第二話 束馬懸車

 目の前の車道は、彼が通学の時利用している路線バスが通るルートのうちの一つだった。そしてここは、そのすぐ横に位置している、畑だろう。十メートル四方で、奥のほうには、小さな物置小屋が建てられている。今の時期は、何も栽培していないのか、農作物はおろか、畝すら作られておらず、平坦だった。

 博の、「ここがどこだかわかった」というような声につられたらしく、他の四人がぞろぞろと、自分たちの乗っていた車両の右側にやってきた。「ここだったのですのね」「ふうん、ここかい」「ああ、ここっすか」「なるほど、あの畑ね」と口々に言う。

「でも、おかしくないかい?」由弘がそう言って両手を広げた。「あの畑は、せいぜい、百平米くらいしかなかったじゃないか。でもここは、それよりも広そうだ。それになぜ、こんなにたくさんのバスが駐車されているんだい?」

「もしかしたら、似ているだけで別の場所なのかもしれないっすね」藤が答えた。

「ここから、外に出れるみてえだが」博は錠前を手で弄んだ。「見てのとおりロックされていて、出られねえ」

「ちょっと、見せてくださいませんか?」

 巴里華がそう言い、出入り口に近づいた。博から受け取った錠前を手に持ち、それに顔を近づけ、「やっぱり……見覚えがありますわ」と呟いた。

「見覚え? たまたま、同じ製品を持っていたのかい?」

「違いますわよ。……実はこの畑、わたくしの祖父が所有し、耕作を行っておりますの。わたくしも、ここにはたびたび訪れ、農作業を手伝っていたのですけれど……この錠前は、あの、物置小屋にあったものと同一ですわ」

「たまたま、同じ製品ってだけで、実はまったくの別物なんじゃないっすか?」

「そんなわけはございませんわ。ご覧くださいませ」巴里華は錠前の裏側を見せた。「ここに、『えみづきじゅうや』とマジックで書いてありますわね? これは祖父の名前で、わたくしが幼い頃に書いた落書きですわ。筆跡も同じのようですし」

「なるほど、それなら確かに、あんたのお爺ちゃんが持っていたという錠前と同一という証拠になるわね」莉々は、うんうん、と頷いた。「で、その鍵は、どこにあるのよ?」

「たしか、物置小屋に保管しているはずでございますわ」

「小屋は、畑の奥にあったな」

「辺りはバスで塞がれているわ。そこへ向かうとなると、あの、私たちが乗ってきた車両の左側に、直列に並んでいる二台のバスの切れ目から伸びている、通路のようなところを進むしかないわね」

「では、とりあえず、そちらへ向かってみましょうか」

 巴里華のその発言に、他の四人は頷いた。


 五人は、前に博と巴里華、真ん中に由弘と藤、後ろに莉々、という順番で、通路を進み始めた。そして、十メートルほど──バス一台分進んだところで、丁字路に出くわした。

 博は、両方の通路に目を遣った。右の通路は、入って十メートルばかりで左に、左の通路は、入って約十メートルで右に折れていた。どちらも、駐車されたバスが壁の役目を果たしていた。

「どっちへ行こうか?」由弘が、他の四人の顔を見回し、言った。

「どっちでもいいと思うっすけど……まあ、とりあえず右に進んでみたらどうっすかね?」

 他の三人も、「そのとおりですわ」「俺もそう思う」「そうね」と、同意した。一行は、右の通路を進み始めた。

 数分後には、再び、丁字路に戻ってきていた。右の通路が、左に折れて二十メートルほどのところで、行き止まりになっていたからである。今度は、左の通路を進み始めた。

 その後、五人は、右に折れ左に折れ、十字路を直進した。左に折れ、丁字路を右に折れ、十字路を左に折れる。行き止まりになっていたので、十字路に戻り、直進し、次の十字路も直進した。その次の十字路では左に折れ、右に折れ、しばらくまっすぐに進む。そこが袋小路であるとわかったのは、その後、左に折れた直後だった。通路はすべて、左右に駐車されたバスが、壁の役目を果たしていた。

「ああ、もうっ!」莉々が絶叫した。「なんなのよ、これは! 巨大迷路?!」

「それにしても」巴里華が中腰になり、はあ、と溜め息を吐いた。「疲れましたわね……」

「じゃあ、ちょっと、休憩がてら、バスの中に入ってみるか?」博はそう言い、近くの車両を指差した。「もしかしたら、何か、物置小屋に辿り着くためのヒントみたいなものがあるかもしれないし」

 他の四人も、彼の意見に同意した。そして一行は、バスの中に入った。博と莉々と由弘は、あまり疲れていないのか、席には座らず、いろいろなところを調べて回っている。巴里華と藤も、席に座ってはいたが、辺りをきょろきょろと見回し、手がかりを探すのを怠ってはいなかった。

 ううん、と由弘が腕を組み、唸った。「どうも、ヒントになるようなものは、なさそうだね。エンジンキーは差さっているけれど、前後に隙間なくバスが駐車されているせいで、動かせないし」

「じゃあ、そろそろ、行くっすか」藤がそう言い、立ち上がった。

 一行はその後、さらに、近くにある二台のバスを調べた。しかし、何の手がかりも得られなかった。唯一、博が違和感を覚えたことといえば、車内広告が、どれもまったく同じだということくらいだ。内容はおろか、汚れ具合や破れ具合といった見た目まで一緒なのである。

 五人は三台目のバスから出ると、十字路に戻った。左に折れ左に折れ、右に折れ右に折れる。丁字路があったので右に折れ、十字路があったので左に折れた。

「ちょっと待って」莉々が唐突にそう言い、立ち止まった。「何か聞こえない?」

「何かって、何──」

 博は台詞を途中で切り上げた。ブロロロロ、という、何かのエンジンのような音と、ジャリジャリジャリ、という、土が踏まれるような音が、彼の耳にも届いたためだ。

 それらは、前方から聞こえてくるようだった。しばらく、目の前の通路の、数十メートル先の突き当たり、右への曲がり角を、見つめる。数秒後、オレンジ色の軽ワゴンが、ぬっ、と出てきて、角を折れ、こちらに向かってゆっくりと走行してきた。

 あれっ、と巴里華は叫んだ。「祖父の車ですわ」そう言って、車に近寄り始めた。

 博は目を凝らし、軽ワゴンの運転席を見つめた。

 誰もいない。

 後部座席や助手席はおろか、運転席にも、人がいないのだ。それなのに、どういうわけか、軽ワゴンは、こちらに向かって走行している。

 巴里華も、その異常に気付いたようだった。車まであと十数メートル、というところで、ぴたっ、と立ち止まった。

 次の瞬間、軽ワゴンは、唐突に、急加速した。

 博は目を瞠り、びくっ、と全身を震わせた。思わず、数歩、後ずさる。

 巴里華は、やり過ごそうとしてか、左のバスの側面に、ぴったりと背中をつけた。

 直後、軽ワゴンも、同じ車両の側面に、ボディを擦りつけ始めた。巴里華は、「えっ、ちょっとっ」と大声を上げた。

 車はそのまま、彼女を撥ねた。巴里華はボンネットに乗り上げると、フロントウインドウに頭をぶつけてヒビを入れ、そこから血をスプリンクラーのごとく撒き散らしながらボディ上部を飛び越えた。

「うわっ!」

「クソが!」

「嘘っ?!」

「きゃあっ!」

 残された四人は、阿鼻叫喚となった。

 身を翻し、少しでも軽ワゴンから離れようと、全力疾走する。由弘は十字路で右に折れ、藤は左に折れた。博と莉々は、直進した。

 軽ワゴンは、二人を追いかけてきた。右に折れ左に折れ、丁字路を左に折れる。猛スピードで、ストレートでは、彼らの後ろに振り上げた足がフロントバンパーを掠めるほどに近づかれたが、曲がる前に減速しているおかげで、ぎりぎり、追いつかれはしていなかった。

 二人は、右への曲がり角を折れた。そこは、約十メートル進んだところで、行き止まりになっていた。

「クソっ! 行き止まりだわ!」莉々が絶叫した。

「いや、まだだ!」博が彼女の手を引き、走り出した。「バスの中に逃げ込むぞ!」

 見ると、左右に停められているバスのうち、右側の車両のみ、突き当たり付近に前乗降口があった。二人はそこ目指して、全力疾走した。後ろから、角を曲がった軽ワゴンが、急加速して追いかけてきている。

 まず博が、バスの中に入った。次に莉々が、直前でジャンプし、乗降口に文字どおり跳び込んだ。その直後、背後を、急ブレーキをかけた車が通り過ぎ、突き当たりのバスにぶつかって、ぐしゃっ、と音を立てた。

 軽ワゴンは、しばらくの間停まっていた。衝突の拍子に故障したのか、と博は思ったが、そうではないらしく、数秒後、ゆっくりとバックした。フロントはぐちゃぐちゃになっていたが、まだ動けるらしい。それからは、後退したまま、曲がり角を左に折れ、見えなくなった。

 莉々は振り返り、彼の顔を見た。「どうしましょう?」もはや、喧嘩などしている場合ではないと判断したらしい。

 博も、同じ気持ちだった。彼女の顔を見る。「どうするって……」

「通路に戻っても、軽ワゴンが、後退したと見せかけて待ち伏せしている可能性もあるわ」

「なるほど……そうだ」博は指を鳴らした。「バスの出口は、中扉と前扉以外に、もう一か所ある。そこから出よう」

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