魔王の過酷な運命

終わりの時が近い

「おのれ、忌々しき人間どもめ……」

くたりと腕に抱かれた主が声を絞り出す


天も地もない薄闇。世界の果て。光すら歪む絶望が満ちる

「我を貶めただけでは飽き足らず、己が身まで滅するか」

軋む世界の摂理を、漆黒の瞳が睨み付ける

あざ笑うように、立ち上る闇が足元を舐めていく


「……だが、あの愚かなものどもを、愛しいと思った日々もあったのだ…」

ほつりと零れるようにつぶやく

「やれやれ、まこと神とは面倒な肩書きよ。」

よっこいせ、と主が身を起こす。くらりと重心が崩れかけて、慌ててディレイは抱き直す。銀と黒。闇の中で二人の瞳だけが煌々と輝く


「たとえ堕ちても神の端くれよ。最期のついでだ。尻でもぬぐってやろうかな。ディレイ、お前は神の軍門へと下れ。お前なら頭を下げればなんとかなるだろ」

「ルーイン様、何言って!?」


問いかけようとしてぐんと引き寄せられる。首筋に腕が絡みつく


キス


初めての、主人からの……


別れの口づけ


見開かれた銀に心底惚れ抜いた漆黒が笑う

ニヤッと不敵な笑み

「お前と過ごした悠久の日々は、なかなか面白おかしかったぞ」


どんっ


衝撃に突き放されて腕の重みが零れ落ちる


「ルーイン様!!」

咄嗟に開いた指先はするりと髪を掠って虚空を掴む


それは別離と呼ぶにはあまりにも唐突すぎて

ディレイはただ茫然と立ち尽くす


ごうっ

闇の音が悲鳴のようにディレイの耳を抉った


***


どこまでも青く、雲一つない青空だ。

遠く香る潮風に白い海鳥が滑っていく

地上に目を落とせば、異国情緒に満ち満ちた街並み。白壁に煉瓦が眩しい

小道には、のんびりアコーディオンを奏でるパニーニ売りのおじさん。その足元では真っ白な子猫がころころとじゃれる


平和

超平和なご機嫌な午後

たった一人を除いては

穏やかな午後に不釣り合いな、少女の涙混じりの声が響く


「貴方は魔王を信じますかー!?しんじてくださあーいー、悪魔教に入ってくださあーいー。お願いしますう、ノルマがあるんですう。ううう、ううううう。」


フワフワフリルのステージ衣装。フリフリスカートから覗く魅惑の太もも。ああなんとけしからん丈、ひらりと回れば宇宙が垣間見えてしまいそう。


可憐、一瞬の青春の煌めきを閉じ込めたかと思える可憐さ

しかしその正体は、破滅の名を冠した魔王ルーインなのである


破滅の魔王がなぜ泣きながらビラを撒いているのかは察してほしい


「うう、ディレイのバカ」


ずしっと課せられた散らしの束に、銀の眷属の笑顔が蘇る


――魔王さま、アイドルの下積み時代はビラ配りと相場が決まっているのでございますよ。

ねっとりと笑う。

--布教ノルマ未達成で楽しい楽しいお仕置ですからねえ……

笑顔は敵意のない証拠というが、あの瞳は完全に欲望に満ち満ちていた

すっごい小声で「触手プレイ…」って呟いたのが耳にこびりついて離れない


うっぅう、うう


今の私がどんな目をしているかご覧になりたい方は、ちょっとスーパーの鮮魚コーナーを覗いてみてほしい


潮風にはためく「一万年に一度の魔王アイドル!ルーイン様と一緒に今日から君も悪魔教!」ののぼりが虚しい


「大体、悪魔教なんて興味持つひといるわけないじゃん」


ぶつくさぶうたれる


大体、悪魔なんて人類の敵ではないか。いくらもとは正教であったとはいえ、今更さら邪教墜ちした魔王を支持するとは思えない。

「ルーイン様の魔性をもってすれば人間の宗教倫理なぞアリの巣コロリです!」とディレイはキラキラしていたが、そんなわけあるか。

というかディレイは私をこき使いすぎではなかろうか。仮にも主人だぞ。


「ねえねえー悪魔教ってどんなが特典があるの」

「へ?」

ぐるんぐるん眷属に恨み言を連ねているうちに、いつのまにか話しかけられていたらしい

みやれば、いかにも買い物帰りと行った風情の青年。バケットがにょっきり紙袋から飛び出ているのは、日本ではスーパー袋からネギと言った風情か


いや、庶民的な情緒を感じている場合ではない。今この青年何と言った


悪魔教ってどんな特典があるの


左手は買い物袋、だがしかし右手は…?


信じがたいことにペラペラ教典を捲っているではないか!


い、いたー!

いたー!!!


悪魔教にインタレスティングな人間いたー!


絶滅した古代魚を発見したさかなクンさんだってここまでギョギョっとしないだろう


え?いいの?そんなコンビニで雑誌立ち読みみたいな感覚で悪魔教典めくっちゃっていいの?


い、いやしかしこの機を逃してはなるまい


慌てて勧誘マニュアルを盗み見る。棒読みでたどたどしく説明する


「えっと…、病気怪我事故に遭う確率が二割下がります!それと容姿補正が付いてお肌がツルツルになります!えーとえーとその代わり少し欲望に抗えなくなります。それから、えっと、今なら加入特別特典で法石を実質無料で魔石に変換いたします、ので、初期費用0です!えっと、あとこの魔王印の特製飲んでも安心の石鹸が付きます…」


「ふーん。じゃーはいろっかなー」


軽―っ!


そんな、保険を乗り換えるみたいな気安さで!?


いいのか!?勧めておいてなんだがそんな宗教観念でいいのか!?悪魔教に入信だぞ

せめて1秒くらい考えた方がいいと思う


「いや、なんか君可哀想だし。そのかわり石鹸二個おまけしてね」


死ぬほど胡散臭い石鹸で決められる好青年の人生設計。

何だろうこれ。なんか心臓きゅうってなる。恋?恋じゃない。恋より苦しい罪悪感


「あのやっぱりやめたほうが…」

おもわず止めかけた類の脳裏にディレイの爽やかな笑みがよぎった


「主様、私の得意の魔法は拷問。ありとあらゆる快感苦痛の与え方をもうらしております。今夜は楽しみましょうね!」


ひ、人のことを心配している場合ではないー!


ノルマ未達成で帰れば貞操の危機なのだ、いや、もしかしたら貞操以上のもっと大切な何かの危機だ。あの真っ赤な蝋燭の用途を私は一生知りたくない


ええいこのさい四の五の言っていられぬ。


「はいっ、これが契約書になりますんでここにチェック入れて署名下さい。あんまり詳細とか細かく見ないで」

「書いたよー」

「へへえ、契約完了です。ありがとうございます、ありがとうございます」

魔王にあるまじき平身低頭ぶりでペコペコお辞儀する魔王。ぴこぴこ赤いリボンが揺れる


「何あの子、かわいー」

「あー知ってるー、この前魔王キャラでデビューした情音の子だー」

「本当に布教するとか設定凝ってるなあ」


一人、また一人と道行く人の足が止まる

一度人の流れができるとせきを切ったように人が集まり始める、好奇心の強いお国柄もあって、あっという間に押しも押されぬ大盛況、ちょっとしたお祭り騒ぎだ


「お、このプラン結構お得じゃん、俺も入信しちゃおうかなー!」

「じゃあ俺も。」

「お前が入信するならおらも!」

「僕もー!」

「私もー!」

「じゃあ私は公認会計士!」

何か余計なものも混じっているかもしれないが滅茶苦茶盛況だ。完全に流れが変わっている


いいのかこれ!?

戸惑う間もなく凄まじい勢いで信者が増えていく。

i〇honeの新作発売日かと見紛う長蛇の列、多分最後尾の人は何の列かわからないまま並んでるやつだ


「いやあのでも、いいんですか、悪魔教ですよ。魔王ってこの世界の恐怖の代名詞なんじゃ」

「いやだからあえてっていうか?俺ら別に魔王とか怖くねえし?」


あえてって何!?


ていうかもしかして、もしかしなくても、魔王、恐れられてなくね?


――この国の人々は何かにかこつけて歌い踊るのですよ


馬車から見たサバトでの、ディレイの言葉を今更ながら反芻する

よく考えたらあの時本気で怖がってた人はいなかった気がする。

キャンプファイアーに羊を投げ込むお父さんは酒が飲めるぞ-と叫んでいたし、それを眺める坊やはおとうしゃんかっこいい的な羨望の瞳キラキラだった


いや、本当にマジで、この国の人はノリでどんちゃん騒ぎができればそれでオールオーケーなのでは

気付いてはいけない真実に気付きかけて慌てて類は頭を振る


「ものはいいのねーものは」

やけに好評な石鹸のデモンストレーションが逆に怖い

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