夏の章 茶道ガールとサイレント茶会 PART6


  6.


「あれ、花鈴は?」


「河村君の方に行ったわ。何か大事そうな話をしていたから、こっちに来たの」


 

 ……きっと秀樹と作戦を練っているのだろう。



 花鈴の不敵な笑みがふっとよぎる。愛染さんと秀樹をうまくいかせるために策を考えているに違いない。



「……愛染さんち、水槽ある?」


「ええ、花瓶用だけど」


「そっか、じゃあ愛染さんにこの子、あげるよ」


「え、いいの?」


 愛染さんはきょとんとした顔で俺の方を見る。


「うん。俺も花鈴もたくさん飼ってるんだ。だからこれは愛染さんの所によければ」


「……ありがとう。お母さんも好きなの、だから喜ぶと思うわ」


「そっか。じゃあ二人を探しに行こうか」


 屋台を外れて二人を探しながら歩くが、見当たる気配がない。もうすぐ花火が始まるというのに、これでは作戦自体が台無しになるのではないだろうか。


「……愛染さん、少し休憩しよっか。その林檎飴、食べないの?」


「ああ、これ? 食べたいのだけど……食べ方がわからないの」


「え?」


 愛染さんは真剣な顔でビニールの被った林檎飴を凝視している。その姿にいつもとは違う幼さが見えてどきりとする。


「ビニールを取ってそのまま齧るだけだよ、ほら」


 周りを行く人を指差すと、彼女はほっと吐息をつきながら小さく齧った。


「うん、美味しい。ちょっと甘すぎるけど、それが返っていいわね。思い出に残る感じ」


 愛染さんは肩の力を落としながら再び林檎飴を眺める。どうやら本当に食べたことがなかっただけらしい。


「まあそうだね。屋台のは味は濃いと思うよ。けどイカ焼きとかもソースが焦げるくらいが一番美味しいな」


「そうなのね……」


 愛染さんの顔が急に曇っていく。京都は賑やかで祭りが多いと思っていたが、違うのだろうか。


「愛染さんはお祭りに来たことがないの?」


「いえ、行事には参加していたわ。でも私はおじい様の近くにいないといけなかったから、こうやって祭りを回ることなんてできなかったの。ねえ菊池君、綿菓子も本当に食べられるの?」


「ああ、もちろん。お、そこにあるじゃん。食べてみる?」


 早速屋台で見繕い愛染さんに届けてあげると、彼女は礼をいいながら綿菓子に顔面から突撃した。


「くく。これはね、ちぎって食べた方がいいよ」


 ひとつまみした綿を愛染さんに見せると、彼女は顔を真っ赤にしながら一口食べてみせた。


「……そ、そうなのね。うん、ちゃんと食べれるわね」


 

 ……愛染さんはひょっとして天然系?



 学校での姿と違い、戸惑いを覚えながらも心が穏やかになっていく。きっと根が真面目で努力家なのだろう。だからこそ、学校での生活は仮面をつけたように完璧なのだと推測する。


「……どう、美味しい?」


「ええ、とっても」


 愛染さんは林檎飴と同じように顔を腫らしながら頷く。


「当たり前のことなんだけど……いいわね、お祭りって。自由で、楽しくて、素敵。皆、こうやって楽しんでいたんだって思ったら、なんだか寂しくなってきちゃった……」


「え、どうして?」



「こんな世界があるなんて知ってしまったら、元の世界に戻るのが辛いもの……」



 愛染さんはまっすぐに俺を見ていう。きっとその視線はオレよりも先のことをずっと考えて、さらにその先のことを見据えているのだろう。


「もしかして……元の生活に戻りたくない?」


「いいえ、そうじゃないわ。ごめんなさい、きっと離れたからこそ、新鮮に見えるだから」


 愛染さんは深く息を吐きながら屋台を見渡していく。


「……私の流派、滝坊の歴史は本当に深くてね。勉強していくうちに縛られていくの。もちろん変わっていったものもあるけど、そんなものはごく一部分だけ。本質は変わらない」


「だからこその伝統じゃないかな? オレには生け花のことはよくわからないけどさ、書に置いて考えても同じだと思う。全てを変えていたら、きっと受け継ぐことができなってしまうのだと思う」


 書は全て昔からあるものを引用して書かれている。書き手の思いは墨の道筋にあり、根幹は変わらない。それは人の思いを通す、という一点にあるからだ。


「そうね……でも私は……伝統を守ることは鎖を背負うことだと思いたくないの。何でも挑戦して、その上でその伝統が正しければ続けていきたいと思ってるわ……でも壊せる部分は壊したい」


「なるほど……」


 愛染さんのいっていることはわかる。何でも伝統を鵜呑みにして新しいことに挑戦しないのは保守的で、時代の変化には対応できないといってるのだろう。


「私にはまだその決定権はないから……今のうちに新しいことに挑戦したいの。縛られる前に、思いついたことは全部やっていきたいの」


 愛染さんの瞳に光が宿っていく。本質を見極めようと輝いている、美しい光だ。きっと彼女ならその境地に辿り着けるだろう。


「なれるよ、愛染さんなら。きっと……」


「……ありがとう。菊池君はこれからもずっと、地元にいるつもりなの?」


「ああ、そう思ってるよ。オレはこの町が好きなんだよ。海は綺麗だし、山もあるし、自由に書を書くことだってできる。みんなが伸び伸びと、好きなことに没頭しているこの町が好きなんだ。自由気ままな感じが性に合ってる」


「いいわね、羨ましいわ。あなたはもうすでに理想の世界にいるのね……」


 愛染さんは哀愁を漂わせながら林檎飴を齧る。


「あなたみたいに……純粋な人がこの世にいるなんて考えたこともなかった……」


「そう? どこにでもいると思うけど」


「少なくとも私が知っている中では一人だけだわ。私の中だけではお父さんだけ……」


 愛染さんは腰を屈め町全体を見通すように目を細める。


「父はまっすぐで素直な人だったわ。どうして私が生まれたのか、わからないくらいに……」


「ん? それはどういうこと?」


 意味がわからずに尋ねてしまったが、慌てて口を塞ぐ。


 だが彼女は小さく口を開けて俺の方を振り向いた。



「……私は家元だけど、本家ではないの。私は……父と母のの間で生まれたのよ」

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