海嘯(かいしょう)

1

 帰ってきていた。


 ここはプロテレイ。その首都プロテレイ。古くからある都市だが、交通を考えられたアスファルト舗装の大きな通りが多くあり、石やれんがの建物もしっかりと区画に分けられ密集して建てられている。空は工場からの煙で太陽の光を弱くさせていて、レメリスでも近代化が特に進んでいる都市であることを主張している。


「今日も日はそこにあるのに晴れてはいませんね」


 人が多く行き交う通りを、背の高い女性と低い少女が並んで歩いている。女性はエプロンドレスを着、髪がひどく短い。少女は乗馬の服装で、一本にまとめた長い髪が目立つ。二人は紙袋を抱え、用事を終えての帰り道だった。


「ちょっと街を出れば青空が見えるんですけどねー。基本これでもう、みんな慣れちゃってます」


 女性はコランで、少女はベルナだった。ベルナが誘い、雇う形で共同生活を送っている。


「ここでの生活はどうですか? まだ慣れるのには時間がかかると思いますけど」

「感謝しています。人が多くて、私のことを気にする人もあまりいませんから。でも、どこに行っても声を掛けられて、ルーラー様なかなか大変なのでは?」

「まあ、それが竜刺姫(りゅうせきひめ)ですから。それより良かった。まだまだ大変なことが続きますけど」

「いいえ、ルーラー様のお心のままに」


 街一番の大通りに面している、そこにあるのが現在のベルナの家。通称、竜刺姫(りゅうせきひめ)邸。

 邸とは言うものの実際そう呼べるほど大きくはない。庭もない。しかし一般的なれんが造りの一軒家よりもかなり広く高い家だった。本当に屋敷を与えられるところだったが、あまりの広さと豪華さにベルナが断り、色々あってここに落ち着いた。これでもベルナにとって大げさなもので、使っていない部屋も多くある。


 その使っていなかった部屋の一つに二人は入る。


 少年がいた。彼は起き上がった体勢でベッドに座り、閉めている窓の外をぼうっと眺め続けていた。ベルナが買ってきた清潔な長袖のシャツを着、あちこち包帯を巻かれている。右手は頬杖のために使われていて、左袖の部分は通すべきものがなくぺらぺらとしていた。


「しるしの左腕」はもう、彼から離れ二度と戻らない。


 そんな彼を見張るように大柄な筋骨隆々の男、ライドも同じ部屋で椅子に座って装備の手入れなどをしていた。街の雰囲気に合わせてそこらで買った背広を着ているが、しっかりと採寸をしたものではないため、つまり鍛え上げられた肉体のためにやや生地から飛び出そうとしているように見える。


 二人が入ってくるとすぐにライドは反応したが、少年はそれでもぼうっと窓の外を眺め続けている。気づいていないのか、反応したくないのか。わからないが彼はただプロテレイの曇った空にしか目を向けていない。


「ああ、お疲れさま」

「エクセル、今朝もずっとあんな感じ?」

「ああ。さっき起きたんだけどな。目覚めの挨拶をしてからずっとだ」

「そっか」


 自分についての会話をされているが、彼はまったく興味を示さなかった。たまに左腕をさすろうとしてないことに気づくが、それでも同じことを何度も繰り返していた。


 伸び放題で荒れ果てていた髪は彼が目覚めたあと、ライドが気分転換と提案して切り、ずいぶんさっぱりとした。意外にライドはこういうセンスに優れていて、変な髪型などにはなっていない。ベルナからしてもお世辞抜きに上手いと感じ、そしてエクセルはやはりある程度短い方がとても似合うと素直に口にしていた。


 そのときでも彼はぽつりと「そうか」とだけ言い、話は繋がることなく終わっていた。


「ベルナさん、お言葉ですがいつまでこのようにしておくつもりです? 一週間以上眠り続け、ようやく目覚めたと思えばこの三日、まったく自発的なものがない。お辛いのはわかりますがこの状況、もっと話し合うべきだと思います」


 エクセルがそこにいるが、コランは関係なく口を開いていた。聞かれてしまうことを恐れずに、主人に言われた通り、主従関係ではなく対等な関係として思うままに。


「でも、エクセルには時間が必要だろうから……」

「あ、ああ……」


 ベルナとライドがそのようにしても、彼女は引かない。


「わかります。でもだからといって待ち続けるのですか? それはいつなのです? お二人が見聞きしたものが正しいのであれば、これは『時代が巻き戻る』ことに繋がることです」


 長きにわたる戦いによってできた道を歩かざるを得なかった彼女だからこそ、その言葉の響きはとても重くそして、怯えている。長く長く伸ばすのに十分な時間があった髪を、「頭皮にあるもの」をより隠すための髪を、ある程度伸びる度に「あの時に縛られ続けている」ためにひどく短く切ってしまう彼女だからこそ。

 黙りこくってしまう二人だったが、やがて言ったのはライドだった。眉間に厳しくしわを寄せ、ぐっと手を組んだ。


「厳しいが、まったくその通りだ。今の状況、このまま放っておけばどうなるかわからない。そもそも俺たちはあいつらのことをよくわかっていない」


 近くにいる二人に断りを入れることなく彼は懐から紙巻き煙草とマッチを取り出し、のみ始めた。嗅ぎ煙草やパイプ、葉巻などあるが、彼がくわえ楽しむそれはここ数年で愛好者が増えたものだ。

 ベルナとコラン、そしてエクセルもだが喫煙者ではない。しかし誰も特に文句は言わない。そういうものだ。


 彼が好きな銘柄はプロテレイで生産されているらしく、マーリアで買うよりもかなり安く手に入るということで多く買っていた。いわく二倍ほどの差額。三年前は喫煙者ではなかった彼だが、故郷に戻って国の戦士になり始めた頃からのみ始め、教官になってからさらに量が増えたらしい。


「あのセブリとクーエがエクセルの……それほどの覚悟だ。それにクーエはさらに剣の封印まで解いてオルコを持っている。選ばれし者で、その証の剣を持つ。呼びかければ応えるやつはかなりいるはずだ。戦場を失った兵士、戦士、騎士……戦っていたやつらが特に。それに加え……」


 天井に向かって煙を吐く。


「悪い。俺が何も調べずに全員にエクセルの居場所を教えてしまったからこうなった。やはり、エクセルの気持ちを尊重するべきだったんだ」


 それはもう何度言ったからわからない謝罪だった。彼はひどく己の行動に後悔している。あの夜、セブリとクーエがエクセルに対し何をしたのか理解してしまったときから、ベルナの前で吸うことのなかった煙草をのみ始め、その量は増え続ける一方だ。

 エクセルが左腕を失い意識を失ったとき、彼を助けるために現れたのはベルナとライドだった。置いていかれてしまったライドが比較的近かったあの村、ギレルに着いたとき彼女と合流できていたのだ。


 そこであの現場を目撃し、ひどく迷いながら仲間であるクーエとセブリに対し剣を抜き、今こうなっている。クーエとセブリはすでに「しるしの左腕」を手に入れるという目的を達成していたためすぐに退いたが、もし全力で戦うことになっていれば、迷いがあったベルナとライドも寝込むことになるか、もしくは永遠に目覚めなくなっていたかもしれない。


 それほどに二人の覚悟を感じていた。当然しるしの左腕も取り戻すことはできていない。


「人が集まり、各国が動くような出来事になればレメリスの情勢は一変する。なあベルナ。こういう機会を待っているやつというのは多いんだろ?」


 戦士であるライドよりも、竜刺姫であるベルナの方が国の上に存在する人たちと出会うことが多かった。慣れない社交界というもので、下手な笑顔を振りまき、苦手な会話をし続け、そして嫌な気分になることもある。己の戦いの意味を考えてしまうような。


「他の国よりも上に立とうって気持ちは、プロテレイにあるよ。プロテレイにあるんだから、多分、他の国、特にハリエスタ、マーリア、ルーレンシア、ケコの大国にもあるはず。さらに言うと……」


 ベルナの声が詰まる。それはこの部屋でずっと窓の外を眺め続け動かない彼のことを考えてしまったからだ。それでも彼女は気持ちを整え、しかしぼそりとつぶやくように言った。


「エクセルの故郷、ルーレンシア。長い戦いで大国の中で一番弱くなって、蛮者を出してしまったということでさらに落ち込んだ国。大国という立場も長い歴史と、そして多くの人は知らないけど、他国の犠牲になったから保てている国」


 おそらくエクセルが蛮者とされるとき、最後まで反対した国。彼のためか、国のためか。それはわからないが大国の中で一番弱いという現実ゆえ、抗えなかった国ルーレンシア。現状打破の機会があれば一番大きな動きをしてくるに違いない。溜まりに溜まった怒りが爆発し、レメリスを巻き込む。


「もしかして、ルーレンシアと繋がってる?」

「おかしくない、そりゃおかしくないな。もしそうだとしたら、これは本当に大きな戦いになるぞ」


 そこで二人は示し合わすこともなく声を合わせた。


「その前に止める」


 それでもエクセルはぴくりとも反応しない。もうすでに関係のないことだと思っているのだろうか。しるしの左腕を失った自分は、レメリスの剣ではなくなったのだからと。

 蛮者となって過酷な三年間。それだけで耐え続けてきたのがなくなれば、エクセルであろうともこうなるのはおかしくないことだった。今の彼はただ心臓を動かしているだけで、生きていないのかもしれない。


「待たせたな」


 もう一人部屋に入って来る者がいた。ここに住む人にはない瞳の色と、口に牙を持つ人。いわゆる異人と呼ばれる存在。そして彼の名はフェケル。戦後も元の世界に帰られずにさまよい続ける異人たちを率いレメリスを旅していた男。見た目は三十近いように見える。ここでは外はフードを深く被り、その外見を見られないようにしていた。


「手当たり次第、遠聞(とおぎ)きしてきたぜ」


 エクセルとはハリエスタの村ケレルで出会い、異人の掟を行ったという縁がある。

 左腕を失い、ひどいケガをした彼を治療したのは彼の仲間の一人だった。ライドが応急処置をし、ベルナの提案でプロテレイへとエクセルを運んでいた途中、「仲間のために少し水を分けて欲しい」と彼が現れたのだ。


 そのときエクセルが重傷を負ったことを知り、異人による術を使って治療を行い、途中で容体が急変したときに備えたいということで一緒にプロテレイまでついてきたのだ。


 コランは彼らについて「治したのは理由をつけて一緒に行ければ、衣食住に困らないから」とぼそりとベルナに言っていたが、言われた本人はそれで良かった。エクセルを助けてくれたことに変わりはない。人数は十人と少しいるが、一緒に行くための馬の手配や衣食住の面倒を見るのに金銭などの問題はなかった。


 さらに彼らはここに来てからも炊事洗濯など自分たちでできることはやっている。それはフェケルも含めてだ。今この家の家事はあまり上手くないベルナ、壊滅的なライドではなく、コランと異人たちによってそれはもう見事に成り立っている。


 フェケルは右横の髪で目立つ三つ編みを作っている。そのためにそこだけ髪を伸ばしていて、さらに少し年齢を感じ始める成人男性の顔である彼にはあまり似合っていない。これが異人のおしゃれなのかもしれない。ベルナはここで戦ってきた相手ではあるが、そこまで彼らのことを知っていないと思い知る。

 彼は言った。


「やはり西の剣と南の剣の誘いを受けたやつがいるみたいだ」


「遠聞(とおぎ)き」という異人の術。離れたところにいる相手と声で話すことができるものだった(レメリスでも真似て「電話」というものが生み出されたが、まだまだ庶民への普及はしていない)。それを用いて彼は知り合いの異人たちがクーエとセブリの動きに何か合わせるところがあるか探っていたのだ。


「そしてそれに応じたやつもいる。それも多くだ。呼びかけてきたのは異人の王を討った中心人物だが、それでも何か変わるならばという気持ちが強いみたいだ。敵の敵は味方なんて簡単に言いたくはねえけど、故郷に帰るのもいつになるかわからねえしな」


 やはりか、とベルナは思う。それはライドも同じだったろう。ある程度準備が整ったからこそ行動へと移ったのだ。クーエはエクセルのためだとベルナとライドが助けに入ったとき言っていたが、確かにそうなのかもしれないが今後のために「エクセルの行動を制限した」という風に受け取れる。


 これからのことを彼が阻めないようにするため、しるしの左腕を奪ったのだ。

 セブリへと話していた「レメリスの剣(サーリアス)」がそう決心させたのだろう。事を起こせば味方にならず、確実に剣を振るってくるだろうと。

 そしてそれは間違いなかった。あのときのエクセルならば。


「あなたがたはそちらへ行かれないのですか?」


 コランが冗談なく尋ねると、フェケルは小さく笑った。


「おっかねえ人だな。俺は色々と借りがある。それに一緒にやったってより混乱を生むだけだろうよ。俺たちの進軍はもう終わってるんだ、負けでな」


 少し長めに目を閉じたのは、自分で言った言葉を噛みしめているようだった。こうは言っても受け入れられないところはまだまだあるだろう。しかし彼はこの目の前に広がる敗者としての現実に向き合い続けている。


「今もここの話を向こうに流していないという保証は?」


 臆せずコランは彼へと噛みつき続ける。


「ただ、信じられないというのも当然だな。どうしても俺たちはあんたたちにとって異人。長く長くこの世界を手に入れようと押し寄せ続けた敵だ」


 顎をさすり、この場にいる全員に向けて言う。


「こちらの味方であることを誓う。誓いを破ったときはこの三つ編みを切り落としてやるよ」

「それになんの意味があるので?」

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