act.008 Casket



 ◇



「当たり前だけど、ロックはかかってないよね?」


 問いかけたゼロの横でL777は鉄壁のような外壁を見上げていた。いつぞや、ゼロがレーザーで射貫かれるかと思った、そう言っていたのを思い出しての行動だった。


『はい。電子システムは一切稼働していません』とアン。


 2人は目の前のドアを黙って見つめる。


「……このドアをいつも利用してたんですか?」


「いや」とゼロは首を小さく横に振った。

 1歩前に出て岩盤のようなドアに手を伸ばし、ノックするように叩く。


「これは要塞化したときに出てくる障壁だったはず」


 ノック音は非常に硬く、おそらく今の靴で蹴り飛ばしてもへこみはしない。

 ドアでないのなら、横に引いても、押しても、開かないだろう。

 下手したら、車両で突っ込んでもびくともしないかもしれない。


「申請、電磁砲」

『ゼロさん、待ってください。基地内に稼働中の場所があることが分かりました』

「なに。どゆこと?」とゼロは銃を構えたまま、耳に意識を傾ける。

『電気が通ってる、という事です』

「……え、なに、誰かいんの?」

『それはちょっと待ってください。今、遠隔で基地の電源に手を出してるところなので……――よしっ』


 ガコン!という何かの音がして、L777は慌ただしく周囲を見渡す。

 目の前の鉄壁が、ゆっくりと上に上がり始めていた。

 わずかながら砂埃が立ち上がる。


「……アン、妨害とかはされてねェの?」

『はい、今のところは』

「誰かいるかもしれねェのに?」

『誰かいるのかもしれないのに、です』


 んー、とゼロが唸る。

 何か心当たりがあるのかと、L777はゼロの次の言葉を黙って待った。

 だが、彼は片足に体重をかけ、腕を組み考える素振りをするだけだった。


 防壁があがり、その隙間がくぐれるほどになると、ゼロはするりと潜り抜けた。


「えっ」


 L777はその場にしゃがみ、隙間から中を覗く。

 覗く分には十分な隙間かもしれないが、潜るとなるとまだまだ狭い。

 けれど、ゼロの足取りは遠ざかっていく。もう唸っている様子は無く、ただ目の前の任務を遂行することだけを考えているようだった。

 なんとなく、1人で行かせるわけにはいかない気がして、L777は這いつくばるようにして中に身を滑り込ませる。


「ちょ、ゼロさん、待って」


 何も考えずに這いつくばったL777は自分の背に銃を背負っていることを忘れており、勝手に手こずる。慌てて声を先に中に入れると、「あ?」と反応があった。


「大丈夫か?」


 匍匐前進の要領で中に入ると、ゼロが手を伸ばして待ち構えていた。

 ありがたくその手を借り、L777は立ち上がる。そして膝あたりの砂をはたき落とした。

 腹部の砂を払いながら顔を上げる。


 基地内はアンのおかげで電気が既に点いていた。

 だが、蛍光灯や電球といった発光する本体がいくつも割れている。

 内部も外部と同じように、荒れていた。


 L777は銃身の長い自分の銃を両手で構え、それを自身の方へ引き寄せた。


 埃の匂いがする。他にも。

 鉄臭い。それは血液の匂いなのか、本物の鉄の匂いなのか。


 エントランスを一目みるだけでも惨状が分かる。落ち着いた暗い色で統一された壁も床も抉られたような傷口をいくつも抱えている。そして中央にはマネキンのような人型のものが重ねられるようにして放り出されている。

 人なのか。アンドロイドなのか。

 どの人型も辛うじて分かる兵服を身に纏っていた。それがきっと西軍の兵服なのだろう。


「アン、昇降機動くか?」


 しん、と静まりかえった空間にその声が拒まれるように反射した。


『動きます』

「オーケイ」


 そのやりとりがL777の意識を任務につなぎ止めた。


「昇降機に乗るんですか?」

「そ。ここのラボは地下だから」


 振り返りながらゼロはそう言い、歩き出す。

 マップは送られてきていない。けれど迷い無く歩き出す。

 東軍の格納庫で迷子になるような人なのに。

 東軍の訓練室の場所さえ忘れてしまうような人なのに。


 ゼロが歩き出したとき、カツンカツンと音がした。

 初めて聞く足音のような音。信じられずに耳を澄ましたが、次の瞬間にはもう音は消えていた。


 基地内は攻められたときのことを想定し、迷いやすく設計される。

 どこを通るか分かっているためか、彼の足取りはいつもより速いような気がした。

 脇見もせず、ひたすら真っ直ぐ歩く。


 確実に基地の奥へと進んでいく。


 通路には必ずと言って良いほど何かが転がっていた。

 見たことがあるような機械兵や、見慣れたくない無残な肌色とか。天井も壁も床も煤で黒くなった箇所とか、同士討ちをしたかのような原型を保った肉塊だったりとか。ぐったりとこちらを見るように横たわる人間だったものとか。


 全員赤の他人だ。敵だ。あんなことが無ければ、もしかしたら自分が手を下していたかもしれない存在だ。

 ぐっと堪えて、その現状を受け入れる。

 目をそらしてはいけないような気がした。だって、前を歩く男がそれをしていない。


 しばらく歩いていると、ゼロが立ち止まった。

 向かって左をじっと見たまま固まっている。

 そこには自分たちと同じ姿をした機械色が1人、横たわっていた。


 知り合いを見つけたのか。だが、ゼロの目はいつもよりずっと鋭く見えた。

 いつもの垂れ気味の目尻の面影を思わせない、細く射貫くような、ここまで警戒している姿を見るのはもしかしたら初めてなのではないのか。


 ただの知り合いではなく、因縁でもあるのか。

 L777はわずかに顔をそちらに向けて、その死体の頭部から足先まで視線を動かした。下までいった目を再び顔あたりまで戻すと、ゼロが動いたのが分かった。


 バッと銃を構える。

 静止する前に、すぐさま引き金を引いた。


 銃口から光が放たれる。

 何で、そんなことを。いくらなんでも、そんな。


 だが、その言葉を一気に飲み込むことになる。

 死んだはずのそれは何故かむくりと起き上がって、襲いかかる寸前だった。


 ゼロに射貫かれたため、すぐさま再び横たわったが、今確かに起き上がった。


「……なんで」

「この代は確か心臓まで人工だから、ぶっちゃけ死の概念がなかったはず」


 心臓。人工。死。

 ゼロの弾は左胸に穴を開けた。


「……人、なんですか」


 不謹慎だとは思った。この男に聞くことではないとも思った。

 だが、信じられなかった。

 肌色の箇所なんてどこもない。頭部も、脳みそも、顔も、眼球も、肩も、肘も、膝も、指先も。全部が残っている。全部が灰色をしている。

 腐らずに残っている。当たり前だ。さび付くことはあっても、機械は人肉のようには劣化しない。


「人だよ」


 臓器も全部人工物だけどね、と。


「……死んでるんですよね」


 滅びたのだ、ずっと前に。もう何年も前に。

 何年も何年も、死んでいた。死んでいた、はず。


「死んでるよ」


 心臓とか再起動するけどね、と。


「まぁ、潰したからもう動かねーと思うぜ」

「……誰だったんですか、この人」


 聞くべきじゃないとは思ってた。けど、口からもう出ていた。

 ゼロの人らしい反応を確認したい――なんでそう思ったのか分からない。


 L777の声は建物が吸収するかのようにすぐに聞こえなくなった。

 空耳かとすら思った。


 ゼロは聞き取れた言葉をしばらく反芻した。

 誰だったんですか、この人。

 誰。こいつ。

 そんなの――。


「顔ねーから、分かんねェわ」


 皮膚はもう無い。髪も。

 量産型に改造されたかつての味方の、誰か。

 年下なのか、年上なのか。上司だったのか、部下だったのか。

 けど関係ない。

 誰を殺したのか、そんなの今更だった。

 味方を殺すようなことを始めたのは、何も異動してからでは無い。気づいたときからずっとそれをやっていた。この建物に属していたときからずっと。


 あいつだったら嫌だな。あいつじゃなければいいな。そう思う相手すらいない。

 ――別に、誰でもいい。


「……すいません、変なこと聞きました。先行きましょう」


 L777が自分の横を通り過ぎていく。顔を伏せ気味に。

 その後ろ姿に目を配る。

 東軍の軍用ベスト。

 西軍とは違う、今自分が着用しているものと同じ。


「……、」


 目の前に横たわる死体を見下ろす。

 それから、自分たちが通ってきた通路を振り返る。

 見覚えのある通路。何度も往復した通路。仲間と語り合った通路。

 ここは、この場所は、かつて、自分にとって――。


 今の自分と同じ靴を履いている足音が遠ざかっていく。振り返る様子も、止まる様子もない。段々聞こえなくなっていく。

 かわりに自分の息づかいが聞こえてくる。

 浅く、薄っぺらく、掠れた、息を吐く、消えるような音。

 すきま風のような、耳障りな音。

 指先が何かをまさぐった。たどり着いたのは自分の首元だった。


『――』


 良すぎる耳の奥で何かが聞こえた。

 声では無く音。ノイズのような、通信が入る前に聞こえる僅かな音。


 ぴたり、と布をひっ掴んでいた手が止まった。

 だらり、と。その手が落ちる。

 後方を振り返っていた自分の首を前へ向けた。首が回る範囲を超えるぐらい、ぐるりと、無理矢理に。


 そのままつんのめるようにして歩き出す。

 足を前に出す。それよりも前に前に、頭を持っていく。転ばないようにと足が引っ張られるように動く。

 そうすることだけが脳を占めていた。


 通路の端にはまだまだ死体が横たわっている。

 それに目もくれずに歩き続ける。


 パーカーの襟元をたくし上げた。出来るだけ顔を埋めた。


『――ゼロさん、今のところ敵性反応は見当たりません』


 気の強い彼女の声が勢いなく聞こえてきた。

 なんでそんな声なのか。原因は間違いなく自分だ。


 自分の周りは今も昔も『機械』ばかりだ。人なのに無機質だ。

 自分もそうなりたいとは思わない。けど、思うこともある。

 例えば、今とか。

 無機質な物質ならきっと何を見ても何も思わない。


 羨ましい――出かけた言葉を噛み殺す。

 そうなりたい――駆けた思いを引き千切る。


「分かった」


 ありがとう。

 そう言うと、『任せてください』と虚勢の声。


 先を歩いていた足音が聞こえ始めた。

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