2

 人は生まれながらにして平等だという考えが、この世界にも生まれつつあった。そう唱えまわっている人々もいる。長き戦いにおける混乱は新たなる考えをも生む。


 だが生まれながらにして平等とは言えない存在というのはどうしてもいるのだ。それが彼だ。装飾の施された貴族軍人の彼が、これまでの生まれと育ちを背負い自分たちの民を覆うとした。


「ここの土で次の命を待つ者たちのために、今一度心を我らの神々に預けてくれ。生きよう、そして帰ろう。勇敢に戦った誉れ高き戦士たちの唄を歌うためにも」


 フェケルの頬を銃弾がかすめた。頬だけではなかった。銃弾は片耳を吹き飛ばしていた。血はちぎれた耳介とともに飛び散って、彼は苦悶の表情を浮かべたが叫ぶこともなく膝をつくこともなく、ただぐっと三つ編みを握った。

 エクセルも、ライドも、ベルナも、飛び出さなかったのはどうでも良いからではなかった。弾除けになるということでもない。


「私はお前たちとともにいる!」


 懐に忍ばせていた短刀を抜き、彼は三つ編みを切り落とした。三つ編みがばらばらと束からただの毛となり、やがて風に飛び跡形もなくなった。すると合わせて術で現わしていた彼の家の光の紋章が消え去った。地面には彼の血と耳介だけになった。


「さあ、その時まで待とう」


 キルケロスの民たちが一斉に声を上げ、同じくバリケード内にいたレメリス人たちと衝突し始めた。発砲音も響き、刃物がぶつかり、味方同士であったものがあっという間に崩れた。


「誰だ!? エガン伯爵を撃ったのはぁーっ!」


 バリケードが壊されていく。同じ目的を持っていた同士の血が流れていく。一行の進行を拒むという目的はやがてなくなり、争いは変わった。

 吹き飛んだ耳を押さえ腰を落としたフェケルが、心配して近づいてきた三人に漏らした。


「やはり貴族なんてものは、戦わせることしかできねえな……」

「フェケルさん」

「行け。勇者たち。生きることは死体を踏み続けることだ。何かが生きれば、何かが死ぬことでできている」

「いや、行くのはエクセルとベルナだけだ」


 ライドが持っていた包帯で手早くフェケルの耳を巻くと、エクセルとベルナに目配せをした。


「この争いを放っておくわけにはいかない。この人を死なせるわけにもいかない」

「俺のことはいい。行ってくれ」

「勘違いするな。今のを見てよくわかった。あなたは利用できるからだ」


 言葉には似合わないどこか優しさがあって、フェケルはそれに気づいたからこそやや笑みを浮かべた。ゆっくりと立ち合がり、剣を抜いた。

 朝霧はすっかり晴れていた。血にまみれた装飾の施された軍服はまだまだへこたれたりなどしない。


「じゃ、俺はここで。任せた」


 ぐっとエクセルの服の背中側を掴み、ライドは思いっきりバリケードの向こう側へと放り投げた。勢い良く飛んでいく彼の姿を、争っている中でも見つけたものが何人かいて引き金を引いたが、臆しない彼に一発も当たることはなく体勢をやや崩しながらも彼は着地し、その先を進み始めた。

 次にベルナは身一つで跳び、同じく銃弾に見舞われることなくきれいに着地し、エクセルのあとを追った。


「もっとぐちゃぐちゃになるぜ、これから」

「なあに、生きていれば負けじゃない」

「頼りにしてるぜ」

「信じろ、俺は強い」


 混乱した戦場が二人の男を飲み込もうとしていた。


 

 エクセルとベルナ、二人が進んでいると建物の二階や陰から銃弾が何発か飛んできたが、それは運もあって当たることはなく、二人を阻むことはできなかった。

 しかし先ほどのバリケードのようなものはなく、散発的な攻撃ばかりで二人はすでに気づいていた。誘い込まれている。こちらへ進むように誘導されているのだ。得体が知れないことだが、それでも迷わず進んでいく。


 やがて噴水のある広場へとたどり着くと、そこには一人の少年が立っていた。確かめるまでもなく誰であるかわかる少年。騎士警察の制服ではない。手にはすでに回転式拳銃が握られていて、狙いを定めていた。


「あんた!」


 火薬が炸裂し飛び出した銃弾はエクセルを狙っていた。だからベルナは彼に体をぶつけ、避けさせようとし、代わりに彼女が銃弾を受けるコースへと入ってしまった。が、恐るべき一瞬で抜刀し、剣にて銃弾をそらせた。びっ、と服の肩口が裂けて布には血が混じる。

 間髪入れずに銃弾を全弾放ってくる。それはすべてエクセルへと向かっていたが、やはりベルナがすべてを弾く。一撃一撃、彼女が思っているよりも重く、致命傷にはならないが彼女に傷をつけていった。


 体をぶつけられよろけていたエクセルは姿勢を整え、目の前の少年を無視してその先へと進み始める。片手で抜ける剣を抜くこともなく、自分に向けて銃弾を放った少年を見ることもなく。

 それが少年、かつての仲間セブリをいら立たせた。彼は銃弾の再装填をせずに拳銃を放り投げ、きれいなマントを外し身軽になってエクセルへと襲い掛かろうとした。拳にはジャマダハルではなく、籠手が着けられていて、どちらにせよまともに殴られれば選ばれし者の力も相まって致命傷になる。


 そんな彼の動きを阻止したのはやはりベルナ。剣を振るい足を止めさせた。その様子を確かめることなくエクセルはこの噴水広場の奥へと消えていった。それでも追いかけようとするセブリに対し、ベルナは壁になった。

 まともに受ければエストックでは到底耐えきれないほどの破壊力。ベルナは己の目と速さを最大限に発揮し、彼の怒涛の突きをすべて受け流した。手加減をして何とかなる相手ではない。あらゆる覚悟を決めなければならない相手。


 二人は言葉を交わさない。ただ力と力をぶつけていく。選ばれし者同士の手加減なしの戦いは広場の石畳、建物、さらに噴水を破壊していく。どんどんと景観が変わっていく。

 ある程度交えた後、距離を取って二人は上がり始めた息を整えだす。まだ決着はつきそうにない。


「一人で行って、どうなるっていうのさ」

「やってくれるよエクセルなら」

「銃弾すらよく見えてなかったみたいなのに、何を?」


「自分の弱さを認められる今のエクセルだからできること」

「そう自分に言い聞かせても、ベルナさんはあの人を死に追いやってることに違いないですよ」

「そうなりそうなときはあたしが助けに行くよ」


 息が整った。フィンバル二世の切っ先をセブリに向け、周りの空気たちに溶け込むよう構える。息は眠るかのようにどんどんとゆっくりになっていき、やがてまぶたを閉じる。首もやや落ちて、目の前の相手のことを忘れるように。

 セブリが何かを言っているようだった。そう感じるように感覚を変えている。相手からの怒り、悲しみ、殺気といったものも遮断するように。


 三年前にはなかった剣。異人の王との戦いが終わったあと、新たに生み出した剣。新たな戦いが起きるであろう、その時のための剣。


 けれどあまり使いたくはない剣。


 なぜならば。


 セブリの声がとうとう聞こえなくなった。彼女は息をついにしなくなった。

『思いをまったく込めない剣』であるから。

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