真夏のメモリー:1


 五月。それは春が終りに近づき、初夏へと入ろうかという頃。

 九鳥大学中央キャンパス西部に建てられている課外活動施設群の一角、文芸部部室の前で、七瀬 俊は趣味の園芸に精を出していた。

 誤解のないようにはっきりさせておくと勿論、彼はれっきとした文芸部員の一人だ。ただ単に、園芸と執筆、二つの趣味を併せ持っているだけの話。

 

「………っと。うん、いい感じに根が張ってる」


 ビニールのポットを逆さまにして、植物の苗を取り出す。容器の形に沿って張り巡らされている根を手で軽くほぐしてから、土を入れておいたプランターに植え込んだ。

 用土はいたって普通の組成。赤玉土を基に、腐葉土とバーミキュライトで保水性を高めてある。元肥は油かすを適当に。市販の「花の土」を使わないのは、ちょっとしたこだわりだ。

 今回七瀬が選んだものは二つ。タイムとカモミール。どちらもハーブの一種だ。パンジーなどと比べればどうしても花の鮮やかさは劣ってしまうのだが、それを補うだけの芳香で楽しませてくれるだろう。それに成長すれば、ハーブティーが楽しめる。

 最後に、根と土を馴染ませるため、十分に水をかけてやった。表面にマルチングとして敷いた鹿沼土が、水を含んでだんだんと山吹色に染まっていく。鉢底に軽石を敷いたので、用土の水はけもすこぶる良かった。

 吸い込まれるように水が浸みこんでいく様をのんびりと眺める。不意にその景色が陰ったのはその時だった。


「さて、作業ははかどってるか?」


 声を掛けられて振り向くと。そこにはここ文芸部の主、部長のみなみ 理恵りえが立っていた。

 まるで男のような喋り方をするが――――れっきとした女性。その証拠と言っては何だが、近づくと微かに甘い香りがする。


「――――部長。おはようございます。どうですかこれ、結構様になってると思いません?」

「うん、そうだな。どれどれ……」


 肩越しに覗きこんできたその顔を、微かに微笑ませる。


「……なかなか良い出来じゃないか? 部室のいい彩りになるだろうな。………これはハーブか何かか」

「タイムとカモミールです」

「綺麗な花をチョイスしないあたり、お前らしいよ」


 そう言って苦笑する彼女は、経済学部の四回生。母方の祖母がフランス人だった影響で、短めの髪の色は黒に近いブラウンだ。百七十五を優に超える高身長に加えて、口調からも分かる通りの男勝りな性格で、高校時代は人気を博していたらしい。主に女子かららしいが。

 その姿を一語で表現するならば、美しいというよりはむしろ凛々しいという言葉の方が適切だ。スラリとした身体つきに加えて、四分の一だけ混ざっている欧州由来の血が絶妙な具合に作用している。

 普通、というより一般的なイメージからして彼女のような人は運動部にいるものなのだが、何故にこうして一零細文化部の部長をしているのか、七瀬には分からない。以前試しに訊いてみた。すると照れたようになって誤魔化された。



 ※



 植えかえとその片付けやら諸々の事柄を終えた頃には、身体中にじんわりと汗をかいていた。手で団扇をつくって仰ぐ。

 部室の中では丁度、南部長がカップを片手に席を立つ所だった。七瀬の方を振り向いて、片手を上げてくる。


「お疲れさん。私はコーヒーをおかわりするが、七瀬も何か飲むか?」


 さらっと気遣いをしてくれるあたり、カリスマだよなあと七瀬は思う。しかも全然厭味ったらしく無い。自然と慕って、付いて行きたくなるような姉御肌だ。


「じゃあ紅茶をお願いします」

「紅茶?私のお薦めはコーヒーだが、そっちはどうだ?」

「“紅茶”でお願いします」

「……可愛くないヤツめ」


 なんだかんだ言いつつも、部長はティーバックを取り出してカップへ放り込む。

 棚の上にある電気ポットは彼女自身が家から持ってきた代物で、部員全員で愛用させてもらっている。ちなみに部長はコーヒー派で、七瀬は紅茶派。時々緑茶も飲む。ポット横に大量の茶葉が並べられているのは、彼の仕業だ。

 近頃はハーブティーにも挑戦しようかと考えていて、実を言うとタイムとカモミールを選んだのはそのためだったりする。収穫自体は年中出来るが、植え付けた時の株の大きさからして、六月頃になるだろうか。

 他にも、アパートのベランダでミニトマトを栽培したり、近所の住人が育てている松の盆栽に雅を感じたり、さらには花を愛でてみたり………。女々しいとよく言われる。

 そうこうしていると、南部長が紅茶を淹れ終わった。


「ここ置いとくぞ。…………うん、砂糖やミルクを混ぜるのもありだが、やはりコーヒーはブラックに限るな」

「ありがとうございます。部長はそれ二杯目ですか」

「三杯目だ」

「……よく飲みますね」


 甘い香りが立ち上る紅茶のカップを手に取りながら、七瀬は言う。中の液体は透き通った琥珀色。宝石を水に溶かしたらこんな風になるだろうか。


「コーヒーは私の相棒だからな。何杯飲んでも飽きることはない。私にコーヒーを語らせれば軽く一時間はいける」 

「凄い自信ですね……。将来はコーヒーの聖人か何かですか」

「世の中上には上がいるさ。私如きが聖人なんて畏れ多いよ。コーヒーの聖人………意外とコロンビアあたりにはいるかもしれんな。一度行ってみたいものだが、あそこらは治安が悪い」

「コロンビア………たしかブルーマウンテン」

「それはジャマイカだ。同じコーヒーでも、ピーマンとパプリカぐらい違うぞ」

「っと。これは失礼を」

「コーヒーの産地を知ったかぶりして間違えるか………“まことに遺憾”とはこのことだ」

「………部長は日本政府の報道官か何かですか?コーヒーの木の花言葉なら知ってますが」

「『一緒に休もう』だな。よし、少し休憩にしよう」


 即答して見せた南部長に苦笑しながら、七瀬も席に座ってノートパソコンを開く。カップを口元まで持ってきて紅茶の香りをいっぱいに吸い込み、ほぅ、と甘い吐息を漏らした。


「………いい匂い」


 小さく独白をして、琥珀色の液体を啜る。コーヒーも確かにいいものだが、やはり七瀬は紅茶を推したい。次点に緑茶とココア。

 丁度その時、入口の向こうからした足音に、七瀬の意識が引き付けられた。“彼女”だろうかとひそかに期待し、扉が開かれた直後にそれが叶って少しだけ嬉しくなる。


「おはようございます。………あ、七瀬先輩。今日は早いですね」


 外から漂ってきたのは温かな草木の香り。入って来たのは文学部一回生の上川かみかわ 渚なぎさだった。七瀬にとっては一つ下の後輩になる。

 七瀬が挨拶を返すと、渚からは微笑みが返って来た。もうお決まりのようになった朝の光景だ。実はその度に七瀬が心臓を高鳴らせているのだが、それは彼だけの秘密。迂闊に口に出したりなんて出来やしない。

七瀬の心情を知ってか知らずか、渚は彼の隣に荷物を置いて座った。


「玄関の所に置いてあったプランター、先輩のですよね」

「気づいてくれたんだ。そう、ついさっき植え終わったんだよ」

「植え方が綺麗で、朝からほっこりしちゃいました」

「そう?そう言われると嬉しいな。ちょっと照れちゃう」

「あれはハーブですか?」

「うん。タイムとカモミールだよ。見るだけじゃなくて料理に使ったりも出来るすぐれもの。ハーブティーも淹れてみたいね。でも、収穫はもう少し先かな」

「楽しみに待ってます。―――良ければ私にも、先輩のハーブティーを飲ませてくださいね」


 渚が言った。

 彼女の肩までかかった黒髪は、部屋の明かりを受けて艶めいている。体格は細身。その笑顔はまるで、野原に咲く春の花を思わせる可憐さを抱いていて。ぜひともある有名な小説にあやかって“野菊のような人だ”と称したい所だが、少しそれは彼女の雰囲気とは違っている。例えるなら、穏やかさを併せ持ったスミレの花が的を射ているだろうか。

 木漏れ日が差し込むテラスで静かに読書でもしていたら、絵になるように思う。


「勿論」


 彼女が文芸部に入部したのは、約二か月前。つまりは彼女が入学した時のことだ。だが実を言うと、二人が知り合ったのはそれよりさらに前になる。

 きっかけはいたってシンプル。七瀬と同じく、彼女もまた幽霊を見ることが出来る、所謂霊感持ちで。むしろそうでなければ、今こうして楽しく談笑してはいないとさえ、断言出来るかもしれない。

 故に。これから二人が体験していく数々の怪奇譚を語る前に、まずは彼らが出会った時のことについて話しておかなくてはならない。

 そのためには少々、時を遡る必要がある。

 その目でこの世ならざるものを見れる故なのか、二人の出会いもまた、到底普通とは言えないもので。それはまさしく、夢物語のようなファースト・コンタクト。



 一年前。七瀬が一回生だった頃。丁度、九鳥大学のオープンキャンパスが開かれていた日。



 さんさんと照りつける真夏の陽光の下で、二人の怪奇譚は始まったのだ。

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