14クラウス・オースチェインとスライム

「カイル! エレナ! アルフが冒険者として旅立つのをどうして止めなかった!」


 とある夜、山深いオースエンド村に怒気に満ちた男の声が炸裂した。


「と、父さん落ち着いて下さい。私もエレナもアルフレッドからとても頑固に粘られまして……」

「申し訳ありません、わたくしもついついその……アルフレッドから泣き付かれてしまって。ジャックも一緒でしたので大丈夫かと……。少し暴れてこれば気も済むと思いましたし」

「エレナの言う通りですよ、アルフレッドだって結構かなりふわっとしてますが、あれでも一端の男です。冒険だってしたい年頃なのですよ。父さんに相談もせずに行かせてしまった事はお詫びします。どうか気を静めて下さい」


 轟く雷鳴のように怒っているのは、ついさっき屋敷に帰ったばかりの元オースチェイン伯爵こと――クラウス・オースチェインその人だ。


 場所はクラウスの書斎。

 部屋には書斎机の他、より入口に近い位置に応接用のテーブルと一対の長椅子も置かれている。

 事前連絡の一つもなかった久々の帰還にカイルとエレナ――息子夫婦が慌てて挨拶に赴いてくれたのだが、問わねばならない事柄があり、水を飲む暇も惜しんでその事実を確認し烈火のごとく怒ったという次第だった。

 息子夫婦は叱られた子供のように首を竦めて小さくなっている。

 爵位は譲ったものの、これではどちらが当主かわからない。

 その点はさておき、クラウスの予定外の帰宅は、ここ何日か前、滞在地で偶然シュトルーヴェ村のドラゴン退治の話を耳にした事による。


 煉瓦敷きの市場での買い物途中、木箱に入れられ出店に並んだ瑞々しい果物の中から宿で待つ妻への手土産を選んでいた彼の耳に、その村の出身らしき男性と隣の出店の主人との会話が飛び込んできたのだ。

 元より、シュトルーヴェ村の封印ドラゴンが目覚めた話も初耳だったのに加えて、二人の若い冒険者の話になった時、どうにも聞き逃せない単語が何度も出て来たのだ。

 加えて、とある魔物の名称も。


 ――アルフレッド君とジャック君が……。

 ――スライムが……。


 クラウスの中では孫のアルとその幼馴染みのジャックは昔からセットだった。そこにリリーという娘が時々出て来ると言った具合だ。

 スライムという固有名詞もアルとはセットであった。

 その三つが同時に一人の男の口から出て来たのだ。

 堪らず不躾にも前置きもなく問いかけてしまっていた。


『一体それはどういう事か訊かせてくれないか?』


 と。

 クラウスは既に白髪だが、若者にはまだまだ負けないとてもとても逞しい体付きをしており、目付きも元騎士団長として騎士団を纏め数々の魔物との厳戦を経験してきたが故に鋭く、ぶっちゃけ言って人相はすこぶる悪かった。

 更に悪い事には折悪しく逆光になってしまったのだろう。

 光の具合や角度で見え方が変わる世にも珍しい変光眼だけが爛々として、底光りというか威圧感というか、殺人鬼オーラを放っていたらしい……とは後で男性本人から聞いた。


『――ひいっ!? @;><:(^ω^)!・@▽?(^3^)○』


 その彼は恐怖の余りひっくり返って泡を吹いてしまっていた。

 かつての部下達は「めちゃ頼りになるご面相」だの「超クールフェイス」だのと褒めそやしたが、ほらみろ世間一般の者からすれば見て気絶するほど凶悪顔じゃないか……と自棄になりたくなったクラウスだ。

 麗しい紳士たる息子も貴公子たる孫息子も、彼に容姿の点では似なかったのは良かったのか悪かったのかそれはわからないが、少なくとも道端で初対面の相手から無駄に怖がられる事はないだろう。

 その後申し訳なく思い宿に担いでいってクラウス自らが枕元で介抱し、更に二度ほど男性をすぐまた夢の世界に送り返し、三度目の目覚めで妻に変わってもらってようやく男性の落ち着きを得たという次第だった。

 そこから遠縁も暮らすシュトルーヴェ村の討伐話を聞き、アルの冒険者生活が既に開始されていたと知ったのだ。

 詳細を確認すべく妻を残しその日の内に滞在地を発ち、強行軍よろしく急ぎオースエンド村の屋敷に戻ってきた。

 空間転移の魔法は上級魔法なので、魔法特化系ではないクラウスにはおいそれとは使えず、その魔法の込められたアイテムもとても高価なので、命の危機くらい差し迫った場面以外では使用するつもりはなかった。まあそのせいで数日も掛かってしまったのだが。

 しかしながら数日なのだ。他の者なら少なくともその三倍は掛かっただろうに本人に破格な速さだという自覚はなかったりする。


「アルフにはまだ話すべき事が多いというのに……」


 オースチェインの一族にまつわる事情を知るものの、どうにも呑気すぎるきらいのある息子夫婦には頭痛すら覚えるクラウスだ。

 孫息子をのびのびと育てたのはいいのだが、のびのびしすぎて性格が引き伸ばされたようにのーんびりした男になった。

 アルの冒険道中での節約度ケチさを知る由もないクラウスは、金銭感覚は全然のんびりしていない母親よりはどちらかと言えばまるっとお人好しの父親に似ていると勝手ながらも思っていたのだ。

 よりにもよって自分と同じ変光眼を持ってしまった孫が、そのように危機感の薄いまま冒険を続け、何も知らないままスライムと戦い続けているのだと思えば、胸中の懸念は拭えなかった。


「ところでアルフが今現在どこに居るのかはわかっているのか?」

「定期的にくれる手紙に場所が記されていますから、大体はですが」

「お前達……楽観的に過ぎるぞ」


 苦いような溜息をつき、クラウスが旅装のマントも脱がないままに踵を返す。


「父さん、帰ったばかりでまたどこに?」

「お義父様?」

「別の馬に馬具を付け替える」

「「え?」」

「――アルフを連れ戻しに行く。必要な旅支度を済ませている間に最近のアルフからの手紙を用意しておいてくれ。目を通したい」


 驚いた様子でぎこちなく頷く二人に背を向けた。

 自らで馬の用意などをして再び書斎に戻ると、アルからの手紙を受け取って息子夫婦を下がらせた。

 手紙を所望したのは、居場所なら息子達に訊ねても同じだが、自らで孫息子からの情報を整理したかったのだ。

 わざわざ書斎机を回って律儀に椅子に収まるのも面倒なので、封書を手に取ると応接用の長椅子にどかりと腰を下ろす。

 家を長々と空けていたのが悔やまれるが、それも自分とアルにとって必要な情報を集めるためでもあったので一概に悪手とは言えない。

 取り出した便箋を広げ文面に目を落とした時だった。


「――あ~れ~? クラウスじゃないか~。おっ帰り~」


 子供のような少女のようなどちらともつかない高い声がした。

 声音には人を小馬鹿にしたような響きを伴っていたが。


 便箋の端から向こうへとクラウスが目を上げれば、ローテーブルを挟んだ向かいの長椅子にはいつの間にか十歳くらいの一人の少女が座っていた。


 腰まである髪は白く瞳は金、色白で華奢で幼くも危うい美貌を放つ娘だ。

 金糸や銀糸の刺繍の輝く白い法衣と淑女のドレスが絶妙に一体化した服を纏っている。そしてそれは聖なるドレスと言われている。


「白々しい挨拶はやめろ。どうせ私が独りになるのを見計らって来たのだろう? ――カルマ」


 神々しいとさえ言える独特の服を身に纏う少女へと、クラウスはあからさまに眉をひそめた。幼子などはその瞬間に泣き出すだろう凄味があったが、カルマと呼ばれた少女はどこ吹く風だ。


「しかもカルマよ、お主はまた性懲りもなく聖女殿下の姿など真似て、嫌がらせか?」

「キヒヒ、やっぱこの姿はお気に召さないみたいだね」

「当然だ。大体にして聖女殿下は今はもう十五になられた」

「この見た目はしょうがないじゃないか~。ボクはどんな人間の姿を借りようと真似ようとこの年齢の姿にしかなれないんだから~。あ、そうだアルフレッドに会いたいなら今すぐ彼の姿になってあげるよ? 十歳くらいの、だけど? キヒヒヒ!」


 おどけるカルマは個性的な笑声を立てる。

 彼女は便宜上人間の少女の姿を取っているだけで、元来性別など関係のない存在だ。


 ――その手の魔物なのだ。


 ただし、誰の姿にも化けられるのに何故か能動的に変化するのはいつも女の姿だった。まあ菓子を抓むのも悪戯をするのも人畜無害そうな可愛らしい少女姿の方が何かと無難だからかもしれない。


「ああもうそんなに睨まないでよ、冗談だよ冗談~」


 ぼやきの直後、クラウスの視界が揺らいだ。

 否、そうではない、カルマの姿が揺らめいたのだ。

 クラウスが瞬いた次にはもう白髪の少女の姿は崩れ去り、灰色の髪のどこの誰ともわからない娘の姿になっていた。

 両目は赤く魔物一般の色を宿し、服装は簡素で酪農好きの田舎の村娘と言った風情だ。

 何もしない時のカルマのノーマル形態がこの姿であり、以前クラウスが誰の姿だと問えば「キヒヒ、むかし昔の大昔にボクを庇って死んじゃった子だよ~」と口調だけは呑気に言っていた。

 きっとそれは嘘ではないのだろう。


 魔物は捕食の際に擬態するなどの欺き行為以外に基本嘘を好まない。


 良くも悪くも率直だ。


 カルマも――この一風変わった喋り変化へんげするスライムであるこの者も、その古来からの常識には外れないだろう。


 いや、まさに古来の常識の生き証人とも言える。


 スライムカルマは、古代から生きている。


 魔王存命の時代から。


 しかしクラウスが何を訊ねても、当時の多くを語らない。

 嘘を好まない故に下手に口を開かないようにしているのか人を苛立たせて愉しんでいるのかはわからない。


「あ、君急いでるみたいだし、そろそろ本題ね」


 カルマはそう言って上機嫌にクラウスを見つめる。


「ボク実は聖女ちゃんに頼まれて密かにアルフレッドを見張ってたんだけど、彼は面白いね! ホント新鮮新鮮~。だってスライム大嫌いって――――君と正反対!! 君ってば好きが高じてボクの同胞を家で飼い始めたもんね。排水管の中でだっけ。あれは笑ったなあ~。家空けててろくに世話もできないくせにさ。後先考えない厄介な奴って君みたいな人の事だよね~、にひひん」


 見た目に反し老獪ろうかいな目をしたカルマの視線の先のクラウスは、まるで苦虫を咽に詰まらせたような表情になった。


「ん? でもあれいつの間にかアルフレッドに高圧洗浄されちゃったんだっけ? ご愁傷様だったね。ホ~ント可哀想なボクの同胞たっち~」

「……アルフにバラすつもりか?」

「スライムを巣食わせた下手人は実は君のお祖父ちゃんだよって?」

「……」

「何でぇ~しないしない。だってボクのカードが一枚減っちゃうじゃないか。一応はクラウスの弱味でしょ。世話してなかったばっかりに彼らが外に出ちゃって、その挙句孫にトラウマ植え付けたなんて」

「…………」


 長身というのもあり人相にさえ目を瞑れば長い脚を優雅に組む老紳士と言えるクラウスは、先程から全く歓迎の意を表してはいない。驚きもせずに眼光鋭く射るだけだ。

 楽しそうなカルマはわざとくねくねと身を捩らせた。


「きゃーこわーい。そんな目で睨まないでよ~。ボクのことだって心の底では大っ好きなくせに~。それにボクみたいな最弱の魔物は君の一睨みで昇天しちゃうかもなんだからね~? キヒヒヒゾクゾクする~!」


 いくらスライムでも例外がある……との意を込められた真向かいからの冷めた目に、カルマは「ああ可愛いカルマちゃんはふざけ過ぎましたはいは~い」と興ざめしたように自らの軽口を軽口で制した。

 代わりのように真面目な表情の中の赤い双眸がじわりと光る。


「ところでさ、クラウスの方には記憶の欠片がだいぶ集まってるはずだよね?」

「――言っておくが、あの者は望んでいない」

「あはっそこまで読み取れてるんだ」


 意味深なクラウスの言葉にカルマは嬉々とした。


「数多の点を線でつなげばおおよそは見当が付くと言うものだ。そもそも集めた所で本人の残滓に過ぎんのだ。直接話が出来るわけでもないというのにどうして記憶の修復にこだわる?」

「その記憶を完全再現すれば彼の出来上がりでしょ~?」

「愚かな。記憶は記憶に過ぎん。そこから新たな言葉など生まれない」

「それはやってみなくちゃわからないよ~」


 アルも推測していた通り、時折り魔宝石の中に見る小さな光は何者かの記憶の欠片だ。


「こんないつしても平行線の話をするために来たのか?」

「ああごめんごめん違う違う。君に一つ忠告があったんだ」

「忠告?」

「そう。アルフレッドは――君とは素地が決定的に違うんだよね」

「……どういう意味だ?」

「オースチェイン家の変光眼は、このオースエンド村で生まれた直系にしか継がれない。何千年もずっとずぅ~っとそうだった。勿論クラウス、君も例外じゃない。生まれ落ちた瞬間に使命に選ばれるか否かが決まるんだ。この地の魔法的な影響でね」


 クラウスは目を瞠る。


「それは、初耳だ」

「そう? まあだからね、――彼はおかしいよね」


 聞きようによっては失礼な台詞に、クラウスは少しだけ眉間にしわを寄せた。しかし顔を曇らせた理由はそう単純ではない。


「アルフレッドは、この村の外で、王都で生まれたのだ」

「うん。なのに彼はその目を持ってる。不思議だよね~」

「……もしや、生後の、あの件が関係しているのか?」

「さぁてね。ボクにもそこはわからない。わからないからこそ、注意しなよってとりあえずそれを伝えに来ただけ。聖女ちゃんにもこの事は伝えてあるよ。まだ静観しようってさ」


 キシシと笑ったカルマは袖の中から一つの魔法具を取り出した。表面に細かな魔法的模様のあるガラス玉のようなものだ。大きさは子供の掌でも握れる程しかない。


「もう一つ教えてあげると、アルフレッドはルルにいたけどそこからまたどこかに発ったみたいだよ?」

「ルルに……。しかしどこへ?」

「そこまではもう飽きちゃって見張ってなかったから知~らな~い。でも仲間との会話では遺跡が云々って聞こえたね」

「遺跡か……むむ」


 ルル近郊にある代表的な大遺跡を思い浮かべたクラウスは少し顔色を悪くした。

 果たして自分が思い描いた遺跡にアルが行くかはわからない。そもそも行き先が本当に遺跡かも。

 だがもしもあそこなら……。

 クラウスは慄きから要らぬ動悸がしてくる己を叱咤する。


「本当に、急ぎアルフに会わなければならないようだな」

「ふぅん、そ? それじゃあそっちはそっちで頑張ってね~、心の友クラウス!」

「たわけ!」


 シシシシと変笑いするカルマは手の中の魔法玉を握り潰した。次の瞬間にはもう突如出現した球空間に呑まれ、表面に魔法陣が張り付くその球が一瞬で萎んだ後にはもう姿が見えなくなる。空間転移の魔法具を発動させたのだ。

 この部屋に現れた時も同じ魔法具を使ったに違いなく、往路と復路で二つは必要なはずだ。


「全く、いつ会っても騒々しい奴め。よくもまあ、あのような高価な魔法具をホイホイと使ってくれる。老いたスライムめ、一体どれほどの隠し金があるのやら」


 呆れた声だけが室内には残された。


 そして夜半過ぎ、クラウスは慌ただしく一人屋敷を発ったのだった。



 この世の中、当人の予期しないところで波乱とはかくも起こるものなのかもしれない。

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