『マカダミアナッツ』 『古書』 『ポスト』(仮)

和史

1晴れ男とアメフラシ 『マカダミアナッツ』『古書』『ポスト』

 カビ臭い店の一番奥に僕の定位置がある。店のカウンターってやつさ。猫のヘイスティングスと一緒に連休中はこうやって店番をさせられる。時間を持て余してる僕の隣で猫が日がな一日昼寝してる間、父さんは仕入れという名の息抜き旅行中。まぁ、小さな古書店だからほとんどお客さんは来ないけどね。


 実は僕はさっぱり古書の良さがわからない。本は好きだよ。うん。今もこうやって一日中本を読んでる。


 漫画だけど。

 

 でも古地図や和綴じのボロボロの和歌集や、夏目漱石の初版本やら全くもってその価値がわからない。地図は今は実用的に使えないし、和歌集に書かれてる字は読めない。同じ日本語らしいけど、あれ、絶対違うよ。だって読めないもん。


 百歩譲って内容面を重視するとして――資料だったり、こういうのを眺めて昔に思いを馳せる人もいるから。曰く、ロマンらしいよ――どうせならデジタル化して売ったらどうかと思うんだ。その方が見やすいし、多くの人が見られるし、なにより劣化を防げるじゃないか。中身は一緒なんだから、いいことずくめなんじゃないかなぁ。

 初版本にしたって、今は綺麗で値段も安くて、しかも文庫で手に入る版があるんだから、僕なら断然そっちを選ぶね。中身は一緒なんだから。どうしてボロボロの紙の方が高いのかやっぱり僕にはわからない。


 こんな儲からない古書店より、叔父さんが言うようにとっととこのあいだ来た「店舗貸ししませんか?」っていう業者に委ねれば良かったんだ。絶対古書店してるより収入は増えると思うんだよね。


 実はうちの店、立地条件だけはすごくいいんだよなぁ。観光地の商店街にあって、駅近。だからすぐ前の道を人はよく通るけど、こんな小さな古書店には誰も見向きもしない。本当、いつもが同じことの繰り返しで退屈だ。





 正午過ぎ。あくびをするのにもあきたので、僕は父さんから頼まれていた郵便物を出しに行くことにした。本当は朝一でポストに入れに行く約束だったんだけど、ついついめんどくさくて。


 この梅雨空じゃお客さんなんか一日待ったって来やしない。それでも一応店先に「店主外出中。すぐ戻ります」の看板を出して軽く戸締りをして出かけた。と言っても、郵便局は100メートル先の商店街の中。その前にあるポストに投函するだけ。

 

 でもこの荷物は最終また僕の家へと戻ってくる。なんのために出すのかよくわからないけど、毎年この時期になるとこの封筒――厚さ1センチ程度の重さからして本の様なもの。僕は中身を見たことがないんだよね――をポストに投函して、数日後に宛先不明で送り主のところに戻ってくる。これって、迷惑じゃない? 毎回宛先まちがってるんだよ、父さん。しかも絶対自分で出さないし。出かける前に出していけばいいのにさ。





 愚痴ばかりこぼしながら投函後、もう2軒先のコンビニでジンジャーエールを買って店へ戻った。どんより暗い空から雨が降り出し、アーケードに当たっては控えめな雨音を立て始めた。漫画の続きを読もうとカウンターにジンジャーエールを置いたとき、裏庭からガチャガチャという派手な物音が聞こえてきた。確か家の方には誰もいないはず……。


 店は商店街に面した側にあり、奥のレジカウンターの横のドアを開ければ庭に出られる。つまり店からすれば裏庭、家からすれば前庭。庭を挟んで中央正面が住居スペースへの玄関で、すぐ手前右側に小さなボロボロの蔵があって、反対の左側は住居用の門がある。


 レジ後ろの窓からのぞくと、その門の前でなにやら黒い傘をさした男がガチャガチャと人様の家の郵便ポストをこじ開けようとしているのだ。開けられないことが分かると、男はおもむろに缶詰の中身をパラパラと門の前に撒きだした。上から仕上げとばかりに鰹節も撒いてる。


 ヤバいっ。何かわかんないけど、おかしな奴が僕んのポストを物色してる。ついでに何か食べ物まき散らされてるしっ。


 こういう時に限って父さんはいないし、母さんも実家に里帰中だ。とりあえず警察に電話だ。と、110番しようとしている間に男と目が合ってしまった。すると男は久しぶりの友人にでも会ったかのように、愛想よく手をふってきた。


 僕はとっさにしゃがんで視界から消えたつもりだったけど、次の瞬間、男は店の前に現れ、

「やぁ。坊ちゃん。お久しぶりです」

 と、満面の笑みで中折れ帽を胸に当て、黒い傘を片手に立ちふさがっていた。

いや、誰だ? お前??


「嫌ですなぁ。忘れてしまうなんて」

 帽子をかぶり直し、傘をたたみながら悲しいとばかり男は黒目がちな眼を細めて、またニンマリと笑った。中折れ帽にTシャツ、綿のパンツに素足に雪駄という、とてもラフな格好。

「あ、これ、つまらないものですが、お土産の」

 と言うと、男は持っていた紙袋から茶色の箱を取り出す。どうぞどうぞと店先でマカダミアナッツのチョコレートを僕に向けて差し出してきた。男は店の入り口から1ミリとて入ってこない。


 いや、それ僕の好物だけど……でもそこで出されても、ぼく、店の一番奥にいるし……。少しの間、沈黙が流れ、時間が止まってしまった後、男はハッと思い出したかのような顔になると、

「あ、わたくし、こういうものです」

 と、営業スマイルよろしく名刺を差し出した。


 そう、店先で。


 馴れ馴れしい割には一歩も店に入ってこない。

 僕は恐る恐る名刺を受け取りに男へ近づいた。引っこ抜くように名刺を受け取る。やたらと湿気った名刺には「四海しかい不動産・営業部 四海 雨虎あまとら」と、何とも雄大かつ湿った感じの名前が書かれていた。ふと、そのままの目線で足元を見ると、大きな水たまりができている。 


「不動産屋さん?この間の店舗貸しの?」

 僕は「不動産」から連想することを思わず口に出していた。しかし、どう見ても仕事をする格好じゃぁない。ふらりとバカンスで海辺に立ち寄った観光客だ。


「は~い。先日は大変お世話になりました。それで、また別の良いお話をですね……」

 男が気にもせずそのまま話し出したので、今日は父さんは留守だから、また別の日に来てもらってもいいかと言うと、男は残念そうトーンを下げた。しかし男の目線は僕を通り越して、店の中が気になるのか中に入りたそうに眼をウロウロさせたまま一向に帰る気配がなかった。


「そのーですね。仕事の話ではなく、何と言いましょうか。わたくし古書に目がなくてですね」

「あぁ、そんなことですか、よかったらどうぞ。入って見ていってくださって……」

 店内に目を向け、そう軽い気持ちで言ったつもりだったが、その途端、男は目を見開き、口が裂けんばかりの笑みになった。


「よろしいんですか? つまり招き入れていただけたと? 何と! 招き入れたとっ!」


 僕はその瞬間背筋に冷たいものが走るのを感じ、やっぱダメっ、と叫んだが、時すでに遅し。僕が後ずさったと同じ距離を男は一歩敷居に足をかけた。男の足元からは黒い煤のような紫の煙のようなものが立ち込め、全身を覆うように広がっていく。


「小僧! あの本はどこにあるっ!」


 口から黒いもやを吐き散らかしながら男は問い詰めてきた。

 僕は男のあまりの異様さにビビってしまって体が動かない。男の手が伸び、僕の肩をつかもうとした瞬間――。


 今までどこに居たのか、棚の上からヘイスティングスが男目掛けてダイビング・ボディ・プレスよろしく飛びかかった。そこからのアイアンクロー、とみせかけての引っかき攻撃!


 男はギャアと一言叫ぶと、かれた頬に手を当て、店の敷居から外へとはじき飛んだ。悔しそうに、ほぼ黒目だけになった眼でこちらを睨んでる。あぁ、何だかそういう顔テレビで見たことある。極めつけは手の隙間から紫色の液体がしたたり落ちてる。


 うあぁ……何で紫なんだよ。っつか、これご近所さんにすごく迷惑な状態になってないか?こんな状況で呑気なことを考えてしまうほど、僕はテンパってた。


 ヘイスティングスはといえば低いうなり声で男を威嚇し続けてる。僕の前で物凄い逆毛を立てて、一歩も入れないぞ、と言わんばかりだ。この時ほどあのヘイスティングスがこんなに頼もしく見えたことはなかった。このわけのわからない状況が無事終わったら、エサは一週間連続超高級猫缶にするよ!だからヘイスティングス超がんばって!!


 猫だよりの僕など眼中にないようで、男は歯ぎしりしながら、勇敢な戦士と睨みあい続けたが、戦士の気迫が最高潮に達したと同時に異形の男はそのまま跡形もなく消えてしまった。後には土産の紙袋とそこからはみ出したマカダミアナッツの箱だけが、ポツンと店先に転がっていた。





 家に駆けこみながら、震える手で父さんに電話をかけた。信じてもらえないかもしれないけど、と今あったことを単語でまくし立てた。そんな説明でもなぜか父さんには状況がわかったらしく、

「あちゃぁ。来ちまったか。ダメだろぅ、知らない人家に呼び入れちゃぁ」

 なんて呑気な返事。ヘイスティングスがいなかったら、僕この世にいなかったかもしれないんだよっ。


「だいたい、家に呼び入れたんじゃなくて、店に入ってもいいよって言っただけだからね。そんなことより、アレ何なんだよっ」

「アレ? あぁ、アレはお前、『雨降アメフラシ』だよ。言ってなかったっけ?」

「一言も聞いたことないわっ」

「何も知らん奴だな。まぁ、一度も言ったことなかったからなぁ」

 電話の向こうでガハハハと笑う。


「お前のひいじいちゃんがそいつの片角を取っちまってな。本の中に封印しちまったんだ。だから毎年この時期になると取り返しに来るってわけさ」

 何かさっきから当たり前のようにしゃべってるのが、段々腹立ってきた。どこの昔話だっ。だいたい「雨降」って磯部にいるグニグニした生き物じゃなかったか?僕はエイリアンみたいなやつの話をしてるのに。ってか、どっちにしろ現実的じゃ無い。


「まぁ詳しくは帰ってからだ」

 今日は戸締りして、絶対店には入らんように。そういうと一方的に電話は切れてしまった。

 全く、いつから家はそんな怪しいことができる古本屋になったんだ。






 その日一日は「人体消失!? 紫色の血を流す怪しい男!」なんて見出しで事件になってはいないかと、テレビを見たり、窓の外から商店街の喧騒に耳を傾けたりしたが、店の前はいつも通りで、商店街の理事長さんからも何の電話もかかって来ず、平和そのものだった。逆になんの騒ぎにもなってないのがなんだか怖く、父さんが帰ってくる間ずっとビクビク家の中で過ごしたような気がする。









 その後の僕はというと、相変わらず休みの日はヘイスティングスと店番で、いつもの退屈な日常に後戻り。高級猫缶を開けながら、あの日の出来事は白昼夢だったんだろうか、なんて思い始めてる。胡散臭い話を父さんから電話で聞いたきり、詳しい話はまだ聞けてない。 

 やっぱ夢かぁ。僕は受け取り損ねたマカダミアナッツのことと雨降アメフラシのことを思い浮かべながら、独り言ちた。


 


 ちなみに、父さんから衝撃的な昔話を聞くのは数日後だけど、それはまた別のお話。

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