異世界の魔王は従僕に偏愛される

東山ゆう

はじまり


人生には、今までの軌跡を丸ごとひっくり返してしまう決定的な瞬間、というものがある


ある人にとっては、愛する人にさようならと言われた瞬間かもしれないし、


またある人にとっては、味方のゴールにシュートを決めてしまった瞬間かもしれない


そして私にとっては……


「ひいい、遅刻しちゃう!」


桜の満開の森の下に乙女の絶叫がこだまする

ヤバい。あまりの興奮で寝付けず寝坊とは、一生の不覚である


スニーカーの靴紐を結ぶのももどかしく、桜並木を疾走する

ショートの黒髪に花びらの粒の髪飾り

青春映画さながらに、秒速5センチメートルで散る花嵐を駆け抜けていく



今日は類が崇拝する声優こーさまの出演作映画の舞台挨拶なのだ

しかもしかもなんと、奇跡的にゲットできた最前列プラチナチケットなのだ!


私、平凡可憐な女子中学生こと流花類は少々オタクである


嘘である


かなりヤバ目のドオタクである


正確には声オタというカテゴリーで生息させて頂いている


いわゆる2.5次元。アニメではなく声を当てている中の人、声優に萌える人種である。

次元の狭間に果てなく陶酔し尊び拝み倒す。


その類が命を燃やし尽くして崇拝しているのが、甘ーい声が魅惑の人気男性声優、こーさまである

初めて聞いたその日から類はこーさまの虜となった


その熱意執着たるや一女子学生とは思えぬ鬼気迫るものがあった。


あらゆる媒体を駆使してで常時情報チェック!

なけなしのお小遣いはすべてこーさまのキャラグッズにイン!


ネットラジオの内容は読経ばりにそらんじられるほど聞き倒す。

その日の運勢はこーさまの誕生日で占いこーさまの平穏無事を祈る


カラオケではキャラソン一択。乙女ゲームはキャスト買い。もちろん保存用祭壇用布教用実用の4種。


手作りホールケーキで生誕祭を全力でお祝い。こーさまを産み育てしご両親と神と宇宙の奇跡に感謝する。


夜は彼の声帯の健康へ祈りを捧げて、キャラの抱き枕を抱きしめ、おやすみボイスを聞きながら眠る。


その熱意を少しでも勉学に注いでくれればと、両親がため息ついたのは想像に難くない。


一ファン的愛を通り越して妄執である


おおおっと引かないでいただきたい


これでも外殻はかろうじて花も恥じらう乙女に擬態している。おそらく

ファッション誌のコーデをそのまんまコピー

こーさま愛に比して恐るべきやる気のなさ

しかし、これでしゃれおつな街に繰り出してパンケーキをつついても滅却されない。はず。

いささか自信が持てないのが悲しいところだ


もちろんのこと家族の理解などあったものではない


「あんたってばどーして蛇やらカエルやらせいゆーやらへんてこりんなものばっかり好きになるの???」

お正月、親戚の前でため息まじりに公開処刑をくらった屈辱は記憶に新しい


やかましい。こーさまと地に這う蛇を同列にするな。今思い出しても業腹である。こーさまは現世に降臨召された現人神様なのである


非情なる家族たちからの迫害にも屈せず、熱烈な崇拝は続く。


ああ。その憧れのこーさまが!

その痺れる声で私の魂を奪ったこーさまが!

まつ毛の瞬きまで聞こえそうな距離から拝み倒せる!


家じゅうの通信機器をかき集め、鬼の形相で更新ボタン乱打の末にゲットした最前列プラチナチケット


憧れのこー様が吸って吐いた二酸化炭素を吸える、

もちろん保存用の小瓶も準備OK!


どうしよう、こーさまが震わした空気の振動が鼓膜に生で届いてしまう。

宇宙から見れば限りなく一点まで座標が重なる。


どうしよう、死んだらどうしよう。てか死ぬ

こーさまの前で死ねるのならば、本、望……


「はううう、こんな妄想してる場合じゃない!死ぬのはこーさまの声をきいてから……!!!」


こなくそ!とばかりに大地を蹴ってぎゅんと加速する。

ひょう、とアスファルトの桜が舞い上がった

ひらひらシフォンスカートがふありと回って


どんっ


突如現れた影に弾かれて吹っ飛ぶ


「あっ、ごめんなさい」

慌てて身を起こして見上げて


視界を定める間も無く、言葉を失う


一面の銀


輝くばかりの銀の瞳


銀河の渦のように燃え盛る瞳。


吸い込まれれば息もできない


類はこの世の果てに放り込まれたような錯覚を覚える


それが男であると……人の形をしていると気づくのに数拍遅れをとる


美しい麗人

すっと整った目鼻立ち。

腰まで編まれた輝く銀の髪

スーパーモデルとか、ハリウッドスターとか、そう言うレベルですらない。


星の終わりの輝きのような、破滅的な美。

あらゆる美の魂を吸って生きていそうな、悪魔的な美しさ。


不思議な衣装だ

海外映画に出てくるエクソシストの様な、漆黒の丈の長い衣。上質そうな紫の肩掛けをとろりと着流している。


長い睫毛の一筋まで磨き上げた銀は、瞬きもせず類をみつめる

恐れすら感じるのに、類は視線を外せない


ぞくり


身体中に電撃が駆け抜けて初めて、手を握られたのだと気付く


「ひ…っ」


ただ手を取られただけなのに

魂を舐め上げられたような衝撃が走る。

未知への根源的な恐れ


あまりに熱い湯で鳥肌が立つように

快か不快かすらも分からぬ痺れが走る。


「ああ……!」

男の喉が絞られる


尋常ではない鬼気を発して、喰らい付かんばかりに類に迫る

耐えきれない歓喜の声。立ちすくむ類に一気にまくし立てる


「ああ、お会いしとうございました、我が主さま……!!!やっとやっとやっとやっと!!!一万年の気の遠くなる時を長らえて、ようやく貴方に触れられました!ああ、すぐに忌まわしい肉の檻よりお掬い致します……!」


えっ、えっ、何言って、えっ!?

何これ、ヤバ目の人?

と身を引く間も無く


ずぐっ


胸に鈍い衝撃が走る


痛みはなかった


ずるりと、世界が真っ暗に染まって堕ちる


最期に感じたものは抱きとめられる温もり


ぶつん


平凡可憐な女の子、流花類としての意識はそこで途切れている



***


「……うう……」


ぼやけた視界に光が射す。ぼんやりと痺れた頭に彩りが戻る。


知らない色の天井。ふかりと沈む滑らかなリネン。

「ここは…?てかプラチナチケットと……こーさま…」


ぐらつく頭を支えながら、あたりをぼんやり確かめる


どこだ?ここ。

広―いお部屋。

ホテルのスイートルーム?

ホテルにしちゃあなんだか素朴だぞ。家具がずっしりと粗削りで重い

土地の安い海外は日本より部屋が広いと言うがそんな感じだ。


あれ、何かこの部屋おかしいような

。インテリアの邪魔になるような現代機器が一切ない

コンセントとか、壁の色に同化しようとするエアコンとか。

テーブルに備えられるボールペンの代わりには、羽ペンとインキ。文明の利器が徹底的に排されている。

しょうめいのシェードランプも変だ。電気でも炎でもない不思議な光が灯っている。ケサランパサランのような綿毛がふわふわ光って幻想的だ


これ……これじゃあまるで、中世ヨーロッパとか、いやRPGの宿屋とか、そんな感じの


ぼんやりとした思索はそこで遮られた


!?


新たに脳に届いた感触に度肝を抜かれる

ぎぎぎっと視線を足元に這わせて


そして、やっと、ベッドの袂のそれに気づく


気付いてしまった


先ほど襲われた銀の麗人


類の足元に傅き、頭を垂れている


そのしなやかな指さきで優しく包み込み

愛おしそうに食んでいる


類のつま先を


「――――!!」


ぞぞぞっと鳥肌が駆け抜けていく


なっ、舐められている!足を舐めくりまわされている!!


「っきゃーーーーーーっ!!!!」


類は力の限り不審者を蹴り飛ばした!


ぐにゅりと柔らかい肉の食い込む嫌な感触。


男が思いのほか吹っ飛ぶ。頬を抑えて倒れ込む


い、いけない、思わず渾身の力で蹴り飛ばしてしまった。


「っ、だ、大丈夫……ですか!?」

おそるおそる尋ねる。怖いので極力近づかない


「っ、う、うううう」

男が低く唸って震える、頬が一筋光る。銀から零れおちる滴


な、泣いてる!?


泣くほど痛かったか!?痛かったかもしれない


しまった、やりすぎたかと類は一瞬良心が痛んだが、その後悔は全く無用であった


くわっ!


男が瞳を上げて。ふらりと身を起こす


「ひっ!」

あまりの不合理に類はのけ反った

強かに頬を打たれたにも拘らず、爛々と瞳に歓喜が渦巻いている。ぞっとするほど熱烈なまなざし


「ああ、主様……ああっ!!!なんという幸福でしょう、ルーインさま。何度何回何万回この時を夢見たでしょう。」


全く身に覚えのない熱視線。ただならぬ身の危険を感じて後ずさるも、じりじり追い詰められる。

男から漏れだすのは、ただただ歓喜と陶酔

蹴り飛ばしても目が覚めない位、うっとりと陶酔しきっている。


その瞳は完全に危ない人のそれ


何だこの人!?


なんだこれ!?


何だこの状況!?!?


あまりの状況に身体が動かない。蛇に睨まれた蛙のごとく固まってしまう。

類のパニックなど全くのガン無視で、無情にも迫りくる大蛇


とうとうベッドに押し倒されてしまう。ぴきりと凍った類の髪が、丁寧に梳られる。

まるでそうするのが当然かのように。

男が首筋に顔を埋めて、大きく息を吸い込む。しゃらり編まれた銀の髪が類の頬に流れていく


「ああ、愛しい愛しいルーイン様。破滅の名を冠した魔の王よ。貴方の為ならば総てを捧げましょう。世界の一粒残さず。さあ、私に傅かせてくださいませ。そして愚かな人間どもに死よりも恐ろしき絶望を…!!!」


男の吐息が類の耳朶を舐める

甘美で蕩ける声。


ひっ

類の口角があり得ない角度までひきつれる


それでも、どうにかこうにかひりだした言葉は……



「……あの、とりあえず、その声で、話しかけないでくれますかねえ……」



この押し迫る意味不明な不審者は


私の心酔しているこーさまに


吐息の息遣いまで全く同じだった

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