6王国五大都市ルル到着

 僕とジャックと実は見守ってくれていたカールおじさんがシュトルーヴェ村に戻ったのは夜だった。村にあった数少ない高価な空間転移アイテムを使ってくれたからその日のうちに帰れたんだよね。おじさんと会うまでは一晩野宿かなってジャックと話してた。

 その方法で帰路に就いたなら本当は夕方には村に移動できたんだけど、カルデラ湖の湖畔で魔宝石を拾っていたから遅くなったんだ。ドラゴンがザバッと湖面から出た時に飛び散った水にスライム達のなれの果ても含まれていたらしく、岸に転がっていたのを見つけた。湖底に沈んだのは諦めたけどこっちは勿論拾うよね。見つけたものは全部拾った。

 あの山頂湖のスライムはたぶん全滅したと思う。棲息していた奴らは例外なく水面に上がって来ていたんじゃないかな。そう願いたい。

 石は黄色でやや橙色に近い物もあった。今回のクエストのために買い込んだアイテム代はこれで取り戻せそうだ。


 そして何と、次の日から村の広場では三日三晩のお祭り騒ぎになった。クエスト一つにすんごい喜びようだよね。


 半年以上も脅威に晒され不安な毎日を送っていた村の人達からすれば当然の喜びようか。もしも実家の方で似たような事になったら僕だってドンチャン騒ぎする。

 特に村長なんかは職権濫用ぼうけんの極みなのか、美人秘書と可憐なメイドさんと堂々とダンスをしていた。美女二人は寛大だね。

 

 今回のクエストの報酬は金貨二十枚。


 これはたとえば物価の高い王国の五大都市で羽目を外さなければ一月生活できる額だ。

 でも普通は通常種のドラゴン退治でも金貨五十枚は下らない。加えて今回のは食人ドラゴンだったから危険手当ても当然加算される。

 ただし、普通は。僕達は金貨二十枚よりは吊り上げなかった。ジャックはその点も含めて僕のためによしとしてくれている。山分けで金貨十枚ずつ。本当に不満はないらしい。

 僕はいい友人を持ったなあ。同じ村の同じ時代に生まれた巡り合わせに感謝だよ、

 討伐を終えて嬉し顔の村人達に囲まれてみれば、村を救えてよかったという安心と達成感しかなかった。


 今日でお祭り三日目の晩、村の配慮で僕達は飲食タダだし広場の出店で何か食べようとジャックと相談していると、初日も二日目もダンスをしていた村長が、ようやく最後のエンジョイを終えてよたよたしながらこっちに歩いてきた。


 ダンスで足でも痛めたのか、古びた木の杖を突いている。


「お捜ししていたのですよ」


 さっきまで若い美女と散々ダンスしていたくせによく言うよ……。

 ジャックは村長の隣に立つ秘書のしっとりと汗を掻いた細い首筋をガン見している。


 僕の心境なんて知る由もない村長は、何を思ったのか直前まで地面に突いていた杖を両手に掲げて恭しく差し出してきた。


「これは百年前よりこのシュトルーヴェ村に伝わる杖です。謂わば村の秘宝も同然。どうか御二方の冒険にお役立て下さい」


 え。先っちょに土付いてますけど……。

 って言うかたった今まで使ってたよねそれ!


「この杖に相応しい者が現れる日のため、盗難に遭わぬよう厳重に保管するようにと代々言い伝えられてきました。その重責も今日で終わります」

「えーと、はは、そうなんですか」


 尤もらしい話されてるけど誰もその使い古した杖見て盗もうなんて思わないんじゃないの? もう一度言うけど土付いてるし。ごぼうじゃないよ?

 まあそこを見なかったにしても、報酬外の品だし勇者でもない冒険者に村の秘宝とか過ぎるでしょ。

 そもそも僕もジャックも武器は剣と弓矢だから「杖」なんていらないしね。どこで僕達が相応しい者だって話になったわけ?

 むしろ、しなびた村長にこそ必要なアイテムなんじゃないかな。足腰弱ってそうだし。

 僕が失礼極まりない事を考えて躊躇していると、ジャックは「まあもらえるんならもらっとくか」と言って村長の手からあっさり杖を受け取った。


「えっ、ジャック!?」

「それでは私共はこれにて」

「えっ、村長!?」


 村長は美人秘書を伴い上機嫌に去っていく。

 僕は弱った顔でジャックと杖を交互に見やった。


「ちょっとジャック、ゴミもらってどうするの」

「道中の薪代わりにはなるって」

「いやまあそうだけど」

「――それは由緒正しき魔法杖です。前の所持者は百年前の勇者一行ですよ。文献でもそれより前の所持者は不明ですが、元々は高名な古代の大魔法使いが所持していた魔法具の一つとも言われています。見るからに古いですからね。他では決して売っていません。一点物のダブルどころかトリプルスーパーレアアイテムなのです。ですからアル坊ちゃん、くれぐれも燃やして暖を取ったりなさらないように」

「「…………」」


 耳の遠そうな村長と違って僕達の会話がしっかり聞こえていたらしいカールおじさんが、苦笑しながら歩み寄って来た。


「そんな大層な杖なんですかこれ? 見えない……」

「はっはっは、人と同様魔法具も見た目ではわからないものも多々あるのですよ」


 ジャックの手にあるそれをコンコンと指の関節で軽く叩く。やっぱりただの干からびた木の杖にしか見えないなあ。


「古代の大魔法使いの持ち物だったんじゃあ、燃やしたら祟られそうだよな」

「確かに……。だとしたらやっぱり余計にもらえないかも。僕たちそこまで魔法系特化してないし、正式な魔法使いの資格持ってるわけでもないし、ねえジャック?」

「そう言われればそうだな。やっぱ返すか」

「まあまあ、そう言わずに。村人の総意なのです。皆本当に感謝しているのですから。本当に必要ない品でしたら大きな街ででも売っ払えばよろしいんですよ。目利きが見ればこの品は結構な代物とわかるでしょう。その選択は坊ちゃん方の自由です」

「「……」」


 僕も人の事は言えないけど、カールおじさんは案外豪快な思考の持ち主かもしれない。

 村に伝わっていた大事な魔法杖をどこぞに売り払っても全然構わないとか……。

 もらう手前、かえって気が重くなる。

 そんな切ない扱いをされる杖を見ていたら逆に売れないよ。


「あなたったら、そんないい加減な言い方をしたら、坊ちゃんが困るでしょうに。でも本当に売るなり誰かに差し上げるなりしていいんですよ。それを使いこなせる者は村人にはおりませんし、その杖だってずっと村の保管庫で眠っているよりは、必要とされる人の手に握られていたいでしょうから」

「必要とされる人の手……」


 ってそれやっぱり村長じゃ……。


「俺は、リリーの手に必要とされたかった」


 ジャックは杖を見下ろして感慨深そうに呟いた。そしてその次には堪えるように唇を噛みしめる。

 ジャック……。何て声をかけていいのか……。


「リリーの小さな胸には俺の手が必要だった」

「え、ああ、そう……」

「ふふ、坊ちゃんのお友達は面白い子ですねえ。それでは今夜も存分に楽しんでいって下さいね」


 ステラおばさんはちょっと目元で微笑むと、おじさんを促して二人で向こうに行ってしまった。

 その後は余計なゴミいやいや有難いシュトルーヴェの魔法杖を一度置きに行き、後は浮かれる村の雰囲気に呑まれるように踊ったり食べたりした。

 更に数日のんびりと滞在後、とうとう出立の朝を迎えた。

 朝靄がまだ立ち込める早朝にもかかわらず、見送りに出て来てくれたステラおばさんから「道中に食べて下さいね」と袋にたっぷりと入ったクッキーを渡された。

 ここでしか手に入らない高回復アイテム「ステラおばさんのクッキー」だ。

 無論、普通に空腹を満たすおやつとしても食べられる。

 屋敷でお世話になっている間も実際におやつとして何度か出してもらった。もう地元産バターふんだんで香ばしくてサクサクでほっぺたが落ちそうになったね。

 けどまさか持たせてもらえるとは思わなかった。

 というか、いつ焼いてくれたんだろう。

 そういえば昨日は夕食の片付けの後も台所に灯りが灯っていて、調理の物音もしていた。

 朝が早いからと早々に寝てしまった僕の夢が美味しいお菓子に包まれる夢だったのは、きっと偶然じゃない。朝起きたら焼き菓子の類を焼いた残り香が家の中には漂っていた。

 感謝を口にし感激する僕とジャックの様子を眺め、おばさんは満足そうに頷いていた。


 それじゃあまたと僕もジャックもそれぞれ同じセリフを口にして、皆にゆっくりと背を向ける。


 カールおじさんも村長も秘書とメイドさんも、もちろん他の村人達も僕達を見送ってくれた。

 シュトルーヴェ村での出来事は、全てにおいてプラスに働いたのは言うまでもない。

 いつかまた遊びに来ようとジャックと楽しく話しながら村を後にした。






 村に居る間に、ジャックとは五大都市の一つ「ルル」を目指そうと決めていた。

 シュトルーヴェ村から一番行きやすいというか距離が近い五大都市がそこだったからだ。

 僕たちは時折りステラおばさんのクッキーを小腹に入れながら、ルルへの道中を過ごした。

 今はちょうどその途中にある街の安宿だ。とは言ってもここは今回のクエストを受けたギルドの支店のある街だ。旅に必要な物品を揃えたく、近隣で一番栄えているこの街に僕達は一旦戻ってきていた。


 深夜、宿の室内に、ぴちょん、と水道の蛇口から水が滴る音がする。


 蛇口の捻りをギリギリまで絞ったから次の落下の一滴に育つにはまだ掛かる。

 芳醇な果実が結実するように球になる水分子の集合体は、表面張力を凌駕する自重によって下へと引っ張られ、ぐぐぐ、とまるでいきむようにしてついに自らが生まれた丸い蛇口を離れる。


 ――機は、熟した。


「ふっ……!」


 小さな小さな透明な球体が真横からスッパリと切断された。

 それはより細かな無数の水球となって微かな音と共に床やシンクに散る。


「っふぅー……」


 ギラリと、剣刃に小さな蝋燭の光が反射する。

 僕は薄闇で自身を落ち着けるように深呼吸を繰り返した。


「これで、二十五匹目……」


 一段落。けれど油断はできない。

 獲物はすぐにまた目の前に現れるのだから。

 玉虫色のような不思議な色合いの双眸に力を入れ、僕は再び蛇口を睨んで剣を構えた。


「――おいアル? 台所で何やってるんだよ? 寝ないのか?」

「あ、ごめん起こしちゃって」

「いや、別にそれはいいけど、何やってんだそれ?」

「何って……水滴一つ一つを奴らだと思う事で、極限まで精神を研ぎ澄ませる修行だよ。目と口があるのを想像すると自然と剣技も冴えるしさ。鈍らないようにと思って。――スライムへの黒い昂りが」

「…………」


 後半部分は無意識に声が低くなった。たぶん瞳のハイライトも消えた。

 ただの安宿の水道水相手に真剣勝負を挑む僕を呆れたのか、ジャックはしばし無言になる。そうされると僕もさすがにやり過ぎた感が湧いてきて恥ずかしくなった。


「だ、だってスライムロスでさ。ドラゴン討伐後はシュトルーヴェ村じゃわいわいやってて周辺を探索する暇もなかったし、ここに来るまでだってスライムには一匹も遭遇しなかったし。……まあそれは奴らを徹底して狩った往路と同じ道だったからだけどさ」


 依頼を受けてシュトルーヴェ村に急いだ道中だったけど、僕たちは相変わらずスライムだけは実は手を抜かず狩っていた。だから一帯から綺麗にいなくなっていたってわけ。

 仄かな羞恥を浮かべ言い訳していた僕はふと気付く。

 暗くてもわかる。

 左手で口元をしっかり覆ったジャックは、涙ぐんでいた。


「えーと、ジャック……?」

「俺はっ恥ずかしいっっ、お前がそこまでスライム撲滅を第一としていたのにのうのうと巨乳おねーさんの夢を見てたなんて」

「いいんだ、自分を責めないでジャック。ぷるるんおっぱいは――ロマンだよ……!」


 そんな僕を見てジャックは英雄に救われたか弱き乙女のような目をした。


「ああ、ああ……っ、ロマンだ! でもリリーはちょっと微乳だった。でもな、俺はそれでも良かったんだッ。ただどうしても気にしてる風だったから、納得してくれるまで微乳の利点を列挙した。そして俺はどんなでもリリーを愛していると!」

「ジャック……」


 涙ながらの重大告白に、僕は静かに目を閉じると剣を鞘に収めた。


「それ、駄目なやつだよ……」

「――――リリイイイイィィィィィィーッッ!!」


 隣室からドンドンドン「うるせーぞ!」と壁を叩かれた。

 頭を抱えガタガタと震えながら後悔に苛まれる友人の肩に手を置く僕は、この時ばかりは母性がわかる気がした。


「とりあえず、もう寝ようか、坊や」

「ぐすん。うん、マム」


 傷心していても外さないノリの良さには感心する。

 それが我が親友ともジャックだ。

 聞き苦しい親友の嗚咽と共に、安宿の夜は更けていった……。





 隣室の客から怒鳴られた夜が明けた。

 旅費節約のために選んだ木賃宿の前で旅の荷物を背負った僕は、思い切り背伸びをして深呼吸。

 昨晩の仮想スライム修練のおかげで僕の気分は随分とすっきりしていた。


「はー! 早朝は気持ちいい~! ね、ジャック!」


 空気は冴えて澄んでいる。

 朝方のやや暗いうちに少し通り雨があったからだろう。

 歩道と違って舗装されていない土のままの車道には、所々水溜りが形成されていて薄い空の色を落とし込んでいる。

 まだ早いからか、通りには人が疎らだ。


「何でアルはそんなに元気なんだよ。俺は眠い……」


 一方でジャックは元気がない。少し目も赤い。


「あはは、――あれ? あそこ……リリー!?」

「何だと!?」

「な~んて。目が覚めた?」

「お前なあ……」


 半眼になるジャックは僕の悪ふざけに脱力して溜息をつく。


「ごめんごめん、でも目は覚めたみたいだね。じゃあ張り切って出発進行~!」


 必要に駆られない限りはお金のかかる交通手段は使わず、どんなに遠くても専ら徒歩で移動するのが僕達のモットーだ。

 そういうわけで目的地のルルへ向け、二人並んで歩き出した。

 シュトルーヴェの魔法杖はジャックの背荷物に差し込まれている。

 自分の武器の弓矢も持っているのに大変だなとは思うけど、何も考えず受け取った負い目からかジャックは自分で持つと言い張った。

 まだ売り払っていないのは五大都市のような大きな街での方が、より高値の付く可能性があるからだ。人や物が多く集まれば自然と目利きも多く集まる。

 もしかしたら高額な買い手の付くオークションに出品が可能かもしれない。貴重なアイテムや財物は、得てして金持ちや何らかの組織の蒐集対象となるからだ。

 まあどうなるかはわからないけど、折角の希少な骨董品を所持してるんだし、ルルの街に期待しよう。





 少年二人が通りを歩き出した頃、偶然にも近くを通りかかった一人の少女がいた。

 人の疎らな時間帯に歩いている他者に目を向けるのは、相手に大した興味がなくとも極々自然な反応で、彼女はだから何となく少年達の方に目を向けたのだ。

 そして両目を大きく見開いた。

 晴れた日の海のような青い瞳はしばしじっと動かず一点を見つめる。


「あれって……まっまさかもしかして?」


 放心気味の驚いた視線が注がれるのは、ジャック……ではなく彼の背荷物からはみ出している古そうな木の棒――シュトルーヴェ村の魔法杖だ。

 少女はしばし杖を凝視すると荷物の中から革製表紙がボロボロの分厚い書物を取り出してパラパラとページを捲った。そしてその内容と照らし合わせるように、再び杖へと目を凝らすと一つ頷く。


「や、やっぱりこれだわ。大魔法師ユリゲーラの幻の魔法杖。あの引っ張られるような濃厚なオーラ……絶対本物ね。だけどこの百年所在不明だったのに、こんな所で見掛けるなんて、この上ない奇跡じゃ……?」


 小鳥のさえずりのような可愛らしい高い声は、しかし少年たちには存在を悟られないよう極力抑えられていた。

 深く被った旅装のフードの端で、跳ねた栗色の毛先が微かに揺れる。


「でも何であの人が? 到底あの杖を使えるような魔法使いには見えないのに。それに弓矢を持ってるって事は武器として使ってるのよね。そっち使ってたら杖使う暇なんてないと思うけど、二刀流なのかしら」


 彼女はやや悔しそうにした。


「……どうしてあたしの杖じゃないんだろ」


 ゆっくりと遠ざかって行く背中をしばし睨むように見据えていたかと思えば、彼女は別方向を向いていた自らの爪先を返す。


「気になるし、しばらく様子を見てみよう」


 そうして少女は二人の少年の尾行を開始した。

 自身の武器である「魔法の小枝(杖ランク下から二番目)」を握り締め、前を行く少年達を追いかける。因みに一番下は魔法の藁しべと言われている。

 物陰からじっと見つめては追いかけ、また隠れては様子を窺う。

 人の疎らな早朝と言う事もあって悪目立ちする旅装の人物を、朝の早い使用人や卸し業の商人達は不審そうに見つめていた。


 知らないうちに尾行者を引き連れた少年二人が、何度かの野宿と安宿を経て五大都市の一つルルに着いたのは、彼らが尾行けられてからかれこれ十日後の事だった。シュトルーヴェ村を発ってから数えるとおよそ二十日と言ったところだ。


「……あ、あの人達絶対おかしいわ。必要以上にスライムばっか追いかけてたし、その間だけは有り得ないくらい活力が漲ってて強かった。もしかしてスライム中毒者ジャンキーなの……?」


 冒険者の中には戦闘における快勝、つまりは爽快感をただひたすら追い、脆弱な魔物ばかりと戦う者もいる。野宿のせいで沢山の葉っぱを頭にくっ付けた追跡者の少女は、茂みの陰から震える声で呆然と呟いた。


「でももしかして、彼らなら……」


 彼女は珊瑚さんご色の唇をきゅっと引き結んだ。





 王国五大都市ルル。

 滞在二日目。

 一日目は到着が夜遅かったのもあって、素泊まり同然に宿の部屋を取っただけだった。僕もジャックも連日の疲労が積み重なってくたくたで荷物を置いてそのままベッドに倒れ込むようにして寝ちゃったっけ。遅い時間だったけど追い返されず部屋を取れただけでも正直有難かった。

 最初は野宿続きで小汚い恰好をした夜遅い客を面倒そうにしていた受付の人も、僕の身分証を見ると掌を返して部屋を案内してくれたっけね。

 ああ、こんな時は田舎貴族でも貴族って身分が役に立つ。……ちょっと複雑ではあるけど。

 ずっと歩き詰めだった旅の疲れをできるだけ癒そうと、安宿じゃなく標準レベルの宿を取ったおかげで疲労回復効果は抜群だった。

 疲れた体は正直だ。やっぱりベッドはふかふかがいい。

 ジャックも同じだったみたいで、ワンランク……いや僕ら的にはスリーランクは上げたからか、二人で朝から変なテンションだった。いつもの事とも言うけど。


「ジャック、この旅の目的は何だ?」


 自炊朝食を終え、食後の紅茶やコーヒーなんて贅沢は我慢して水でやり過ごした僕は、やけに真剣味溢れる顔で友に問うた。

 ベッドの端に腰かけるジャックは、見つめていたリリーの擦り切れた写真から顔を上げる。最近の写真なのに、随分と昔の写真のように手垢に塗れてボロイのは、それだけジャックの執着……いや愛が深いからだろう。


「目的? そんなの決まってるだろ――スライム撲滅!」

「そう! その通り!!」


 僕は教壇に立ち熱弁を振るう教授のように、部屋のテーブルに両手を付いて身を乗り出した。置かれていた水の入った木のコップが僅かに跳ね、中の水が些か零れた。

 僕の気迫にジャックは無意識に写真を持つ手を膝の上に戻し姿勢を正し、やや息を呑んでこちらを見つめる。


「ア、アル……?」

「なのに我々ときたらどうだ? 道端で遭遇したスライムは残らず狩るけど、本格的な奴らの討伐計画を立ててもいない。つまり目的に向かって前進なんてほとんどしてないんだよ!」


 ジャックは女主人の浮気を目撃した家政婦のようなショッキングな顔になった。


「そ、そんな、ああでも思い返せばそうだ。俺達はスライム撲滅キャンペーンを打ち出しておいて、何一つ大々的に活動してなかった。道中での局地的根絶やしや山頂湖での殲滅せんめつは偶然の産物だ」


 現実に打ちひしがれるジャック。悔いるように握り込まれた手の震えがダイレクトに伝わって、リリーの写真が小刻みに震えている。

 僕は今か今かと出産の報を待つ急っかちな夫のようにテーブルの前を行ったり来たりを繰り返す。


「そうだろうそうだろう。故に僕達は心を入れ替え再出発を図らなければならない! そうは思わないかい、我が同志よ?」


 立ち止まりくるっと顔だけをジャックに向けた。


「賛同する!」

「うむ。そこでだ、次のクエストは討伐対象をスライムに絞ったものにしようと思うんだけど、どうだろう?」

「異議なああああし!!」

「うむ! では早速ギルドに出陣だ」

「うおおおおおおお!!」


 そんなこんなで僕達は朝から意気揚々とルルの冒険者ギルドへと赴き、クエスト掲示板を見に行く事にした。

 国で五本の指に入る大都市のギルドは建物からして一流ホテルのようだった。敷地が広いしでっかい石造りの建物は十階以上ある。地上から幾つも伸びる尖塔なんかはもっと高い。見上げていたら首が痛くなった。

 田舎の支店だと高くても三階とか四階だし平屋だったりする地方も珍しくないから、大都市はやっぱり規模が違うなあ。見る限り外壁のどこも欠けたり崩れたりしていないし植物の蔦だって這ってないで綺麗なのは何らかの魔法を仕込んであるからかもしれない。

 勿論凄いのは外観だけじゃない。さすがに各地から数多のクエストが集中する掲示板は段違いだった。ちょっとしたギャラリーって言っても過言じゃない広さの壁に整然と依頼書が貼られていて、地方の所狭しと貼られていた掲示板と違って縦横揃っていてとても見易かった。

 沢山の募集を隅々まで一通り見て回って疲れた僕達は、一旦休憩スペースに赴いた。


「うわージャックあそこ時計見て、早い時間に来たのにもうお昼少し過ぎてるよー」

「あー、何百って依頼書読むだけで結構掛かったな」

「ねー。骨が折れた」


 僕は力なく一人掛けソファの背凭れに仰向けになった。向かいではジャックも同様のソファで寛いでいる。


「ねえジャック、クエストさ」

「ああ、うん、クエストな」


 だらりと両手を脇に垂らし、動物園なんかでダレているクマみたいな事になっている僕は、同じような体勢でギルドロビーの天井を見上げるジャックと阿吽の呼吸で結論を口にする。


「「――一個もない」」


 くうぅっ……!

 僕達は腕で目元を押さえた。

 スライムの討伐依頼は一件として見当たらなかった。

 そりゃそうだ。

 最弱~底辺レベルしかいないスライムをわざわざ討伐してくれなんてクエスト、あるわけなかった。だってそんなのそもそも自分でやった方が早い。ベベチッとね、うん……。

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