8 俺とアンジェとフクっち協定
「ただいま戻りましたー」
午後七時。カフェから抜け出したアンジェがやっと帰ってきた。洗面台で手を洗うと、そのままリビングへ入ってくる。
『おかえりなさーい』
「フクっちさん、ただいまです」
リビングテーブルに置いたスピーカーにアンジェが話しかける。もちろんこのスピーカーはアンジェが魔改造した例のスピーカーであり、直接話すことのできないフクっちとアンジェは家だといつもこれを媒介してお話している。外で使えないことが唯一の欠点だ。今日もその機能がないせいで色々と不便だった。いちいち俺を媒介にされるとストレスがたまる。
「遅かったな、どこ行ってたんだよ。またどっかで買い物でもしてたのか?」
女子高生が夜一人で出歩くと怖い目に遭うぞ。あ、これは別にアンジェのことを心配しているのではなく、もし警察沙汰になったら面倒くさいと思ったからだ。
「せっかくソーマさんのためを思って買ってきたんですよ」
そう言って、アンジェはブレザーのポケットに手を入れて探し始める。
「今度は何買ってきたんだよ」
アンジェの買ったものを見るために、晩御飯の準備をしていた俺もキッチンからテーブルに移動する。
「じゃじゃーん!」
「ブルートゥースイヤホンとチップかこれ?」
テーブルの上に出されたのは、二つの無線の片耳用イヤホンと一枚の小型チップだった。イヤホンの方はよく見るけれど、小型チップの方は自分が知っているような世の中に出回っているものよりもさらに小さかった。無線イヤホンの方も耳に入ってしまえば髪で隠れてわからないくらいには小さい。
「イヤホンに見えますがこれ無線機なんですよ。ほら、よくSPとかが耳につけてるあれです」
よくドラマとかでも見る、スキンヘッドのマッチョが耳につけているやつか。中二病時代は結構憧れてたな、無線機。
「で、俺と一緒にSPごっこでもしたいって言うのか?」
「ソーマさんの脳みそは三歳児なんですか?」
「お前に言われたかねーよ!」
真顔で毒を吐くな。
『三歳児ー』
「お前にも言われたくねーよリアル三歳児!」
『もっと上だよ⁉』
とフクっちは文句を言うが、それは俺には判断しかねる。顔も身長もわからないんだから決めようがないだろ。
「それで……これを使って何をするんだよ」
「へへん。外でもフクっちさんと会話できるようになりますし、遠くからソーマさんに指示を仰ぐこともできます。超役に立つと思いますよこれ!」
『すげぇぇぇぇっ! これから外でも話し放題だね』
フクっちからは感嘆の声が漏れた。
「確かに一番目のはわかるし便利だと思うが……二番目はいらないだろ」
ずっと耳元でアンジェの声が聞こえてくるとか……ストレスで三日で禿げる自信がある。
「必要ですよ。ほら、今度の日曜のデートで」
カフェで楓と約束したあの罰ゲームだ。罰じゃなくてボーナスなんだけどな。
「やっぱりいらないな」
「デート中に天界でめちゃモテだった私のアドバイスが聞けるんですよ?」
天界でニートしてたお前がモテるわけないだろう。まず学校に行ってないんだから同級生お前のこと知らないだろ。
「ってまさかアンジェもついてくるわけじゃないよな?」
それこそ邪魔になる。アンジェへのツッコミで幸せを感じる回数が激減する。
「ええ大丈夫です。私は二百メートル離れたところくらいから尾行するだけなんで」
「怖いわ」
この堕天使、ついにストーキング行為にも手を染めるのか。もう少し天使としてのプライドってもんを持てよ。
「なんでそんなついてきたがるんだよ」
お前なら絶対家でゲームする方の選択肢を選ぶと思っていたんだけど。
「だって幸福ゲージが上がるチャンスなんですよ? 楓さんならソーマさんの幸福ゲージを爆上げすることが容易にできるんです。カフェでも上がってましたし……。そこで私がプロデュースして、最高に幸せをゲットできるデートをプランしてみせます」
幸福ゲージが上がってるのバレてたのかよ。
それに、アンジェが今までにないくらい闘志を燃やしていた。自分がニートになるためなら犠牲もいとわないような究極の自宅警備員志望――それがアンジェである。
「考えてることは最低だが……確かにいい手かもしれない」
「最低でも帰れるにこしたことはないのです!」
まして今回は服を買いに行くだけだ。センスを問われる、男性にはちょっと難しい問題。正直迷ったときはフクっちに聞けばいいと思っていたのだが、一抹の不安もあった。だってフクっちって幼女だし。しかし楓と何例が近しい女であるアンジェがいれば、案外うまくいくかもしれない。幸せを感じられる回数が増えるかもしれない、ということだ。
現在幸福ゲージは《52%》。とてもちょろい俺であれば、デート一日で《100%》まで行けそうだ。そしてフクっちと儀式を交わして、アンジェを天界に送り返す。フクっちも消滅し、翌日の月曜日からは日常を生きる高校生としてリスタートすることができる。素晴らしいサクセスストーリーだ。
「では当日はこの魔改造をほどこした無線機を使います」
「やっぱり魔改造したのかよ!」
「まぁ普通に考えて幸福ゲージ対応の無線機なんて売ってませんからね。その後自分で改造するしかありません」
ってことは改造できるほどの頭脳を持っているのかこいつは……。最低でも爆発事故が二回は起きそうで少しだけ心配になる。
「なあアンジェ。この無線機の使い方はわかったけどさ、こっちのチップは何なんだ?」
何かの機械にうまく差し込んだらプログラムが作動しそうだ。
「それはフクっちさん用ですよ? レドジウムリングの拡張チップです。まぁさすがにこれは近所の天界ショップで買って少し改造したものなんですけど」
天界ショップというのはきっと地球に住んでいる天使専用のお店だろう。いちいち天界に行くのも面倒だろうしな。
しかしもっとわからない単語がある。
「拡張チップ?」
「ソーマさんのやつにもあるはずですよ? どこかに小さい長方形の穴ありませんか?」
「あるけど……今までてっきりそういうデザインなんだと思ってた」
レドジウムリングの左にはスイッチのボタンが付いているが、実はその反対側は穴が開いていたのだった。
「こうやって家にいるときは必要ないので、ソーマさんが持っといてください。チップはレドジウムリングの穴に入れればいいだけなので」
そうか、この中にチップを埋め込めば幸福ゲージの機能が拡張されるのか。
「へぇ、そんな機能があったなんてなぁ」
『あたしも知らなかった』
「なんで自分のことなのに知らないんだよ」
『いやー、実は説明書読むのが面倒で……でも聡兄だって読んでないでしょ?』
「めんどくさいからな」
だから当然そんな機能は知らない。
説明書は最初の手順しか読んでいないので、幸福ゲージの詳細はよくわからない。もしかしたら他にも機能があるのかもしれない。まあ面倒くさいから読まないんだけど。基本的に説明書なるものはもしもの時以外は使わない。
「ここまでで何か質問はありますか?」
「『ない』」
俺とフクっちが同時に答えた。
「では日曜デートの作戦は以上です解散!」
「待てアンジェ、今からご飯だ」
二階の部屋に戻ろうとするアンジェを止める。
「ああいいえ、私今日はいらないです」
そう言うとリビングを出て、ゆっくりと階段を上がっていった。
「またかよ。最近全然食べないじゃないか」
『食事制限ダイエットでも始めたんじゃない?』
そうか? 別に太っているようには見えないけど……。女子ってそんなに変わらないのに体重気にするよな。アンジェも一応女子だし、仕方ないのか? ……まあ冷蔵庫に入れてある作り置きは絶対に完食してもらうがな。腐ってでも。
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