第三章「死して生を学ぶ」 第三節

「ここが倉庫です」

 エレベーターの扉が開き、ボタンの前に立っていた命が先に降りた。

「そう言われても、いま乗ったばかりなんだけど……」

 エレベーターに乗り込み、命がボタンを押して扉を閉めた。だが、すぐに扉が開いて、彼が外に出てしまったので、麗子は不完全燃焼だ。

「一々エレベーターに乗らなくていいと思うんだけど」

 麗子も、不服そうにしながらエレベーターを出た。

「そんなこと言われましても、そういう仕様なもので。文句はハデス様にどうぞ」

 命は先行し、短い通路の突き当たりにある扉へ向かった。

 先ほどとは違い、近代的な建物の内装らしい通路。その先にあったのは、アルミかスチール製の一枚扉で、《倉庫》と書かれたプレートがついていた。

「倉庫ね」

「倉庫ですね」

 二人は、そのプレートを見つめて言った。

「ここで服装を変えていただきます。あと、死神のシンボルである鎌を支給します」

 命はノブを回し、扉を押し開けた。

「あ、やっぱり変えなきゃダメなの?」

 麗子も後に続いた。

「あれ? 倉庫って言う割には、なんにも無いじゃん」

 扉の向こうには、10畳ほどの何もない部屋があった。壁、床、天井があるだけだ。

「中央にある陣の中に立ってください」

 命は扉を閉めると、部屋の中央を指差した。

「ジン? ああ、アレね。……これは、魔法陣?」

 大理石のような床の中央に、魔法陣のようなものが描かれている。

 数人が立てるような大きさの黒い円があって、その中に何度も見ている黄金色の天秤が描かれていた。

 麗子は、言われるままに魔法陣の上に立った。すぐに振り返り、扉の前にいる命をうかがったのだが、急に真っ暗になった。

「うわっ!」

 麗子はいま、魔法陣が生み出した漆黒の円柱の中にいる。

「大丈夫ですよ、害は無いので安心してください。すぐに終わります」

「うっ、うん。……で、これってなんなの?」

「いま、服装を変えているところで、ようは目隠しです。更衣室のカーテンみたいなものですよ。見た目は服を着てはいますが、脱ぐことはできませんし、かといって人前で裸にするわけにはいきませんからね。そういう配慮です」

「なるほど。でもさぁ、先に言ってくれてもいいんじゃない?」

「そんなことをしたら、面白くない」

「……ほんと、キミはいい性格してるよね」

「ふふっ、ありがとうございます」

 それからまもなく、漆黒の円柱が魔法陣の中に戻るようにして消えた。姿を現した麗子だが、その身なりは一変し、カジュアルなスーツを身にまとっていた。スーツも、ワイシャツも、パンツも、濃淡の差はあれど、すべてが黒い。

「おお! ……って、なんでスーツ? しかも、なにこれ? 喪服?」

 麗子は、自分の身なりが変わっているのに気づき、見下ろすようにして確認した。

「その方に一番合ったいでたちが自動的に選ばれる仕組みです。ちなみに、ボクのこれは、その仕組みが無かった頃のものなので、これぞ死神という感じですね」

 命は、ぼろきれのようなローブの裾を広げた。

「でもさぁ、これだと、まんまOLじゃない?」

「確かにそうですけど、でも、よくお似合いですよ。死神に見えないこともない」

「そうかなぁ?」

 麗子は納得いかず、小首をかしげた。

「残念ながら、死神は奴隷。服装の変更は許されません。我慢するか、諦めてください」

「はーい」

 麗子は渋々応じ、魔法陣の外に出た。

「ちなみに、すでに鎌を背負っていますよ」

「え? うわっ、ほんとだ!」

 麗子は、顔だけで後ろを振り返り、右肩の向こうに、見覚えのある黒くて長い柄があるのに気づいた。左の脇の下から後ろを覗けば、真紅色の三日月もあった。

「なんか怖いなぁ……」

「切れたりしませんから、大丈夫ですよ」

「そう言われてもねぇ」

 鎌に対する恐怖心があるのだろう、表情が強張っている。

「右手を掲げて、鎌をその手に掴むイメージをしてみてください」

「掴むイメージ……?」

 言われるままに右手を掲げ、鎌を手に掴むというイメージを頭に思い浮かべた。すると、背負われていた鎌がひとりでに背中を離れて宙を舞い、柄の部分が彼女の手に納まった。すると、刃が広がり、より見事な三日月を描いた。

「うっ、うおお、物騒だなぁ……」

 麗子は怖気づくも、軽く振ってみた。重さとかは感じられないので楽に振れるが、どうにも実感が湧かない。

「これで、人の魂を刈り取ったりするんだね……」

 麗子は、見るからに鋭い刃を見つめ、息を飲んだ。

「いえいえ、そんなことはしませんよ。それは空想上の死神の話です。ボクたちは生きている方の魂を刈り取るようなことはしません」

「え、そうなの?」

「はい。前にも言いましたが、ボクたち死神は死を齎したりせず、死が訪れた方にその事実を伝え、その後のお世話をするのが仕事です。通常は鎌として使うことはありません。死神イコール鎌というイメージが定着してしまったためのもので、シンボル的な存在でしかないんです」

 命は、麗子が手にしている鎌を指差した。

「へぇ、そうなんだ。……ん? 通常ってことは、そうじゃない場合もあるってこと?」

「鋭いですね。そのとおりです。この鎌を使う場合もあります。死者の方の中には、死んだという事実を受け入れず、手順にも従わず、逃げてしまわれる方がいます。通常であれば説得してなんとかご理解いただくのですが、頑なな方はいて、どうしても応じてくれず、制限の48時間を超えてしまった場合、強制執行を行わなければなりません。我々にはその権利があり、この鎌はそのときに使います」

「強制執行って、強制的に天国や地獄に送るってこと?」

「そうです。この鎌でまさに魂を刈り取って善悪を査定し、天国と地獄のどちらかへ強制的に進ませます」

「地獄に落ちるのを拒否したくなるのはわかるけど、天国の人もいるの?」

「ええ。天国、地獄に関わらず、死んだこと自体をどうしても受け入れられない方はいらっしゃるものです。理由こそ様々ですが、例えば、幼い子供を残して死んでしまった方がいたとして、どうしてもそばで見守りたいから従わない。そんな場合もありますよ」

「……その願いを聞き入れちゃ、ダメなんだよね?」

「ダメですね。死者を現世に留まらせてはいけません。危険です」

「危険?」

「死者というのは時に、生きている方、“生者”の方に悪影響を及ぼしてしまうことがあるんですよ」

「それって、例えば、“悪霊”とかってヤツ?」

「そのとおり、まさに悪霊です。中には、人を殺めてしまうほど強力な悪霊もいます」

「ホッ、ホラーだね……」

 麗子は、悪霊を題材にしたホラー映画を思い出し、顔を強張らせた。

「順を追って説明するつもりでしたが、話題に出たのでいましちゃいますね。――ですが、その前に、悪霊についての説明をするためにも、必要な専門用語などの予備知識を覚えていただきます。急だとは思いますが、いますぐ覚えろとは言いません。とりあえず聞いてください。とはいえ、いまのボクたちには脳が存在しないので、一度聞けば忘れませんが」

「うっ、うん」

 麗子はとりあえず頷いた。しかし、その手に鎌を持っているのでどうにも落ち着かず、ソワソワしてしまう。

「ねぇ、これ、どうしたらいい?」

「背負う場合もまたイメージです。あ、背負うのがお嫌でしたら、ボクが身に着けているこの腕輪や、イヤリングなど、装飾品を頭に思い浮かべて、それになれと命じてください。変形しますので」

「へぇ、そういうのもありなんだ。……じゃあ、指輪!」

 麗子が念じて命じたところ、鎌が光り輝いた。光の粒子となり、麗子の右手の薬指にまとわりついて、指輪と化した。

「おお! ――って、ダッサァ!?」

 右手を伸ばして指輪をうかがったところ、漆黒色のドクロで、両目の部分に赤い宝石があるという、どこぞのおみやげで売っているようなデザインだった。

「そのデザインはハデス様がお考えになられました。変更は不可です」

「悪趣味……。他のにしようかなぁ」

「構いませんが、どれも似たり寄ったりですよ」

 命は、左手首にしているあばら骨のような腕輪を見せた。

「これでいい……」

 麗子は諦めた。

「では、予備知識の説明を始めますね」

 命はその場にしゃがみ、正座した。麗子も合わせなきゃいけない気がして、正座した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る