第2話 四条大橋(つけ打ち)明日に架ける橋

 主題歌 サイモンとガーファンクル 「 明日に架ける橋 」


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 京都南座の楽屋口を出た尾崎徹夫は、四条通りと川端通りの交差点の歩行者用信号が、丁度青になったのに出くわした。

 ここは歩行者用信号が青の時は、縦横斜め横断が出来る。

 尾崎は、斜め渡りして、四条大橋東詰北側の出雲阿国像の前に立った。

 出雲阿国像とは、歌舞伎の創始者と云われ、今から約四百年程前、四条河原で歌舞伎踊りを披露した人物と云われていて、ここに銅像が建っている。

 最も最近一部の学説では、四条河原ではなくて五条河原であるとも云われている。

 しかし、この像はやはり、南座の近くでないと意味がないと尾崎は思う。

 何故なら歌舞伎を上演する南座と対でセットでこそ、意味合いが増すからである。

 尾崎の仕事は、歌舞伎で、つけ打ちをやっている。

 今月の南座は、歌舞伎公演だったので、東京から来ている。

 つけ打ちと云っても蕎麦やうどんのつけ打ち職人ではない。

 歌舞伎公演の時に、舞台上手前(客席から見て右端)に座り、役者の仕草や、見得を切った時に、つけ析でつけ板にバタバタと打ち、叩く役目を担っていた。

 丁度南座は「五月花形歌舞伎公演」を上演していた。

 今日は昼一回公演で、夜の部の公演はなかった。

 尾崎は昼は、序幕の「船弁慶」が担当だった。本来これが終わればすぐに帰ってもよかったが、相棒の福岡健太郎のつけが始まるまで楽屋に留まった。

 もし何らかのアクシデントで、福岡がつけを打てなくなった場合に備えての待機である。用心深い尾崎は、いつもそうしていた。

 今月は二人で南座公演を担当していた。

 尾崎は四条大橋で人を待っていた。

 四条大橋を待ち合わせに選んだのは、尾崎ではなくて、これから会おうとしている妻の明子の方だった。

 先月離婚したばかりなので、正確には「元妻」である。

 昨日の夜、明子から電話があった。

「どこかお店にしようか」

 待ち合わせ場所を尾崎が口にすると、

「四条大橋がいい」

 と明子が云った。

「雨だったら」

「大丈夫、天気予報では晴れだから」

「わかった。で何の話かな」

「会ってから話します」

「それっていい話なの、悪い話なの」

 それでも尾崎は気になって聞いた。少し間を置いてから、

「どっちでしょう」

 ゲラゲラ笑った。久し振りに聞く明子の笑い声だった。

 明子の笑い声は、一種独特で、結婚する前つきあってた頃、

「きみの笑い声は、カワセミのようだね」

 と云った事を尾崎はふいに思い出した。

「カワセミって何よ」

「カワセミはカワセミだよ」

 上手く説明出来なかった。

 すぐに現実に戻った。

「じゃあ明日、よろしくね」

「わざわざ、僕に会うために京都へ来るのか」

 二人は東京で暮らしていた。

「まさか。実家に帰るの」

 明子は京都生まれの京都育ち。生粋の京都人である。

 尾崎と明子が付き合う切っ掛けは、京都のローカルタウン雑誌「みやこ人」の企画で、「つけ打ちと京都人」と題した対談だった。

 つけ打ちの若きホープの尾崎とその雑誌の編集者と大学の同期の関係で明子が出席した。大学時代から明子の歌舞伎好きは有名だったからだ。

 明子は同志社大学で、「歌舞伎研究会」に所属していた。

 六年前尾崎が四十歳、明子が二八歳で結婚した。

 時刻は午後二時過ぎ。

 四条大橋の川面から五月の爽やかな風が吹き上げるのを尾崎は肌で感じていた。

 鴨川の川べりはすでに床(ゆか)が出来ていた。

 床は昔は夏にならないと姿を見せなかったが、最近は五月のゴールデンウイークの人出に期待してオープンする店が増えて来た。

 明子は、緑とクリーム色の花模様の日傘をさして四条大橋を渡って来た。

「待ったあ?お待たせ」

 にこやかに笑う。

「僕も今来たとこなんだ」

「行きましょうか」

 ずんずん明子は日傘をさして前へ進む。四条大橋を河原町方面、西に向かっていた。

 五月にしては珍しく、肌を突き刺す強烈な太陽の光が道行く人々に降り注いだ。

 思わず尾崎は、目の前に手で日差しを防いだ。

 それを振り返って見た明子は、無言で日傘の中に尾崎を入れようと近づいた。

 尾崎は身長が百八十センチ近くある。一方の明子は一五五センチ足らずである。

 必然的に尾崎が日傘を持つ態勢になった。

(長年明子と暮らしていたが、日傘の相合傘はこれが初めてではないか)と一瞬思った。

「どこ行くの」

 尾崎が前を見ながら尋ねた。

「お腹すいたあ。あそこ」

 明子が四条大橋のたもとの東華菜館を指さした。

 昔はフランス料理だったらしいが、今は広東(かんとん)料理である。

 建物の設計は、ヴォーリズである。

 ヴォーリズは、京都YMCA、大丸百貨店心斎橋店、京都御幸町教会、関西(かんせい)学院大学など関西で数多くの建物、教会等を設計した有名な建築家である。

 南座と鴨川を挟んで建つ由緒ある建物で、南座と同じく国の登録有形文化財に指定されている。

「京都に長年住んでて、あそこは行った事ないのよ」

 東華菜館の床に行く。

 昼時を過ぎていたので、客は尾崎らと外国人観光客二人だけだった。

「着物で来ようと思ったけど、観光客に写真撮られるのん、うっとおしいからやめた」

 明子は春巻きとチャーハンを頼んだ。

 尾崎は同じものと生ビールを頼む。

「ここの春巻き、タケノコいっぱい入ってて美味しいんよ」

「入った事ないのに、どうして知っているんだ」

「友達のフェイスブックに書いてあった」

「そうかあ」

 運ばれた春巻きを一口食べた。パリパリの皮の中に確かにはみ出しそうなくらいにぎっしりとタケノコが入っていた。

 中華と日本料理のコラボのようなハーモニーで上手い。

 京都は近辺にタケノコの産地がある。今朝採れたばかりの新鮮なタケノコだからこそ上手いのかもしれない。

「全然変わらへんなあ」

 ぼそっと明子がつぶやいた。

「先月まで一緒だったから、そんなに日が経ってないから」

「ううん、あなたじゃなくて、南座」

 ここの床からは、鴨川の対岸に建つ南座がよく見える。

 南座は昭和四年の建物で、平成三年と二九年の二回に渡って大改装しているが、基本的な作りは、竣工当時のままである。

 「私ら、何で離婚したんかなあ」

 明子が云った。その言葉をそっくりそのまま明子に返したい尾崎だった。

 明子が離婚をほのめかしたのは、二か月前だ。

 それこそ突然で、何の前触れもなく、二人で自宅でテレビを見ながらぽつりと云った。

「あなた、離婚したいの」

 初めは冗談だと思ったがそれから毎日顔を見合わせるたびに云った。

「理由は何だ」

 と何度尋ねても、

「さあ何やろなあ。何となく」

 実にあやふやな答えだった。

 尾崎が博多座での歌舞伎公演で自宅を一か月留守にしてる間に、明子は離婚届を勝手に出していなくなっていた。

 離婚届には、夫婦それぞれ一名ずつの見届け人がいるが、それも明子が勝手に友人に頼んだ。尾崎の承諾なしにこれも勝手に判子押されたのである。

 離婚届無効の訴えを家庭裁判所に異議申し立てすれば、離婚は無効の審判が下される。しかし尾崎はあえて、それをしなかった。

(そこまでして離婚したかったのか)と思ったからだ。

「ここ丸見えやねえ」

 明子は視線を南座から四条大橋に移した。

 確かに橋を行き交う人々から丸見えである。

 橋の欄干から数人の外人観光客がこちらに向かって写真を撮り、笑いながら手を振っていた。どこまでも底抜けに陽気で明るい。あの底抜けの明るさは日本人にはない。これは気候のせいだろうか。日本は雨が多い。天気は人のこころに重くのしかかるからだ。

「確かに丸見えだね」

 中々明子は用件を切り出さなかった。

 離婚に際しての金銭の要求は一切なかった。

 二人の間に子供が出来なかった。

 離婚の言葉を明子が口にした時、尾崎もあれこれ考えた。

 二人の生活のすれ違い、と云うか尾崎が一年の内、半年も東京にいないせいかもしれないと思った。

 歌舞伎のつけ打ちは、現在九名でやっている。

 東京歌舞伎座のつけは、基本的には大道具がやっている。

 たまに歌舞伎役者のご指名で、歌舞伎座でつけを打つ事もあるが、主流はその他の劇場である。

 東京では新橋演舞場、国立劇場、三越劇場、シアターコクーン、赤坂歌舞伎、日生劇場、浅草公会堂、等。そして名古屋御園座、京都南座、大阪松竹座、国立文楽劇場、近鉄アート館、博多座、これに地方巡業が入って来る。

 金毘羅歌舞伎(香川)、永楽館(出石)、内子座(愛媛)、八千代座(熊本)、

 平成中村座(東京、名古屋、大阪)等。

 さらに野外歌舞伎公演もある。

 それに海外公演が加わる。

 鯨蔵のヨーロッパ公演(フランス、イタリア、イギリス、ドイツなど)に帯同した尾崎は、先乗り隊として三か月日本を離れた。

 全国各地の自治体からのワークショップ関係の要請もある。

 自ら主宰する「つけ打ちの会」もある。

 九人ではとても回せない。

 その内、四人は、東京歌舞伎座の座付きの者で、尾崎が所属する「PAG」(パタパタ・アート・グループ)は、五人である。

 まさに、「絶滅危惧職種」と云えた。

 歌舞伎隆盛に伴い大忙しである。

 人を募集しても中々一年と持たない。一か月公演につくと、その間休みなし。

 二十五日に千秋楽を迎えると、翌日から次の公演の稽古が始まる。休みがあったとしても一日か二日である。それの繰り返しである。

 つけ打ちが一人前になるのに、役者と同じで最低十年はかかる。厳しい修行の積み重ねの毎日である。

 尾崎も手をこまねいているわけではない。自分のフェイスブック、インスタグラムを通じて日々の出来事をアップしている。

 そのフォロワーは世界で五万人いる。

 その中でつけ打ち志願を募集していた。それでも人は来ない。

 確かに休みが少ない。夏季休暇もお盆休みも年末年始もない。休みの日数はサラリーマンの平均の半分以下である。

 時間も不規則だし、おまけに膨大な歌舞伎用語を覚えなければならない。

 南座の業務の大林は、昨年丸川書店から「体験的演劇・歌舞伎用語辞典」を出版した。その語彙の数は、約三万だった。寄贈本として尾崎はサイン入りで貰った。

 読んだときに、改めて自分は知らず知らずのうちにこれだけの専門用語を覚えていたのだと思った。

「毎日、こまめに相変わらずアップしてはるねえ」

 テーブルの上に置いた尾崎のスマホを一瞥し笑いながら明子は云った。

 五月のたおやかな風が頬を身体を一瞬優しく包み込みながら通り過ぎて行く。

「やっぱり、床は五月がええわあ」

 目を閉じた明子は、顎を幾分か上げ気味にして川面に向けた。

 これが、もし七月なら、ぬめっとしたたっぷり湿気を含んだ空気に身体がまとわりつかれると、一層身体が重たく感じられ疲労感の服を無理やり着せられるのである。

 対岸の樹木は、冬場よりも、命に満ち溢れた濃い緑で、葉っぱの数も増えていた。

「そうだね」

 尾崎も同調した。

「七月八月は、夕方来たら床が日中の日差しでぬくい時あるんよ。て云うかそれ通り越してアツアツの時もあるんよ」

「僕もお呼ばれで、七月行った事があったけど、夜でも暑かったよ」

「でしょう」

 再び沈黙が支配する。

 これが恋人同士なら何か喋らなければと変に緊張してしまうが、明子と一緒の時はそんな気遣いは全く感じなかった。

 むしろこの沈黙も心地よかった。

 食事をする時間とお喋りの時間。

 ふたりは、いつしかこの二つの時間を上手く配合出来るようになった。

 それは、ウイスキーの熟成のように、二人で過ごした長い歳月の蓄積の結果かもしれない。

「あなた、(宝塚事件)覚えてる?」

 少し上目遣いで明子が聞いて来た。目元に悪戯っぽい小さな微笑が浮かんでいた。

「覚えてるよ」

 尾崎もほほ笑み返した。

 今から三年前、突然会社に宝塚の演出家岸本陽介から直接電話があった。

 今度宝塚歌劇で近松門左衛門の歌舞伎をレビュー仕立てにしたものを計画している。

 ついては、劇中つけ打ちを使いたいので、指導して貰えないだろうかと云う依頼だった。

 全国でつけ打ちのワークショップを開催している尾崎だったので、そんな依頼はよくある。しかし天下の宝塚歌劇からは初めてだった。

 東京宝塚劇場の稽古場で指導が始まる。劇中、実際につけを打つのは、宝塚歌劇団に入所したばかりの新人だった。

 岸本のリクエストは難しかった。

 タップダンス、アップテンポ、サンバ、スローバラード全てにつけ音を入れるのだ。激しいサンバ調の音楽には、激しく、情熱的な大きなつけ音が要求された。

 新入生がつけを打つ。全くリズム感もないし、叩く音が小さ過ぎた。

「そうじゃないだろう!尾崎さんちょっとやってみて」

 苛立ちを隠せない岸本は、早々と尾崎にバトンタッチさせた。

「はい」

 尾崎がつけを打つと、それまでの弱弱しい貧弱なつけ音から、一変して迫力あるリズムに乗ったものに生まれ変わった。

 初めて目に、耳にする宝塚ジェンヌは、稽古からノリノリで拍手した。

「尾崎さん凄い!」

 いち早くその反応を見て悟った岸本は、

「もう尾崎さんにやってもらおう。それでいいよね」

 と断言した。舞台にいた全員が拍手して了承した。

 今、宝塚の演出の第一人者、宝塚の蜷川と呼ばれる大御所の一声に尾崎も逆らう事は出来なかった。

 それに尾崎にとっても普段つけを打つ劇場ではなくて、全く未知数の東京宝塚劇場でのつけ打ちは、興味もあった。

 東京宝塚劇場につけ打ちの音が響くのは、これが初めてであった。

 東京宝塚劇場・虹組公演「レビュー・ザ近松」は、本格的なつけ打ちと宝塚ジェンヌのタップダンス、歌声とのコラボは大変な反響を呼んだ。

 尾崎は、その年の、「生日バックステージ大賞」「毎朝演劇大賞・特別賞」「読買演劇大賞・功労賞」等の大きな賞を次から次へと受賞し、世間に「つけ打ち」の存在を知らしめた。

 宝塚百年の歴史に新たな金字塔を立てた。

 調子に乗った演出家の岸本が、初日の幕が開いて二日後に、

「尾崎ちゃん、ちょっとお願いがあるのよ」

 と云い出した。

「何でしょうか」

「明日、御社日(演劇記者の観劇日)なんだよ」

「ええ知ってます」

「こいつらの度肝を抜く演出をやりたいの」

「何か思いつきましたか」

「あのロケットラインダンスの場面で、つけを打って欲しいんだ。どう出来るかな」

 ロケットラインダンスとは、三五名の宝塚新入生が一列になり、隣同士肩を組み合ってアップテンポの音楽に乗って。片足を一斉に交互に素早く高く上げながら踊る、ハイライト場面でもある。

「やれるかな」

 岸本は幾分遠慮気味の問いかけだった。

 自分自身、結構なむちゃぶりだと思っていたからだ。

「やれます」

 尾崎は即答した。尾崎は、今まで役者、演出家から、

「ここでつけを打って」

 と云われて断った、出来なかった事は一度もない。全ての要望に応える。それが尾崎のポリシーだった。

 翌日開場前に、尾崎のために一度だけ舞台稽古した。

 昨夜、音響部からこの部分の音源を貰い、演出部からは、ビデオをダビングしてもらい、自宅で稽古した。

 明子も、

「それ面白い、私も見たい」

 と云い出した。

 尾崎は、稽古の時は、叩く音よりも、叩くタイミング、「間」を確認した。

 ロケットラインダンサーの足を交互に上げ下げする「間」

 一斉に、顔を横に向ける「間」、呼吸を読み取るのである。

 一般の人は、つけ打ちと云うと、どうしても叩く「動作」「音」に目、耳がいってしまう。

 しかし、一番大事なのは、「間」である。

 役者であれ、ロケットダンスであれ、それぞれの動作につけるつけ音は、間のタイミングを見届け、確認しないとそれを外すと、駄目である。

 幾ら素晴らしいつけ音を出しても、演者の演技の「間」とリズムを壊すようであれば、何の値打ちもない。

 一番前の客席で岸本がじっと見ていた。

 その横でもう一人、熱心にロケットダンスではなくて、尾崎のつけ打ちを見つめる人がいた。

 「虹組」トップスター星雲飛翔だった。

 飛翔はじっと尾崎の手元を見つめていた。

 やがて本番が始まった。

 ロケットダンスシーンで、尾崎が上手舞台袖から出て来て、つけ打ちをやり出すと、客席がざわついた。

 これが宝塚史上、初のつけ打ち入りのロケットダンスだった。

「タンタン、タンタン、タンタン」

 尾崎のつけ音が、観客のこころをわし掴みにした瞬間でもあった。

 舞台進行の途中から観客の半分以上の視線が、尾崎を捉えていた。

 このつけ打ちを初めて見た宝塚ファンは、その日の内に、ツイッター、ブログ、フェイスブックに投稿した。

「やばい!やばい!宝塚で歌舞伎のつけ打ちさん登場!めちゃめちゃ恰好よかった!」

「ロケットダンスにつけ打ちを加える発想!凄い!岸本先生天才!」

「今度は飛翔のタップダンスにつけ打ちお願いします」

「つけ打ちの存在、言葉自体知りませんでした。これからは歌舞伎もありかな」

「つけ打ちの尾崎徹夫!最高!」

「これって宝塚の歴史を変えたんじゃないのかな!」

 等々、続々と絶賛の声がツイッターから上がった。演劇評論も好意的だった。

「こんなに宝塚の舞台につけ打ちが、完全に違和感なく溶け込む事を誰も気づかなかった。それを巧みに取り入れた演出家岸本陽介の企てに我々は、まんまと乗せられた。脱帽」

「ロケットダンスとつけ打ちのコラボは、今までありそうでなかったものである。誰も思いつかなかった。また一つ演出家、岸本は、つけ打ちと云う演出の引き出しを作った。前半は観客の戸惑い、後半は、感動の嵐が巻き起こった。これが全てを現わしていた」

「つけ打ちの尾崎徹夫のつけ析の見事なさばきは、目を見張るものがある。これだけを見るだけでも、劇場へ足を運ぶべきだ」

「皮肉な事に、宝塚の舞台で、歌舞伎四百年の歴史の凄さと怖さを体感した」


 尾崎は宝塚公演でも毎朝、開場前上手端の定位置で、色々確かめながら軽くつけを打っていた。

 飛翔がひょっこり顔を出した。

「つけ打ちさんと呼べばいいのかしら」

 その声は張りがあるもので、尾崎にしたら宝塚「虹」組のトップスターから初めて声をかけられた瞬間でもあった。

「飛翔さんお早うございます」

「毎日熱心ですねえ。歌舞伎の劇場でも毎日やってるんですか」

「ええ。新劇の役者さんが、公演中毎日舞台や客席でストレッチや発声練習してるでしょう。それと同じですよ」

「つまりチェックしてるんですね」

「そうです。照明さんも音響さんも毎日、自分とこの機器のチェックするでしょう。それと同じですよ」

「何をチェックしてるんですか」

 興味津々の面持ちで、飛翔はつけ板を覗き込んだ。

「つけ板も、つけ析も木で出来ているんで、その日の天気、特に湿気に大きく左右されるんです。微妙に音が違うんですね。だからこうして毎日チェックしてるんです」

「凄いなあ。さすがは職人さんね」

「そんなあ」

 尾崎は照れた。こんな近くで、しかも一対一で今、虹組のトップスターから直接話しかけられているのだ。この光景を、もしファンが見たら卒倒して驚くだろう。

「そのつけ析の素材は何ですか」

「つけ析は白樫。昔は小槌やノコギリの柄も白樫でした」

 尾崎は、手のひらにつけ析を乗せて解説した。

「じゃあ、こっちのまな板も白樫ですか」

「これは、まな板ではなくて、つけ板と云います」

「ごめんなさい」

 宝塚虹組の男役のトップスターが、尾崎に頭を下げた。

 こんなところを、熱心な星雲ファンに見つかれば、さらし者にされる。

 ぶるっと尾崎は身震いした。

「このつけ板の方は、欅(けやき)ですね」

 気を取り直して、尾崎は説明を続けた。

「劇場によってつけ打ちの音って、変わるんですか」

「変わります。劇場によっても変わるのはもちろん、天気、同じ劇場でも観客は毎日違いますね。それによっても変わります」

「凄い。生き物ですね」

「そうです。一番毎日大きく変わるのは役者さんです。役者さんも人間ですから、演技も微妙に違うでしょう。それを見極めるのもつけ打ちの仕事なんです」

「うわあ尾崎さん、何だか私の演技毎日監視してるみたいで、怖いなあ」

「怖くないですよ」

「ううん、怖いと云うのは、そう云う意味じゃなくて、頼りがいがあるって事」

「そんな事ないです。そこまで偉くないです」

「このつけ析、先っぽが丸いのはどうしてなんですか」

 飛翔は、長方形のつけ析で二か所、丸く削られている所を手で摩りながら聞いた。

「いいところに目が行きましたね」

「はい尾崎先生」

「これは、つけを打つ時にこの丸い部分を先につけ板に打ち付けるんです。つまり、ここを支点に打つんです」

「へえ、知りませんでした」

「論より証拠。一度やってみますか」

「えええっ!やってもいいんですか」

「どうぞ!」

 飛翔の目は、大きく見開いた。

 その瞳は、きらめく星座のように光り輝いていた。

 マネージャーの畑部節子がやって来た。

「飛翔さん、つけ打ちデビューですか」

「そうなの、節子さん見てて」

「すみません、尾崎さん。お仕事の邪魔をして」

「いえ、いいんです。どうぞ」

「節子さん、写真、写真撮って!」

 ひとり飛翔は、はしゃいでいた。

 飛翔は、つけを生まれて初めて打つ。しかしやはり、かすんだ音しか出ない。

「駄目ですねえ」

 節子は大げさに云った。

「あれっ云われた通りに打ったんだけどなあ」

「そんなあ、すぐにいい音が出たら、尾崎さんの立場がないでしょう」

「それもそうだ。もう一度やらして」

 それから何度も叩くが、やはり音はくすみ、広がらなかった。

「あと、つけ打ちで大事なのは、生き殺しをつける事なんです」

「生き殺しって何ですか」

「音の強弱、つまり、メリハリをつけるって事です」

「それ、わかる。演技でも同じ事が云えるわね。そうよね、節子さん」

「はい飛翔はつけ打ちのメリハリは駄目ですが、演技のメリハリは天下一品です」

「私、ラーメン屋じゃないのよ」

 三人が同時に笑った。

「では尾崎先生、そのメリハリのつけ打ちをお願いします」

「わかりました」 

 尾崎は、歌舞伎でよく行われる、見得を切る所と、つけ音の連打である打ち上げをやった。

「バタバタ、バタバタ」

 尾崎のつけ音で、飛翔は即興で見得を切った。

 さすがは、宝塚のトップスターである。即興でも様になっていた。

「星雲屋!」

 節子がこれも即興で大向こうをやった。

「節子さん、これ気持ちいい!尾崎さんのつけ音で見得を切ったら、超気持ちいい!ずっとやりたい!」

「ずっとは駄目ですよ」

 最後は三人で写真を撮った。


 これが切っ掛けだった。

 それから付き合いが始まった。付き合いと云っても二人だけのデートはなかった。いつもマネージャーの節子がいた。同じテーブルでなくても、その近くの別のテーブルにいた。

 週刊文夏に突然スクープ記事が出た。

「宝塚トップスター星雲飛翔のお忍びデート」

 写真だけ見たら、まるで二人だけのデートのように錯覚を起こさせるアングルで撮ったものだった。

 カメラのレンズの外側には節子がいたのに。

 この週刊文夏の記事が切っ掛けで、朝、昼のワイドショーはこれを取り上げた。

 ワイドショーで、歌舞伎のつけ打ちとはどういうものか、事細かく解説していた。

 皮肉な事にこの事件が切っ掛けで、世間の一般の人が歌舞伎にはつけ打ちと云うものがあり、それがどんな仕事なのか、認知された。

 ワイドショーのレポーターが尾崎の自宅にまで押しかけた。

 妻の明子は決して、居留守を使ったり、隠れたりせずに堂々とテレビカメラの前に出た。

「奥様は、今回の騒動をどう御覧になりますか」

 明子の口元に三八本のマイクがぐいっと突き出された。

「うちの主人はつけは打てても、博打は打てません」

 見当はずれの答えが、明子の口から飛び出した。

 駈け付けたレポーターから失笑の渦が巻き起こった。

「あれっ、私、今何か変な事云いましたか」

 明子は、その失笑を目の当たりにして自分なりに聞き返した。

「じゃなくて星雲飛翔さんの事です」

「私は星雲飛翔じゃありません。尾崎明子です」

 とまた、さらに天然ボケをさらけ出した。

 このとんちんかんな明子の一連の対応が、結果的には尾崎のスキャンダルを一気にもみ消した。

 第二弾の記事も出ず、これ以上の進展もないから、すぐに次のターゲットを探して話題は移った。

 この騒動で、尾崎のファンが増え、ワークショップは毎回大入り満員となった。


 尾崎は喋り終わると、鴨川に視線をやった。

「私ねえ、お忍びで宝塚、見に行ったの」

「へえそれ初耳。どうだった、感想は」

「私の隣りの女性二人組が見に来てて、(あのつけ打ちさん、恰好いいなあ)(でも結婚してるらしいよ)(どんな奥さんなんだろう)(きっと美人でしょう)の会話が耳に入って来たの。思わず、(ここにいてまーす)と云い出しそうになっちゃった」

 明子はぺろっと舌を出してほほ笑んだ。

「で、つけ打ちとロケットダンスはどうでしたか」

 女は喋る時、どうしてこうもどうでもいい話題から入るのか不思議で仕方なかった。

 しかしひょっとすると、この話は明子にとって、重大な出来事なのかもしれない。

「やっぱり凄いと思った。改めて惚れ直した」

「惚れ直したのに離婚か」

「それとこれとは別の話」

 尾崎はビールをお代わりしようとした。

「瓶で頼んで。私も貰う」

「じゃあ一本。コップ二つ」

 ほどなくビールが運ばれて来た。

 尾崎は明子のグラスにビールを注ぐ。

 ビールグラスのコップに春の柔らかな陽光が、泡のように、ふんわりと舞い降りた。表面の泡も一部分、日差しで真珠の光輝きのように勝っていた。

「乾杯せえへん」

「何に?」

「うちの再婚に」

「えっ」

 持ち上げたビール瓶を宙ぶらりんにしたまま尾崎は明子を見つめた。

(そう云う事だったのか)


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「その時、奥さん結婚指輪してた?」

「さあ、どうだったかなあ」

 尾崎の視線が、一瞬空に揺らいだ。

「確認しなかったの」

「ええ、まあ。それって何か意味あるんですか」

「女ってねえ、別れても結婚指輪をはめ続ける人がいるの。そんな人は、離婚した事を悔やんでいるの。離婚も結婚と同じで、その時の勢いでやってしまうものなの。復縁したいの。私の知り合いで、元旦那がその指輪を見て、復縁に繋がったケース知ってるの」

「そんなもんですか」

「で、再婚相手は幾つで、何の仕事してて、どこで知り合って、今一緒に住んでいるのとか聞いたの?」

「そもそも、そんな再婚しますって、わざわざ東京から京都まで追いかけて来て別れた亭主、旦那に会って云うのかなあ」

 尾崎の目の前につけ打ち評論家の小林伸子とつけ打ち後輩の福岡健太郎がいた。

 明子と別れて翌日の夜、木屋町の高瀬川沿いの個室居酒屋で三人で飲んでいた。

 京都随一の繁華街河原町には、南北に流れる鴨川がある。それと寄り添うように、小さな高瀬川が流れている。川幅は四mばかしである。

 江戸時代、角倉了以が保津川と同じく自費で開削した。

 この川の完成で、大坂、伏見から京の中心部にまで物資が舟で運ばれて繁栄した。角倉了以は川の通行料で、巨万の富を築いた。

 森鴎外の名作「高瀬川」の舞台でもある。春ともなると、川沿いには桜の花で覆いつくされ、京都の桜の名所でもある。

「そこまで聞かなかった」

「何で?どんどん聞いて行かないと」

 伸子はぐじ(鯛)の塩焼きを丁寧に器用に箸でほぐしながら云った。

「でもねえ。相手はもう赤の他人だし、聞いたところで、どうなるわけでもないし」

「先輩の気持ちわかります。聞いて元の鞘に収まるわけでもないしね」

 一人うんうんと顔を上下に振りながら福岡は同調した。

「だから、あんたたちは駄目なの。グイグイ聞いて行くの」

「未練がましく聞いてどうするんですか。はいおめでとうと肩の一つでも叩いたらいいんですか」

「あんたたち、全然女心わかってない」

「どういう事ですか」

 尾崎は姿勢を正して聞いた。

「どんどん聞いて欲しいのよ、女は。それで尾崎さんは何と云ったんですか」

「ああ、よかったね」

「そ、それだけ!」

 伸子は少し芝居がかって大げさに椅子から転げ落ちる勢いでのけ反った。

「あかん、あかん、ノーグッド」

「どこが駄目なんですか」

 福岡が聞いた。

「そういう話をすると云う事は、聞いて貰いたいの。だってわざわざ別れた亭主に連絡して会っているんですから」

「だから聞いてどうなるんですか」

「ああもうじれったい。二人とも持てないはずだわ」

 ここで伸子はわざとらしく大きなため息をついた。

 伸子はおそらく日本で、いや世界初のつけ打ち評論家である。

 演劇評論家、歌舞伎評論家は沢山いるが、つけ打ち評論家は彼女一人である。

 伸子はつけ打ちグループの九人のそれぞれの音を聞き分ける事が出来るのである。

 その噂を聞いて、一度目隠しをして、聞き分けてもらうテストを尾崎は実施したが、九人とも全て当てて見せた。

 尾崎が東京、名古屋、京都、大阪、博多で不定期で開催するつけ打ちのワークショップには必ず参加している。歌舞伎公演は、全て見ている。

 巷の多くの演劇、歌舞伎評論家たちは、劇場側が用意した無料一等席で観劇して、お昼ご飯も無料で食べて帰る。そしてその一度の観劇だけで、新聞、雑誌に評論を書くわけである。

 伸子に云わせると、この評論家の九割は、クソ評論家で、何も評論していないそうだ。

「役者の演技ばかり見て他見てないの。つけ打ちは?長唄、義太夫三味線は?照明は?音響は?大道具、小道具、衣装、床山、大向こう、イヤホンガイド解説にも言及してないなんて、片手落ちもいいとこよ」

 伸子は、揚げ幕係の幕の開け閉めの秒数にまで言及していた。

 伸子は自費で、初日、中日、楽日と最低三回は観劇している。

 多い時は一か月公演で二十回は見ている。

 座る場所も、一階席、二階席、三階席、真ん中、上手、下手と変える。一等席から三等席までばらばらに買って見ていた。

 そして自分のブログに評論をアップしていた。

 身銭を切って見ているから、例え相手が人間国宝の歌舞伎役者であっても、容赦しない。

「やる気がないのなら、一日も早く引退か、死ぬかして人間国宝の称号を返還しなさい」

 とかなりキツイ評論を過去にアップした事があった。

 それが逆に人気が出て、賛同者の「いいね」は、三十万人に達した。

 その人気ぶりを聞きつけて、最近は、歌舞伎役者、歌舞伎評論家までが閲覧している。

 それほど、伸子の評論が他の評論家よりも数段、細かい駄目出しを的確に書いているためである。

 一か月巡業も自費で一緒について行く、徹底ぶりである。

「何で歌舞伎評論家じゃなくて、つけ打ち評論家なの」

 以前聞いた事があった。

「そのパイはもう一杯で入る隙間がなかったの。つけ打ちはニッチ、隙間だったの。話をもとに戻すと、色々聞いて欲しいの」

「それで」

「結論先に云いますと、聞いて聞いて私にもっともっと関心を持って欲しいの」

「自分から別れたくせにですか」

 少し内心むっとして尾崎は云い返した。

「それとこれとは別の事。尾崎さん、結婚生活してる時、あまり奥さんに関心がなかったでしょう」

「そうかなあ」

「女は幾つになっても、自分に振り向いて欲しいものなのよ」

「でも尾崎先輩は別れた元夫ですよ。関心向けさせてどうするんですか」

 今度は福岡が云った。明らかに伸子の言葉に対しての不満顔だった。

「だから、それとこれとは別なの」

「ああ面倒くさいなあ」

「話変わるけど、今日の尾崎さんのつけ、いつもと違っていたわ」

 急に伸子は、仕事の姿に変身していた。

「そうかなあ、僕はそうは思わなかった。いつものつけ打ちだったと思いますよ」

「いいえ、違います!」

 テーブルを軽く叩いた伸子だった。

「どう違うんですか」

「まあ一言で云えば、迷いのつけ打ちでした。今の尾崎さんのこころの迷いを象徴していました」

「小林さん、それって尾崎先輩の告白を聞いたからそう云ったんでしょう」

「つまり後付けと云いたいわけ?福岡君失礼ねえ。告白を聞く前からそう思ってました」

「すみません」

 つけ打ちグループ九人のつけ音を聞き分けられる達人を目の前にして福岡も黙ってしまった。

 伸子の鋭い指摘を受けて、さすがはつけ打ち評論家だと尾崎は内心舌を巻いた。

 実は同じような事をもう一人、云った人物がいた。

 昼の部舞踊劇「船弁慶」で、平知盛の霊を演じた村中富太郎(屋号・大国屋)だった。

 弁慶ものと云えば、一般的には「勧進帳」が有名である。

 勧進帳は、安宅関が舞台だが、「船弁慶」は、大物浦が舞台である。

 ここで知盛は、大きな錨と共に海に身を投げて死んだ。

「船弁慶」では、怨霊となって弁慶、義経に襲い掛かるが、二人の祈祷、刀での応酬に追い詰められてしまう。

 圧巻は、定式幕が閉まり、花道七三からの引っ込みである。

 長い長刀をクルクルと早く回して、揚げ幕の中に入る所である。

 村中富太郎の引っ込み、それに尾崎のつけ打ちが入る。

 豪快さの中に、哀愁を漂わせる、非常に難しい役柄である。

 本来怨霊は、怖い存在なのに観客の涙を誘う。

 今日のつけ打ちは、自分では全く何も変わってないと思っていた。

 いつものように、富太郎の豪快な動きに合わせて、つけ打ちもそれに呼応した。

 観客席から盛んに拍手と富太郎の屋号(大国屋)の大向こうが、幾重にも折り重なった。

「大国屋!」

 このひと際よく通る大向こうは、関西大向こうの会「都鳥」の小林耕三だった。

 引っ込みで涙を誘う所が、勧進帳と違うところだ。

 日本人は、古来より「怨霊」のこころ模様まで体現していたのだ。

 哀愁と無念さ。

「タンタンタン」

 尾崎のつけ音が、観客のこころのひだに浸透した。

 終演後、富太郎の弟子の村中富弥が尾崎を呼びに来た。

「旦那がお呼びです」

(一体何だろう)と思った。

 ミスはしてない。してないはずだ。

 尾崎のこころの中で、急速に先程の「船弁慶」のシーンを巻き戻していた。

 尾崎は一抹の不安を抱えながら、楽屋に顔を出した。

「お疲れ様です」

「お疲れ。尾崎ちゃん、中入って」

 浴衣に着替え、顔(化粧)を落とした富太郎は気さくに楽屋の中に呼び入れた。

「尾崎ちゃん、さっきのつけ音、迷いのつけ音でしたね」

「迷いですか」

 富太郎に指摘されて、本当に迷う尾崎だった。

「まあ人間、一か月公演で、毎回ベストなんて出来ないよ。私だって出来ない」

「そうですか。旦那は毎日百点だと思いますが」

「とんでもない。それが出来れば本望だよ。ねえ尾崎ちゃん」

 富太郎は、じっと尾崎の目を見た。

「役者とつけ打ちなんて、毎日巌流島の決闘をやってるようなもんだ」

「巌流島の決闘ですか」

「そうだよ。毎回毎回真剣勝負。舞台の上だから誰も助けてくれない。そうだろう」

「はい」

「だから私生活で昨日、何かあったか知らないけど、今日のような迷いのつけ打ちはやめて貰いたいんだよ」

「わかりました。毎日百パーセント出来るように頑張ります」

 きっぱりと尾崎は云い切った。

「毎日百は無理だろう。九十でも大変だよ」

「いえ、毎日百パーセント目指します」

「云うねえ、尾崎ちゃん。毎日百パーセント出来たら、それこそつけ打ち人間国宝尾崎徹夫の誕生だ。まあ頑張ってね」

 最後は笑顔で送り出してくれた村中富太郎だった。


「で、それからどうなったの」

 伸子の声で再び尾崎は現実に戻された。

「東華菜館で食事して別れたよ」

「あっさりし過ぎ。もっと引っ張っておけばよかったのに」

「どういう事ですか」

「そこまで云わす気なの」

 そこで伸子は、二人を睨みつけて言葉を呑んだ。


        ( 3 )


 本当はそこで終わりではなかった。

 尾崎は東華菜館を出ると明子と別れてホテルに帰るつもりでいた。

「ねえねえ、日はまだ高いし、もうちょっと付き合ってよ」

 と明子が云い出して来た。

「はいはい次はどこですか」

「何それ、邪魔くさそうな返事」

「いや、そう云うつもりじゃないよ」

「じゃあどう云うつもりなの」

「もうよそう、云い争うのは」

「それもそうねえ」

 二人は、横断歩道を渡り、先斗町脇にある交番の隣りにある階段から、鴨川の川辺に降りた。

「あなた覚えているかなあ」

「覚えてます」

 明子がここへ連れて来た事の意味が尾崎にはわかった。

 結婚前、尾崎が南座公演で京都へ来てた時、この鴨川に座り二人でよくお喋りをしてた事を。

 まだ日は高い。

 この鴨川は、夕闇迫る頃になると、カップルが等間隔に座る法則が見受けられるのだ。

 昔はカップル以外が座ると、白い目で見られたが、最近は女同士、男同士、女一人、男一人でも気おくれすることなく堂々と座っている。

 その光景を先斗町各お店の床(ゆか)でくつろぐ客が眺めていた。

「座りましょう」

「少し暑いなあ」

「日傘さしましょう」

 明子は持って来た日傘をさした。

 少し尾崎にも日が隠れるように傾けた。

 尾崎は無言で日傘を持った。

「有難う」

「どういたしまして」

「思い出した?あなたあの時、私に何て云ったか覚えてる」

「覚えてるとも。一日も早くつけ打ち独り立ちしてデビューすると」

 尾崎は四条大橋の向こうにそびえる南座の屋根を見ながら云った。

「その後の台詞」

「その後!」

 尾崎は必死で、思い出の箱を、引き出しを片っ端から出して、ページをめくっていた。しかし思い出せない。

「何か云ったかなあ」

「云ったわよ。覚えてないの」

 明子は少し膨れた顔を見せた。

「何を云ったのかなあ」

 答える代わりに明子は口ずさんだ。

 サイモンとガーファンクル「明日に架ける橋」の音楽だとすぐにわかった。

 それを云った。

「歌の事じゃなくて、その後」

「わからない」

「こんな最大のヒント出しているのに」

「降参します。教えて下さい」

「はい正解は、この明日に架ける橋を歌いながら、きみが寂しい時、ずっときみのそばにいるから。僕はきみをずっと守りますと云いました」

「へーえーそんな事云ったかなあ」

「へーえーじゃないわよ。云いました」

 明子から答えを明示されてもにわかに信用出来なかった。

 ただ一つわかった事がある。

 それは一つの出来事に対して、男と女とでは、記憶の領域の蓄積の物が全然異なる事だった。

 平たく云えば、記憶・思い出の引き出しにしまうものが、それぞれ違うのだ。

「でも結婚したら全然違った。一年に半年はうちにいないんだもん」

「それは仕事だから」

「わかってる、わかってるから余計つらかった」

 明子の目に涙が溢れるのを横目で、見て尾崎は黙った。

 結婚して当初の頃は、京都南座で公演がある時、明子は実家が京都なのでよく陣中見舞いと称して来ていた。

 二人で実家に何度か泊まった。

 明子の実家は京都御所の西側、平安女学院大学、京都府庁の近くである。

 いつしかそれも遠のいた。

 自費での帰省はお金がかかるから。でも最大の理由は、帰省の度に、両親から

「子供はまだなの」

「早く生まないと、年取ってからだと大変だよ」

 等の子供催促の声がうっとおしくなった事だ。

 最初の頃は、

「頑張ります」

「へへへ、その内に」

 等と云って胡麻化していたが、段々それを云うのさえ、しんどくなった。徐々に遠のいた。

 結婚しても単身赴任で別々に暮らす夫婦は、幾らでもいる。

 そんな事で離婚してどうすると云われそうだ。

 単身赴任の人は、何れいつの日か一緒に暮らす日が来るだろう。

 しかし尾崎の場合は違った。尾崎がつけ打ちの仕事をやめない限り、この一年の内、半分が別居生活の時間は、ずっと続く。

 つけ打ちに定年はない。引退しない限り死ぬまで続く。

「寂しかったのかあ」

 尾崎がポツリとつぶやく。

「当たり前でしょう」

「じゃあ云えよ」

「云う前に気づけよ」

 売り言葉に買い言葉だった。

 明子は、わざと甲高い声で笑った。

「ごめん」

「今頃謝ってももう遅いよ」

 明子は立ち上がり鴨川の川面に横投げで小石を投げた。

 小石は三度ジャンプしながら、川面に小さな波しぶきを立てて沈んだ。

「上手いな」

「小さい時からやってるから。あなたもやってよ」

 尾崎も立ち上がり、小石を投げた。小石は一度もジャンプする事なく川面の中に落ちた。

「下手くそ」

「何を」

 尾崎は何度もやったが駄目で、明子は毎回小石がジャンプした。

「参りました」

「あなた、今日は負けてばかりね」

「女は強いって事でしょうか」

「強いわよお」

 再び明子は笑った。その笑いに釣られて尾崎も久し振りに笑みを浮かべた。

「なあ明子、どうして待ち合わせに四条大橋を選んだの」

 ずっと聞きたかった事を尾崎はようやく口にした。

「そんな事わかってるじゃないの」

「何が」

「まだわからないの」

「わからないから聞いているんだ」

「四条大橋、南座、出雲阿国像、そしてあなたこの四つ同時に見れるのはあそこしかないの。本当はもう一つリクエストあったのよ」

「何だよ、云ってごらん」

「つけ打ちの時の恰好で着て欲しかった」

 つけ打ちの恰好は、黒の着流し、裁着け袴(たっつけばかま)、黒足袋である。

「さらに云えば、四条大橋でつけ打ちをやって欲しかったのか」

「グッド!ベリーグッド!」

「それは駄目」

 きっぱりと尾崎は云い放った。

「どうして」

「つけ打ちは大道芸じゃないから。あれはあくまで、役者を際立たせるものだから」

「ケチ。男の人って着物姿の女性に弱い人って多いって云うでしょう」

「ああ普段洋服の女性が髪をアップにして、着物着ると普段より数倍美人に見えるもんなあ」

 尾崎は、明子が劇場に自分を訪ねて来たり、観劇しに行く時は必ず着物で押し通していたのを思い出した。

「明子も着物よく似合ってたな」

「今頃胡麻すっても遅い!」

「本当だって」

「今度は私が胡麻する番。あなたの黒の着流し、裁着け袴でつけ打つ姿、着物フェチ女子から見たら、たまらないのよ」

「それはどうも」

「あなた、毎日こまめにフェイスブック、インスタグラムアップしてるでしょう。あれ、ファンクラブみたいなもの。結構いるのよ、あなたのファンが」

「だといいけどね」

「もちろん、歌舞伎ファンもだけど、つけ打ちファンってあなたの不断の努力でこの数年、爆発的に増えたのよ」

「何だか褒め殺しにあったみたい」

「お互いにね」

 明子と二人で笑う。

 新婚当時は、毎日笑顔と笑いで満ち溢れていた。

 一体いつからなんだろうか。笑いがなくなる代わりに、空虚なこころと、正体の掴めない苛立ちが泡風呂の中の泡沫のように、次から次へと疑念の表面に覆われて増殖していた。


      ( 4 )


 南座五月花形歌舞伎千秋楽。

 尾崎は、自分がつけを担当していた歌舞伎役者、村中富太郎、有田鯨蔵の楽屋を訪ねた。

 尾崎は初日、中日、楽日には、必ず担当する役者の楽屋を訪ねる事にしていた。

 鯨蔵は、名門有田屋の若手歌舞伎役者で、今一番客を呼べる役者でもある。

 年齢は、尾崎よりも八つも年下でまだ三八歳である。

 鯨蔵は、殊のほか尾崎を気に入っており、東京歌舞伎座に出る時は、歌舞伎座専属のつけ打ちは使わず、尾崎を指名していた。

 尾崎が他の劇場に出ていて、担当出来ない時は、出演を断る程の惚れ込みようである。

 昨年五月、尾崎は新橋演舞場でのつけ打ちが決まっていた。

 あとで、同月東京歌舞伎座の出演が決まった鯨蔵は、尾崎をつけ打ちに指名した。

 興行元の竹松は、苦肉の策として、新橋演舞場と歌舞伎座での尾崎の担当のつけ打ちの芝居をずらして、二つの劇場を掛け持ちさせる裏技に出た。

 本来二つの劇場で、二つとも古典歌舞伎の場合、両方の劇場のつけを、一人のつけ打ちが担当するのは、良くない事である。

 しかし、昨今歌舞伎公演が増えたのに、それに伴うつけ打ちの職人が増えていないのである。

 何もそれはつけ打ちに限らず、歌舞伎を裏で支える様々な裏方の人材不足が叫ばれている。

 尾崎はまず村中富太郎の楽屋を訪ねた。

「迷いのつけ打ちは、少しはなくなったけど、私生活の迷いはどうなんですか」

「いやあ、迷ってばかしです」

「私の歌舞伎の芸と同じですよ」

「何が同じなんですか」

「自分では、迷ってなんかいない。これが今持てる私の最高の芸だって、声高に叫んでいる。ところが、肝心のお客のこころに、全然響いてないって事があるんだなあ、これが」

「そんなもんですか」

「最近は、ツイッターやブログで、批判を見ることがあるよ。でも、あまり外野を意識しすぎると、これまた迷い地獄の始まり。まあこればかりは、正解はない世界ですよ」

 富太郎は、弟子の富弥に目で合図した。

 富弥は、尾崎に近づき、

「ご苦労様でした」

 と頭を下げて、祝儀袋を渡した。

「有難うございます」

「お大事に。元奥さんを大切にね」

「えっ!」

 富太郎は、片目をつぶって見せた。

(村中の旦那まで知ってる)

 次に、有田鯨蔵の楽屋へ足を運んだ。

「若旦那、千秋楽おめでとうございます」

 暖簾をかき分けて、入り口で云って去ろうとした。

「尾崎ちゃんちょっと」

 鯨蔵が手招きで呼んだ。

 弟子が入れ違いに部屋から出た。尾崎は部屋に上がる。

「何でしょうか」

「聞いたか聞いたか」

 歌舞伎舞踊でよく登場する「聞いたか坊主」の台詞を鯨蔵が口ずさむ。

「何を聞いた!」

 すぐに尾崎はそれに合わせて受け台詞を口にした。

「尾崎徹夫なる有田屋のつけ打ちが奥方と復縁する話を聞いた!」

「たわけ者め、そんな話は出鱈目でござる!」

 とここまで両者、息のあった、芝居がかった真似事を繰り広げた。

「鴨川で昼間から、別れた奥さんと抱き合っていたんだって。尾崎ちゃんもやるねえ」

 先日の二人の鴨川でのやり取りを誰かが見ていたのであろう。

 それを面白おかしく脚色して楽屋に喧伝したのだろう。

 噂は現実三部、脚色七部でこの世界は成り立つ。面白いほど受けるのである。

「してませんよ」

「別にいいじゃない。奥さんなんだから」

「本当にしてません」

 改めて尾崎はきっぱりと宣言した。

「でも会ったんでしょう」

「そりゃあ会いました」

「でしょう」

 鯨蔵は笑い転げた。

 化粧前(鏡台)の引き出しから祝儀を取り出した。

「今月も有難うねえ」

 と云って手渡した。

「有難うございます」

 尾崎は頭を下げた。

「まあお幸せにね」

「はあ、まあ」

 楽屋をあとにした。

 尾崎が、自分の元妻と会っていた事は、南座、楽屋、役者連中に伝播されていた。

 京都は狭い街だ。

 鉢合わせ、誰かを目撃する確率は、おそらく東京の何倍もの確率で高いだろう。

 さらに狭いのがこの歌舞伎の世界。

 おそらく、東京歌舞伎座にまで噂は、尾ひれを百はつけて、モリモリに盛り込まれて広まり、拡散してるだろう。

 ツイッター、ブログ、ライン、フェイスブックの登場で、噂の伝播力は、昔の数百倍の速さと拡散の広がりを持っていた。


 千秋楽は昼の部一回公演である。

 昼の部のつけ打ちの仕事が終わる。

「今日はもう先に東京へ帰ってもらってもいいですよ」

 控室で福岡が云った。

「じゃあそうしようかなあ」

「あれっ着替えないんですか」

 尾崎はつけ打ちの正装である黒の着流し、裁着け袴のままだったので福岡が聞いた。

「うん、まあね」

 自分のつけ析、つけ板を特製のジュラルミンケースに入れた。

 いつもなら他の荷物と共に、トラックに載せるが今日は持って帰る事にした。

「どこか、つけ打ちの営業に出るんですか」

 半分茶化したつもりで福岡が云ったが、尾崎は、

「ちょっとね」

 と顔が固まっていた。

「尾崎さん、さっきから言葉濁してばかりで、何だか怪しいですねえ」

 福岡がじっと尾崎を見ながら云った。

「何でもないから。つけ板のジュラルミンケースは持って帰るから」

 また言葉を濁して四条大橋を目指した。

 実は、昨日明子からメールが来た。

 東京へ帰る前に、もう一度会いたいとの事だった。

 四条大橋へ行くとすでに明子はいた。

 裁着け袴に多額の現金が入っていそうなジュラルミンケースを持つ姿はかなり目立った。

 たちまち、複数の外国人観光客に取り囲まれた。

「ニンジャ!ニンジャ!」

 数人の外国人観光客が、尾崎の黒の着流し、裁着け袴の恰好を見て、忍者装束と勘違いしたようだ。

 外国人観光客から見れば、同じように見えるらしい。

 たちまち数人の観光客が、手帳やノートを取り出して、サインをせがんだ。

「サインしてあげれば」

 明子は笑っていた。

「忍者じゃないんだけどな」

 英語で、忍者とつけ打ちの違いを説明するほどの語彙力はなかった。

 英語なら、明子の方がペラペラなのに、笑ってばかりだった。

 しぶしぶ尾崎はサインに応じた。

 そして次は、写真攻めだった。

 一緒に撮ってくれと云われて、明子が大笑いながらシャッターを切った。

「その恰好目立つ!」

「これで来てくれと云ったのは、きみなんだよ」

「はい、リクエストにお応えて下さいまして有難うございます」

 少しおどけて見せる明子だった。

 川端通りからタクシーに乗った。

「京都駅まで」

 と尾崎が云うと、すぐに、

「すみません、予定変更します。渉成園までお願いします」

 明子が一オクターブ声を張り上げた。

「渉成園?それどこなの」

「心配しなくても大丈夫。京都駅から歩いて十分くらいのとこ。無事に尾崎先生を京都駅の新幹線乗り場にご案内しますから」

 と明子が云うと、それを聞いていた運転手が、

「お客さん、渉成園は枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれてて、東本願寺の飛び地境内ですわあ。京都駅から近いのに、あんまり観光客に知られてない穴場ですよ」

 と解説してくれた。

「何かあるのか」

 尾崎は明子に云ったつもりだったが、運転手は自分に聞かれたと思ったらしく、さらに説明が続いた。

「中で飲食は出来ませんけど、庭園が素晴らしいですわあ。真ん中に池があって茶室が幾つかあって、建物自体明治のもので、再建が多いです。一万坪の広大な敷地ですわあ。けど残念な事が一つあるんです」

「何ですか」

 身を乗り出して明子が聞いた。

「近隣のマンションの建物が幾つか木々の間からニョキニョキ出てて、あれは何とかならんかったんかなあ。京都は高さ制限があるけど、庭園の周りやったら、五階建てぐらいでも目立つからねえ」

 運転手のガイド説明に気がそがれて尾崎は黙った。

「お客さんは、踊りのお師匠さんですか」

 運転手は、バックミラー越に尾崎を見ていた。恐らく尾崎の着物姿を見て云ったのだろう。

「踊りじゃないけど、似たようなジャンルのお師匠さんです」

 横から明子が解説した。

「やっぱり。それで多額の現金持ち歩いているんですか」

 尾崎の持つジュラルミンケースに目を付けたのだろう。

「そうなの。この世界ご祝儀が乱れ飛ぶ世界だから」

 明子は嬉しそうに喋った。

「私にもその祝儀弾んで欲しいです」

 運転手は破顔一笑した。

「今度乗った時にね」

「待ってますわあ」

 十五分ほど乗って渉成園に到着した。中に入る。

 ここは入場料ではなくて志納金で一人五百円以上だった。

 尾崎は千円出して入る。

 門をくぐりしばらく歩くと、広大な芝生と大きな池が見えた。

 確かにタクシー運転手が云ったように、対岸の樹木の間からマンションが幾つか顔を覗かせていた。

 尾崎は明日は休みなので、今日はいつ東京に戻ってもよかった。新幹線の座席指定は取らずに、自由席で帰るつもりでいた。

 池の前に緑鮮やかな芝生が広がる。対岸に二、三人人がいるだけで、静寂の世界が二人を取り巻いた。そこで二人は立ち止まった。

 樹木の色濃き深緑色と空の青色の二色が池に、揺れ動く絵画として浮かび上がった。

 明子は尾崎を見ずに池を見ていた。

「で、何なの」

 明子が用件を切り出さないので尾崎から聞いた。

「この前云ったでしょう、私の再婚話」

「うん聞いた」

「どう思った?」

「そりゃあびっくりしたよ」

「それから」

「それから・・・おめでとう」

 喉に無理やり鉛の固まりを押し込まれたようで、息をするのでさえ重苦しく、最後は声を振り絞っていた。

 擦れた声での「おめでとう」だった。

 本当は、全然目出度くなんかない。

「それから」

 明子はしつこく聞き返す。

 そこで会話が途切れた。

「私の婚約者を紹介します」

 明子がくるっと振り返り奥に向かって手を振った。見知らぬ中年男が尾崎に近づいた。

「どうも」

 お互いどう接していいのかわからない態度だった。

「羽間俊明です」

 ぼそっと聞き取りにくい声だった。

 余りにも明るく接するのもおかしい。かと云って暗いのは嫌われる。

「少し歩きましょう」

 明子の誘導で池の周りにある道を歩き出す。

 しかし、三人の口は重い。

 一人の女の前に前亭主と新しい婚約者。

 これが若者なら取っ組み合いの喧嘩が起きたかもしれない。

 何故わざわざ、明子はこう云う状況を作り出したのか全く理解出来なかった。

「どこで知り合われたんですか」

 やっと尾崎は質問出来た。しばらく間がある。

 羽間は明子を見て助けを呼ぶ。

「友人の紹介なの」

 明子が慌てて早口で喋る。

「随分早いんですね、結婚を決めるのが」

 尾崎は明子と交際して結婚まで二年を要した。

「何事も早くやるのがたちなんです」

「明子さんのどこが気に入ったんですか」

「いやだあ、そんな事聞かないでよ」

 大げさに明子が身体をひねって答えた。

「全てです」

「何が全てなんですか」

 ちょっと尾崎はむっとした。

(お前に明子の何がわかる)

(全てよいの中身を箇条書きで云って見ろ)

(俺は最低でも、三十個は云えるぞ)

 1色が白い。(色白は七隈隠すって云うけど、一隈もない)

 2歯が綺麗。歯並びがよい(虫歯が一本もない。その綺麗さを買われて歯科医でバ イトしていた)

 3小顔である(日本人には珍しいほどの小顔である)

 4スタイルが良い(背は低いけど、スリーサイズは上から92,57,92だ)

 5声がよい(電話で聞くと、本当に心地よい。本人の告白によると、ラジオのパーソナリティになるために、専門学校に通ったそうだ)

 6髪の毛が美しい(俗に云うカラスの濡れ羽色だ)

 7まつ毛が長い(よく人から、つけまつげですかと聞かれていた)

 8唇の形がよい

 9鎖骨が美しい

 10指先が美しい

 11運動神経がよい(高校時代は陸上短距離で国体に出た事がある)

 12古典芸能に精通している(歌舞伎、能、狂言)

 13料理が上手(今すぐにでも居酒屋が開店出来る)

 14手先が器用(着物、洋服、帽子等自分でデザインして縫える)

 15綺麗好き(毎日風呂、トイレ、キッチン、部屋をピカピカに磨いている)

 16世話好き(近所で拾った犬、猫を連れて帰って世話をした事がある)

 17信心深い(毎朝毎夕ご先祖様の仏壇に向かって拝んでいる)

 18お茶、お花にも精通している(お茶は裏千家、お花は池坊で習っている)

 19日本楽器をたしなむ(三味線、お琴、太鼓、胡弓が演奏出来る)

 20外国語が堪能である(TOEIC920点。英語、フランス語、ドイツ語、イタ   リア語、スペイン語、中国語(北京、上海)、台湾語、朝鮮語、アラビア語   は日常会話が出来る)

 21読書家である(戦後から今日までの直木賞、芥川賞受賞の全作品を読破。岩波   新書も殆ど読破)

 22色彩感覚に優れている(部屋のインテリア、コーディネイトが上手い)

 23カラオケが上手い(十八番は「夜桜お七」「卒業写真」他多数)

 24片付け上手

 25視力がよい(両目とも2.0)

 26美脚である(足首がぎゅっと引き締まっている)

 27人に優しい

 28京都検定1級を持っている。

 29指先が細くて長い

 30漢字検定1級を持っている


 尾崎のこころの中にどす黒い液が充満するのを感じた。気分が悪い。

 一刻も早くここから逃げ出したい気分だった。

「尾崎さんは、どこが気に入ったのですか」

 羽間が同じ質問をした。尾崎が答えようとすると、明子は手で制止した。

「やめてよ!気に入ってたら離婚してないって」

「それもそうですね」

 すぐに羽間が反応して二人が笑った。

 自分だけ置いてけぼりを食らったかのようで、どす黒い液に突然嵐が誕生し、さざ波が立つ。

「僕達結婚しようと思ってます。挙式も決めてます」

「どこで」

 天から黒いコールタールが、羽間だけに降り注いで、窒息死する光景が尾崎の目に浮かんだ。

 努めて冷静に尾崎は聞いた。

 こころの中は、さざ波から、急に竜巻が起こってる感じだった。

「この渉成園ですよ」

 勝ち誇ったように羽間はにやりと笑い、明子と手を繋いだ。

 尾崎と明子の結婚式は八坂神社で、披露宴は近くの長楽館で行われたのを思い出した。

 長楽館は明治の煙草王、村井吉兵衛が祇園・円山公園の中に作った瀟洒な洋館で、明治時代の京都での政界、財界人たちの迎賓館的役割を果たした。

 今でも現役で、ホテル、レストラン、喫茶室として幅広く市民に利用されている。ちなみに「長楽館」の命名は、伊藤博文である。

 幾つかの茶室、建物を見て回る。

 その都度、明子は説明したが、尾崎の耳には入っていなかった。

 三人は再び池の前の芝生に来ていた。

「明子さん、前から云ってた婚約指輪持って来ました」

「有難う」

 羽間はポケットから赤色の小箱を取り出した。

 二人は池を背にして向かい合って指輪をはめようとした。

 尾崎は二人の間に立ち、まるで見届け人のようになった。

 尾崎は明子の左手の薬指を見た。

 明子は、尾崎から貰った結婚指輪を離婚しても、外さずそのままにしていた。

 つけ打ち評論家、小林伸子の言葉が蘇る。

「結婚指輪、見た?」

「指輪をしてるのは、まだ未練があるから!」

 そこで尾崎はぴくんと背筋に一瞬稲光が貫く感覚を覚えて全てが氷解した。

 羽間は、尾崎の指輪を外して、自分が買って来た指輪をつけようとした。

 明子は、取り外しやすいように、左手の薬指だけ、羽間に突き出した。

「やめろ!」

 尾崎は羽間を突き飛ばして羽間の指輪を取り上げた。

「こんな奴とは結婚するな!」

 尾崎はそう叫んで羽間が買って来た指輪を池に向かって投げ捨てた。

 指輪は、大きな放物線を描きながら、池の真ん中に小さな波紋を作り消えた。

「な、何をするんですか。僕が買った指輪を!」

「明子をあんたとは結婚させない!」

「何云ってるんですか!あなたは明子さんと離婚したので、赤の他人です」

「今から俺が明子の婚約者になる!」

「ええええっ!」

 羽間は大げさにのけ反った。

「明子さん、それでいいんですか」

 羽間が聞いた。

「はい!尾崎さんと再び結婚します」

 その声を聞いてから、羽間は尾崎の想像をはるかに越える行動に出た。

「おめでとう!」

 懐からクラッカーを取り出してパカンと鳴らした。

 拍手する。その拍手は一人から複数に広がる。

 えっとなって尾崎は振り返る。

 小林伸子と福岡が拍手しながら近づいた。

「おめでとうございます」

「おめでとう」

「どうなってるの、これ」

「全て伸子さんが書いたシナリオでした」

「何だよもう少し詳しく云ってくれ」

 まだ目の前の状況が理解出来ていない尾崎だった。

 伸子は居酒屋で尾崎から報告を受けてすぐに明子に連絡を取った。

 明子の再婚話はやはり嘘で、尾崎の反応を探るものとわかった。

 同じ女としてピンと来たらしい。そこでその再婚話を元に今回の最後の大芝居を作ったと云う。

「じゃあこの羽間さんって人は」

「僕の高校時代の同級生です」

 福岡が紹介した。福岡は高校卒業まで神戸で育った。

「羽間です。改めて」

 羽間は笑顔で尾崎と握手した。

「やられたあ、恥ずかしい」

 尾崎はぺたんと座り込んだ。

「仕掛け人たちは、実はドキドキもんだったのよ」

 伸子はこころの内を吐露した。

「もし指輪の交換しても尾崎さんが何もアクション起こさなかったらどうしようかと思ってました」

「その時は、第二弾として明子さんに抱きついていました」

 笑いながら羽間が答えた。

「俺、そこまで鈍感に見えるか」

「見える!」

 明子と伸子の女性陣二人が同時に叫んだ。

「先輩、何はともあれよかったじゃないですか」

 今度は福岡と尾崎が固い握手をした。

「尾崎さんまだ終わってませんよ」

 伸子は背筋を伸ばして襟を正した。

「おいおい、まだ何かあるのか」

 伸子が明子に目配せした。

「私ねえ、一度でいいからあなたのつけ打ちで走ってみたかったの。それでここでつけ打ちやってよ」

「ここでか」

 尾崎は芝生に目を落とした。

 昨日のメールで、つけ打ちセットを持って来るように云った真意が、初めてわかった。

「よしわかった」

 尾崎はジュラルミンケースを開けてつけ析とつけ板を取り出す。

 つけ板は、縦1尺2寸(約36センチ)、横2尺2寸(約66センチ)、厚さは8分(約24ミリ)。つけ析の長さは、7寸(約21センチ)、横幅1寸5分(約45ミリ)。

 つけ板と芝生の間に自家製のフェルト木綿を敷いた。さらに5分の合板ベニヤをかました。

 この二つのクッションをしないと、つけ析の音が外に広がらずに地面に落ちてしまう。これもいつもジュラルミンケースの中に入っている。

 尾崎は一礼して正座する。

 明子は端に陣取る。

「明子さんいいかな」

 伸子が声を張り上げた。

「いいわよ」

 約二十メートルは離れていた。

「では参りましょう、尾崎明子、尾崎徹夫つけ打ちとの復縁を祝っての幸せの走りです。どうぞ!」

 明子は走り出す。

 尾崎のつけ音が始まる。

 渉成園でおそらく本邦初公開のつけ音が鳴り響く。

「バタバタ、バタバタ、バタバタ!」

 明子は走りながら尾崎の近くまでやって来た。

 尾崎の前で立ち止まり、睨みをやり、見得を切る。

「タン、タン、タン!」

 明子は尾崎を睨んだ。

 尾崎はこの時思った。

 明子の睨みならずっと見守る事が出来ると。

 明子の目に涙が光る。

 見得を切った後、明子は尾崎の胸の中に飛び込んだ。

「バカバカ、もう離さないから」

 明子は尾崎にしがみついたまま泣いていた。

 周りの三人は再び拍手をし始めた。

 尾崎の頭の中でサイモンとガーファンクル「明日に架ける橋」の歌のフレーズが芽生えた。

 今度こそ明子と二人で、固い外れない橋をかけようと思った。

 そして続いて尾崎は、こう思った。

 やはり自分と京都は縁起がいいと。


     ( 終わり )


 



 










 


 








 





 


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