第18話

 「痛っ!!!!」



 「ほれほれ、注意してやらんと、手が穴だらけになるぞ。裏側から針を通す時は生地を折り曲げて予め針を通すところを開けておくのだ」



 朕達が森から帰って来たら、既に日は暮れかけていた。急いで金物屋で刺繍用の縫針を仕入れてライラの下宿に引き上げ、ウォードを煮出して糸を煮汁に一晩漬けて、あくる朝。

 ライラはオリバー氏の依頼であるアイディスを縫い始めた。昨晩の内に朕がチョイチョイと余りの羊皮紙に認めておいた図案を見ながら、ライラは拙い作業を繰り返していた。



 「ほら、出来たぞ。これを両の人差し指と親指に着けるといい」



 アイディスのためにオリバー氏に用意させた糸は絹を撚り合わせた、普通よりもずっと太い糸だった。細い紐、とも言えるそれは、アイディスを縫い付けるには都合が良い。種類にもよるが、普通アイディスは図案化する物のオドの導通性が良い方が上手く出来る。細いよりは太いほうが良いのだ。まぁ、図案を縫い込んだり彫り込んだりする面積や体積にもよるのだが。短絡すると上手く機能しないからの。


 その為、刺繍用の針は通常の縫針の優に三倍はある大きい物を使用しているため、慣れない作業の上に子供の手には大き過ぎる縫針にライラは苦戦していた。

 別段、朕がササッとやっても良かったのだが、これはライラの依頼である。ライラがやらなければならない。

 まぁ、請けたのは朕であるが。


 刺繍は後々応用が利くから今のうちに練習しておくに越したことはない。

 だが、上達する前に文字通りライラの両手が血濡れになりそうだったので、羊皮紙の切れ端を石灰水で一度ふやかしてから乾かして固め、指に着けるサックを作っていたところであった。

 ライラは出来上がったサックを指に着けて、試しに針で突付いて性能を確かめている。



 「ありがとうナヴィ!」



 ライラは再び作業に戻る。が、すぐに手が止まり、朕の描いた図案を矯めつ眇めつし始める。多分、導線の繋ぎ方を見失ったのであろう。



 「そこはバック・ステッチからスレッテッドさせて縫目二個分戻ってから今度はアウトライン・ステッチだ。先にアウトラインを入れて……そこの『月』と『力』のアウトラインが接触しないよう間を空けてな」



 ライラの作業を見ながら、朕は昨日採れたキジ肉をスモークする。昨日、金物屋に寄るついでに古着屋で瑕疵品の手袋――革製だが片方しかない物を2つ――を二束三文で仕入れられたので、その中に砂を詰めて、それを印付で動かす事で、朕は新たな『手』を手に入れることができた。マジックハンドである。なかなか使い勝手が良い。これで幾分細かい作業がしやすくなった。そのマジックハンドでチップから燻る煙を即席で作った団扇――森の入り口の木工所の端材である――で上手くキジ肉を燻しながら、ライラの作業を見守る。


 今回のアイディスは、普段ライラが描いているお守りタリスマンに比べると、かなり複雑なものだ。

 アイディスは複数の機能が複合されている程価値が高い。高価なものになると、十重二十重に陣が折り重なり、アイディスだけで攻防一体の戦艦のような攻撃力と防御力を持たせる物もある。


 アイディスに使われる機構陣は常時発動型のものと任意発動型のもの、それに補助機構があり、これらが複数付いている程作成難易度が上がるのだが、今回は完成すれば常時発動型が2つ、補助機構が1つ、任意発動型の物が2つ組み込んである。


 常時発動型の物は周囲のマナをオド化する為の所謂『収集』の簡単な物、それに補助機構としてそのオドを貯めておく蓄積陣、そしてそこからオドを供給されて機能する『パルマの渦』と呼ばれる防御機構――『マインドシャッター』に代表される精神干渉系の碩術を阻害するが、強度の高いものには効かない――を常時稼動させている。


 これに、任意発動型で蓄積陣から術者にオドを供給する入力機構と、蓄積陣に蓄積されたオドを使って極々短時間だけ周囲に斥力場を発生させる機能を組み込んである。ちなみに、蓄積陣のオドが無くなっても、着用者がオドを供給すれば斥力陣は何度でも使用できる。

 『収集』と『パルマの渦』を併用するのはそれぞれが干渉しあってしまうので、手前で言うのもなんだがかなり高等技術と言える。ふふん。


 まぁ、簡単な機能のみとはいえ、これだけ組み込むとその図案は複雑怪奇なものになってしまい、ライラはその図案の仕組みの一割も理解出来ていない様であるが、アイディスの性能としては『まぁまぁ』と言ったところ。地上世界ではそれなりに金をかければ手に入る程度ではないかの?あまり高価なものを作っても仕方がないしの。『収集』、『蓄積』、『パルマの渦』が同時発動という所が目を引く程度であろう。


 まぁ、ライラは追い追い理解すれば良い。アイディスはそれだけ高等技術なのだ。報酬のライラ用の外套コートが届いたら、朕手ずからありったけの機能をもたせたアイディスを作ってやろう。そうだ、材料が手に入ったら、ライラ専用の『ブランシュ』を作ってやるのも良いな。スイッチオンで専用武装が自動展開とかどうかの?ベルトが良いかの?それともステッキ、いや懐中時計型とかどうだろう?夢が広がるな。


 と、ライラの作業を見ながらライラ強化計画を温めて――専用武装の展開方法はどうするかの?髪の巻き込みとかも考慮すると、キャスリング交換転移だとちとキツイか……いや、体に直接装着するものではなければイケるのではないか?その為には倉庫を拵えてやらねばならぬか……拠点が要るのう……――いると、煙を逃がすために開けておいた窓から何やら騒がしい声が聞こえた。



 「ラサントスの横暴を許すな!シュターケホフリーベ・フリューゲルシュターケフリューゲル大帝万歳・デア・グロッセ祖国万歳フーア・デム・ファータラント!」



 見れば、アパルトメントの前の狭い道を男達が押し合いへし合いしながらシュプレヒコールを上げて練り歩いている。プラカードを持った者もチラホラ。見た所、自発的に集まった市民がデモ行進しているように見えなくも無い。が、だったら丘の上の行政府前や人の多く居る市場でやれば良いのに、こんな下町で練り歩く意味は何なのか。


 よく見れば、シュプレヒコールを上げて行進する男達の中に何人か身形の良い奴らが混じっている。別にツイードの三つ揃えを着ているわけではない。格好は下町の男達が着るオーバーオールやシャツ姿だが、使用感が少し、足りない。小綺麗とも言えるが、他の奴らが其々の職業なりにかなり草臥た形――鍛冶屋は煤や油、木工職人なら木屑やニス等のシミ――をしているのに比べると、わざと汚して洗濯しただけという感じがする。


 肌も程良く日に焼けすぎている。このトシュケルは貿易中継都市だ。周りは森で、農地は殆ど無い。と言うことは常日頃太陽に晒される職業というものは限られる。その代表格は港の荷役だが、彼らは毎日日光に当たっているせいで真っ黒だ。それに比べて、彼らの日焼けはそれ程ではない。


 なにより、その男達が上げるシュプレヒコールを他の者達が復唱している様に見える。


 これは邪推になるが、誰かがこの街の食いっぱぐれに飯か酒か金か、その辺で釣り出してデモ隊を作っている、のかもしれない。普段は日光に当たるが、日光に当たらない日もある職業の者達が、街の食いっぱぐれ――かどうかは判らないが、仕事にあぶれがちで暇な者達――を集めてプロパガンダを展開している、のかもしれない。



 「何の騒ぎ?」



 窓からデモの様子を見下ろしていた朕の横からライラが顔を出す。



 「何であろうな。見た所、皇帝尊崇のデモに見えるが……ちとキナ臭いの。ライラは、テルミナトル帝国皇帝、シュターケフリューゲル皇帝かの?それをどう思う?」



 「どうって、あんまり好きじゃないよ。今の皇帝って、お母さん達が死んじゃった戦争で勝った人でしょ?そういう意味では、この国もそんなに好きじゃない」



 「そうか」



 まぁ、そうであろうな。ある意味で、ライラには親の仇だ。で、あるならば、幾らか予防線を張っておかねばならんな。



 「ライラ、アイディス今の仕事が完成したら、秘密基地を作りに行かんかの?」



 「秘密、基地?」



 ライラは朕の突然の提案に首を傾げた。



 「そう、秘密基地だ。一流の碩術師たるもの、秘密の工房の1つや2つ持っておらねばの。どうせならこのアパルトメントも引き払って、そちらに移れば家賃も浮いて一石二鳥だ」



 「それって、森に住むってこと?」



 「そうなる。楽しいぞ。なに、今とやっておることは殆ど変わらん。自由度が増すだけだ。森で自給自足し、偶に街に出て仕事をして金を稼ぐ。その金で足りないものを買い足し、空いた時間は碩術の修練に当てる。マナの湧出泉ホットスポットも探して、印付しよう。どうだ?」



 ライラは朕の言葉に眉をひそめた。



 「そんなこと、出来るの?私パンも焼けないし、ソーセージだって作れない」



 「それは朕が作れる。ライラにも作り方を教えてやろう。このキジを見ろ。先日の方法を使えば、其方にも出来るし、イノシシやシカだって獲れるであろう。イノシシのソーセージの作り方を教えてやろう。豚よりも野性味が有って美味いぞ」



 朕の言葉を聞いてもライラは余り乗り気そうではない。好奇心よりも不安が勝ってしまっているのだ。



 「何より、其方にはマナの湧出泉ホットスポットの確保が最優先であろう?それには森の中深くに分け入る必要があるし、日帰りではちと辛い。それにマナの湧出泉ホットスポットの近くに長時間居れば、その分だけオドの総量が増えるしな」



 「本当!?」



 うむ。本当である。微々たるものであるが、増えるには増える。これはオドの総量がどう決まるのか、と言う命題に関係してくる。簡単に言えば、どれだけマナを浴びるか、これに尽きる。


 人族のオド総量というのはマナを浴びれば浴びるだけ増えていく。上限は朕の記憶では確認されていない。持って生まれた総量がその者の基準値だとすれば、絶対値では確実に増えるのだ。相対値としては同じ環境であれば各個人の差は埋まらないが、環境が違えばその差は各環境によって縮まる。


 酒と同じである。

 各個人のアルコール分解能力には差があるが、飲み慣れている者とそうでないものでは、たとえ飲み慣れている者のアルコール分解能力が低くとも、より多くの酒を飲んでも酔い潰れない事がある。オドもそうだ。オドを湧き出させる器官――これは朕の記憶では判明していない。概念的なものだ――と言うのは、一節には肝臓と同じで、本来人体に毒であるマナを無害にするためセッセと周囲のマナをオドに変換している、と言う説もある。

 つまり、より毒素の強い所に行けば――ただし、マナの密度が濃過ぎる所に行くと人はマナ酔を起こすし、碩術には高密度のオドをぶつけて術者を昏倒させる業すらある――自然と体が慣れてオドの生成能力が高まる、と言うわけだ。

 人の多い所はマナが薄い傾向にあるから、森で寝起きするだけでもライラには有益であろう。


 まぁ、それより湧出泉を複数確保した方が全体的な効率は良いのだが、オドの総量が増えれば瞬発的に行使できる碩術の数が増えるので無駄ではない。



 「行く!秘密基地作ろう!」



 うむ。良い返事である。



 「そうと決まればとっとと片付けてしまおう」



 「うんっ!」



 陣の構造や理論の理解に苦しんでいたライラは俄然やる気を出し、朕の手を借りつつも、アイディスを一週間ほどで完成させた。

 オリバー氏は報酬をアイディスと交換でニコニコ現金払いで満額支払い、ライラの外套コートも後日届けてくれることを約束した。


 朕たちは秘密基地建設計画の為の資金も獲得できた。


 先ずは、ライラの為に鳥撃銃を調達しようかの。


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