、歩いて登校したいのですけれど……」

「それはなりません」

「そうですよね……」


 私は早々に諦めて車に乗り込んだ。シートベルトを締めていると、その人がドアを閉めてくれる。車が発進して暫くしてから、せめてものお願いを口にした。


「じゃあ、学校から少し離れたところで送り迎えするようにしてくれませんか?」

「承知致しました」


 すんなりと聞き入れられたため少し驚いたが、これで一先ずは安心した。鞄から読みかけの小説を取り出し、窓外に意識を向けないよう、読書へ没頭した。


「到着致しました」


 その人に声をかけられ、小説の世界から意識が浮上した。栞を挟んだ小説を鞄に仕舞い、車を降りる。其処は校門から離れた周壁の付近で、通る生徒の姿も疎らだった。これならば噂も立たないだろうと、安堵の息を吐く。


「いってらっしゃいませ」

「ありがとうございます。行ってきます」


 私はその人に見送られながら、校門へ向かった。


「あ、スチュワートさん、おはよ」


 校門が見えてきたところで、背後から女の子に声をかけられた。振り向くと、キャップを後ろ向きに被ってブロンドの長い髪を揺らしているケイトが歩いている。


「あ、ケイト、おはよう」

「家こっちなんだ?」

「う、うん」

「ふーん、前歩いてんの、今まで気付かなかったや」

「そ、そっか。そういえば、魔法理論の宿題全部解った?」

「ん? あー、もち」


 校門までの道を、ケイトと話しながら歩く。ケイトは話題を振れば返してくれるし、それに関連した話題を投げかけてくれるし、一緒に話していて心を擽られるような楽しさを感じた。

 一頻り談笑に耽っていると、校門を見たケイトが一瞬呆けた顔をして、次の瞬間には輝くばかりの笑顔を浮かべた。


「エイダン!」


 校門前にはマクスウェルが立っていて、登校する生徒の流れを睨み付けていた。睨まれている生徒たちは、マクスウェルとは決して目を合わせないようにしながら小走りに校舎へ向かっている。マクスウェルは駆け寄るケイトを認めたと思えば、その後ろに居る私を見付けて目を吊り上がらせた。


「エイダン朝からなに眼付けてんの?」

「あぁ? 付けてねーわ」


 マクスウェルがケイトに気を取られている内に、私は校門を突破することを考えた。マクスウェルからは死角になるように、登校する人の陰に隠れながら校門を目指す。しかしその努力は無駄な足掻きに終わり、制服の襟後ろをぐわしと鷲掴みにされた。


「おいクソブス」


 マクスウェルは青筋を浮かべながら完璧に笑っていた。


「ちょっと面貸せや」


 私は登校する人たちの哀れんだ視線を投げかけられながら、首根っこを掴まれ校舎裏に連行されていった。


「どういうことだ」


 校舎裏に着くなり、マクスウェルはそう言って話題に入った。

 私はブラウスを整えながら、すっとぼける。


「え? 何が?」


 私のその様子にマクスウェルは更に苛立ちを募らせたようだったが、怒鳴らず冷静に切り返してくる。


「とぼけんな。昨日の黒スーツの奴のことだ」

「ああ……、家の人のこと」

「テメェはそう呼ぶことにしてんのか」

「……」

「どう見たって家族じゃねぇどころか堅気ですらねぇぞ」


 マクスウェルの詰め方に、私は感情的な餓鬼大将ないしはいじめっ子という認識を改めた。思っていた以上に、マクスウェルは理知的なのかもしれない。


「幼稚舎の時の不審者と関係あんのか」


 訂正だ。かもしれない、ではなく、そうなのだ。


「……今の私は、あの人たちにお世話になってるから……」

「……」

「…………」

「……チッ」


 押し黙っていると、それ以上は何も話さないと察したらしいマクスウェルは、舌打ちをして踵を返した。

 私はマクスウェルの背中を見送って暫くしてから、一限目の教室へ向かった。教室に入ると、同級生たちの視線が一斉に私に降り注ぐ。それまで談笑で騒がしかった教室内が、急激に静寂に包まれた。擂鉢状に設置された席へ向かうと、徐々に教室に雑音が戻っていく。

 マクスウェルは既に席に座っていた。隣にはケイトが座っており何事かを話しかけているが、マクスウェルは頬杖をついて外方を向いている。先ほどの今でマクスウェルの隣に座ることも出来ず、マクスウェルの斜め後ろに座っている、昨日誘いをかけてくれた男の子の元へ向かった。


「あ、あの、おはよう」

「あっ……、スチュワートさん、おはよ」

「良かったら、教科書見せてくれないかな?」

「えっ!? う、うん!! いいよ、隣座る?」

「ありがとう」


 彼の近くに座っていた男の子たち二人は、何かを囃し立てるように歓声を上げた。


「あ、名前言ってなかったよね。俺、オルセン」

「うん、よろしくね」


 オルセンくんの隣に座ると、ケイトの右隣でありオルセンくんの前でもある席に座っている二人が、声を潜めて話しかけてきた。


「スチュワートさんさぁ、さっきマクスウェルと校舎裏行ってたんだって?」

「え? うん……」

「おいマジかよ」

「噂ホントだったんだなー」

「アイツも人の子だったんだな!」

「マクスウェルから告白してきたんだろ?」


「…………えっ?」

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