What's your wish ?

金環 玖

What's your wish ?

『あなたの望みは、――――』

 浮遊感、そして。

 意識が急激に引きあげられる感覚。僕が目を開けると、どこまでも広がる暗闇がそこにあった。

 ……?ここはどこだ?

 まだ覚醒しきっていない頭で、ぼんやりと思考を巡らせる。

 どうやら、僕の体は宙に浮いているようだ。何もない空間を踏むように足を動かしてみると、何の抵抗もなく空間の中を進むことができた。

 しばらくその辺を漂っているうちに意識がはっきりしてきて、だんだんと状況を思い出してきた。

 そうだ、ここは僕の夢の中だ。最近話題になった、飲んだ人の望みを夢の中で叶えてくれるという薬。それを手に入れた僕は、早速昨日の夜その薬を飲んでみたのだ。

 薬の効き目が確かならば、ここは僕の望んでいた世界、ということになる。とはいえ、張本人の僕はここがどこなのか、皆目見当がつかないのだけれど。

 周囲をきょろきょろと見回していると、目が慣れてきたのか、暗闇だと思っていた空間にいくつかの光が見えてきた。

 最初はまばらだったそれらは、いつの間にか僕の視界一面に広がって、誘うようにちらちらと瞬いた。

 星だ。僕が放り出されていたのは、星空の中だったようだ。

 そういえば、と僕は合点がいく。最近、星座の神話についての本を読んだような気がする。何故か内容は思い出せないが、おそらくその記憶に夢の内容が引っ張られたのだろう。それにしたって、我ながら単純すぎやしないだろうか。

 改めて自分の姿を見直してみると、普段着のシャツとカーゴパンツ、そしてゲームの中で見るような短剣が腰に下がっていた。

 僕が夢に望んだのは「正義の味方になりたい」というものだった。僕は昔いじめられていた時いつも、僕を助けてくれるヒーローがいたらと思っていた。その頃から僕の夢はずっと、自分のような人たちのために、弱きを助け、強きをくじく正義のヒーローだ。

 この短剣で悪者をやっつける。それが、この夢の目的なのだろう。ならば、まずはこの星空の中から倒すべき敵を見つけ出さなければなるまい。

 要領はもう掴めた。ぐっと足を踏み込んで、短距離走のスタートダッシュを思い描きながら、一歩前に。踏み出した僕の体は一気に加速して、風のように、いや光のように宇宙を駆けていた。






 敵がいるのなら、もう少し分かりやすく設置しておいてほしい。何かめぼしいものはないかと、星空の中をあてもなく進んでいると、突然足の裏に何かが刺さった。

「ぐえ」

「痛った!なんなんだよ……って」

 たまらず急ブレーキをかけて、来た道を戻ってみると、そこには背中の甲羅にたくさんの真珠をひっつけ、はさみと足を悲しげに震わす蟹の姿があった。

「ううっ、ひどいや・・・」

 蟹は鼻をすすって僕を恨めしげに見上げた。足元を見ると、真珠がいくつかぼろぼろと転がっている。これはもしかしなくとも、僕のせいじゃ……

「ああっ!いや、その、すみませんでした!あまり周りを見てなかったもので……」

「いいよ、どうせボクはいつもこんな扱いなんだから……」

 さめざめと泣く蟹に慌てて謝りながら、僕は蟹の修復作業を手伝った。真珠を拾い集めて甲羅に戻しているうちに、僕は自分の目的を思い出す。

 こんなことしてる場合じゃない。あ、いや、これは完全に僕が悪いんだけれど。この蟹は俗にいう『第一村人』というやつだ。何か役に立つ情報を知っているかもしれない。

「あの、轢いておいて大変申し訳ないんですが、この場所はいったい?」

「ぐす……うう、キミは余所から来たんだね?ここは西のお空の一番端っこだよ」

 やはり、ここは星空の中で間違いなかったようだ。ということは、この蟹はさしずめ星空世界の案内人といったところだろうか。

「うう……のどかなとこだったのに、どこかのスピード違反の人のせいで……」

 なんだかほうっておくと話がよくない方向に進んでいきそうだったので、僕は慌てて話をそらした。

「つ、つかぬことをお聞きしますが、この辺りにいる悪そうな奴、とか知りませんか?悪そうっていうか、魔王というか、ラスボス、みたいな……」

「わるいやつ!」

 僕の言葉に、うなだれていた蟹は弾かれるように身を起こした。

「ボク知ってるよ!ボクはここにくる前は、とある女神さまにお仕えしていたんだ。ある日、ボクは女神さまに、暴れん坊のそいつを倒すように命じられた。けど、そいつときたら、必死に足を挟むボクには目もくれずに、うっ、ボクを踏みつぶして、ふええ……」

 蟹はその両目から、大粒の涙をぽろぽろ流した。その泣き顔に、僕の胸がつきりと痛む。

「それはひどい話ですね。さぞかし痛かったことでしょう……よし、僕がそいつをやっつけてきてあげましょう。実は僕、そのためにここに来たヒーローなんです」

「ええっ⁉それ、ほんと⁉そうだったのか……キミはなんて優しい人なんだ!」

 蟹は先ほどとはうって変わった、きらきらした瞳で僕を見つめた。よかった、僕がその暴れん坊と同じことをしたスピード違反野郎だということは、すっぽり抜け落ちているようだ。

 それに。期待のこもった目で見つめられるのは、正直、悪い気はしない。

「そいつは、東の空に住んでいるよ。ありがとう、ヒーローさん!」

 手を振る蟹を背に、僕ははさみで指し示された方向へ一歩踏み出した。






 蟹に別れを告げた僕は、東に向かって星空の中をびゅんびゅんと駆ける。

 すると、行く先に一際光る何かを見つけて、僕はそこに駆け寄った。

 そこには、黄金に輝くたてがみを優雅にゆらす獅子の姿があった。筋肉に覆われた体の胸元には、大粒の宝石が輝いている。

 獅子は僕の姿を認めると、ゆったりとその首をあげた。

「何の用だね少年」

 びりびりと腹にまで響く、朗々とした声。素人の僕でも、獅子の持つ威厳と風格は、存分に肌で感じることができた。僕は少し緊張しながら、口を開く。

「突然の来訪、申し訳ありません。僕は、この地に悪党を懲らしめに来た者です。あなたには、誰か心当たりはありませんか」

「心当たり?大いにあるさ!」

 ぐわりと獅子は歯をむき出しにして、声を上げた。

「俺はその昔、剣も矢も通さない鋼鉄の毛皮で名を轟かせた大親分だった。しかし、俺の縄張りに突然やってきたあやつは、俺の首を腕一本でしめあげやがった。この、俺が、力比べで負けるなぞ!」

 獅子はいらだたしげに鼻を鳴らした。

「それは……もしかして、西に住んでいる蟹を踏みつぶしたという輩と同じでしょうか」

「ああ、そうだ。なんだ、お主小僧に会ったのか。また下らんことでぴいぴい泣いていただろう。小僧がああなったのも、全部忌々しいあやつのせいだ」

 獅子の絞り出す言葉の全てにこもる、燃えるような怒り。彼のような誇り高い戦士にとって、敗北はさぞかし堪えたに違いない。

「ああ、今思い出しても腹わたが煮えくり返る!」

「……分かりました。ではこの僕が、あなたの仇をとりましょう」

 僕が名乗りを上げると、獅子は感嘆の息を漏らした。

「おお……なんという勇敢な奴だ。そいつは東の空に住んでいる。うんと力の強い奴だ、存分に気を付けるんだぞ」

「ええ。必ずや、雪辱を晴らしてきます」

「うむ。健闘を祈っている」

 労わるような獅子の言葉に、僕は神妙な顔で頷いた。






 獅子の元を後にして、僕はひたすらに東を目指す。瞬く星の間を縫うように進んでいると、突然目の前の空間が波打つように揺れた。

「うわ!?」

 ばしゃり。架空の水面から、ゆらりともたげた鎌首の下には、橙色に輝く宝石。長い体をうねらせる海蛇が、僕の目の前に現れた。

「あら、失礼。驚かせちゃったみたいね」

 思わず立ち尽くした僕を舐めるように眺めて、海蛇はにいと口の端を釣り上げて笑う。

「ふふ、人なんて珍しい。いったいこんなところへ何の御用かしら」

「……ああ、ちょうどよかった。一つ、お聞きしたいことがあるんです。あなたには、殺したいほど憎い相手はいませんか」

 僕が言い終わるや否や、海蛇は牙をむいた。

「いるわ!あいつにされたことは、決して忘れたことなどないわ。私にはかつて、九つの頭があった。何度切り落とされてもよみがえる、不死身の頭よ。けれど、あいつは!私の頭を一つずつ落として再生できないよう切り口を焼き、また落としては切り口を焼き……ついにこのたった一つの頭を残して私から全てを奪った。その屈辱と来たら!」

 先ほどの上品な物腰は何処へ行ったのか、海蛇は体を震わせた。奪われた憎しみと、癒えない傷。

「……ふう。ごめんなさい。少し取り乱してしまったみたいね」

「いえ。一つ、確かめてもいいですか。その『あいつ』は、西の空にいる蟹や獅子にも同じような所業を働きましたか」

「ああ、ぼうやと旦那のこと。ええ、そうよ。私たちはあいつに傷つけられた、可哀想な被害者なの」

「なるほど。それは許せませんね。では、僕がそいつを殺してきて差し上げましょう」

 僕はにこりと笑った。そうだ。僕は、その感情をよおく知っているのだ。

「あら、感謝するわ。私あなたみたいな人、好きよ。ひどく頭の回る奴だから、油断しないようにね。そいつは私の尾の先、東の空にいるわ」

 そう言って海蛇は、とても愉し気にほほ笑んだ。






 僕はいよいよ、東の空の端までやってきた。

 こちらに背を向けているその男は、こん棒を持ってその場にひざまづいていた。僕はじっと、背後から男を観察する。ああ、左手に掲げているのは、切り落とした海蛇の首じゃないか。あの三匹が言っていたのは、あいつに違いない。

 喉がからからに乾いていた。僕は口内に溜まった唾を飲み込んで、鞘から抜いた短剣を握りしめた。

 不思議と心は凪いでいた。大丈夫。ようやく、僕の望みが果たされる時が来たのだ。

 勝負は一瞬。確実に仕留めるのなら、心臓を一突きするのがいいだろう。ゆっくり近づいて、背後から胸を刺そうとしたその時、ぐるり、と男が振り返った。

「ひっ!?」

「うーん、筋も勢いも悪くない。でも、それを振るう相手が俺っていうのがいただけないな」

 素手で短剣を受け止めながら、男が眉をしかめる。

 失敗、した。頭が真っ白になりながらも、それだけは分かった。必死に短剣を引き抜こうとしたが、びくともしない。ぼたり、ぼたりと、握りしめられた手から男の血が短剣を伝った。

「くそっ、は、離せ!」

「いいや。俺だって刺されるのはごめんだからな」

「な、なんなんだよ、お前は……!」

「んー?なんだとはご挨拶じゃないか。俺の名は、ヘラクレス。聞いたことくらいはあるんじゃないか?」

 ひゅっと、自分の喉が鳴ったのが分かった。

「ヘラクレス、って……」

 急に、記憶にかかっていたもやが晴れていく。確かに、最近その名前を見た覚えがある。偶然手に取った、星座の本で。蟹も、獅子も、海蛇も、そこで見かけたはずだ。そうだ、その中で男はどのように描かれていたのだったか。

「自分で言うのもなんだが、ギリシャ神話の偉大なヒーロー、ってか。人食いライオンや蛇の化け物退治なんかで、この辺りじゃちょっとした有名人なんだ」

 固まっている僕を他所に、男はなんてことのないように答えた。

「おまえ、蟹や獅子、海蛇の奴らを知ってるか?俺が退治した怪物たちは、東から俺が昇ってくると、怖がってみんな西の空に逃げていきやがるんだ。なかなか傑作だろ?」

「嘘だ」

 ひどく嫌な予感がする。それを振り払うように、僕はなおさら強い口調で男の言葉を遮った。

「騙されるもんか。僕は正義の味方になるために、ここに来たんだ。お前は、みんなを苦しめた悪党だ。僕は、お前を殺してヒーローになるんだ」

「うーん……」

 男は困ったように頭をかいた。そして、

「まだ、分からないのか?」

 と、こてんと首をかしげた。

「え?」

「今のお前がどう言おうとも、俺は正義で、英雄だ。少なくとも、神話の本を読んで、この夢を作り上げたお前にとっては。そして、望みを叶える薬は、お前の倒すべき相手として俺を選んだ。悪い奴を懲らしめたいなら、俺よりもあの三匹の怪物の方が適役だろうに」

 世界が、軋む音がする。

 男―――ヘラクレスは、ゆっくりと短剣を離した。

「お前は本当は、ヒーローに憧れてなんかいないんだろう?むしろその逆だ。お前は正義の味方という存在が、憎くて憎くて仕方ないんだ。自らの手で殺したいと望むほどに」

 否定の言葉は、出なかった。曇りのない男の眼とあの三匹の醜悪な化け物のような姿、そして何より、男の正体を知ってもなお消えない殺意が、男の言葉が真実であることを物語っていた。

 心臓の音がうるさくて、でも頭の何処かに、妙に冷静に物事を眺める自分がいた。






「……信じて、たんだ」

 しばらくの沈黙の後、僕はぽつりと言った。

「ヒーローは、困っている人を絶対助けてくれるんだ、って。……でも!」

 男の眼が驚きに見開かれる。確かな手ごたえと、腕にかかる生暖かい感触。

「僕が陰口を言われても、物を壊されても、何度も殴られても、いくら助けを求めたって、誰も、誰も来なかったじゃないか!」

 悲しかった。悔しかった。憎かった。

 自分が世界の中心だということを信じて疑わないいじめっ子は勿論、

 外面だけは良くて僕をいないもののように扱ったクラス委員長も、

 全部知っていて見て見ぬ振りを最後まで貫いた日和見主義の教師も、

 軟弱なお前が悪いのだと泣いていた僕を叱りつけた両親も、

 みんな、みんな。

 短剣を引き抜くと、男の体がぐらりと傾いた。胸を真っ赤に染めた男が、血だまりの中に崩れ落ちる。その姿を見下ろしながら、僕はぬめる短剣を握り直した。

 ああ、ずっと、そうだったんだ。

「僕を助けてくれなかった正義の味方なんて、大っ嫌いだよ」

 そう呟いて、僕はもう一度短剣を振り下ろした。







 どうもこんにちは、先生。

 ええ。おかげさまで最近とても調子がいいです。


 ここに通い出したばかりの時分は、夜眠れないことが多かったですからね。

 うーん、身に覚えはないんですが、たぶんストレスか何かだったんでしょう……

 まあ、今はこの通り、健全な生活が送れてます。


 ええと……望みを叶えてくれる薬、でしたっけ?

 すごい発明がされたものですよね。医学の進歩というのは素晴らしい。

 本当にそれのおかげです。先生さまさま、薬さまさま、って感じですよ。


 ただ、いまだに夢の内容が全然思い出せないのがちょっと気になりますが……

 まあ、どうせ僕のことですから、夢の中でも教壇に立って、生徒にお説教でもしてるんじゃないですかね。はは。

 ……いやいや!熱心だなんてそんな。

 ただ僕は、幼い頃からの夢を叶えたってだけですから。


 ああ、そうだ。

 先生、この前いただいた薬、また使い切ってしまいそうなので、追加で処方していただけませんか。


 ふふ、ありがとうございます。


 」



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