第13話 大丈夫2

「お前、こいつの友達なのか?」

 ゲタ姉さんは、あいつの問いを無視し、さらに質問を重ねた。突然割り込んできた人間に多少戸惑う様子を見せたものの、あいつの余裕が削がれることはなかった。


「まあ、友達ですね。今も、ここの会計を彼が払ってくれるって。親切にも。なあ?」

 言葉は、嘘を本当に思わせる努力すらなかった。仮にゲタ姉さんが、ぼくの親族だとしても、まかり通す自信があるのだろう。その余裕に気圧され、ますます喉は閉まり、声を出せなくなった。


「そうか。友達か」

 あいつの言葉に、まさか納得したとは思えないが、ゲタ姉さんは、くるりと反転し、ぽつりと言う。


「だったら、遠慮ないな」何が? という問いをかき消すように、バツンとゲタの音が響き渡った。

 次の瞬間、振り向き様の手刀があいつを襲う。ゲタ姉さんの手刀は、およそ手刀とは思えない威力で、あいつの腹にめりこんだ。

 あいつは何があったのかさえ、わかっていないのだろう。うずくまりながらも、辛うじて口が動くのだけ見える。何するんだ、と。ぼくにわかるわけがない。


「おい、お前演技下手すぎか」

「いいから、いいからそういうの。つまんねえ」

 他の二人は、笑いながらことの次第を見守っていた。どうやら、仲間が崩れ落ちたのをオーバーリアクションだと見て取ったらしい。確かにあいつならやりかねない。

 やがて、涙目で呼吸を荒げる仲間を見て、ただごとではないと気づき始めた。


「やばいだろこれ」

「お前の兄ちゃん、頭おかしいんじゃねえの」

 状況を把握したあいつらが口々に野次を飛ばす。だが、その野次は耳に入らない。

 お前の、兄ちゃん?


 ゲタ姉さんは、また勢いよく足を踏みこみ、ゲタを鳴らした。まるでそれが合図とばかりに。

「お、ね、え、さ、んだ! あほうどもが!」


 あいつらが順々に沈んでいく様は圧巻だった。腹部へ的確にヒットする手刀は、防御すら許さない。彼らは抵抗もなく破れていった。

 まばたきをする間に、三人は膝をつけ、悶絶する形になる。あの手刀、もといチョップを自分が受けていたらと思うとぞっとした。


 ゲタジャージの奇人の前に、悶絶する中学生が三人。通報されれば、かなり不利な状況ができあがっていた。幸い通行人はいなかったが、窓の向こうの後輩たちは、どうすべきか戸惑っている。もしも彼らが然るべき行動に走れば、弁解の余地はない。世間は、ぼくの境遇なんて興味ないだろうから。


 ゲタ姉さんは、そんなぼくの焦りも、お構いなしに、膝をついた三人の前に立ちはだかり言い放つ。

「友達なんだろ? 軽いスキンシップだ」

 ゲタ姉さんはケタケタ笑った。「お前らもやってたんだろ? 」

「意味、わからねえ」あいつらは、息絶え絶えににらみ返すが、ゲタ姉さんは、鼻で笑った。


「わからないなら友達じゃないな」続けて彼女は、ぼくを指差し言う。「こいつは、何度も受けてくれたぞ」

 なあ? とゲタ姉さんが振り返った。言葉はいらなかった。


 その瞬間、何かが、溶けていくのを感じた。それはそのまま胸を満たし、全身を駆け巡った。ぼくは、すんでのところを鼻の奥で塞き止め、あいつらを見据える。

 あいつらは睨んでくるも、ゲタの音がバツンと聞こえた途端、ピクリと警戒し、大人しくなった。


 今度は、笑いがこみあげてきた。決して相手への侮りからきた笑いではない。今まで、必要以上に怯えていた自分に笑えてきたのだ。そして、これからはもう怯えることもないという安堵の笑いでもあった。


 友達が、できたんだ。


 ぼくは、三人の前に出た。近づいたのが、ぼくだとわかると、再び彼らは物騒な目付きになる。

 だけどもう、負ける気がしなかった。腕力で叶わないとしても。また、村八分にされたとしても。たとえ不安があろうとも。全く関係ないことだった。


「お前、どうなるかわかって……」

「ごめん」

 ぼくは、あいつの言葉を遮り、謝ってやった。今までのぼくを期待されているのだとしたら、それには応えてやれないから。


「ごめん。もうお前らのこと怖くない」




 人ごみが増えてきた。よもやぼくがサボったことなど誰も知らないかのように、人々は無関心にすれ違っていく。


「この犬、なんで人気なんだ?」

 コインロッカーから、ぬいぐるみを取り出すなり、ゲタ姉さんは言った。

「犬だからでしょ」

「猫でもいいだろ」

「猫派ですか」

「カピバラ派」


 駅をうろつきながら、他愛ない話ばかりしていた。別段、互いの情報を交わすわけでもないのに、話は尽きなかった。

 だけど、空は暗くなる。

 今日だけ日が長くならないかと思いもした。

 なぜなら暗くなったら、帰らなければいけないから。


「ほら。帰りの切符」

 ゲタ姉さんが差し出してくれる。もし受け取らなければ、この時間がまだまだ続くのではないか。そんな乙女チックなことまで考える。いや、ただの駄々っ子だ。それは、まるで乗り物のアトラクションを降りたくない子どもが、自力で揺らし、抵抗する仕草に似ている。あいにく、ぼくは、もう子どもじゃない。

 受け取った切符の数字は、やけに無機質に見えた。


 改札は、帰宅ラッシュの影響で混雑していた。数ある改札も一列しか通れない。タイミングを逃せば、後ろから人が追い抜いていき、改札に吸い込まれていく。ゲタ姉さんは、ぼくに先に行くよう促した。

 切符を機械が飲み込み、急かすように別の口が吐き出す。彼らも大変だ。


「もう大丈夫だろ」


 切符を取ると同時に、後ろからゲタ姉さんの声がした。今までにないくらい穏やかな口調に、どういうわけか嫌な予感が走った。

「なにがです?」

 すぐに振り返る。しかし、サラリーマンのおじさんが怪訝な顔で、こちらを見ているだけだった。別の改札を見ても、しばらく待ってみても、ゲタ姉さんの姿は、どこにもなかった。

 放送で呼んでもらおうかと思ったけれど、彼女の本名を覚えていない。連絡先も、どこの誰なのかも。ぼくは、彼女のことを何一つ知らなかった。


 一縷の望みにかけて、最初の駅に向かった。だが、結果は同じだった。あの奇抜な格好を見落とすはずがない。

 改札をくぐってしまった上に、お金もないので、戻ることすら叶わない。ぼくは、忠犬さながらに待つことしかできなかった。


 外はすっかり暗くなり、膨大な量の人たちが通りすぎていく。こんなにも人がたくさんいるのに、待ち望む人は現れない。それは微かな絶望を産み、やがて諦念に変わっていった。

 やがて仕事帰りの父に発見され、強制的に帰宅させられた。当然、大目玉を食らった。だけど、今はどうでもよかった。


 もう二度とゲタ姉さんに会えないことのほうが、問題だった。

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