act.005 Friend and foe

 ◇



「おつかれ、ゼロ」


 戻ってきたゼロはその足で若大将の部屋へと向かった。

 書類を扱ってばかりのその男は、どこかやつれた顔で「おかえり」と出迎えた。


「……珍しくない?真面目に仕事やってるの」

「失礼な。俺はいつでも真面目でしょ」

「えー、そうだっけ?」


 幹部を担う人材が兵士用の食堂に顔を出したりはしない。今朝のあれは食事という名目の脱走だ。


「これ」


 ゼロは若大将の机の前までいくと、ベストのポケットから小さめの金属板を複数取り出した。

 それをみた若大将は大事な書類を投げ捨てるように手放しながら立ち上がり、ゼロの掌に重ねられた金属板に手を伸ばした。


「……これは?」


 活発的な声が小さく落ちる。


「回収したドッグタグ」


 若大将は一番上にあった金属板を手に取った。ゼロは自分の方に伸びてきたその手が震えているのを見た。

 一枚見て、そこに刻まれた名前を呟く。しばらく固まっていたが、次の1枚に手を伸ばした。そしてその名前をまた呟く。

 やがてゼロの掌の上が空になる。「こんなに」と自分の手に移った金属板を見ながら、泣いているような声で零した。


 掌にある物ごと爪が食い込むように拳を握ると、大将はつり上がるような目つきをゼロに向けた。


「ゼロ、詳しく説明してくれ」


 まるで別人のように低い声でそう言って椅子に座り直し、手を組む。


「いいけど、報告あがってないの?」

「お前の口から聞きたいんだよ」

「……、」


 ゼロはわずかに首を傾けた。何故だかこの男は自分に話させる。

 報告書と大して違いは無いし、二度手間だし、忙しいはずなのに。いつも話すように言ってくる。


 ゼロは片足に体重をのせて、腕を組みながら事の全てをありのままに話した。

 口に出すと自分が話していることは夢のような感じがする。幻惑でも見てたのではないかと、現実味が薄れていく。

 だからあまり話したくはないのだけれど、この男の頼みならば逆らう理由はなかった。


「解剖?」


 話を聞き終えた大将はその言葉を繰り返した。ゼロに解剖技術はないため、本当に解剖なのか判断はできない。実は弄ばれただけという可能性もある。


「視覚データ、送ってみ?」


 いつもの砕けた口調が顔を覗かせる。けれど、それは染み付いたものだからであって、大将の表情の硬さは変わらない。

 ゼロは脳内チップに保存されている今回の任務記録を全て開示した。

 ゼロの記憶越しに当時の惨状を確認した大将は「これは解剖だね」と険しい顔をした。


 恐らく生きたまま解体されたわけではないはず。抵抗は解剖するにあたって邪魔になるだろうから殺したのちに解剖したはず。

 もう遺体は残っていないのでそういった鑑定はできないので断言はできないが。

 大将の固く結ばれた口が意味するのはそれだけではない。


 解剖ということは、こちら側の何かを知りたかったからだ。もしくは知られてしまった。


「何のために……」

「頭にブチ込まれたチップじゃない?」

「……確か、遺体は消したんだっけ?」

「上にそう言われたからね。跡形もないよ」


 くそ、と若大将は机を叩いた。

 遺体が残っていればチップを弄られた痕跡を探ることができたのに。


「でもニンゲンの運動機能乗っとる手段は脳のチップをハッキングすることだけでしょ?」


 脳のチップは人間の行動機能の全てを統括し、データ化している。それを敵にハッキングされるということは死と同義だ。


「……その回路を分析されたら」


 若大将がそう口にする。その先の言葉はすでに出ているのだろう。


「かなり、ヤバいね」


 ゼロがその先を引き受けた。

 いつものおっとりとした口調で、彼の表情に焦りはない。実感がないからではない。全て分かった上での態度だった。


「早急なアップデートが必要、か……」


 ぶつぶつと若大将は考えを口から全て垂れ流す。ハッキングされた際に対抗するための防護プログラムの強化。そしてそもそもの回路変化。更には更には、と続けていく。


「……だから機械化はヤなんだよ」


 今の全人類を否定するようなゼロの独り言は誰にも拾われなかった。




 ◇



 上体を起こす。

 目を覚ました。けれど寝ていた記憶は無い。「我に返った」に近い。

 周囲を見渡すと自室であることに気がついた。自分が横たわっていたのは自分用のベットで、ここは決して広くはないけれど個人に与えられた部屋。一瞬どこか分からなかったのは、この部屋に移ったのがSFへの移動を命じられた後のことなのでまだ日が経っていないからだ。


 ところで、自分は何故ここにいるのか。どうやら怪我をしては運ばれたわけではないようだ。当然非番ではない。なら朝にはここを出ているはず。

 少しずつ思い出す。

 確かゼロと任務に出ていたはず。けれど、手元に特殊銃がない。なら保管庫に戻したのだろうか。

 任務の内容は、確か、仲間の救助――。


 そこで全てが繋がった。

 記憶としては曖昧だが、けれどチップにはそのときのことを視覚データとして保存している。

 見た記憶が無いのに、思い出せる。


 目の前で撃たれた仲間のこと。


「……、」


 その仲間を、更に仲間が殺したこと。


「……ぁ」


 その地下で、多くの仲間が殺されたこと。


「あ、」


 その建物の全てと、遺体が、もうこの世に残っていないこと。


「あぁ……」


 そして、そのときの自分はまるで使い物にならなかったこと。


 まるで喉口から自分よりも大きなものがせり上げてくるようだった。せき止められず、口をこじ開けるようにして咆哮のような姿に形を変えた。


「あぁぁぁあああッ!!」


 両腕で頭を抱え込む。外側から自分が圧迫しているのか分からないけれど、ひたすら痛い。見た記憶は無いのにあの光景が鮮明に脳裏に焼き付いていた。

 データの中のもう二度と会えない仲間の顔は、まるで化け物のようだった。

 仲間に何があったんだろう。あの機械達が憎らしい。

 何故仲間を躊躇なく殺せたんだろう。

 あの仲間が憎い――憎い?仲間なのに?

 違う。憎たらしいのは、自分だ。

 そう思わせる、あの機械どもが憎い。


 別の生き物に取り憑かれたかのような呼吸器を落ち着かせる。

 今自分が正気なのか分からない。けれど、この部屋に閉じこもっているのは嫌だった。L777は這い出るように部屋を出た。

 ひどく、惨めに思えた。



 ◇



 日中の寮はほとんど誰もいない。

 非番の兵士が惰眠を貪っている場合以外、全員任務で外に出ている。


 L777は壁に肩を押しつけるようにしながら長く感じる廊下を当てもなく歩いていた。

 静まりかえった廊下が不快だった。


「おっす、寝不足か?」


 声をかけられて顔を上げる。やたらと頭部が重たく感じる。

 そこには開いた窓の枠に腰を下ろした人物がいた。一拍置いてからそれが若大将なのだと気づいた。

 今は誰かと話をしたいような気分では全くない。だが、無視出来ない相手なので仕方ない。

 L777は敬礼を決めながら、「いいえ」と首を横に振った。もしかしたら振れていなかったかもしれない。だが視界はわずかに左右に揺れた。


「ゼロから報告は聞いた。お疲れさま」


 そう言った若大将は、いつも表情が過激なその顔で、見たことないぐらい穏やかに笑みを浮かべていた。L777は言葉を失った。見ていられずに顔を伏せる。

 何かを言うべき事があったはずなのに、その言葉は自分の周囲を浮遊して、そのまま消えていく。見失っていく。

 自身の中に渦巻いていた複数の感情が、周囲に溶け出るように消えていく。


 混乱状態に近かった。


「……大将」

「ん?」と柔和な声。

「……1つ、聞かせてください」

「1つでいいの?」


 再び顔を上げた。

 そこにあったのはまるで子を気遣うような親の視線だった。

「今はまだ」と答えると、大将は「分かった」とゆっくり頷いた。


「それで、聞きたい事って言うのは?」

「……ゼロさんの左手のことなんですけど」

「あぁ、その話?あいつ答えてくんなかった?」

「いえ……多分、本人に確認するまでもないというか……入隊を許可する幹部の1人から聞きたいというか……」

「なるほど。それで、あいつの左手がなんだって?」

「……、」


 L777は丸まっていた背を伸ばして、若大将の正面に立ち直った。

 とりあえず、すぐ目の前にある事実ぐらいは受け止めなければ。


「あの人、元敵軍――つまり、西軍の人、ですよね?」


 この拠点は東軍。

 元々東軍は西軍と戦争をしていた。

 だが、西軍が所持する人工知能の暴走により、この地に蹂躙するのは人類だけではなくなった。自軍が所持する兵器により西軍は滅び、今となってはここ東軍が人類最後の砦となっている。

 西軍が今の人類と機械との戦争の火ぶたを切った戦犯だ。


「……左手にある強制ハッキングのあのチップは西軍の人間の特徴ですよね?」


 東軍はかつて西軍がまだあったころ、そのハッキングチップによって東軍の兵器をいくつも奪われて手を焼いていたというのは有名な話だった。


「うん、そうだよ」


 若大将は穏やかな表情のまま肯定した。

 元敵軍のあの男。今は同じ軍に属しているが、元々は敵。上層部はそれを知った上であの男をあてに作戦を立てているのか。

 一瞬からになった中身に黒い何かがわき出てきた、そんな感覚を覚えた。

 立眩みがするようだった。


 とりあえず、1つ分かったことがある。

 あの男が仲間を躊躇いなく殺せるのは、元々敵だからだ。

 西軍出身の軍人からすれば、どこまでいったって東軍の軍人は敵に違いない。敵を殺すのは難しくない。だからあんな澄ました顔で殺戮を行えたのだ。


「西軍の人間は殺すべき。……お前そういう考え方しちゃう人間?」


 西軍は敵。

 その男がいなければもう仲間は殺されなくて済むかもしれない。生きたまま、助けられるかもしれない。


「……分かりません」


 腹部が痛い。打撲のような痛みだ。

 おそらく、あの建物で仲間に襲われた際にゼロに蹴飛ばされた時のものだ。

 痣になっているであろう腹部に手を当てる。

 兵士が戦場で自分を保っていられるのは、絶対的な敵がいるからだ。それを倒すことを使命として、生きる目的としているからだ。


「分かりません……」


 それを見失いそうだった。

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