act.003 Drill


 ◇


 廊下に響いたピンの怒号に呼び戻された2人は、履いていた靴をとりに一度ピンの部屋にまで戻った。そこで先ほどは聞かなかった注意書きを述べられ、2人は靴を元々履いていた靴に履き替えた。


「その靴で人を蹴るな」というのがピンの唯一の忠告だった。

 壁を壊せるほどの威力を出せる靴で人を蹴れば、たしかに只では済まない。


 新しい靴を自室に戻して、2人は履き慣れた靴で訓練場へと向かった。



 両開きのドアがつけられた大きい部屋が特殊部隊の訓練場だった。

 GFでは主に集団で行動するが、SFでは個人での行動が多い。なので訓練といっても全員が参加していることはほとんど無い。任務に入っていない兵士を集めて行っている。

 日程の中に既に訓練という項目が入っていたGF上がりのL777にすれば、それは違和感があることだった。


「そういえば、俺、こっち来てから訓練したことないです」

「俺も久しぶりだわ」

「ここの場所覚えてなかったですもんね」

「だって来ねェもん」


 そういってゼロはドアを開けた。

 訓練といっても教官が指示をしているわけではなく、古参の兵士がその代わりを務めている。その人物が、入ってきた2人を見るなり歓迎の言葉を投げかけた。


「っていうか、ゼロじゃねーか」


 訓練中の兵士の誰かがそう言うと、いくつもの視線がこちらを向いた。

 そのまま何人もの仲間に声をかけられ、ゼロは躊躇い気味に手を上げて応えた。


「その連れは?」


 訓練を見ていた兵士が言う。

 名乗ろうとすると、それよりも先にゼロの眠たげな声が答えた。


「SF-L777」

「ロングレンジか。お前には合うかもな」

「……そうかぁ?」とゼロは眉間に皺を寄せながら首を傾げる。

「そうだろ。お前に合うぐらいの特攻野郎か、遠距離援護が丁度なもんよ」


 そうかぁ?とゼロは同じ顔のまま首を反対側に傾げた。

 珍しくひどく不満げな声だった。


「えっと、なんだっけ?L777か?」


 不意に声をかけられ、L777は不自然なほど直立な姿勢を取った。


「はいッ」

「見たことない顔だけど、新入りか?」

「さ、最近異動になりました」


 ゼロはあからさまに緊張でがちがちに固まったL777にちらりと目を向けた。

 突然のことへの対応が苦手なのだろう。


「そいつ、無茶苦茶な特攻するから気をつけろよ」


 その一言に、周囲の兵士もうんうんと首を振った。

 確かにドローンなどでの周囲の確認をせずに突撃することが多々ある。

 心当たりがないわけではない。L777は敬礼をしながら「承知しました」と返答した。


「歓迎するぜ、L777」


 ありがとうございます、と深々と頭を下げる。

 親しみやすい雰囲気が漂っているが、どの兵士をみても手練れであることが分かる。顔つきが違う。


「で、何の訓練?これ。対人?」

「あ、そうだ。今トーナメントやったんだけどよ、決着がつかねェんだ。ゼロ、お前シード権やるからやんね?」

「なに、シード権でいきなり決勝に挑めんの?チートじゃね?」

「そう堅いこというなよ」


 いや言ってないけど、とゆったりと否定するゼロは兵士達に背を押され、訓練室の中央に引っ張られていく。

「お前はこっち」とL777は壁際に集まり、まるで観客のようにしていた兵士達に混じった。

 SFの兵服はズボンとベストは支給されるが、ベストの下に何を着るかまでは指定されていない。先ほどまで対人戦で白熱していたのであろう、兵士達のほとんどがベストを着用せず、薄着の半袖や袖の無い服の姿をしていた。

 任務外のゼロは基本的にベストを着用していない。薄手とはいえ長袖パーカーの彼の姿がやたら暑そうに見えた。


「時間制限はなし!」


 審判役であろう兵士が手を上げた。


 無理矢理立たされたゼロはやる気なさげに背を丸め、頭部を掻いた。

 対してそんなゼロの前に立つ兵士は、半袖を着用し、肘から下が機械色をした腕をしていた。割と長身のゼロが小柄に見えるほど相手の体格は勇ましい。


「えー、やんの?」とゼロ。

「敵前逃亡は兵士の恥。腹をくくれ」

「あー、ハイハイ」


 やればいいんでしょやれば、とゼロが言うと歓声が飛び交った。

 それが煩わしいのか、ゼロが更にしかめっ面をする。


「ready……」


 先ほどまで沸いていた兵士達が鎮まった。

 その合図に、ゼロの相手は腰を落として構えを取る。ゼロは全身の力を抜くようにトントンとその場で小さく跳ねる。


「fight!!」


 先に動いたのはゼロだった。

 解すように跳ねていたゼロは、気づけば相手の眼前に二本の指を突き立てていた。

 位置は目。目つぶしだ。


「……いい挨拶じゃねぇか」


 まつげは既に犯されていた。

 本当に辛うじて、辛うじて間に合った。体格のいい男、S011の機械色の手がゼロの伸びてきた手を鷲掴んでいた。瞬きをする度後一瞬遅れていたら、ということを考えてしまう。

 S011はわずかに口角を上げた。


「久しぶりに人見たらやりたくなったからさ」


 止めてくれて良かったわ、と緊張感の欠ける声で正面の男が呟く。

 声も表情も普段と変わりない。暴力性のない瞳がじっとこちらを見ている。何を考えているのか一切掴めない。けだるそうな姿勢をしているが、不思議と隙は無い。

 目つぶしは確かに機械相手には通用しない技だが、そんな気紛れで目を潰されて堪るか。


 次にどう動くか。

 次にどう動こうか。


 わずかに思考していると、下方向からの攻撃を仕掛けられた。

 掴んだ手と掴まれた手を狙って、ゼロが蹴り上げる。

 S011は冷静に飛び退いたが、ゼロはその場にいたままだった。


 躱されると思っての蹴りだったのか、自分の手もろともという算段だったのか。

 やはり奴の目からは何を掴めない。


 このまま奴の流れに持っていかれるわけにはいかない。

 S011から攻撃を仕掛けた。

 鉄槌のような重たい打撃を振り下ろす。ゼロは半身で躱す。

 続けて正面から真っ直ぐに勢いをのせて拳を打つ。ゼロは片手を使い、それをいなす。

 ゼロは一切焦りの色を浮かべず、のらりくらりと全てを受け流す。


 一撃一撃置くようにしてしっかりと攻撃をするのがS011のスタンスだった。対してゼロにはスタンスのようなものはない。強いて言うのなら速さだ。

 人の身でありながら人には出来ないような速度で反応する。


「……すっげぇ」


 L777が無意識に零すと、隣にいた兵士は少々自慢げに「だろ?」と言葉を返してきた。

 そういえば、ここにいる兵士の何人がゼロの素性を知っているのだろう。割と左手を酷使している所を見ると、案外知られ渡っている事実なのだろうか。もし知られているのなら、全員が素性を知った上で――元敵と知った上で受け入れていることになる。

 それとも。一騎当千ともいえるあの戦力に目が眩んで、見なかったことにしているのだろうか。

 だが、自分の識別番号を聞いたとき、ここの兵士達はゼロを気遣うような言葉を述べていた。


 考えすぎなのだろう、とL777は目の前の対戦に目を戻す。

 戻しながらも、次の任務のことを考えていた。


 拳を交えているゼロに表情らしい表情はみえない。

 確か誰かが戦闘狂といっていた――ゼロのことだったかは少々曖昧だが。それが関係しているのか分からないが、楽しげにみえないこともない。


 あの人の考えていることはいまいち分からない。


「finish!!」


 その声で我に返る。

 S011の背後にゼロが回り、その首筋にゼロの手が伸びていた。もしその手がナイフならば、間違いなく出血沙汰だ。


「疲れたから帰っていい?」

「いいわけないだろ。次は私だ」


 そう言って、今度は教官役の兵士がゼロの前に立ちはだかる。

「えー」と言いながらも、ゼロはその場を離れようとはしなかった。


 2人が位置につくと、「ready……」と審判が手を下げる。

 相手が強いからなのか、気紛れなのか、ゼロは腰を落とし膝に手を当てて少し身構えた。相手も格闘家のようにしっかりと構える。

 準備が出来たことを確認すると、審判が少しにっと笑ったような気がした。

 だが、ゼロが勝負相手からドアの方に目を動かした。緩く構えていた姿勢を崩した。


 誰かがどうしたのかと尋ねる前に、首を傾げながら何かを呟いた。口の動きは爆破の擬音を真似るようだった。

 審判たちはその声が聞こえたのか、「えっ」と絶句気味にゼロと同じ方向に目をやる。


 瞬間。

 ドアが吹き飛んだ。

 ドゴンッ!!という大きな音に身構えてしまうのは兵士の性だ。

 収めるものを失ったドア枠から入ってきた人物に、一瞬異界からの侵略者かと思い違える。

 青筋を立てた殺気だった顔で、一見日本刀に見える軍刀を肩に担ぎ、オイルのような赤黒い染みがついた白衣を身に纏っていた。


「……ピン……?」


 その声が聞こえたのか、突然の来客は反応した。

 ギロリ、と目だけがこちらにむく。心なしかその目は充血しているように見えた。


 肩に担いでいた軍刀を一振りして剣先を床で引きずるようにしながら、1歩1歩近寄ってくる。

 身構えていた兵士達は構えをとき、鬼の形相をしたというか、もはや鬼のようなピンからじりじりと距離を取り始める。


「テメェら……」


 普段の声からは想像つかない低い声でそう唸る。

 両手で軍刀を握り、次の瞬間には跳躍し終え、部屋の中央にヒビを入れていた。

 鞘は抜いていないので刃物ではなく鈍器だ。


「全員ブッ殺してやる!!」


 ギンッとにらみを利かせるピンを前に、兵士達はゼロの背に隠れた。

 ゼロの背を押し、鬼に生け贄を捧げる。


「え。お前らマジかよ」といつも通りのゼロ。

「こんな状態のピン、手に負えるわけねェだろ!」


 そんなやりとりをしている間にも、ピンは鈍器を振りかぶる。

 ゼロはそれを難なく片手で受け止めた。「おぉ!」と小さな歓声が沸く。


「で、どーしたよ、ピン。仕事は?」

「うるせェ!今度はどこ行きやがった!」

「あー、また脱走したのか」


 ぐっと鈍器に圧がかかった。ゼロは抑えていた手にもう片方の手を添える。

 そのまま少し膠着状態が続いていたが、ピンの表情に変化が現れるとゼロの後ろで野次馬をしていた兵士達が本格的に後ろに退き始めた。


 鬼の表情も十分恐怖だったが、それがいきなり無に変わられても恐怖を感じる。

 だがそれは、ピンの意識が持ち主から離れ、別の場所へ委託された証拠になる。


「え」


 表情の変化に驚いたその一瞬の隙に、正面から蹴りを入れられた。

 視界の隅で右足が床から離れかけたのを見たので、とっさに自身の前で腕を交差させた。間一髪それで攻撃を受け止めるが、重い一撃で壁際まで吹っ飛ばされた。

 背が壁に当たる。追撃の様子はない。

 腕が痺れた。背には鈍痛が蔓延している。

 特殊繊維の服だが普通に痛い。


 腕をぶらぶらと振っていると、カランと床に何かが落ちた。

 鞘だった。


 奴は体の前で真一文字に刀を構えている。

 鈍色が光を反射し、怪しく光った。


 ゼロは防刃性能も含まれているパーカーの袖を指の根元まで伸ばした。

 そのまま渋々と、力を抜きだらりと構える。


「任務前に怪我したくないんですけど」


 そう呟いてみるが、相手は反応しない。

 今、ピンの意識は身体の中には収まっていない。AIの演算機能に戦闘能力を依存させた1つの兵器だ。


 負けてやる気は無いけれど、この男を相手に無傷で勝った試しはない。

 相手が動いたのを見て、ゼロの口角がわずかにあがった。

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