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ヘレンの取り出した紙を見ると、黒いペンではっきりと、こう書いてあった。

『東マリンゴート教会はクリーンスケアに併合されたし』

「クリーンスケアに、併合? これは」

ヘレンは、煙草の煙を落とした。

「レジスタンスだよ。まさか、本当にあるとは思っていなかったけどね」

「レジスト? 抵抗、つまり、反体制の地下組織って事か。これはゲリラでは?」

「そうだよ。ちゃんとした軍隊じゃない。しかも、『クリーンスケアに併合』とある。本部はこの国にあるって事だね。つまり東で神父が立ち上げたレジスタンスをここにある大きなレジスタンスに併合させて力をつけてやるってことだ。彼はレジスタンスで、私たちに何らかの協力を求めていると考えてもいい」

「では、僕達にゲリラの仲間になれといっているのか」

「つまるところは、そういうことだね。悪い話じゃない」

「悪い話じゃない? ゲリラになるって事は、戦場に出るって事じゃないか」

「戦場には出ないよ。このレジスタンスはまだ大きくない。組織固めで精一杯なんだろう。そのために多くの賛同者を募っている。今は、兵隊を増やすよりも、この体制の中で使えるスパイのような人間が必要なんだ。体制を根幹から覆すにはそれが一番いい。相手は巨大な勢力だ。クリーンスケアの正規の軍隊を使っても力では敵わないだろう? だから、敵情を知り、敵の内部を腐らせる知略が必要なんだ」

「ヘレン、いや、姉さんは、レジスタンスになりたいのか」

アレクセイが聞くと、ヘレンは真剣な顔で頷いた。

「父さんの理想には私も共感している。それに、もうあんな悲劇は見たくない。収容所に送られた故郷の人たちも、どれだけ酷い目に合わされているのか分かったもんじゃない。この体制は変えなきゃならない。理不尽な法律は変えなきゃならない。でも、軍隊にはそれが出来ないんだ。私たちがやるしかないんだよ」

「そうか」

 アレクセイが呟くと、ヘレンは苦笑いをした。

「お前は、どうなんだい?」

「僕か?」

突然聞かれて、アレクセイは戸惑った。

「僕は、突然言われてもよく分からない。でも、あの父さんと母さんが惨殺されたことが事実で、未だにああいうことがどこかで繰り返されているとしたら、それは止めなければならないと思う。しかし、何も僕たちがやらなくてはならないことじゃない。この国にいれば当面は大丈夫だろうし」

「大丈夫? 本当にそうだと思うかい?」

「それは、しかし、この国にはあるんだろう、『切り札』が」

「ああ。でもそれは使えない。マリンゴートや首都の牽制程度には役に立っているけどね」

「使えないなら、何のための切り札なんだ」

アレクセイは、そう吐き捨てて、姉から目を背けた。

この国は沈黙している。

マリンゴートや、首都であるテルストラという巨大都市でさえも牽制できるほどの大きな力を持っていても、それを使うことが出来ない。

そもそも、その切り札とは一体何なのだ?

「核だよ」

黙って俯いたままのアレクセイに、ヘレンは言った。

「クリーンスケアの持っている切る札とは、核のことだよ」

「か、核?」

「そうだ。かつて、移民の故郷にある都市を二つ壊滅させ、広大な大地に毒を撒いたやつだ。その放射線元素、つまりウランやプルトニウムを弾頭に詰め込んだ爆弾がこの国には五つある」

「核が、五つも!」

「だから、使えない。人道的に考えてみると、そんなものを使って罪のない人間を無数に巻き添えにしてしまうわけにはいかないからね。核爆弾が落ちればその土地は百年、草木も生えない荒野と化す。人間どころか、生き物全てにとっての毒だ」

「そんなものを持っていたなんて!」

「移民が、持ち込んだんだ。この都市に移り住んだ移民の科学者がね。核を持てば他のどんな国よりも強くなれると言って、クリーンスケアの議会を丸め込んだんだ」

「それで」

「そうだ。だから、クリーンスケアは自分からは動けない。その代わりに他の国からの侵略は免れている。でも、だからといって、目の前にある現実がなんとかなるわけじゃないんだ。クリーンスケアの人間はいい。核におんぶして得た平和の上に座って、他人事のように外の国の悲劇をテレビの中で見ていればいいから。でも、それじゃ何も解決しないんだ。父さんや母さんが酷い目に遭わされて死んだことも、この国にいちゃあ、まるで他人事だ。叔父さんも叔母さんも、何も分かっちゃいない。アレを見たわけじゃないからね。一回泣いて涙を流して死を嘆けば、死んだ人のことなんて忘れちまう。でも、私の体には全てが刻まれているんだよ! 今、ここにある現実の全てがね。だから、私は命を懸けてもいい。なんとかして父さんと母さんの悲しみを消してしまいたい。私の体に刻まれた痛みも、そして理不尽な全てのことも。そして、アレクセイ、お前が覚えていた飴の味もだ」

「しかし、せっかく手にできた平和な生活だ。姉さんはそれを捨ててでもマリンゴートに、あの酷い場所へ行きたいのか?」

「この世界のどこが、平和だって言うんだい?」

ヘレンは、自嘲気味に笑って立ち上がった。

「核の上に成り立った平和なんてあるものか。まあでも、お前がどうするかはお前が決めるといい。強制をするつもりはないよ。さっきも言ったように、これには相当な覚悟と命がけでやる意志がないといけない。でも、私は行くよ」

そう言って、ヘレンは部屋の隅にあったベッドに座った。

アレクセイはなにも言えなかった。姉の言っていることは正しい。しかし、自分にはその覚悟がない。

父と母の死に様を聞き、飴の味から蘇った記憶が生々しく自分に今の現実を叩きつけてきたとはいえ、アレクセイにはここを出て行くための理由がなかった。

覚悟もない。それに、命がけでやらなければならないという強い意思も持っていない。それは、自分で戦場に立ったことのない未経験の壁が導いた一つの答えだった。全てが未だにテレビの中の出来事でしかなく、姉の経験もひとつの「残酷な話」でしかない。アレクセイには経験がなかった。

現実が、そこにはなかったのだ。

ヘレンの現実とアレクセイの現実の間には大きな壁があった。

ヘレンの現実は、戦場で体を張って生き延びた現実。アレクセイの現実は、いま、ここで何の憂いもなく生活している現実。

「私は、叔父と叔母の手前、一ヶ月はここに滞在させてもらうよ。でも、その後すぐにマリンゴートに行くつもりだ」

黙ったままのアレクセイに、ヘレンは呟くように言った。

「その飴」

ヘレンの言葉に、アレクセイは自分の目の前に置かれた4つの飴を見た。

母がずっと持っていた飴。

母の体温が残っている唯一の飴。

「大事にしなよ。もう、それしかないから」

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