三上京子の隠しごと

水谷一志

第1話 第一印象

 「何だ、この人…。」

これが、水谷秀哉(みずたにしゅうや)の、三上京子(みかみきょうこ)に対する、第一印象である。

 2人の出会いは、とある大学の、マンドリンクラブ。…と、2人の出会いを語る前に、彼、水谷秀哉の経歴について、触れておかなければならない。

 彼、水谷秀哉は、小さい頃から運動が苦手であった。特に、彼が小学生の時にその傾向は顕著で、その時、彼は地元の子ども会で、ソフトボールをしていたが、フライは捕れない、送球はいつも狙った方向からずれる、またそういった守備面だけでなく、バッティングでも、タイミングが全然合わず、三振を繰り返す、という有様であった。(ちなみに、彼は足も遅かった。)

 そのため、彼はどちらかというと、いじめをする側の人間、というよりは、いじめられる側の人間であったが、持ち前の明るい性格が受けたのか、彼に対するいじめは(ゼロではなかったものの)少なく、(運動面以外では)彼は楽しい小学生生活を、送っていた。

 また、彼は勉強面は、抜群にできる、というわけではなかったが、それなりの成績を残し、少なくとも体育・運動面に対するそれよりは、苦手意識は少なかった。(特に、彼は国語が好きで、家でも同世代の人に比べて、本をよく読む方であった。)

 ここまで聞くと、彼はどこにでもいる、「運動が苦手で、勉強は少しだけできる、ごく普通の小学生」だと思うかもしれない。しかし、彼はそうではなかった。

 彼は、小さな頃から、非凡な子どもであった…それは、「音楽」に対してである。

 彼、水谷秀哉は、小さな頃からピアノを習っていた。そして、彼の才能は、そのピアノにより、開花された。

 もちろん、彼のピアノ演奏は、小学生とは思えないくらい、上手であった。(ちなみに彼は小学生になる前から、ピアノの稽古をしていたが。)しかし、彼の才能は、どちらかというと「ピアノの演奏者」としてのものではなかった。彼は、「作曲者」として、その非凡な才能を、小さな時から開花させたのである。

 「お母さん、僕、ショパンの『革命』を、アレンジしてみたよ!」

 これは、彼がまだ小学生になるかならないか、といった年齢の時に、彼の母親に言った言葉である。その時彼は既に、比較的難しいとされる、ショパンの「革命」を、弾きこなすピアノスキルを手にしていた。これだけでも驚嘆すべきことだが、さらに驚くべきは、さっきの台詞である。

 なんと、彼はその年齢で、「革命」のアレンジを、行えるようになっていたのだ。

 「秀ちゃん、すごいわねえ!また、ピアノの練習、頑張ろうね!」

「うん、ありがと、お母さん!

 …それで今度は、オリジナルのピアノ曲、作ってみたんだけど、聴いてくれる?」

「まあ、そんなこともできるの?秀ちゃん、本当にすごい!」

 実際この時彼は、現存する曲のアレンジだけでなく、自作曲も作ることができるようになっていた。

 そして、晴れて小学生になり、年齢が高くなっていくにつれて、彼の才能は、本格的に開花した。もちろん、ピアノの腕前も彼はメキメキと上達させたが、彼が最も得意とするのは、やはり作曲であった。その時彼は、ピアノ曲だけでなく、本格的なオーケストラの曲も、作曲できるようになっていた。(彼の両親は、彼の作曲スキルを伸ばすため、クラシックの交響曲などを、たくさん彼に聴かせていた。)

 「お母さん、お父さん、僕、ベートーベンの『運命』に、自分なりのピアノソロを足して、協奏曲を考えたんだ!」

「お母さん、お父さん、また新しいオケ(オーケストラ)の曲、考えたよ!」

これらは、小学生時代の彼の、口癖のようになっていた。

 そしてその才能は、早くから大人たちの目に留まり、彼はジュニアのクラシックの作曲コンクールで、優秀賞をとるようになっていた。(もちろん、彼はその間、ピアノのレッスンも続け、ジュニアのピアノ演奏コンクールでも、良い成績を残していた。)

 「これなら、秀ちゃんは将来、作曲家になれるわね!」

「母さん、まだ気が早いよ。…でも、確かにその可能性は、あるかもね!」

「でしょ、父さん!」

 運動・勉強面では平凡(かそれ以下)のレベルであった彼、秀哉であるが、彼は両親からのそんな期待を背負って、小学生時代を過ごした。

 また、そんな非凡な才能のおかげか、また日々の努力の賜物か、彼は小さな頃より音感に優れ、小学生の頃には、いわゆる「絶対音感」を彼は持ち、日常に溢れる様々な「音」の音階を、言い当てられるようにもなっていたのである。


 そんな彼、秀哉は、中学生になっても、ピアノのレッスンと、作曲を続けていた。また、その頃になると、思春期を迎えたこともあってか、今までさほど興味を示してこなかった、ポピュラー音楽にも興味を持ち始め、ロックやポップス、ヒップホップなどの音楽も、彼は聴くようになった。そして、趣味の一環で、それらの曲の作曲も彼は行い、そのどれもが、一級品であった。

 そんな彼、秀哉は、中学に入り、ある音楽に、魅せられた。

 それは、「マンドリン音楽」である。 

 それは、桜の花が散り、葉桜になった頃の、4月の終わりのことであった。

 『中学生になったら、何か部活をしないといけないな…。

 でも僕、運動には全く自信がないし、どうしよう…。』

彼、秀哉が中学校に入学して、部活についてそう考え、入る部活を決めかねている時に、彼はその「音楽」との出会いを果たした。

 その時、彼が新しく通うことになった中学校のマンドリンクラブは、部室にて新入生歓迎の演奏会をしていた。そして彼、秀哉は、

『なるほど。この中学校には、音楽系の部活もあるのか。

 僕、自分で言うのも何だけど、音楽は割と得意な方だし、これならやっていけるかもしれない!』

と思い、軽い気持ちで、その演奏会を聴くことにした。

 そう、最初は彼は、軽い気持ちだったのだ。しかし…、

 彼はその、「マンドリン音楽」に、完全に魅せられてしまった。

 まず彼が魅せられたのは、その演奏形態である。彼は今まで、オーケストラといえばバイオリン、という(おそらく一般的な)イメージしか持っていなかったので、マンドリンにもオーケストラが存在する、ということを知り、彼は少し驚いた。(もちろん、これはいい意味での驚きである。)

 次に彼の目・耳にとまったのは、その独特の音色と、演奏方法である。マンドリンは通常、「トレモロ」という演奏方法で演奏される。この、「トレモロ」は、

「単一の高さの音を連続して小刻みに演奏する技法、ならびに複数の高さの音を交互に小刻みに演奏する技法である。」

というのが、辞書的な定義である。

 これをマンドリンに即してもう少し詳しく説明すると、トレモロは、同一の音階の2本の弦(マンドリン、及びその関連楽器には、同一の音階の弦が2本ずつ、存在している。)を、ピックを用い繰り返し弾く(ダウンピッキング…弦をピックで下に弾く、またアップピッキング…同じく上に弾く、を組み合わせる。)奏法である。そして、このトレモロによって、マンドリンは、バイオリンとは一味違った、独特な音を出しているのだ。

 『へえ~。マンドリンって、ああやって弾くのか。面白いなあ。』

これが、彼がマンドリンのトレモロを見、聴いた時の、第一印象である。

 そしてそれだけでなく、彼はその音色そのものの、とりこにもなった。ウィーンが本場のバイオリンオーケストラと違い、マンドリンオーケストラは、どこか南国を思わせる音色である、彼はそう直感した。(スペイン辺りがイメージに近いかな、彼はそう思った。)そして、彼が今まで聴いていたクラシック音楽に比べ、音色のタッチが軽く、聴きやすい音楽であるようにも、彼は感じた。しかし、それだけでなく、マンドリンの関連楽器が「オーケストラ」として合奏を行った時は、重厚感を出すこともでき、彼は、

『このマンドリンは、1つ1つの楽器だけではそんなに大きな音も出ないし、軽いイメージで聴きやすいけど、それが合わさった時は、壮大・荘厳な音も出せるんだ…。

 面白いな。』

と、マンドリンについて思った。

 そして、その日の新入生歓迎の演奏会が終わった後、彼は、

『僕、マンドリン音楽を聴いたのは初めてだけど、演奏、本当に良かった!

 僕も、ピアノはもちろん頑張るけど、それ以外の楽器にも、挑戦してみたいなあ…。

 いやそれだけじゃない。僕は、マンドリンオーケストラの曲も、いつか作曲してみたい!

 …とりあえず、僕はマンドリン部に、入りたい!』

という決意を、その日のうちに持った。


 そんな、(音楽面から見て)輝かしい経歴を持った、彼、水谷秀哉。そしてそんな彼が出会った、マンドリン音楽。この化学反応は、高校時代も続き、(彼は高校生の時も、ピアノのレッスンを受けるかたわら、マンドリンクラブに所属し、演奏・マンドリン曲の作曲をしていた。)晴れて大学生になった秀哉は、やはり(得意のピアノと並行して)その大学のマンドリンクラブに入り、音楽活動を続けていた。

 また、彼は高校までは、主にマンドリンを演奏していたが、大学のマンドリンクラブに入ると、(人数の関係から)コントラバスを、演奏することになった。(これは、主にバイオリンオーケストラで使われる物と同じ楽器である。)そのことを彼は当初は、

『せっかくマンドリンクラブに入ったのに、コントラバスだと意味がないな…。』

と思っていたが、次第に、

『この、コントラバスも、奥が深くて面白い楽器だな!』

と思うようになり、彼はピアノ、マンドリン(担当が変わっても彼は自分でマンドリンを演奏することがあった。)、コントラバスなど、様々な楽器に触れ、それらの演奏を楽しむようになった。

 そして彼は、その非凡な音楽の才能が認められ、クラブの大学1年生の、学年リーダーを、入部した時から任されていた。


 「○○さん、確かに演奏は上手なんだけど、この曲のこの部分のトレモロは、もう少し弱いタッチにした方がよくないかな?」

「先輩、この部分のベース(コントラバス)の音量、もう少し抑え気味にした方が、よくありません?」

彼、秀哉は、同学年の学生だけでなく、先輩に対しても、しっかり意見を言える存在に、なっていた。

 また、彼は(運動神経は結局小さい頃から変わらず、悪いままだったが)その見た目は、背は高くないものの、細身の体型で、また二重まぶたでキリッとした目を持ち、「爽やかな好青年」という印象を与えるには、十分であった。そして、その見た目も少しは手伝ってか、彼はクラブ内で、同学年、また先輩から、頼られる存在になっていた。

 

 そんな中、季節は彼、秀哉がクラブに入部した4月から、まだ梅雨明けしていないものの、暑さが厳しい7月へと、移った。そして彼、秀哉たちは、来る8月の、大学のマンドリンクラブの定期演奏会に向けた、練習をしている真っ最中であった。

 そして、とある1人の女子大学生が、彼、秀哉たちのマンドリンクラブに入部して来た。

 彼女の名前は、三上京子と、言った。


 「はじめまして。僕は、水谷秀哉って言います。」

「はじめまして。三上京子です。」

彼、秀哉が彼女、京子を初めて見た時の印象は…、

『この人、僕の初恋の人に、似ている…。』

という、何とも甘酸っぱいような、そうでないようなものであった。(この、彼の初恋の件に関しては、後に語ることとする。)

 また、彼女、京子は、女子の中では背は高い方で、顔も小さく、モデルのような体型であった。そしてその顔は、一重ではあるものの大きな目で、「涼やかな和風美人」という印象を与えるには、十分な顔であった。

 「三上さんは、楽器演奏の経験は、お持ちですか?」

その後、彼が彼女にそう訊くと、

「はい、私はマンドリンの、演奏経験があります。」

彼女はそう答えた。

 その、彼女の答え方も、落ち着いたトーンで、これは、「クールビューティー」に入るであろう、彼、秀哉はそう思った。

 「そうですか。それは頼もしいですね。」

「はい、私なら、絶対にここのクラブの戦力に、なれると思います。」

『…えっ!?』

彼、秀哉が自分の、彼女、京子に対する好印象に疑問符を投げかけたのは、この時からであったかもしれない。

 『この人、何か自分に自信があるみたいだけど…。

 まあいいか。』

「では、このクラブのパートの説明を…。」

彼がそう言って説明しようとすると、

「そんなの、どこのマンドリンクラブも変わらないですよね?

 無駄な説明は、いらないと思います。」

彼女は、そう切り返した。

「…まあそうですかね…。

 じゃあクラブのメンバーの自己紹介を、1年生から…、」

「つまらない自己紹介は結構です。

 それより、皆さんの楽器演奏の力量を、私は拝見したいと思います。」

「いやでも、名前くらいは知っておかないと…。

 これから先、一緒に活動していくわけですし…。」

「まあそれもそうですね。

 では、余計なことは結構ですので、名前だけ、手短に教えて頂けません?」

 こうして、彼女、京子を取り囲んで、(彼女の意に沿った)自己紹介が始まった。

 「これで全員の紹介が終わりました?

 じゃあ、楽器演奏を私に、1人ずつ見せてください。」

 その時彼、秀哉は、

『ちょっと、初対面でいきなりそんなこと言うのって、失礼なんじゃ…。』

と、思ったが、(おそらくクラブのメンバー全員が、そう思ったであろう。)3年生のクラブの部長が、

「分かりました。では1人ずつ、楽器演奏しましょうか。」

と、彼女、京子の要望を受け入れたため、1人ずつの、楽器演奏の披露が、始まった。

 しかし、いや案の定と言うべきか、そこから彼女、京子の独壇場が、始まった。

 「ではまず、コンサートミストレス(第一マンドリンの首席奏者のことを、そう呼ぶ。ちなみに、コンサートミストレスは女性で、男性の場合は、『コンサートマスター』と呼ぶ。)の、彼女からお願いします。」

 そう言って部長が演奏を促し、その演奏が始まって少しした後、

「ちょっと、演奏止めてください。」

彼女はそう言った。

 「あなた、それでもコンサートミストレスなんですか?

 まずあなたの演奏、トレモロの基本がなっていないと思います。もっと技術面を、鍛え直した方がいいんじゃありません?

 それにあなたの演奏、ただ楽譜に沿って弾いているだけのような気がして、演奏に心がこもっていないと思います。

 楽曲に対する理解が、浅いような気がします。」

 「ちょっと、いくら何でもそれは言い過ぎ…、」

彼、秀哉はそう言いかけたが、部長はそれを制し、次の人の演奏を、促した。

 しかし、彼女、京子は、

「ドラ(マンドラ…バイオリンオーケストラではビオラに相当)の1番いい所を、そんな演奏では台無しにしてしまいます。」

「セロ(マンドセロ…同じくチェロに相当)の音量、出過ぎてバランスが悪いです。全体での合奏のことを考えていないから、そうなるんです。」

「コントラバスも、ボーイングの基本がなっていないと思います。

 弓のあて方から、やり直しですね。」

と、辛口と言うか、毒舌と言うか、ともかく批判を、演奏を止めては何度も何度も繰り返した。

 『この人、確かに美人だけど、性格ははっきり言って、めちゃくちゃ悪いな…。』

彼、秀哉は、そう思った。

 そして最後に、秀哉が演奏することになった。しかし…、

 彼女、京子は、演奏中、それまで繰り返していた批判を、全くしなかった。

 そのため周りの人間は、

 『秀哉君の演奏は、彼女も認めざるを得なかったんじゃないのか?』

と思ったが、当の彼は、

『どうせ、ただの気まぐれだろう。』

と思い、そのことを深くは考えなかった。

 そして、その彼、秀哉の中に、ある考えが浮かんだ。

 そして、

「三上さん、こういう言い方はなんですが、あなたの演奏は、ここのクラブのみんなの演奏に対してそこまで言えるほど、立派なものなんですか?

 あなたも、演奏してみてください。」

こう、彼は言った。

 そして彼女は、

「もちろん、いいですよ。」

と言い、持って来ていた自分のマンドリンをケースから取り出し、演奏を始めた。

 その演奏は…、

 息を呑む、というのは、こういうことを言うのであろうか。

 彼女の演奏は、まず技術面から、完璧であった。トレモロは正確で、狂いがない。また、速弾きのパートも、リズムに狂いがなく、「正確に速く」弾けている。

 そしてそれ以上に、クラブのメンバーの心をつかんだのは、その表現力であった。音量を小さくする所、大きくする所をしっかり区別し、曲にメリハリをつけている。また、彼女の演奏には、絶えず「感情」が伴っているように、感じられた。大きく「歌う」所、反対に「泣く」所を区別し、ダイナミックに表現ができている。その間のリズム等にも、狂いがない。また、あっさり弾く所は力を入れ過ぎず、聴いている者を飽きさせない演奏をする。とにかく、彼女の演奏は、まさに「完璧」の、一言であった。

 「オォー!」

彼女が最後まで弾き終えると、メンバーからは、歓声・拍手が、どこからともなく自然と沸き起こった。

 『確かに彼女の演奏は、素晴らしい。

 はっきり言って、うちのクラブのレベルではない。これは、プロ級のレベルだ。

 でも、彼女の性格は、苦手だな…。』

彼・秀哉は、その演奏が終わり、拍手をしながら、そう思った。

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