いつまでも変わらぬ君へ

雪瀬ひうろ

第1話 春

 僕の家のクローゼットが異世界に通じることになった理由は解らない。

 ある日、クローゼットを開けると、その向こうにはあったのは別の部屋。


「えっと……どなたですか?」


 それがステラの僕に向けた第一声だった。


 結論から言うと、僕の部屋のクローゼットは、まったく別の世界のステラの部屋と繋がってしまったらしい。理由は不明。だけれど、現実というのは、往々にしてそういうものなのかもしれない。僕は、その非現実をそっと受け入れることにした。


「ユキマサさんとおっしゃるんですか。私はステラと申します」


 ステラと僕は一緒に暮らすことになった。

 いや、一緒に暮らさざるを得なかったというべきだろうか。僕の部屋のクローゼットは、彼女の家の裏口と繋がってしまった。そのため、二つの家は世界を隔てて、一つ屋根の下になってしまったからだ。ちなみに、僕のクローゼットの中身はどこかに消えてしまった。


「私はいわゆるエルフという種族です」


 まず自分の家のクローゼットがどこかに繋がるという時点で充分に不可思議なことが起こっているのだけれど、その向こうが異世界であるという事実に僕は戸惑った。

 しかし、彼女の幻想的とも言える滑らかな金の髪と長くとがった耳、そして、何よりも人間離れした美しさ。それらが、彼女がエルフという空想の産物としか思えぬ存在であることを雄弁に物語っていた。

 彼女の家の扉から外に出ると深い木々の向こうの空から、双子のような二つの月が僕を見つめた。やはり、ここは異世界なのだと僕は納得する他なかった。


「ユキマサさんのお話は面白いです」


 ステラはそう言って、くすくすと笑う。

 僕が語ったことと言えば、ほとんどが日々の仕事の愚痴に過ぎなかった。新卒で入社した文房具メーカー。終わらない雑用。上司への追従。それでも認められない僕の企画。そんな毎日に僕の魂は擦り切れる。

 それでも、そんな話も彼女にとっては夢物語らしい。

 ステラの言う「面白い」とは、あくまで興味深いという意味でしかなかったのだろうと僕は思っている。なぜなら、僕は生れてから二十三年、この年になるまで女の子とまともに喋ったこともない様な人間だった。そんな僕の拙い話術でも彼女を楽しませることが出来ていたとしたら、それはひとえに、二つの世界の文化の違い故に他ならない。どんなに話下手な人の話でも遠い異国の話ともなれば、少しは興味が惹かれるものだ。


「私、こんなに誰かとお話するのは、本当に久しぶりです」


 ステラは深い深い森の中に住んでいた。僕も何度かステラの家の外には出たものの、まるで城壁の様に高い森の木たちがぐるりと家の周囲を囲い、その向こう側に如何なる世界が広がっているのか、見通すことは叶わなかった。

 彼女はこんな深い森の中で一人で住んでいたらしい。


「エルフというのはヒトよりも長命ですから。ヒトには気味悪がられてしまって……」


 彼女の説明によれば、彼女は物心つく頃からずっとこの森で暮らしていて、ヒト、いわゆる僕と同じ普通の人間とは、ほとんど関わらずに暮らしてきたらしい。同じ種族であるエルフはそもそも個体数が少ないらしく、自分の母親以外のエルフに彼女自身出会ったことがないとのことだった。


「お母様も随分前に亡くなって……。ですから、ユキマサさんとこんな風にお話できることは、本当に嬉しいんです」


 そう言って、彼女は優しく微笑むのだった。

 僕がそんな彼女に恋心を抱くようになるまでには、そう時間はかからなかった。


 僕は彼女のことが好きだった。

 だけれど、彼女は人間ではない。

 そのことがひっかからなかったと言えば嘘になった。


 そして、何よりも彼女は異世界の住人なのだ。

 たとえ、彼女が僕の思いを受け入れてくれたとしても、異世界の人間をこちらの人間に紹介することはできない。どこの何者なのかという素性を説明できないからだ。まさか、クローゼットの向こう側の世界から来ましたと言うわけにもいかない。


「ユキマサさん。どうか、ずっと一緒の居てくださいね」


 そんな風に笑うステラに僕はゆっくりと首を縦に振る。

 今はまだこれでもいい。

 友人とも恋人ともつかない曖昧な関係。

 僕はそんな関係にそっと身体を委ねた。


 向こうの世界の日差しは日に日に力強さを増していく。

 春は終わり、夏が訪れようとしていた。

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