高山テキスタイル株式会社 -ヘッドハンティング-

「知人から技術を持った職人を必要としている会社を紹介され、無理を承知で出来ましたら早期退職をお願いしたいのですが・・・・・・」


 株式会社マンサービスクリエーションの本社事務所、と言っても京都駅前の某複合商業施設の最上階、六畳面積も無い部屋をさらにパーティションで隔てた二畳空間で、篤朗は西原と向かい合っていた。四畳空間の真ん中にダイニングテーブルが置かれ、周りに並べられた折りたたみ椅子には先ほどまでミーティングをしていた社員が数名雑談を交わしていた。他の社員は喫煙コーナーと称すも物置き場に集まっていた。

 サイゾウこと西原は、ホテル業務での経験を活かして経営コンサルティング・アウトソーシングの会社を立ち上げるとホテルや結婚式場に特化したバンケット事業を展開し、また自らも結婚披露宴のエスコートを率先して行うなどバイタリティ溢れる男で、適正年齢を超えた篤朗の境遇を労い採用したのであった。

 次を担うマネージャ候補生として育てる中、突然目の前に立ち離職したいなどと宣うのだから唖然とし、次に憤怒が起こり、そして侮蔑の面持ちで笑い出すと席を立って四畳の社員たちに高らかに訴えた。

「おい、こいつ辞める言うとるぞ!」

 一瞬事務所が静まり、パーティション裏に立つ篤朗に視線を向ける。寝耳に水とばかりに驚く者や、またいつもの脱落かと見慣れた風景に嫌悪感を表せる者もいた。

 採用してもらった恩義はあった。割に合わない就業時間や身銭を切っての出張交通費にも辟易していた。また自分の身体の限界と今後増えるとも知れない収入に不安があった。二年先輩の給料明細とボーナス支給をいつか事務所ロッカー裏に落ちているのを見たときから感じでいた不安。

 それでも出来ることなら、この若いメンバーらと共に続けていきたいという気持ちが、西原の心無い仕打ちに脆く崩れた。

「おい、仲瀬、辞めるってほんまかい?」

「なんかあったん?」

 同僚が心配とも好奇心とも入り交ざった声で篤朗に投げかける。

「なんでも他の会社からヘッドハンティングされてるらしいわ」

 西原が吐き捨てた。

「お先失礼します!」

 篤朗は事務所に置いた鞄を引っつかむと、同僚の声に振り返らずにフロアを去ろうとすると

「辞めるんは好きにしたらええけど、半年は辞めれんからな!」

 離職条件をぶつけてきた西原の勝ち誇った表情に、篤朗の箍はすべて外された。何か叫ぼうかとも思ったが、共に激務を過ごした同僚の手前後ろめたさもあり、逃げるように事務所から立ち去った。

 ミーティング後は恒例の社員一同の飲み会がある。それを誘う声や引き止める聞こえてきたが、篤朗の慨嘆の前には無に等しく、また事務所から西原のほっておけと制止の声も上がっていた。

 西原はすぐさま結婚式場ル・ソイルのマネージャ吉峰祐樹を呼び付けた。

「おい吉峰、仲瀬が辞めるんはお前知ってたんか?」

「いえ、私も今聞いてびっくりですわ」

 吉峰はひょうひょうと答え西原を不審にさせるが、普段からお互いのやり取りは上っ面で腹の探りあいであったので、西原はチッと舌打ちすると臍を噛む様に顔を歪めた。

 吉峰は西原がホテルの一従業員として働いていた当時の同僚である。胡乱気な吉峰の表情からは表裏が掴めないのは今に始まった事ではなく、本社から離れた高槻の地で起こった篤朗の心の変化に気付くことが出来ないまま いきなり結論を突きつけられた結果となってしまった。

「社長、今日どうします?」

 篤朗が出て行ってからすでに半時間が過ぎていた。

「おう、行くぞ、すぎに出かけるから用意するようみんなに言ってきてくれ」

 西原は社員に言うと吉峰を開放した。今日の酒は不味い、西原は低い天井を見上げて溜息をついた。


 翌日、昼出勤の篤朗が結婚式場ル・ソイルに出勤すると、事務所で吉峰がやはり胡乱気ながらわずかに渋面を示し手待ち構えていた。

「仲瀬ぇー、お前俺を殺す気かぁー。昨日の宴席で延々と西原さんから嫌味言われたんやぞ」

「白まで切らさせてすみませんでした。あの後揉めませんでしたか?」

 ミーティングの前日に、辞意をつたえる旨は吉峰には伝えており、それを知ってるとなると留まらせなかった監督責任を伴うため知らない事にしたわけだが、結果酒が絡んでより強く管を巻かれる事となった。

「まーあんな言い方する西原さんも大人気なかったと言えばそれまでだけど、それだけ仲瀬くんを買っていたんでもあると思うよ」

「ですね」

「実を言うと俺もここ辞めるんだわ、まだ西原さんには言ってないけど。あなたが先に言ってくれたおかげで当分口に出せそうにないけどね。それはそうと、いつ辞めるつもりしてるん?」

「三ヶ月は続ける予定でしたけど、ああ出られるともう在籍意義がなくなりましたので早々に辞めるつもりです」

「西原さん、半年は辞めさせんって豪語してたよ。前に辞職願だして辞めた子も半年は残ってたわ」

「大丈夫です。労働法で自分の意思を示した場合、最短二週間で辞めれるよう定められているんです。まぁそこまで強行に出るつもりはありませんので、ここが落ち着く一ヶ月ほどで考えてます」

「仲瀬くん怒らせたら怖いなぁ」

 仲瀬の一回り以上も人生を歩んだ吉峰にとっては、ほんの小さな子供の戯言とばかりに笑ってその場を和ませると、週末に控えた結婚式披露宴会場の用意にと動き始めた。

 民法第六二七条に「当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入をすることができる。この場合、雇用は、解約申入の後、2週間を経過して終了する」と謳われており、事業主がこれを執拗に拘束する事が出来ない。

 篤朗は高山の会社で揉めた際、労働法についてもいろいろと調べており、以前に半年間の拘束後に辞めた社員の嘆きも聞いていたこともあり、切り札を用意していたのだ。

 その後、篤朗の話に耳も傾けず時間も取らない西原に、篤朗は内容証明の郵便を本社宛に投函した。

 内容証明は郵送先で受け取った証明が差出人に届くため、内容証明で送った退職届を受けとった時点で民法第六二七条の効力が発動するのである。

 恩を仇で返す篤朗と、仇に対して恥辱を与えた西原は、双方に遺恨を残す結果となった。

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