春の章 華道ガールとミックス展覧会 PART12
12.
「おかえり、彩華。あら? あらあら?」
愛染さんが新聞紙にくるまった切り花を掴んだまま家の戸を開けると、お姉さんらしき人物が笑顔で出迎えてくれた。
「ただいま、お母さん。学校の友人の菊池君です。一つお花を生けたいのですが、いいでしょうか」
「ええ、それはもちろん。じゃあ今すぐに準備するわね」
そういって彼女は振り返り、部屋の奥へと向かう。
「え、今のって……もしかして?」
「うん、私のお母さん」
「まじで! 超美人!! やっぱりいるんだなぁ、ああいう人って……」
姉妹だといわれても、遜色ない姿に面食らう。自分の母親と比べてため息をつきながらも部屋に案内されていくと、庭が見える和室に入った。
綺麗に新調された畳からイグサの香りが漂っている。所々に書や置物が配置されており、生活感が決して見えない。きっと集中するために作られた場所なのだろう。
「……いい部屋だね」
「ありがとう。最近、越してきたばかりだけど、この部屋だけはきちんとしたかったの」
愛染さんは笑顔を見せながらいう。
「菊池君に見せて貰ったから、次は私が見せなきゃね」
愛染さんはそういって花材を眺めて器を探し始める。その瞳にはゆるぎない光が溢れている。きっとどれを使うのかはもう決まっているのだろう。
「彩華、入るわね……お茶菓子を持ってきたけれど、ここに置いとくわね」
「ええ、ありがとう」
「菊池君……といったかしら?」
「はい、そうです」
愛染さんのお母さんと顔を合わせて戸惑う。年齢を感じさせない美しい素顔にどこを見ていいのかもわからなくなっていく。
「娘がお世話になっております、母の
「は、はじめまして、菊池涼介といいます」
お互いに礼をしながらも心臓の鼓動は加速していく。本当に愛染さんの領域に入ってしまったのだと、心が認識していく。
「涼介という字は涼しいに、介護の介?」
「そうです」
「そう、とってもいい字ね」
咲枝さんは笑顔を見せながらも肩まで伸びた髪を柔らかく揺らす。その香りにクラスで嗅いだものを思い出す。
「……お母さん、買い物があるんじゃなかったの?」
「いいじゃない、少しくらい。私だって若い男の子と話したいわ」
「駄目よ、今から菊池君には私の生け花を見て貰うのだから」
「はいはい、じゃあ少しだけ留守にするわね。彩華」
咲枝さんはそういって畳から腰を上げて襖に手を伸ばす。閉める間際に、彼女は妖艶な笑みを見せながら口元を緩めた。
「……ごゆっくり……」
襖が閉まった後に開いた口を塞ぐ。今までに出会ったことのない色気に惑わされて我を失っていた。都会にはあんな綺麗な人がたくさんいるのだろうか。
「菊池君?」
愛染さんが俺の顔色を伺いながら尋ねる。
「ああ、ごめん。なんか雰囲気に飲まれちゃってさ」
「お母さんは誰に対してもあんな感じなのよ。ごめんなさい」
「なんだか愛染さんの方がお母さんみたいだね……」
真面目な彼女と朗らかな咲枝さんを比べてみても、やはり姉妹にしか見えない。さすがに女子高生は難しいだろうが、大学生のファッションくらいならいけそうな気がする。
「そんなことないわよ。私、結構抜けてるっていわれてるから」
「そうなの? どの辺が?」
「私、結構苦手な食べ物が多くてね。いつもお昼ご飯の時、唯に助けて貰ってるの」
……それ、別に抜けてなくない?
心の中で突っ込むが、この話題自体が抜けているような気がするので、とりあえず頷いてみせる。
「そうなんだ。ま、しょうがないよね、好き嫌いは誰にでもあるしさ」
「お母さんがあんまり料理をしなかったっていうのもあるんだけどね。言い訳にしかならないのだけど……」
そういって愛染さんは花材をゆっくりと吟味していく。紙袋の中で絡まっていた花材達が一本ずつ解されて姿を表していく。
「だから最近自分でお弁当を作ってるんだけど、いつも私のだけ売れ残っちゃうのよ。味付けがあんまりよくないみたいで……」
「まあ、うちの母親も似たようなもんだよ。中身だってそんな大して変わらないしさ。ああ、でも花鈴の所はお茶屋さんだから、あいつの料理は旨いんだよなぁ」
「そうなのね……ふうん」
愛染さんが口元だけで微笑んで答える。
「では、そろそろ始めてもいいでしょうか? 菊池君」
「よ、よろしくお願いします」
俺が頭を下げると、愛染さんは再び深く礼をした。
「それでは始めさせて頂きます」
◆◆◆◆◆◆
目の前の器に一礼をした後、愛染さんは葉桜を掴み枝の選別をしていく。片手で鉄鋏を掴みながらも、一瞬で形を決めて枝を落としていく。
まっすぐに伸びたものから順に剣山に挿していくと、そこには先ほどまでバラバラになっていた桜の枝が、一本の木のように美しく佇んでいた。
「……凄い。まるで目の前に桜の木があるみたいだ」
生け込まれた葉桜は花びらを揺らしながらも、剣山からは微動だにしない。始めからここで生きていたのだと思わせるような風格すらある。
「ありがとうございます。でも、まだ完成じゃないわ」
愛染さんは残った二本の薔薇を掴み、再び吟味していく。同じ花でも花の大きさ、茎、葉が違うようで、生け込んだ桜に沿わせてイメージを決めている。
……唾も飲み込めない。
愛染さんの真剣な表情に飲み込まれる。固く閉じた唇の上に、真剣な瞳があり大きく開かれている。彼女の厳粛な正座姿にまるで根が張っているような錯覚まで感じてしまう。
……どちらも、美しい。
まるで花が花を生けているようだ。花よりも花の如く、愛染さんは薔薇の葉を一枚ずつ剥いで茎を見せながら、可憐な花びらを広げていく。
処理を終えた2本の薔薇はそのまま、すっと葉桜の元に供えられ完成したようだ。先ほどの一本の葉桜が薔薇と融合し、一つの作品として目の前に提示されてある。
「こちらで以上でございます。桜と薔薇の二種生けです」
愛染さんは再び礼をして、少しだけ後ろに下がる。先ほどの新聞の上には切り分けて残った桜の枝が綺麗に残っている。
「本当に凄かった。ありがとう」
「ありがとうございます」
礼をする彼女に本心を伝えたくて言葉を選んでいく。
「なんといっていいかわからないんだけど、本当に花が生きていたと思う。まるで、そこに始めから生えていたような感じで、飯田さんから仕入れてきた花じゃないように思えて……」
「ありがとう、そういって貰えるだけで嬉しいわ」
……ただ真剣にやっている姿が美しく、それ以上の言葉が思いつかない。
愛染さんのギャップに戸惑いながら彼女と作品を交互に眺める。学校での彼女は上品で、虫も殺さないように佇んでいるようにみえた。だがきっと今の姿が本来のものなのだろうと予測できる。
それは彼女の瞳が光を帯びて輝いているからだ。この姿こそが彼女本来のものだと確信するものがある。
「ごめん、こういう感想は苦手なんだ。書を書く時も、文章を意識しろといわれるんだけど、なかなか難しくてさ……」
「そんなことないわ、私も一番いって欲しい言葉が貰えて嬉しいわ」
「そ、それは?」
「秘密といいたい所だけど、菊池君には時間がないからいうわね」
愛染さんは空咳をして言葉を述べていく。
「生け花の語源は、自然の姿そのままに、ということなのよ。私の自我はいらないの。ただ綺麗なものを、綺麗に見せるだけ。それが生け花なの」
「……なるほど」
そういって愛染さんは歯を見せて笑った。心の奥底が垣間見えた気がしてどきりとする。
「言葉で伝える必要はないわ、菊池君。あなたには書があるでしょう?」
「そうだね……うん、そうだ。俺には書がある」
……この思いを、書で表そう。
生け花のイメージが頭の中に膨らんでいく。すでに一文字の漢字は決まっている。後は自分なりにどうアレンジするかだ。
俺にはそれしかできないのだ!
「ありがとう、愛染さん、必ずいい字を書いて見せるよ」
小さくガッツポーズをとると、愛染さんもまた拳を作りながら俺の手に触れてくれた。
「ええ、菊池君。とっても楽しみにしているわ」
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