ミーちゃんと俺

星野フレム

序 大天使ミカエル

俺は、動物を虐待していたらしい。


偶然通りかかった猫を拾ってやったら、すごく懐いてきたので可愛いなと思って見ていた。そのまま何日かすると、猫は衰弱し、ただひと鳴き「にゃー」と言ってそのまま死んだ。そういうことを何回も繰り返してしまった俺は、周りから動物虐待しているやつだと言われ続け、そして何も飼わない今でも後ろ指を指される。

命が尊いなって思ったのは、ある動物系の番組でそれを見て、初めて世話をしなきゃ死ぬんだということを悟り、俺はもう動物なんて飼っちゃだめだ、こんな最低な命遊びの男が飼える資格はないし、飼わないのはそういう責任の取り方をしたからだと、ずっとそう思って生きてきた。これは、そんなある日のことだ。


「ニャー」

見上げると、塀の上で、一匹の黒猫が俺を見ていた。俺は、視線をそらして歩き始める。本屋のバイトで、最近忙しくてちっとも眠気が取れない。そんな日だ、猫にも哀れに見えるほど俺は疲れてるんだろう。そう思っていたその時。

「おい」

「え?」

俺は振り向く。誰も人は居ない。しかし、足元にすり寄ってくる猫がいた。あの黒猫だ。

「まさか」

 俺は、力の入った肩を沈めると「疲れてるな」と言って、バイト先へ向かう。その時――

「お前は、動物虐待をしたことを後悔しているそうだな」

芯の通った声が、俺の耳に聞こえる。再び振り向くと――

「ようやくこちらを向いたか」

 その声は、口パクする猫から放たれている。俺は、動転してそこから走って逃げ出した。

「おい、待て! 待てというに!」

 逃げ惑う俺に、後ろから大きく芯のある声が響く。

「止まれ! 小野康孝!」

「!」

 それは確かに俺の名だ。俺は立ち止まって振り返った。

「え? 俺の名前?」

「当たり前だ」

 その黒猫は、俺の目の前で口パクして喋っていた。

「私は大天使だぞ。それくらいはわかる」

俺は、さらに黒猫に問いかけた。

「なんでただの猫……いや違うか。その大天使が俺の名を知ってるんだ! この化物!」

「化物とは心外だな。私には歴とした名がある。私の名は、大天使ミカエル」

「はぁ? 猫なのに大天使? しかもあのミカエル? ダメだ。俺、頭おかしい。幻聴が聴こえる。病院行こうかな……」

 と、頭を抱えだし、己の身を案じた俺に黒猫のミカエルは、言った。

「我らが主が、汝を救えと、私を遣わされた。私を飼え」

「はい?」

「だから、私を飼ってお前の罪の心を軽くしてやろうというのだ」

「いや、え? なんでさっきから動物虐待とか知ってるんだよ」

 ミカエルは、ふぅと息を吐くと言った。

「だから私は、大天使ミカエルで、お前に救いの手を差し伸べているのだ。普通の猫が人の言葉を話すわけなかろうに。これだから人間は……」

 どうやら、目の前にいるこの黒猫は、あのサタンと兄弟にあたる大天使ミカエルだそうで、俺に猫になった自分を飼って罪を償えと言ってきているらしい。俺は当然ノーと答えた。

「お前ならそう言うと思ったよ」

 ミカエルは、俺にくどいほど改心の余地があると説法してきた。もう、三時間が経つ。仕事に間に合わなかった。

「ああ、怒られる」

「仕方ないだろ」

「お前が言うな」

「お前とは何だ。私はミカエルと言う名がある」

「……」

 俺は、少し考えてこう言った。

「分かった。今日からお前は、ミーちゃんだ」

「何」

「ほれ、ミーちゃん行くぞ」

「こら待て! ミーちゃんとは軽々しいぞ!」

「ただでさえ喋るんだ、普通の名がいいだろう?」

「では飼うのだな?」

「これ以上仕事に遅れたくないんでね」

「では、またあとで会おう」

 そう言うと、ミカエルは、どこへともなく姿を消したのだった。


「小野君!」

「わ! すいません! 店長!」

 店長に怒られてしまった。今日はシフトが朝からだったのに、昼に自分が来てしまったので、非常に忙しかったと聞いた。申し訳ないと思いつつ途中であった出来事も話せず、寝坊しましたと嘘をついたが、さらに怒られる。

「いつもこんなんじゃないのに、大丈夫?」

「あ、はい」

 店長の麻宮さんは、俺を雇ってくれた中年の女性店長で、俺はこの人のシフトと合わせた感じで、いつも仕事に入る。まあ、今日は遅れてきたわけで。しかも大遅刻だったわけなので、本当に申し訳なかった。

 バイトも終わり家路につく。そして、俺の後ろで何かが動いた。

「にゃーん」

「お前か」

「にゃーん」

「いや、話せよ」

 じっとその動いたものを見つめる俺。やはりミカエルだ。見つめられた猫は、溜息をつく。猫のミーちゃんは答えた。

「……折角猫らしくだな」

 やはり日本語だ。

「いや、色々ともういいよ、うん」

 俺は、うんざりする声で答えると、ミカエルはささっと寄ってきた。

「猫缶は買ったか?」

 ミーちゃんは期待の眼差しで俺のコンビニ袋を見る。

「忘れてた!」

「早く買ってこい!」

「は、はい」

 半ば勢いに押されたが、俺は猫図鑑と猫の育て方と、猫缶を買って、コンビニを出る。ミーちゃんの見つめる瞳は痛いほど俺に刺さり、俺は自宅に帰ってから、ミーちゃんに皿の上で猫缶の中身を砕いてからあげると、すごい勢いで食べ始めた。

「美味い! やはり美味い!」

「それ、一番安いやつだけど」

「私は意外と庶民派なのだ」

 そう言いながら、食べ続けるごと二十分。一つの猫缶はなくなり満足したのか、ミーちゃんは伸びをしながら擦り寄ってきた。あの大天使だとは、到底思えない。

(やばい、なんだこれ、マジで可愛い)

 内心そう思う俺は、猫図鑑を見ていた。どうやら、ミーちゃんは、黒猫ではなく、日本猫のハチワレという種類の猫らしい。そして、猫の世話の仕方の本を見ていると、どうやら一缶は、与え過ぎで太るらしい。

「気をつけないと」

 俺はそうつぶやくと、横ですやすや寝息を立てるミーちゃんを撫でた。とても柔らかな毛並みが指をくすぐる。

「猫を飼うのもいいものだろう?」

「う、うん」

 起きていたようだ。

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