03 いただきます

 オーナーはヤクトミの前までくると左手で彼女の頭をポンポンと二回撫で、ついでに赤髪についていた葉っぱを摘み上げました。


「お仕事を完璧にこなしたヤクトミにはご褒美が必要ですね」

「ごほーびっ!」


 ヤクトミは興奮して大きく開いてしまった口を両手で隠します。尻尾の炎が激しく燃えます。嬉しいのです。


「チーズトーストください!」

「にゃ?」

「チュ?」

「チーズトーストで、良いのでごじゃいますか?」

「いーです!」

「……分かりました」


 オーナーの硝子玉の瞳が頷くように青から紫に変わって行きます。ヤクトミは自分と同じ瞳に変化したオーナーの右目に嬉しそうに頬を緩めました。

 花冠に隠れていないオーナーの硝子でできた右目はコロコロとその色合いを変化させ、その様をヤクトミはとても気になっていましたが、やはり自分と同じ色になる時が一番嬉しいのです。


「ひらりひらりと遊ぶ木の葉は濃厚チーズ」


 オーナーが慣れた手付きで指揮棒タクトを振ります。するとオーナーが左手に摘んでいた木の葉が浮かび上がりました。


「ベーコンと食パンは終わらない黄昏でじっくりと焼きましょう。塩胡椒は内緒話よりも少量で」


 空を滑る指揮棒に合わせて蓄音機達が天使にも負けない歌声を店内の隅々まで響かせます。踊り出すように仕事を再開した薔薇ばら給仕達。テキパキと無駄のない動きで作業を進めていきます。

 それを後目に自分のお仕事を終わらせたヤクトミは両手を揃えて掲げました。。


「お仕事のご褒美は大好物。貴方の胃袋を満足させるためだけに仕立てましょう」


 木の葉はクルクルと回り出し、青々としていた姿を赤く変えると燃えてしまいました。

 木の葉は火の玉となり弾けると、辺りに無数の火の粉を周囲に散乱させます。乱舞する炎の光を反射してキラキラと輝くヤクトミの紫目は宝石のよう。

 オーナーが指揮棒を振り上げると火の粉は一斉にヤクトミの手の平の上に集まって「えい!」ヤクトミはその炎を捕まえました。

 ボンッ! と炎が花火となって爆発します。


「気が早いですねえ」


 オーナーが声で小さく笑います。

 ヤクトミの小さな両手にはチーズトーストが乗った平皿が掴まれていました。

 炎はヤクトミに叩かれて、チーズトーストへと早変わり。

 ぶ厚い食パンの上に乗るのは溢れんばかりのたっぷりチーズ。さらにこんがり焼かれたベーコンが一枚。程良く焼き上げられ脂がてろりと輝いています。ほんのりと粗挽き胡椒が振り掛けられ、香ってくる香ばしさにお口の中は涎の嵐に見舞われます。


「お客様の邪魔にならないよう、向こうで食べてらっしゃい」

「はいです!」

「あっ。食べる前にちゃんと手洗いうがいもするのですよ」

「はーい!」


 ヤクトミは元気にお返事をし、走り出しました。が、不意に足を止めオーナーを振り返ります。お客さま? どこに? とヤクトミは首を傾げますが、チーズトーストの香りに背中を押され深くは考えずに隙間の中へと消えて行きました。


「チーズトースト、ですか……」


 それを見送った後、オーナーは思案しながら指揮棒の先で顎を軽く叩きました。それから「……ねえ」と青薔薇の頭を持つチョッキを着る男性的な給仕に声をかけました。


「ヤクトミは、ブラックホールパイが食べたいと風の噂は囁いていましたよね?」


 オーナーの疑問に青薔薇給仕は頷きます。


「空から降ってきたブラックホールパイがまだ残っていたはず……あれをヤクトミにデザートとして持っていってくださいまし」


 オーナーがヤクトミの消えた方へと指揮棒を動かしました。オーナーはやさしい猫なのです。知人のガラクタにはお人好しすぎると螺子の混ざった溜め息を落とされるほど、オーナーはやさしいのです。ええ、オーナーだけではありません。この店はみんなやさしいのです。

 冬に暖炉の前で飲むスープと同じくらいに温かくて、穏やかで、やさしいのです。

 薔薇給仕は胸に手を当て紳士的な一礼をオーナーへ向けてから指揮棒の指す先へ歩いて行きました。


「どんなものでも調理する。ここは幻想料理店にごじゃいます」


 オーナーが背筋を伸ばします。足を揃え、猫らしからぬ真っ直ぐな立ち方です。


「アタクシはここのオーナー兼料理長。三足猫猫団みつあしねこねこだん欠番No.2087幻想粗餐げんそうそさん賛歌のフルコースコンダクター》」」


 オーナーは胸に手を当てて、恭しく上品なお辞儀を披露してくれました。


「当店メニューはごじゃいません。ですが、必ず、絶対に、お客様に見合ったお料理をご提供致します。お代も不要です。その代わりと言ってはなんですが――大切な大切な食材は、お客様に持参でお願いしております」


 ここは不思議なお店。

 言葉通り、どんなものでも食材として渡せば調理してくれるのです。

 肉に魚に野菜に果物。食べられるものは当たり前。

 猛毒、無機物、同種族、夢や記憶や思い出などなど。

 安易に食べられない危険なものや、形の存在しないものまで、なんでもかんでも。なにもかも。

 頼めば必ず調理してくれる、まさに幻想的な料理店なのです。

 しかも、御代は不要だと。

 でもね。

 けれども。

 その代わり。

 大切な大切な食材は、必ずしなければなりません。

 食べることは生きることであり、生きるということは関わることです。罪の実を口にした人間は、食事の際に命を調理しているといっても過言ではありません。それをできないモノは勿論、それが不要なモノも沢山おり、そもそも他者を食らうこと自体嫌がるモノも数多存在します。

 ここは不思議な料理店。罪の実を孕んだ者達が作り上げた命の糧を提供する不思議なお店です。ここと関わるのであれば契約が必要でした。

 食材を持参することで、どんなモノであっても食事が必要であると自らに宣言するのです。

 その契約により、絶対にどんな存在であれここにいる限りは料理というものを摂取できるようになります。幽霊でも、虫でも、獣でも、天使でも、悪魔でも、病原菌、液体、固体──名のない、形のないなにかでさえも。

 しかし、禁断の実を口にした罪人の考えた料理に興味を持つモノはとてもとても珍しいですけどね。


「そうでごじゃいますね。珍しい、ですね」


 オーナーがゴロゴロと喉を鳴らして微笑みます。


「珍しいだけでは終わらせないので、ご安心くださいまし」


 とっておきの一品を、よろしくお願いします。


「はい。心を込めて」


 迷いなく頷くオーナー。


「なにかご要望はごじゃいますか?」


 そうですね。やはりこういう時の相場は決まっていると思っていまして……


「かしこまりました」


 オーナーは無表情のまま微笑んで片足を軸に身を翻しました。静かに大階段をのぼって行きます。

 燭台は自らの火を調整し、蓄音機達も身構えました。薔薇給仕達も皆手を止めて、より一層優雅な佇まいで直立するのです。

 店内が自然と気を引き締めます。

 溢れ出そうとする高揚感に心地の良い緊張のスパイスが振り掛けられる瞬間は、とても素敵な一瞬ですね。


「それでは」


 オーナーは定位置である大階段の踊場で、こちらを振り返りました。

 メイド服のピンク薔薇の給仕が真っ白な平皿を丸テーブルへと置きます。ヤクトミが釣ってきたお皿には、なにもありません。

 なぜなら、用意されるのはこれからですから。

 皆さんも良ければご一緒にどうですか? さあさあ席について。

 拍手喝采のオープニング。

 オーナーが純銀の指揮棒を掲げます。


「心行くまでご賞味ください」


 用意されるのは、最高の逸品――


黄昏たそがれ主食曲メインデッシュ


 たらふくいただきましょう。

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