始まったばかり

「俺はそう思うんですけどね、ルンちゃんはどうかな?」

「……ウキ?」

「聞いてなかったろ! あと2日しか無いんだぞ!」

家の手前。月明かりが周囲を照らし森の怪しさと不気味さを掻き立てる中、俺達は漫才の練習をしていた。

相棒はルンちゃんだ。

「良いか、さっきのはボケるんだ」

「ウキ? ウキウキ」

「ん? ああそっか、ボケとか知らないか」

俺はルンちゃんが見える範囲で移動し、見本を行った。

「良いか、俺が話しをふったら」

その場で倒れ込む。

「こんな風に、大袈裟にするんだ」

「ウキ、ウキ」

月明かりに照らされるルンちゃんの毛は、普段の赤茶けた色ではなく、ぼんやりと黄金色に見えた。

ランに毎日毛を整えてもらっているため、初めて見たときよりも上品に見える。

また、眼も前と違って穏やかだ。ルンちゃんを通して平和な毎日を垣間見えそうだ。

俺は倒れたまま、草の匂いを嗅いで何となくルンちゃんに質問してみた。

「なあ、ルンちゃんは俺より、ランに主人になってほしいか?」

「ウキ?」と首を傾げるルンちゃん。

当然と言えば当然の反応だ。


昨日の事だ。


「3日じゃ」

ラミージュは指を3本立てる。

「儂は3日間ここに残る。それまでに賢者殿を元気付けるのじゃ」

「何で3日何だよ?」

「儂は今王国に仕える魔女として働いている。こう見えて忙しい身なのじゃ」

ラミージュは、大袈裟にため息を吐く。

俺はスープから鶏肉を掬い上げ、口に運ぶ。

今夜の料理は鶏肉とキノコのスープ、ハーブを生地に混ぜたパン、ナッツサラダだ。

どれも香りが良く食欲を刺激される。

「理由は分かった。けど、急ぐ必要は無いだろ」

流石に3日は無理だ。漫才を知っている俺はともかく、ルンちゃんは漫才どころか、ボケもツッコミも知らない。

教える時間が必要だ。

「それがの~、そうでもないのじゃ」

ラミージュは困った風に片手で頭を抑える。

「最近、とある魔物の目撃情報が増えてきての、その魔物が村や森を焼いているんじゃ。

その事を知った賢者殿は落ち込んでしまい森そのものの活気が失われているんじゃ」

ランに出してもらったお茶を啜るラミージュ。

啜る音は一切しない。

「森から活気が無くなれば、森に住むセレラントが食料を求めて森から出るかもしれぬ。そして、森の加護が弱まれば、強力な魔物が王国に攻め込むかも知れぬのじゃ」

そんなに重要な場所だったのか、と俺は賢者の森にあるこの家が、どれだけその加護を受けているかを知った。

「じゃから、森の賢者殿には早く元気になってもらいたい。頼めるかの?」

ルビーの様に紅い瞳に、真剣味が宿っていた。正に魔女のような魔性の瞳。

「分かった、必ず元気付けて見せるよ」

それを聞いたラミージュは、どこか嬉しそうに微笑んだ。

「ラミージュ様、お風呂の準備が整いましたよ」

とランがタイミング良くやって来た。

「うむ。さて、久しぶりにゆっくりと浸かるかのう」

出された料理はいつの間にか綺麗に完食されていた。

俺は、少し冷めたスープを再び救って口に運んだ。


星が綺麗だ。

元の世界でも星は見えていたが、化学物質などで汚れた空とは違い、空気が澄んでいて、星がたくさんある。

「どしたの?」

視界にヨーンの顔が入った。

「いや、ちょっと考え事を。練習に戻るよ」

立ち上がる俺、しかしそれは叶わなかった。

「えい」

「うわっ!?」

ヨーンに引っ張られ、倒れ込む。

「たまには横になってみなよ、トウマは頑張りすぎ」

俺は、ヨーンの膝元に頭を乗せた形になった。

つまり、膝枕だ。

「ちょっ、良いのか?」

「良いの良いの、減るもんじゃないし」

と、ヨーンは軽く受け流す。ヨーンの厚意をありがたく受けとる形で、そのまま横になった。

気恥ずかしさに耳が熱くなるのを感じ、周りが暗い事に感謝する。

「辛い?」

ヨーンは優しく微笑んで聞いてきた。

「流石に2日は辛い」

「そっか」

会話はそこで終わり、葉っぱ同士が擦れる音と、虫の音(ね)が静かに響く。

「……」

改めてヨーンを見る。

海の様な瞳に、星が写っている。肩までかかる黒髪は星明かりを得て優しく光る。

俺は思わず息を呑んだ。

普段、寝ぼけた顔しか見せない彼女。だから、不意打ち気味に見せた優しい表情に心が惹かれた。

こんな顔も出来るんだな、と。

「どしたの? 真剣に見てるけど」

ヨーンは珍しく顔を赤らめる。女性らしい彼女の反応に、顔が熱くなる。

「いや、何でもない」

そのまま時間が流れる。

彼女の体温が伝わる度、心の中の何かが少しずつ溶けていくような感覚がした。

それは不安かも知れない。先程まであった、心臓をキリキリと締め付ける痛みがないから。

それか、恐怖かもしれない。見えない未来に怖がっていた自分がいないから。

ヨーンによって溶かされていく心の不安。まるで、暗闇に輝く灯りを見つけた蛾のような気持ちで、神様に祈りを捧げる信者のような気持ちで、体から力が抜けていった。

だからだろうか、ぼそっと口が開く。

「俺さ、ルンちゃんの主人に、本当に向いてるのかな」

彼女に尋ねる。蒼い瞳がこちらに向いた。

う~んと考えた後、彼女は答えた。

「向いてないんじゃない」

ガックリとする。そうはっきり言われると応えるものがある。

「はっきり言うなよ」

「だって、本当じゃん」

クスリと笑うヨーン。彼女は夜空を見上げた。

「トウマは、ルンちゃんの主人というより、お兄ちゃんって感じだよ」

意外な事を言われた俺は、目を丸くした。

「お兄ちゃん?」

「うん、お兄ちゃん」

あははっ、と俺は苦笑した。

「じゃあ、俺とルンちゃんは同じってことか」

「うん、良い意味で、だよ」

その言葉の意味が分からなかった。

「良い意味?」

「うん。トウマといるルンちゃんは、すっごく自然で、とても生き生きしてるんだ」

そうなのか? と俺はルンちゃんの事を思い出す。

しかし、どの記憶を覗いてもそんな風には見えない。

「トウマとじゃれてる時、いつも楽しそうだな~って思ってるよ。

何かをやる時だって、ルンちゃんは真面目にトウマの言うこと聞いてるし。頼りにしてるみたいだよ」

「……知らなかった」

驚いた。でも確かに、ルンちゃんはお手玉やじゃんけんの時もじっと聞いていた。

それを知った俺は何だがルンちゃんに申し訳ない気持ちになった。

ただの生意気な猿だと思って、そう思い込んで、見落としていた。

「当然だよ、トウマもルンちゃんも、まだ兄弟になったばかりなんだよ」

宥(なだ)めるように、俺の言葉を制す。

ヨーンの声は優しくて、ゆっくりで、でも芯が通っていて、何とも不思議な心地だ。

「きっと、ルンちゃんも頑張ってるよ」

その言葉を聞いた俺は立ち上がり、ルンちゃんの側まで歩む。

もし俺が兄なら、弟に任せて良いのか? 出来ないと決めつけて頑張ってる奴の努力を無駄にして良いのか? いつも張り合って生意気で、ランやヨーンに弱くて、俺にだけムカつく態度を取る猿だ。けど……。

それでも真剣に付き合ってくれるのは、俺のためじゃないのか?

「ウキ、ウキウキ」

「ごめんなルンちゃん、じゃあ、色々教えるから、頑張ろうぜ」

俺は早速ボケをいくつか教える。

上体だけこちらに向けて、見守るヨーン。

「ありがとう、ヨーン。何かスッキリした」

「良かったね、後さ、寝て良い?」

「おう! 終わったら起こすよ」

ヨーンはアザラシの皮を被って眠る。

不安はある。焦りもある。

しかし、それ以上に信頼されている。

その気持ちに答えるため、絶対に成功したい。いや、成功させる!

「ルンちゃん、俺達ならやれる。だから頑張ろうぜ!」

「ウッキー!」

男と猿の雄叫びが、夜の森に響いた。

種族は違うが、同じ意思を持った、兄弟同士が叫んだ。

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