第二章「死と太陽は直視できない」 第五節

 東京都は墨田区押上の地に聳え立つ、日本一の建造物であり、世界一の電波塔でもある、東京スカイツリー。

 その頂上、634メートルのその上に、二つの人影があった。

 幽霊と死神、麗子と命である。

「夜なので、山とか海とか景色は見えにくいですが、東京の夜景は一望できますよ」

 命は、断崖絶壁にも等しい端っこに腰かけて、サンダルのような靴を履いたその足を投げ出し、ブラブラさせている。目下には、満天の星空のような大地が広がっていた。

「立花 麗子さん、あなたもどうです? 生きているときにはまず見られない眺めですよ」

 命は後ろを振り返り、這いつくばっている麗子を見やった。借りてきた猫のように大人しく、ビクビク、オドオドしている。

「えっ、遠慮するわ……。いまはそんな気分じゃないし……。あと! 一々フルネームで呼ぶの、いい加減やめてくれる? 聞いてるこっちがめんどくさい!」

「これは失礼しました。では、今後はどうお呼びしましょうか?」

「麗子で! 名前でいいから!」

「わかりました。それでは、今後は“麗子さん”とお呼びしますね。――ところで、麗子さんは高いところが苦手ですか?」

「いや、別に、高所恐怖症とかじゃないけど……」

「じゃあ、大丈夫ですよ。さぁ、せっかくですから」

 命は手を差し伸べた。……が、麗子は頑なに動こうとしない。

「もしかして、怖いんですか?」

「あああっ、当たり前よっ! 怖い! 怖いわよ! 落ちたら絶対死ぬもん! 命綱とか無いもん!」

「アハハッ、素直だなぁ。そんなことないって強がるのかと思いました」

 命は意地悪な笑みを浮かべた。

「アッ、アンタ! さっきまでと態度違うわよ!」

「えー、そうですかぁ?」

 命はわざとらしくとぼける。

「さっき叩いたこと、実は根に持ってるでしょ! その嫌がらせでしょ! これ!」

「心外だなぁ。そんなつもりないですよ。さっきも言いましたけど、叩かれたって痛くも痒くもないんです。それなのに、根に持ったりなんかしませんよ。ここにお連れしたのは、この絶景を見せてあげたかったのと、ちょっと怖がらせるためです。あと、逃げられないようにするためですよぉ」

「普通に本音ぶっちゃけた!?」

「アハハッ。よっこいしょっと」

 命はゴロンと後転し、器用に立ち上がった。

「冗談はこのぐらいにして。時間が限られているので、善悪を査定させていただきますね」

 後ろを振り返ると、左手を前に突き出し、黄金色の腕輪を黒い本に変えた。

「え、時間が限られるの?」

「はい。死後48時間以内に、現世から旅立たせなければいけない決まりになっています。それを過ぎると、責任者であるボクが怒られちゃいます」

「怒られるだけなの?」

「度が過ぎるとそれだけでは済まない場合もありますね。――では、どうぞ」

 命は、麗子の前にしゃがんで正座すると、黒い本を両手で抱えて差し出した。

「時間はまだ充分にありますので、心の準備が整ってからで構いませんよ」

 命は笑顔を浮かべた。それを無言のままに見つめる麗子は、時間をかけて身体を起こし、彼の真似をするように正座した。目の前にある、黒い本の表紙に描かれている黄金色の天秤を見つめ、恐る恐る、利き手である右手を伸ばす。

「……悪人だってわかった途端、地獄に引きずり込まれたりしないでしょうね?」

 麗子は上目遣いになり、命を睨んだ。

「それはありません。悪人とはいえ、問答無用というわけではないです」

 命は首を横に振った。

「それならいいけど……」

 麗子は手を伸ばすも、身体が逃げてしまっていた。もう少しで触れるのだが、そのもう少しがなんとも遠い。

「あー、もう! めんどくさい!」

 麗子は苛立って口癖を漏らすと、意を決し、右手で天秤を叩いた。

 すると、手の下にある天秤が光を放ち、無数の光の粒子となり、描かれているものと同じ黄金色の天秤を手の甲の上に生み出した。

 天秤の中央にある支柱の先端は燭台のようになっていて、青い火が点った。

「これが麗子さんの魂です。大きく、力強く燃えていますね。それに、色が澄んでいる。良い魂だと思います」

「あ、ありがとう……」

 麗子は、素直に喜べなかった。

 そのとき、吊るされている二つの受け皿に、二色の火が点った。

 白い火と、黒い火だ。

「白い火が“善”を表し、黒い火が“悪”を表しています。これから、どちらがより重いのか調べます」

 命が説明している間に、二つの秤が交互に上下に揺れだした。それが徐々に大きくなり、あるときに弱まって、ピタリと止まった。

 ほんのわずかな差だが、より深く沈んだのは、黒い火が燃える受け皿のほうだった。

「あれっ?」

 それを見た命は、驚いた顔をした。

「ねぇ、これって、どういうことになるの?」

 麗子は、不安そうに天秤を指差す。

「………………先ほども言いましたように、黒い火は“悪”を表しています。それがより深く沈んだということは、麗子さんの魂は、悪のほうが割合として重いわけで、それはつまり……麗子さんは、天国へは進めません」

「……それって、地獄に落ちるってこと?」

「はい」

 麗子は、がっくりと項垂れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る