殺人鬼の初恋アップルパイ

01 動く死体と殺人鬼

 どんなものでも調理する。

 ここは【幻想げんそう料理店りょうりてん

 肉に魚に野菜に果物。食べられるものは当たり前。

 猛毒、無機物、同種族、夢や記憶や思い出などなど。

 安易に食べられない危険なものや、形の存在しないものまで、なんでもかんでも。なにもかも。

 頼めば必ず調理してくれる、まさに幻想的な料理店。

 しかも、御代は不要だと。

 でもね。

 けれども。

 その代わり。

 大切な大切な食材は、必ずでお願いします。


 * * *


 ある日、突然世界は崩壊した。

 一夜にして建物は廃れ廃墟になったが、なぜかコンビニやスーパー、デパートなどに蓄積された食料や日用品関係はどれだけ使用しても次の日には元通りになっている。


 誰かが言った。これは夢だと。

 いいや、違う。これは夢じゃない。

 紛う方ない現実だ。


 崩壊した世界で、今日もぼくらは生きている。

 だから、今日もぼくらは腹が減る。

 だから、だから「うまいもん食いに行こうぜ」と顔馴染みの死体ゾンビに誘われたら、足取り軽くついて行ってしまうのは当たり前だ。


「ど、どんなお客様もお持て成しをする。ここは【幻想料理店】にごじゃいます!」


 震える声で、まるで自分に言い聞かせる声音でそいつは言った。

 この奇妙な料理店のオーナー兼料理長をしている猫頭は、純銀の指揮棒を神に祈る聖職者よろしく胸の前で握り締めている。

 本来の役割をきちんと果たすのか疑問に思ってしまうほどの、繊細な細工が施された純銀の指揮棒。


 はて?

 そもそも、なぜ料理店のオーナーであり、料理長でもある奴が指揮棒など持って堂々とホールに出てきて接客をしているのだろうか?

 疑問符を浮かべそうになり、引っ込めた。どんなことが起きても不思議ではないだろう。

 この花冠を斜めに乗せる猫の被り物をつけたオーナーは、なんせの知り合いだ。


「急にワリーな」


 ぼくの前に座る死体がオーナーに白い歯を見せる。

 花が飛び交いそうな笑顔に、オーナーは「ヒッ」と短い悲鳴を洩らした。

 硝子の瞳が黄色から赤に変わる。

 処刑人の赤黒く染まった笑みを目の当たりにしたかのような態度だった。


 ああ、面白いな。

 この猫もあの死体と同じで瞳の色がコロコロと変わるのか。


 無表情のまま怯えるオーナーをまったく気にせず、ピンク色のポニーテールを揺らしながら死体は鼻歌でも奏でそうな表情で用意されているお冷やを一口飲んだ。


「さってと……。なあ」

「ん?」

「ここ、メニューねえんだけど……テメーは食いてえもんあっか?」

「美味しくて腹にたまるならなんでもいいよ」


 ぼくもお冷やに手を伸ばしながら答える。

 ひんやりとしたグラス。細かな氷が浮遊する澄んだ水を口に含むと、ほんのりと柑橘系の風味が口内を潤した。


「ふう……」


 一息吐いて、音符と小さな花が描かれているコルク製のソーサーにグラスを戻す。


「んじゃ、指定なしつーことで。安心しろ。この店で嫌いなモンは出てこねえだろうぜ」


 死体は自分事のようにしたり顔を浮かべた。

 ぼくは肩を竦める。


「オーナー」

「ひゃい!」

「注文、頼んでいいか?」


 オーナーは頭が外れそうな勢いでガクガクと頷く。身体もガクガクとしていて大変そうだ。起き上がり小法師の方がまだ安定性があるぞ。


 どうやらオーナーは、ぼくの連れが苦手らしい。

 まあ、化け物の中でも一際特殊な性質上、この死体が同族に好かれることの方が少ないだろうけど。

 こいつのいいところは性格だけだからなあ。


「……っと、ワリィ。俺に近付かれるのはこえーよな」


 震えるオーナーに苦笑いしつつ小さく謝罪する死体。

 オーナーは意を決するように背筋を伸ばした。右目が赤からピンクに変わる。


「俺は和菓子にしてくれ。あっちは任せる。食材は俺が両方出すからよ」

「か、かしこまりました……」


 弱々しく同意したオーナーに、死体は燦々と明るい笑顔を向けて「おい、ちょっと待て」

 自然とぼくのツッコミを入れる声は低くなった。


「……んあ?」


 死体が半端な体勢で止まる。

 ぼくはそれを鋭く凝視したまま、問うた。


「お前は、なにをしようとしてるんだ?」

「ぁにって……食材提供。この店はな、金払わなくていいんだよ。その代わり食材が持参」

「なるほど。それは理解した。でも、それとお前がは何の関わりがあるんだ?」

「これ食材」

「寝言は死んでからにしろ!」

「アウト。死なねえよ」


 テーブルを叩いて抗議したぼくに、死体は鼻を鳴らした。


「この【幻想料理店】は普通の店じゃねえんだよ。どんなものも調理してくれんだ。普通の食える食材だけじゃねえ。宝石みてえな装飾品からそこらの鉄くず。ゴミや毒も。夢とか記憶なんてーのも調理してくれる専門店だぜ」

「……化物お前が連れてくる店だ。変な店なのは予想してたよ」

「なわけで、爪を――」

「ひぁあ!」

「待てって言ってるだろ」


 オーナーの悲鳴に被せて、ぼくは再び人差し指の爪を歯で引き剥がそうとしている死体を制止した。

 死体は訝しげに眉を顰める。


「まさか、ここにくる度にそういう食材提供してたのか?」

「おう」


 おう。じゃねえよ。

 ハラハラと死体を眺めるオーナー。

 壁際にいる頭が薔薇の不思議な給仕達もどことなく心配そうで――――あーあ。

 よくよく見れば何体かは救急箱を手にしているじゃないか。給仕というより、看護師だ。

 オーナーがこいつを苦手な理由。多分こいつの性質は関係ないな。


「ぼくは食人鬼じゃないんだけど……」

「おー、理解してんぜ殺人鬼。何度も人を殺してくれやがって。まっ、安心しろ。ここの料理、食材は原型留めねえから」

「そういう問題じゃない!」


 いくら原型を留めないとは言え、目の前で爪を剥がされ、それを『食材』と豪語されては後味が悪い。いや、後味以前に食べる気はおきない。


 こいつは確かに人間ではない。

 動き回る死体だ。

 人間の枠には入らないだろう。

 それでも、いいや、ゆえに。ぼくの舌は、ゲテモノ料理には対応していない。


「じゃあ、どーすんだよ」


 不服そうな死体は爪先でテーブルを叩いた。

 なにも必要ないと言われたので、ぼくは何も持ってきていない。あるのは、身に付けている制服に文字ティーシャツ、携帯電話に、愛刀のみ。


「そうだな……」


 ぼくはテーブルに立て掛けてある純白の妖刀を一瞥する。流石に、自分自身であるこれを差し出すのは無理だ。

 ぼくは肩を竦めた。

 肩を竦めて、ふと同時に指先で押し上げた眼鏡に気が付く。


「何でも調理してくれるんだっけ?」

「は、はい!」


 唐突に振ったぼくの確認に、オーナーは一瞬飛び上がりつつも肯定した。


「これ――眼鏡もできる?」

「はい。勿論にごじゃいます」

「これひとつでこいつの分も?」

「はい。同じお料理でよろしければ」

「いいよ」


 ぼくは眼鏡を外した。

 枠のない、硝子のない、裸眼で直視する世界。

 脳裏に、夕陽に染まるあの日の赤い教室が一瞬だけ映った。


「本当によろしいのでごじゃいますか?」

「伊達だからね」


 隠す必要もないので真実を答える。

 眼鏡を掴んだ腕をオーナーに伸ばせば、彼は左手をぼくの手の下に出した。

 いつの間にかそこには純銀のトレーがあり、ぼくはトレーへと赤縁の眼鏡を乗せる。


 広くなった視界で前を向き直れば、頬杖を付いた死体と目が合った。


「俺が奢る気だったのに」

「あんな恐ろしい奢られ方は絶対にいやだ」


 タダより恐ろしいものはない。まさにそれを体験した。

 死体は唇を尖らせつつ「髪のが良かったか?」と不穏なことを呟いた。


「まず自分を食材にする発想をやめろ」


 隣人の悪食家なら喜ぶだろうが、生憎とぼくは味覚に関しては普通の人間だ。


「食材は提供したよ。こっちはお腹空いてるんだ。早めによろしく」


 目の前の死体が余計なことをする前にと。ぼくはオーナーを急かした。

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