03 異世界転生すると思ったら

「ここは、異世界料理店……?」


 たくさんの窓がおれの視界に映る。

 統一されていない景色。時間帯も異なって存在する幻想的な光景。


「異世界の、幻想の料理店……」


 まったく知らない場所なのに、どこか懐かしい安心感に襲われた。

 それがどんな意味かは、分からない。


「いただきます」


 でも、おれは安心してミルフィーユにフォークを刺した。

 すぐに可愛い形が崩れる。

 少し罪悪感を抱いたが、器用でないおれは意を決してパイ生地をフォークで乱暴に切って、クリームと苺とまとめて口の中に放る。


「んんっ……!」


 雑に表出されたクリームが舌に触れた刹那、ひやりとした甘味が体温で解され、噛めばパイ生地がサクサクと鳴いた。

 それに混ざって違う歯応えのものを噛む。


「んー!」


 途端にじゅわりと甘くもやや酸味のある果汁が口内に広がった。

 口から鼻に抜けていく風味が気持ちいい。


「うわっ……」


 歓喜の悲鳴が上がる。


「うまっ!」


 遅れて感想を口にした。

 ほろ苦いチョコレートのお陰なのか、甘さが重く口の中に残らず食べやすい。


「すっげーうまいです!」


 言いながらおれはもう一口。さっきよりも大きめに抉ったものを口に運んでいた。


「お客さまのよろこんでくださる気持ちが、アタクシを満腹にしてくださいます」


 オーナーは心底嬉しそうに笑う。

 顔は変わらないけど、言い方で分かる。


 おれは一切手を止めずにミルフィーユにがっつく。

 薔薇型の苺を崩さないようにフォークですくった時、書いていた小説の主人公が異世界転移したことにより眼の色が赤に変わったことを思い出した。


「あそこ、血の色って書いたけど、苺色でもよかったかもなあ……「


 そんなことを考えながら、勿体ないが苺をパクリ。


「あまっ! こんな甘い苺、すげーうまい」


 あっという間に完食。

 極力がんばってクリームやチョコレートをすくい取ったつもりだが、皿には跡が残っている。

 皿を舐めたい気持ちはグッと堪えた。


「心が躍るって表現は、こういう時に使うべきなのかなあ……いや、少し遅いか。料理が出てきたタイミングで言うべきだよなあ」


 眠気すら誘ってくる余韻に浸りながら、おれは背もたれに深く体重を預ける。


「マジでやべー。うまかったー……」


 テーブルの下では足を伸ばしていた。

 マナーなんて最早これっぽっちも気にしていないし、マナーのマの字も頭からは消えていた。

 強い強い、満足感。

 すごく、落ち着く。


「はあ……ごちそうさまでした」


 忘れていた一言を脱力してから吐息とともに吐き出して、膨らんだ腹をさする。


「あっ、写真撮ればよかった。あんなにすごいの……」

 

 少しだけ後悔。

 女子がスマートフォンのカメラで食べる前に写真を撮る気持ちが痛いほど分かった。


「食後のお茶はいかがでごじゃいますか? こちらはサービスにごじゃいますので、食材はいただきません」


 オーナーがおれの顔をゆっくりと覗き込んでくる。


「夜明けの空の四つ角で、実に美しい睡蓮が咲いたのです。妖精の粉を一摘み混ぜたサファイアの砂糖漬けを底に沈めてお飲みいただくと、それはそれは最高かと……!」

「そうなんすね。あー……でも……それは、遠慮します」

「にゃッ!?」


 断られるとは予想していなかったらしい。

 オーナーは素なのか、猫の声で鳴いた。

 固まったオーナーにおれは急いで弁解する。


「あっ、違います! 思いっきり飲みたいっす!」


 必死すぎて身振り手振りが派手になった。

 だがそうなるくらいには気になるし、飲みたい。

 なぜならお茶と言いながら、どんなお茶なのかまったく想像できない単語が飛び交っているのだから。

 お茶どころか液体なのかと疑って、好奇心をくすぐるそれを気にならないはずがない。


「ただ、なんか……その……ははっ。帰る気、なくなりそうで……」


 死んだのだから、帰る――というのもおかしいかもしれないけど……。

 それを飲んだらこの店から出て行くのがいやになりそうな気がした。


 冷静になったら、不思議な体験はできたけど、異世界転移も転生もできないおれはこの後どうなるのか不安になった。

 不安になったけど、不思議とこわくはない。

 茶を断ると判断ができるくらいには落ち着いて、思考が巡り、迷わず、自分の足で進んでいこうと覚悟を決められていた。

 なによりお陰で実感した。


 異世界に憧れて、強く行きたいと願っていても、実際にはおれは自分のいた世界を予想以上に大切にしてたことに。


「ありがとうございました! マジでうまっ――お、おいしかったです! いままで食べたケーキで一番おいしかったです!」


 おれはスマートフォンを掴むと勢い良く椅子から立ち上がった。


「トラックに轢かれるとか、かなりエグいけど……死んでからこんなうまいケーキ食えて、最期にいい思い出になりました!」


 目尻が熱くなり、それを隠すようにオーナーへと深く頭を下げる。


「最期? ……ええ、確かに普通の方はなかなか当店には御来店なさいませんが……。いいえ、そもそも死んでからとは――――あっ! お、お客さま!」


 職員室から逃げ出すように、おれは駆け出した。

 テーブルがたくさん並んでいても店内は十分広い。後ろ髪を引かれつつも出入り口だろうドアまで一直線に進み、大きく開いた。

 いい人生だったかは分からない。

 けど、悔いはない。

 だから、大丈夫だ。


「じゃあ! 失礼します!」


 おれは店の外に、踏み出した。


「お客さま! なにやら決意したところ申し訳ごじゃいませんが――――お客さまは死んではおりませんよ!」

「はっ?」


 後ろから投げつけられた爆弾。

 ぽかん、と自分から間の抜ける効果音が響いた。


「…………」


 口を半開きにしたまま顔だけで振り返れば、オーナーと薔薇給仕達が大階段の前に並んでいた。


「もしまたの機会があれば、その時は是非食後のお茶も堪能していってくださいまし」


 胸に手を当て、オーナーは映画に出てくる紳士みたいに礼儀正しい格好いいお辞儀をした。

 一拍遅れて、薔薇達も揃った一礼を披露してくれる。


「御来店、誠にありがとうごじゃいます」


 仰々しさすら感じる、おれには贅沢すぎる見送り。

 見惚れてしまうほどの、見送り。


「にゃっ」

「!」


 鳴き声に引っ張られて、おれは脊髄反射で正面に向き直る。

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