第4話歴史研究会 VS 陸上部

「豊浦さん、いるかな?」

GWが明けた5月7日(火曜日)の昼休み、食堂で食事を済ませた後に、教室で優花里、郁美、恵理香の3人が談笑していると、2人組が教室に入ってくる。

「あちゃ~、主将が来ちゃったよ・・・」

恵理香が思わす口にする。

「あの人、陸上部の主将?」

「うん。去年、全国大会(第65回全国高等学校対校陸上競技選手権大会)の走高跳で優勝したんだ。高校女子歴代4位でね、現役の高校女子に限れば全国トップの記録保持者なんだよ」

優花里が恵理香に尋ねると、恵理香が誇らしく説明する。

「それにしても綺麗な人だね・・・紗希ちゃんと甲乙付け難い」

優花里がまじまじと見ていると教室がざわめき始めた。

「背が高くて、まるでモデルさんみたい」

「陸上部がどうしたの?」

「主将自ら来てるんだよ」

「生徒会長もいる。何で?」

皆、陸上部主将と生徒会長のいきなりの訪問を訝しく感じていた。

「私に何か・・・」

「体育祭での活躍、素晴らしかったね。100mの記録も200mの記録も全国大会で十分通用する。是非、陸上部にきて」

優花里が2人組に尋ねると、理恵が簡潔に用件を説明する。

(何か、去年のマラソン大会の後に教室に来て、朱美に言ったセリフと同じような・・・)「あの・・・私、走るの好きじゃないし、体育会系って嫌いですから」

(何、この直球!)

「その才能を塩漬けにするのはあなたにとって損失よ。私達が持ってる時間って意外と短いの。チャンスは思ってるより少ないのよ」

優花里がストレート過ぎる身も蓋もない返事をするので理恵は一瞬困惑するが、すぐさま説得を再開する。しかし、優花里は陸上競技に全く関心を示さないばかりか、屁理屈を並べて明らかに拒絶している。

(これじゃ埒が明かない・・・)

「また来るからね」

いきなり長時間勧誘しても効果なしと判断した理恵は、微笑みながら優花里の肩を軽く叩くと、キョトンとしている優花里に軽くウインクして教室を出て行った。

「才能は伸ばさなきゃダメだよ。もったいないからね」

生徒会長はやんわりと優花里に陸上部への勧誘をすると理恵の後を追う。

「麻宮(生徒会会長の麻宮玲奈。3年生。任期は5月15日の生徒総会まで)、生徒会からもプッシュ、お願いね」

「OK!」

追いついてきた玲奈に理恵は声をかける。

(島朱美といい、豊浦優花里といい、練習もしてないのに強豪である我が校陸上部の選手を上回る記録を出すなんてね。面白い子達だ・・・)

廊下を歩きながら、理恵は思わず笑い出した。


「豊浦先輩、クラス対抗リレー、すごかったですね!すごく憧れちゃいます!」

「友達に自慢できます!」

「練習もしてないのに何故あんなに速いんですか?」

「中学の時、陸上のエースだったんですか?」

翌日の放課後、定例会に出るために優花里が部室に行くと、1年生達が優花里に駆け寄り矢継ぎ早にまくしたててきた。

「今日はモテルね、女子に」

部室に入るなり1年生達に囲まれて優花里が固まっていると、朱美までがニヤニヤしながら優花里をからかう。

「豊浦先輩、クラス対抗リレー、本当にありがとうございましたぁ」

舞が一歩離れた場所から優花里に礼をする。

「ゆかりん、新聞部のウェブニュースの記事だとクラス対抗リレーの記録、200mで23秒90、これ高校女子歴代8位だって?参考記録とはいえ、いきなり歴代8位だからね。これじゃ陸上部が黙ってないよ。どうする?」

「昨日、昼休みに陸上部の主将と生徒会長が勧誘に来たけど、断ったよ。私、他にすることあるしね」

朱美が相変わらずニヤニヤしながらからかうと、優花里は鬱陶しそうに反応する。

「そうだろうね。攻略すべきお城、たくさんあるからね」

「もったいないですよぉ~」

「歴代8位なら都大会(東京都高等学校陸上競技対校選手権大会)で優勝できますよ」

「賞を取れば入試も有利になるじゃないですかぁ?」

「それに、そんなにお城、大切ですか?」

朱美が相槌を打つと間髪入れず1年生達が言いまくる。

「はいはい、それまで。定例会を始めるよ」

紗希が手を叩きながら場をまとめ定例会が始まった。


「優花里さん」

定例会が終わると、紗希が微笑みながら優花里に声をかけた。

「陸上部が煩いようなら私に言ってよ。いくら陸上部がこの学園の華と言っても所詮高校生の部活、私達と同じなんだから」

「ありがとう、紗希ちゃん・・・」

「たまには部長らしいことしないとね・・・」

意外な紗希の声かけに優花里が半ば感激していると、紗希は笑いながら呟いた。


その後、陸上部と生徒会の優花里に対する勧誘は頻度を増し、ついに朱美にも勧誘の手が延びてきた。

「先生、何とかならないんですか?陸上部、特に主将と副主将の2人、まるでストーカーですよ。生徒会も陸上部の太鼓持ちして煩く勧誘してくるから食事もゆっくり摂れない・・・もう限界です」

5月15日(水曜日)、定例会後に陸上部の執拗な勧誘に堪り兼ねた優花里と朱美が聡史と紗希に相談する。

「まだ陸上部の顧問やコーチは出てきてないよね。彼らが出てくれば職員会議で問題にできるんだけど、今は生徒同士の交渉にすぎないからね。それに、家にはまだ来てないだろ?陸上部の主将もよく考えて行動してるよ」

八王子女子学園には、法に抵触さえしなければ教職員が介入することなく学園生活を生徒の自治に委ねる伝統がある。さすがの聡史も学園の伝統を盾に教職員を介入させない理恵の巧妙な手口にお手上げ状態のようだ。

「先生、生徒同士の交渉、であればいいんですね?」

紗希が口を開いた。

「部長、何を考えてる?」

「私が陸上部の主将と直談判します。優花里さんと朱美さんへの執拗な勧誘で部活にも支障が出てきてますから。大勢で行くと大袈裟になるので、私1人で行きます」

紗希は毅然と答えた。

「相手が入部を棚に上げて、妥協したように見せかけて大会出場だけを誘うかもしれないけど、大会に出て好成績を残したら外堀どころか内堀まで埋められかねないからね。部長、この点はくれぐれも注意して。豊浦と島は短距離と長距離で全国大会レベルの記録を必ず出すから。豊浦も島も、大会に出場した以上わざと手を抜くような姑息なことができない性格だからね。2人の公式記録が明らかになったら、大学や実業団が間違いなく動き出すし、日本陸連(公益財団法人日本陸上競技連盟)も黙ってないだろう。話が学園の外に出てしまうと僕達だけじゃ対応できなくなるよ。それと、豊浦と島は一般的なアスリート達と違って、中学生以来の技術的理論的裏付が全くないことが最大のリスクになる。仮に陸上の世界にこれから無理矢理押し込まれたとして、途中で事故や怪我で選手生命が絶たれた場合にはこうしたバックボーンが無いためにコーチとかの指導者として陸上の世界に残ることが絶望的だということだ。悪い言い方をすれば、簡単に捨てられてしまう可能性が高いんだよ。こうしたリスクは絶対に避けなければならない。何よりも大切なのは、学園がどうこうとかいう理屈より、豊浦と島の意思だからね。ここを絶対に曲げないことだ」

聡史は紗希に忠告する。

「わかりました。アドバイスありがとうございます。これから陸上部と話し合いの日取りを決めてきます」

紗希は部室を出て行った。

「紗希ちゃん、勇ましいね・・・」

「紗希ちゃんまで巻き込んじゃったね・・・」

朱美と優花里は、紗希が去った後のドアを見つめながら呟いていた。


5月17日(金曜日)、紗希と理恵の話し合いの当日、置いてきぼりを食った優花里と朱美は、1年生を聡史と詩織に押し付けて陸上部の部室を覗きに行くために部室棟の裏手の雑木林を歩いていた。

「紗希ちゃんが陸上部の主将に直談判するなんて、よほどのことでしょ?」

歩きながら朱美が優花里に話しかける。

「紗希ちゃんにしてみれば、花形部活の横暴に一矢報いたいのかもね」

優花里は自分達とは関係のないところで、紗希の個人的な動機があるのではないかと勝手に判断していた。

「だけどさぁ、当事者は私達なんだし。絶対についてくるなと言われてもねぇ・・・」

「まぁ、私達がいたらややこしくなるだけかもしれないけどね」

「ここかな、陸上部の部室は」

「この窓、ちょっと高いね」

「あそこにビールケースが転がってる。あれ使おうよ」

「ってか、何で部室棟の敷地にビールケースが転がってるの?」

優花里と朱美は近くにあったビールケースを外壁に寄せて、その上に乗り窓の外から陸上部の部室を覗いた。声は十分聞き取れないが、雰囲気はわかる。

「おおっ、やってるやってる!頭脳明晰な美形と身体能力抜群の美形の直談判って迫力あるねぇ」

朱美が呟く。

「紗希ちゃん、何時も表情がきついし物事をやたら仕切るから誤解されるけど、本当は優しい子なんだよ」

「えっ?」

驚いた優花里と朱美が後ろを振り向くと、詩織まで覗きに来ている。

「詩織も来たの?」

朱美が詩織に尋ねる。

「部長同士、っていっても相手は3年生でしょ。やっぱ心配じゃん」

詩織は朱美に答えながら、ビールケースに無理矢理割り込んできた。1つのビールケースに3人が乗っているのでどうしても不安定になる。しかも、ビールケースを置いた場所には地面に妙な凹凸があり、そもそも安定していない。

「ちょっと、詩織、そこ・・・うわ!」

3人がそれぞれバランスを取ろうとするので、ついに朱美が崩れ落ちた。

「何だ?」

陸上部の部員が窓に駆け寄ってくる。窓の外には尻餅をついた朱美とビールケースの上に乗ったまま固まっている優花里と詩織がいた。

「そこの人達、外から覗いてないで入ってくれば」

部室の中から理恵の声が聞こえる。見つかってしまった優花里、朱美、詩織の3人は、部室棟の中に入ると陸上部の部室のドアをノックした。

「どうぞ。あら、島さんと豊浦さんね。当事者が覗きに来るとはね・・・」

「あなた達、何しに来たの?あれほどついてくるなと言ったのに・・・」

理恵が微笑みながら3人を部室に招き入れると、紗希が迷惑だと言わんばかりの顔をして優花里達に問い質した。

「いや、その、紗希ちゃんが心配だったもんで・・・」

優花里も朱美も、本当は興味本位の要素が多分にあったのだが、朱美がもっともらしく取り繕った。

「菊池さん、いい仲間を持ってるわね。豊浦さん、島さんもだけど、一度大会に出て公式記録を残してみたら。公式の記録を残すことは決して損にはならないでしょ?陸上部に入るかどうかはそれからでもいいわけだし」

(先生の言ってたとおりの展開になってる・・・)

「だから、そういう外堀を埋めるようなマネは止めて下さい、ってさっきから言ってるんです!あの子達が好記録を出せば、学園内部だけの話じゃなくなるでしょ!大学や実業団が血眼になって勧誘してくることは目に見えてます。あの子達にはあの子達なりの夢があるんです。その夢を踏みつぶす権利が誰にあるんですか!」

優花里と朱美が聡史の洞察に驚いていると、紗希が間髪入れずものすごい剣幕で理恵にたたみ掛ける。

(紗希ちゃん、本気で私達のことを・・・)

優花里は紗希の本心を完全に見誤っていた。紗希が自分と朱美のためだけに1人で理恵との直談判に臨んだことをやっと理解した優花里は、紗希の動機が別のところにあると勝手に決め込んだ自分を恥じていた。

「いい機会だから島さんと豊浦さんに聞くけど、あなた達の本心はどうなの?」

「私は・・・私には今、大切にしてる目標があります。この目標の実現は誰にも邪魔されたくありません!」

「私もゆかりんと同じです。意思に反して無理矢理陸上やらされるくらいなら、私、この学園を辞めます!」

紗希の攻勢に勢いを得た優花里と朱美は、理恵の問いかけにこれ幸いにと言いたいことを言い出す。

「・・・負けたよ・・・小倉、この話はなかったことにするわよ。菊池さん、今回は揉めてしまったけど、これからは同じ学園の部活同士、仲良くしましょうね」

しばらく沈黙した後、理恵は根負けしたかのようについに折れた。だが、理恵の表情には陰りが一切なく、部員のために単身で乗り込んできた紗希を讃えるかのように優しい微笑みを浮かべている。

「わかってくれてありがとうございます。先輩には勢い余って酷いこと言ったかもしれませんが、御勘弁ください。ほら、あなた達も・・・」

紗希が優花里と朱美に催促する。

「ありがとうございます!」

優花里と朱美は理恵に頭を下げた。


「優花里と一緒に走りたかったんだけどな。私としては残念な結果だけど・・・よかったね。優花里はいい部長の下にいるよ。うちの主将もなかなかのもんでしょ?」

優花里が部室を出ようとすると、恵理香が声をかけてきた。郁美も部室の中から優花里を見ている。

「うん、懐の大きい人だね。喧嘩別れしなくてよかったよ」

「次は負けないからね」

挑戦者の眼になった恵理香は、優花里の肩を叩くと部室に戻って行った。

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