剣しか握れない。東の剣、ライド・オーロ

1

 訪問者をエクセルは家の中へ招き入れようとしたが、彼は首を横に振ってここで良いと立ち話を始めた。組んだ腕は前よりも厳つい筋肉で固められている。

 ライドが腰に下げているのは東の剣の持つレーランではなかった。それでもぴかぴかに手入れされているそのロングソードは、今のエクセルではまともな手段で手に入らない物だろう。背中にも別の剣を背負っている。服装も平時なので綿の布の服に簡易な籠手とすね当てをしているが、これもきれいにしてある。

 エクセルはフードを脱ぎ、手を差し出した。それをライドはぐっと握る。再開の握手。


「久しぶりだな、エクセル」

「ああ、元気だったみたいだなライド」


 きれいな身なりの東の剣と、汚い身なりの勇者。背は長身のライドの方が高いが、それでもエクセルも伸びてかなり差を縮めていた。


「でかくなったな、結構小さかったのに」

「気づいたらこうなってた」


 何気ない再開のように彼は努めているが、変わり果てたエクセルの姿に心は大きく揺れていた。伸び放題の整えられていない長い髪、知らないこめかみの古傷、星を宿さなくなった瞳、常に険しく動かない表情。


「よくわかったな、俺がここにいるって」

「かなり探したんだぞ。『あれから』ずっとな。レメリスを回って色んな話を聞いて。その、転々としていっていたから追いかけてな」


「どうしてだ?」

 エクセルの質問にライドはきょとんとする。

「どうしてって、お前……」

 エクセルは近くの切り株に腰を下ろし、伸びた髪を指でいじる。

「ちょこちょことあるけど、王はいなくなってあの戦いは終わったんだ。別に剣の使いどころじゃないだろ」

「そういうわけじゃない。みんな心配していたんだ、お前を」


 的の外れたエクセルの言葉に、ライドは素直な気持ちを漏らす。エクセルは左腕をさすって彼を鈍い瞳で見つめた。


「一人で消えて連絡が取れなくなったとき、みんなお前の心配をしていたんだ。ずっとだ。俺も……お前がどうなって……っ」


 息を吐き、抑揚のないざらついた声でエクセルは言う。


「それは悪かった。だが本題を言ってくれ。俺は次の所に行かなきゃならなくなった」


 話が通じないことにライドは悔しい表情を隠さない。彼に対するものではない、彼をこうしたことに対してだ。彼の中のエクセルは三年前の勇者である頃のままだ。


「まったく、エクセルよぉ、お前はいつもまっすぐ突っ走りやがって」

「へへっ。でも勇者は先頭に立って走らなきゃならないんだよっ! ほら、ライドもついて来いよっ!」

「ったく、うるさい暑苦しいやつだな」


 いつかした会話をふと思い出すが、今目の前にいる彼が同じことを言うとは到底、思えなかった。体は大きくなっているが、この切り株に座る少年は小さく見える。


「俺の国に来ないか?」

「マーリアにか?」

「ああ。俺は今、マーリアの国の戦士をやっている。教官もやっていてな、お前の経験も含めてあいつらに教えてやって欲しい。衣食住保証する、給料も出す」


 今の状況を抜け出すのに合った提案だとライドは信じていた。しかしエクセルはゆっくりと立ち上がり、また抑揚のないざらついた声を出す。


「マーリアの戦士、言った通りになったんだな。あそこには前に行った。そこで俺はカリアと名乗ったがやはりバレてな。結局は蛮者として追い出された」


 よくわかっている。わかっているからこそライドは言う。


「大丈夫だ。なんとかする。名を変えて俺の助手という形で、それで通しきってみせる。味方になってくれる人だっている」


 彼は首を振った。考えるような間もなくすぐに。


「嬉しいがやめておけ。お前の足を引っ張ろうとするやつは絶対にいる。特に東の剣で十九歳の若さで教官なんてそれなりの位のお前を妬むやつがな。そいつらの格好の餌になるんだよ、俺は」


 堪らなくなって近づき、ぐっとエクセルの左肩を掴む。するとそこにあるはずの豊富な筋肉の感触がないことに気づく。小さく痩せている。

 とっさに同じように右肩を掴む。こちらには確かな、素晴らしく鍛えられた肉体があった。どういうこかわからず、いや、理解したくないがためにライドはひどく動揺する。

 そんな彼にエクセルはマントを脱ぎ、左腕を見せた。半袖のぼろのシャツからやせ細った腕が伸びていた。右腕はしっかりとたくましいので、その差が無残な現実をライドに見せつけた。


「なんだよ、この、この腕は……?」


 さすって彼は答える。


「マーリアで『ケガ』してな。きっとすぐ医者に見せれば良かったんだろうけど、『どこも開いてなくて』このままさ。感覚はあるんだけどな」


 動かなくなった左腕。思わずライドは彼に頭を下げてしまっていた。


「すまない。しかしだからこそマーリアでその傷を治したい、良い医者も知っているんだ、来てくれエクセル」


 ここでようやくエクセルが表情を少し柔らかくした。マントを再び羽織りながら。だがその表情、やはりライドは見たことないものだった。


「悪かったよ、意地悪するようなこと言ってしまって。どこの国だとか関係ないのにな。とにかく俺は行かないよ、マーリアには」

「それでどうするんだこれから。今はなんとかなっているのかもしれないが、世界をあてもなく放浪して一体お前は……俺はお前が『蛮者』と呼ばれ蔑まれ続けるのが嫌だ。お前はあの異人の王を倒した英雄。俺はマーリアでお前の名誉を回復して、そしてそれを世界で広めたいんだ」


 素直な気持ちを爆発させてしまう。それほどまでに今のエクセルの姿は見ていられなかった。間違いなく今も世界で輝くべき存在である彼が、こんな日の少ない暗い山の中の小さな小屋で一日を潰していくことが。

 言葉にはしていないが、エクセルは自分を超える存在だと感じていた。自分よりも年下だが、その圧倒的な戦士としての実力には尊敬を抱いている。だからこそ勇者なのだ。

 しかしその力をこの世界はもう望まない。ライドは憤りを感じ続けて今日まで来た。

 そんな思いでも、首は横にゆっくりと振られる。


「それでいい。例えば俺がマーリアに行って、今の信じられないほどの邪魔や圧力を越えて俺に戻ったとしよう。でもそこにあるのはマーリアの剣としての道だ。俺はみんな、このレメリスみんなの剣(サーリアス)だ。これからすぐ先、戦いは国同士に変わって起きる。だから俺はそうでありたい」


 彼の言うことを否定できなかった。安定し始めた各国は力を蓄え始めている。それがいずれ他国へ向けられる力となるだろう。ライドは今の戦士という以外にできることがない。もしかすれば他の選ばれし者とも戦わなければならなくなることだってある。

 それもすべて覚悟の上だ。戦士としてライドは覚悟している。


「二度と使わないっていうのか……?」

「それが一番いい。世界を相手にする存在が現れたときの、戦いに不向きな大勢の人たちに使われる剣が俺だ。国王とかそういう一人や少ない偉いと言われるやつに抜かせはしない。やつらは俺を蛮者としたけど、国同士の戦いになればまた勇者と呼んでみんなをだます」


 ふう、とライドは大きく息を漏らす。


「……そうだな、お前は、お前だけの経験をしてきたんだもんな」

「この三年、それなりに体験して見て聞いて考えてはみたんだ。学校に戻ってみんなと勉強できなかったけどな」


 だがライドにはうっすらと見えていた。そうは言う彼の鈍くなった瞳の奥にあるものを。

 それを確かめるのに手っ取り早い方法は一つだけ。単純で嘘をつけないライドとエクセルだからこその方法。


「なあ、エクセル」


 腰に下げていたロングソードを抜き、並の物ではない輝く刀身をエクセルに見せる。見せつけられた彼はほんのわずかに口角を上げた。


「久しぶりなんだ、一勝負しよう」

「悪いけど、剣を持ってなくてな」


 言うとおり、彼のマントの下どこにも剣はなかった。あの小屋の中にもある様子ではない。そんなつまらない嘘をつくようになっているはずはない。

 もしかして「利き腕である左腕」が動かなくなってしまったことで剣を捨ててしまったのかとも考えたが、先ほどの右腕の筋肉の付き具合、そして表情からそうではないと確信を得る。


「じゃあこれをやるよ」


 背中に背負っていた剣をエクセルに差し出す。元々彼への贈り物として持ってきていたものだ。こうして意味のない、彼にとって辛い贈り物にならずに済んで良かったと、ライドはほっとする。

 剣を受け取り、ライドに手伝ってもらって鞘から抜き、エクセルはその刀身を眺める。ナックルガードはないが、強いて分類するならばブロードソード。自分の瞳が映る業物へ、彼は懐かしそうに微笑みかける。


「これは、サーリアスに見た目も感覚も似ている。いいのか? こんな高い物」

「俺もサーリアスは何度か握らせてもらったからな、その感覚を元に作ってもらった。結構な本数ダメにしてしまったがよ。それはともかく良かった、俺の感覚は大体合っていたみたいだな。値段はま気にするなよ、俺からの気持ちだ」


 何度かエクセルはそのかつての愛刀を模した剣を振る。良い動きに音だった。これだけでライドは振るう腕が変わろうとも、その腕はあまり落ちていないことがわかる。彼は確かな信頼に足る腕をなくしても、残った腕を新たな力としたのだ。


「どうだ? そんな風にして勝負はしないとか言うわけじゃねえよな?」

 びゅっとこれまでよりも強く振ったあと、こくりと頷いてやや不敵な笑みを浮かべた。

「ああ、やろう」


 ここに二人の再開も祝した戦いが始まった。

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