第13話鎧の秘密

9月25日(水曜日)、今回の定例会は今年度下期の冊子のタイトルを決めるのが目的なのだが、例の如くなかなか決まらない。優花里はめげずに再度[八王子市内の中世城郭]を提案するが、前回同様却下されてしまう。事実上最後の冊子作成に自分の意見を反映させることができなかった優花里は自棄になり、蚕影神社を調べる過程で集めたネタがあるので[八王子市内の養蚕信仰]を提案する。

「いいんじゃない、八王子らしくて」

歴史から離れるのでどうせ駄目だろうと優花里は高を括っていたが、詩織が同調してきた。

「でもぉ、信仰って民俗ですよねぇ。歴史から離れちゃうんじゃないですかぁ?」

「舞さんの言うとおりだけど、養蚕史、あるいは近世産業史であれば、今まで手を付けてない分野だし面白いかもしれないわね」

舞が異論を唱えるが、紗希までが優花里の提案に乗ってきた。

「でもさぁ、産業であれば八王子の範囲だけだとあまり意味ないんじゃないの?産業って八王子だけで自己完結するものじゃないから」

思惑に反して提案が意外な方向に流れて優花里が戸惑っていると、朱美が賛成とも反対ともつかない微妙な発言をする。

「調査対象を多摩地域まで拡大してみたらどうですか?何時までも[八王子市内の]が付いてるとそのうちネタがなくなりますし」

1年生の高坂忍が発言する。

「そうね、ちょっと冒険してみましょうか」

紗希が方向付けた結果、その後の議論で最終的に[八王子の養蚕史 -多摩地域との関わりの中で-]というサブタイトル付のもので冊子のタイトルが決まった。

「昨日、冊子の再校ゲラが届いたから、次の定例会までに各自確認しておいて。校正はこれで終わりだから慎重にね」


「島、関東五枚胴のレプリカ造ったんだって?」

定例会が終わると、聡史が朱美に声をかけた。

(ついに先生にもバレたか・・・)

「あれは趣味で造ったものですから、門外不出です!」

文化祭が近付き、展示物の詳細な検討を進める過程で1年生から話を聞いた聡史が朱美に話を持ちかけたのだが、朱美は間髪入れず拒否する。

「そう言わないで。一度見てみたいな。学園に持ってこれるかい?」

「私も見たいです」

「私も!」

聡史が朱美に頼み込むと、1年生達も一緒になって朱美に懇願する。

「あんなもの朝のバスに持ち込んだら他の人に迷惑かけるし、そもそも私1人じゃ持ってこれませんから」

これだけ言えばこれ以上催促されまいと朱美は高を括り、帰り支度を始める。

「週末に僕が車で取りに行くよ」

何を思ったのか、聡史が意表をついてきた。安直な理由が裏目に出てしまったと朱美は後悔したが、既に内堀まで埋められていた。

「教師が生徒の自宅を無暗に訪問したら問題じゃないですか?しかも週末に」

それでも朱美は頑なに抵抗する。

「何故そこまで嫌がるかな?一度写真持ってきてよ。どんなものか皆で確認しよう」

聡史にここまで言われるともう抵抗できない。朱美は諦めて写真を持ってくることに同意した。


「驚いた・・・これ、細かいところまでよく再現されてるじゃないか・・・下手な博物館の復元よりはるかに正確だ・・・」

翌週、10月2日(水曜日)の定例会で、朱美が持参した関東五枚胴具足の写真を見た聡史が1人で唸っている。優花里をはじめ部員達は何処がどう再現されているのかよくわからないでいるが、聡史は1人で感心して写真を見ながらブツブツ言っている。ちなみに、関東五枚胴具足の遺品は極めて少なく、現在確認されているものは秩父孫次郎所用(彦久保家蔵)、平山伊賀守氏重所用(御霊神社蔵)及び伊澤家蔵の3領のみである。

「今年の文化祭には東京都の教育長が来るって聞いてるけど、見せつけてやろうじゃないか。高校生の部活でここまでできるんだって」

「だから、個人的な趣味で造ったって何回言えばわかるんですか!それに先生、今日は話の語尾が変ですよ!」

聡史の話に朱美は苛立たしげな態度を隠さない。

「すまんすまん、週末にアニメを見過ぎたようだ。しかしだ、ここまで正確なレプリカを造ったのにそこまで頑なにならなくてもいいじゃないか?」

「これ、それなりに調べて造りましたけど、間違いもたくさんあるだろうから皆に見せるの恥ずかしいし、皆の意見聞いてないから部活で造りましたなんておこがましくて言えません!」

朱美は全く態度を変えない。

「写真を見た限りでは間違いはないし、普通見落とす個所も正確に再現されてるじゃないか。単なる寸法取りじゃここまでできない。鎧に対する理解と関東で五枚胴が好まれた理由、武将の美意識のようなものが理解できてないとここまで再現することはできないんじゃないか?考証的には全く問題ない」

博物館や資料館の展示物を見てはあれが違うここが違うと批評し、間違いが酷い場合には学芸員に誤りを指摘する程考証にうるさい聡史が、朱美の関東五枚胴具足に関しては太鼓判を押す。しかし、聡史は真面目に説明しているつもりだが、相変わらず話の語尾がアニメの影響で変化していて、朱美の指摘で気が付いた他の部員達が笑いだしている。

「そんなに部活で造ったものじゃないことを強調したいのなら、後北条氏仕様の関東五枚胴具足、とだけプレートを付けて参考出展扱いにすればいいじゃないか。当然、島の名前はなしで」

「先生が考証的に保障してくれるのならいいですけど・・・でも、私の名前は絶対に出さないでください。約束ですよ!」

聡史が念押しすると、朱美は根負けしたように了解した。


10月6日(日曜日)、聡史が車で朱美の家まで行くと、玄関前のスペースに置いた関東五枚胴具足を入れた段ボール箱の傍らに朱美が立っている。

「あれ、ゆかりんが何故?」

「先生にナンパされちゃった」

聡史の車から出てきた優花里に朱美が驚いていると、優花里が笑って答える。

「誤解を招くようなこと言うなよ。実はね、市街地を走ってたら豊浦が歩いてたんで声をかけたらね、一緒に行きたいって言うから連れてきただけだよ」

「そんな事だろうと思ったよ。先生、トランク開けて」

朱美が車の後ろに回って聡史に催促する。

「そっちはエンジンだよ。トランクはスペアタイヤが占領してるんで、荷物は屋根の上に積むから」

聡史が段ボール箱を屋根に載せて荷造りをしていると、玄関から島教授が出てきた。

「ああ、誰かと思ったら久平先生でしたか?おはようございます、久平先生。何時も朱美がお世話になってます。あら、優花里ちゃんも一緒なの?おはよう、優花里ちゃん。ところで先生、この子、今度は何をやらかしたんですか?」

昨晩、娘が部屋で一晩中ガサゴソしていたかと思ったら、日曜日の朝から部活顧問が家に来て車の荷造りをしている。このような状況を目の当たりにして母親として娘が心配でならないようだ。

(あれ?先生とお母さん、初対面のはずだけど・・・)

何故母親とクラス担任でもない聡史が既知の関係なのか、朱美は怪訝に思う。既に何回か会っているかのように親しげに島教授は聡史に話しかけている。

「おはようございます、先生」

優花里が挨拶をする。

「おはようございます、島教授。実は、お嬢さんが非常に完成度の高い関東五枚胴具足のレプリカを造られたので、それを今回の文化祭に出展させていただきたく受け取りに上がりました」

「何ですか、その関東五枚なんとか、って?」

聡史が説明すると、これまで聞いたことがない単語に島教授は戸惑う。

「お嬢さんが造られた鎧です。御存じなかったのでしょうか?」

「ああ、あのコスプレ用の鎧ですか!そんなに出来のいいものでしたか」

誰もが予期していない意外な言葉が島教授の口から飛び出した。

(コスプレ?)

(これが拒絶した本当の理由か・・・ひょっとして、ひょうたんや竹筒もコスプレ用のアイテムだったのか?)

「お母さん!用が済んだらさっさとあっち行ってよ!」

関東五枚胴具足やひょうたんを身に付けて自己陶酔している朱美を想像して、優花里が吹き出しそうになったその瞬間、赤面した朱美が怒鳴った。

「えっ、何か変なこと言った?」

娘の豹変に島教授は驚いている。

「いいからあっち行って!」

娘の再度の怒声に屈して島教授はしかたなく家に入ってしまった。

「今のことは内緒だからね!絶対に誰にも言わないでよ!特に先生!」

朱美が血相を変えて優花里と聡史に念を押す。

「わかった、わかった。誰にも言わないから」


「屋根に荷物載せてこうして走ってると、色は違うけどルパンの車みたいだね」

「そうだよ、この車、FIAT NUOVA 500なんだよ。まさにルパンの車」

ようやく機嫌を直した朱美が呟くと、聡史が誇らしげにしている。

「先生、どうしてゆかりんが歩いてるのわかったんですか?」

「豊浦って、何時も同じ服着てるだろ?しかも風変わりな。すぐにわかったよ」

朱美が尋ねると聡史は淡々と答える。優花里はこの季節、無地のTシャツにジーンズを基本とし、外出する時には常に黒いシューティングベストを着込んでいる。ただし、同じ種類の服を複数持っているので、数的には人並みに揃えている。

「ゆかりん、何時も同じ服着てるからね・・・」

「何時も同じ服って失礼ね!当然他にも持ってるよ」

「でも、ゆかりんって3パターン程度しか持ってないじゃん」

「恵理香よりましでしょ」

「恵理香を基準にしちゃだめだよ。恵理香、制服の他はジャージと競技用のユニフォームとパジャマしか持ってないじゃん。買い物する時も家に帰る時もジャージだし、そもそも私服持ってないでしょ?」

「・・・何かごっつい防寒着、持ってたよ」

「あれはお父さんの形見を部屋に飾ってるだけだよ。しかもサイズが大きすぎて恵理香には着られないよ」

「・・・」


「この車、カーナビ付いてないんですね」

服装に関してはセンスがないことを優花里自身が自覚しているので、これ以上の追求をかわしたい一心で優花里は話を逸らした。ちなみに、朱美は奇妙なアイテムを携行する悪癖があるものの、それさえなければセンスはかなり良い部類に入る。

「カーナビなんて必要ないよ。幹線道路は全て頭に入ってるし、細かい道は地図を見ればいい。あんなもんに頼ってたらバカになるからね。そもそもGPSコンステレーションはアメリカ空軍が運用してる。この意味、わかるだろ?」

「・・・?」

「へ?」

聡史の思いがけない問いかけに当惑した優花里と朱美は顔を見合わせる。地図情報をたやすく記憶してしまう聡史なら、GPSに頼らなくても目的地に辿り着くことくらい朝飯前であることは優花里も朱美も理解できる。しかし、GPSコンステレーション云々を聡史が何故急に言いだしたのか優花里も朱美も理解できないでいた。

「先生、そもそもGPSコンステレーションって何ですか?」

朱美が聡史に質問する。

「現在位置を計算するにはね、最低4基のGPS衛星が必要なんだ。地球規模で実現するためには最低24基、予備も含めればそれ以上のGPS衛星が必要なんだけど、このGPS衛星群のことをGPSコンステレーションって言うんだよ。地球側から見ればまさに人工衛星の[星座]だよね。このGPS衛星群を運用してるのは民間企業じゃなくて、アメリカ空軍第50宇宙航空団、つまり、軍の機関なんだ。ソ連時代から構築が始まったロシアの衛星測位システムGLONASSもロシア航空宇宙防衛軍が運用してるしね」

「へぇ~、てっきり民間企業のサービスだと思ってた」

「私も・・・」

「便利だ便利だ、って無邪気に言ってるサービスが、実はアメリカ軍から提供されてることの意味を真剣に考えた方がいいね」

「それにしても、何も付いてないんですね、この車」

朱美も車内の簡素さに驚いている。

「僕に言わせれば、今の車は[過保護]過ぎるんだよ。カーナビは当然で操作はコンピュータ制御、バックする時はカメラで確認とかね。こういうの、人をダメにするだけだと思わないか?基本的なことができないのであれば、免許を与えなければいいんだよ。車を1台でも多く売るためにはどんな下手糞でも最低限のことができるようにしなければならないから、こんなふざけた状況になるんだ。極端なこと言えば、自分で修理できないなら、車に乗るべきじゃないんだよ」

「・・・」

「2人共、人が生きてくために本当に必要な物は何なのか、時間をかけてじっくり考えてみたら?あったら便利、ってのが実は大部分必要無いことがわかってくるよ、きっと」


「あれ、紗希ちゃんじゃない?」

八王子駅の近くまで来ると、朱美が左側の歩道を歩いている紗希を見つけた。紗希の家は八王子市めじろ台にある。ショッピングバックを左肩に下げているので、どうやら八王子駅界隈まで買い物に来たようだ。

「どこどこ?」

優花里が狭いリアシートから前を覗き込もうとするが、なかなか見えない。

「ほら、この通りの左側の歩道。先生、車止めて」

朱美が聡史に指示すると、聡史は紗希に近付き徐行して軽くクラクションを鳴らした。

「紗希ちゃ~ん!」

助手席に座っていた朱美がサンルーフから身を乗り出して手を振る。

「朱美さん?それに先生と優花里さんも?3人で何してるの?」

「部室に例の鎧を運ぶ途中なんだ。紗希ちゃんも来る?」

聡史が車を止めると、朱美が紗希を誘う。

「あの鎧、私も見たかったの。ちょうどいい!」

「じゃ、ちょっと狭いけど後ろに乗って」

聡史は紗希をリアシートに乗せると、一行は学園に向かった。


学園に着くと聡史は車の屋根から段ボール箱を下し、そのまま部室に行こうとする。

「先生、鍵は守衛室じゃないですか?」

「マスターキーをコピーしたから」

一旦守衛室に行きかけた紗希が聡史を追いかけるが、聡史は段ボール箱を運びながら無表情で答える。

「マスターキーをコピーって・・・また何してんですか!先生がそんなことしていいんですか!」

「いちいち面倒じゃないか。何か起きれば同じなんだし」

「・・・」

(私達の知らないとこで何してんだろ、この先生・・・)

言うことはもっともであるが、臨機応変だが規則といえども不合理な規則であれば平然と無視する聡史という人物を紗希はどうしても理解できずにいた。


結局、聡史がコピーしたマスターキーで部室に入った4人は、段ボール箱の中から関東五枚胴具足を取り出して組み立てた。

「立派なものね。朱美さん、造るのにどれだけかかったの?」

「少しずつ造ったから・・・そうだね、10ヶ月位かな?」

紗希が朱美に尋ねると、朱美は少し考えてから答えた。

「そんなにかかったの?」

優花里と紗希は驚いて顔を見合わせる。

「これだけ細かい個所まで丁寧に造ろうとすると、事前調査にも時間がかかったんじゃないかな?」

これだけの精度でレプリカを造ることの困難さを聡史も十分知っている。事と次第によっては、造る時間より調査時間の方が長くなることも理解できる。

「意外と小さいものなのね・・・」

「戦国時代の男子の平均身長って、157cm程度っていうじゃない?今の基準で考えちゃダメだよ」

紗希が呟くと、朱美がもっともらしい説明をする。

(朱美の体格に合うように造れば鎧も当然小さくなるよ。朱美だって女の子なんだから)

朱美の身長は158cm。紗希は朱美の説明に頷き納得したかのようだが、優花里は心の中で突っ込んだ。


「さて、今日の作業はこれで終わりだ。ちょうど飯時だから皆で飯食いに行こうか。奢るよ。何がいい?」

「やった!ラッキー!」

聡史が3人を誘うと、3人は小躍りしている。

「先生、ホントにいいんですか?奢ってもらって」

「いいんだよ、遠慮しなくても」

「ゆかりん、最低3人分は食べますよ」

「あっ!」

朱美の念押しで優花里の大食いを思い出した聡史はしまったと思いつつも、もう後には引けないので後ろを振り向くと財布と相談する。

「私は久々にピザ食べたいな」

聡史の動揺を嘲笑うかのように優花里がリクエストを出す。

「3枚+αね・・・」

「じゃ、私はパスタがいいな」

聡史が力なく呟くと、朱美もリクエストを出す。

「じゃ、駅前のラ・パウザ、どう?」

紗希は暫く思案を巡らし、[お勧め]の店を紹介した。

「行ったことないけど、紗希ちゃんのお勧めならOK!」

「私もそこでいいよ」

「よし、じゃ、行こうか・・・」

聡史がマスターキーで部室を締めると、4人は部室を後にした。


「食べた、食べた。美味しかったね」

店から出てきた優花里は満足そうに笑みを浮かべている。

「ゆかりん、ピザ、4枚も食べたからね・・・」

優花里の大食いは毎度のこととはいえ、朱美は呆れたような口調で呟く。メニューを見て検討した結果、ピザを単品で注文するより【食べ放題】パーティーメニューの方がお得であるという結論に達した優花里は、ピザを4枚も食べてしまったのである。

「先生、御馳走様でした。私は約束がありますので、これで失礼します。優花里さん、朱美さん、明日、学園でね」

支払を済ませて聡史が出てくると紗希は聡史に礼を言い、八王子東急スクエアに向かって歩いて行った。

「僕は島を送ってくよ」

「朱美、また明日ね」

「じゃね、また明日!」

(お昼も食べたし、図書館に行こう)

優花里は朱美と別れると、日本城郭大系の全巻を収蔵している八王子市中央図書館のある西八王子駅を目指してブラブラと歩きだした。

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