第1話:2人の神


「おい」


……!


ガバッと起き上がる。


食い物の匂い!


さっきまで求めていたものが前方にあふれる程ある。

それ目掛けて無我夢中で駆け出した。


「おい! これはわしのだ!」


バキンと巨大な拳が駆け寄ってくる男の上半身を打つ。


「もげぇええ!」


奇声を上げて吹き飛ばされるガリガリの男。


「まったく、クズに食わせるもんはここにはない」


巨体はぐびぐびと盃に入った液体を飲み干す。


「はっはっは、ビロールにしては手厳しい」


その隣にたたずむ長身で白いスーツを着込む男がにこやかに口を開ける。


「黙れ悪魔卿。

 あまりにもひでえもんだから、酒の勢いもあってこいつをんじまっただけだ」


巨体はなおも盃を仰ぐ。


「…げ、げは、げほげほ」


ガリガリがみながらうつぶせから起き上がる。


「さてくろ真珠しんじゅくん、僕たちと契約をしようか」


……!


近くで声がしたので顔を上げる。

するとそこには白スーツと巨体が自分を見下ろし立っていた。


「…あ、ああ!」


周囲をキョロキョロと見渡すが、先ほどの食事はどこにもない。


「飯は今からやる」


巨体がボソリと呟く。


「…お! おお! おおぉお!」


それを聞き、ガリガリは土下座するような姿勢で歓喜の声を上げた。


「ただしお前は餓鬼道に落ちる」


なんでもいい! 飯をくれ!


「一度 異世界のもので腹を満たせば、お前は二つの世界で飢えを知るのだ」


メシ! メシ!


「善行をなせ。さすれば水で飢えは癒される」


あばばばばば


「契約は2つの世界での善行。

 それを1日でも欠かせばお前は飢えで狂い、今よりも悲惨な目に遭って死ぬのだ。

 これに従うというのなら、酒神ビロールの名において、お前に加護を与える」


巨体はすっと膝を折り、


「さあ、これを飲み干すがいい。それをもって契約となさん」


金のゴブレットを差し出す。


水!? 水だーー!


ガリガリはそれを奪い取り、透明な液体をゴクゴクと飲み干す。


「神の加護で渇きを癒すとは、何たる贅沢」


白スーツは楽しそうにその様を見つめている。


「その加護は『とどめ』。

 欲望や呪い、有象無象うぞうむぞうを『とどめ』、不死の破滅に『とどめ』を刺す力である」


…い、生き返る……


ガリガリの体に瑞々みずみずしさが戻る。


「次は私ですね」


ガリガリはいくらか正気の戻った目で白スーツを見上げる。


「悪魔神ソピスイ・ダ・リテン・アプオメ・サ・ルタンの名において、貴様に加護を与えよう!」


…え? 悪魔?


そういうと白スーツは小瓶を差し出す。


「呑め」


…え?


「それを飲まない限り、運命の力がないお前は、異世界に行けん。

 つまり死ぬ」


巨体が淡々と付け足す。


……


ガリガリはそれを受け取り、蓋を外す。きゅぽんという音の後、血生臭さが辺りに漂った。


「くせえからはよ飲め」


巨体に急かされる。


…これは、現実なのか?


それは血のような何か。

夢のものとは思えない激臭をそこから立ち昇らせ、鼻孔を抉ってくる。


「さあ飲め、黒真珠」


にたにた笑う白スーツと目が合った。


…う!?


すると手がひとりでに、それを口元へ運び出す。


ごぼ、ごぼごぼごぼ!


腕が小瓶をあおぐと、まるで海で溺れて海水を飲むかのように、それが口から入ってきた。


「あはははは! 」


白スーツが笑い出す。


「私の加護は『異端』!

 さあ黒真珠! 宝石になれ!

 私は君が宝石になってくれるのを待ちわびているぞ!」


ぐ、おおぉお…!

胸が、苦しい…


ごとんと地面に額を打ち付ける。


「理から外れ、ただひとりの特別な存在として、この世界に立つがいい!!」


強い酒でもあおったかのように頭がぐらぐらと回り、自分を構成してたものがガラガラと崩れ去る音を遠くに聞く。

価値観が混沌となり散らばった自分の記憶、それを改めて客観的に見つめる自分がいた。


……! あ、あ…ああ!


目が見開かれ、焦点が定まらず震える。


「あはははははは!」


耳障りな悪魔の笑い声が頭上から鳴り響く。


は、なんて、愚かだったんだ……


過去の些細な記憶までもが鮮明に脳裏へ蘇る。

そこでは母が、父が、姉が、名も忘れた友達でさえ、屈託なく微笑んでいた。

時にはいがみ合い、けなし合ったりもするが、可愛いものだった。

そんな思い出が自分にあったのかと疑わしく、しかし懐かしく、もうかなり昔のことに感じる記憶のかけら。


そしてそれらが思い起こされるたびに、自分がここ最近周囲へ何をやってきたのか、愕然とする。

今さらながら心が、親を何度も殴り付けた拳が痛む。

金を集めるために僕はあんなにもゲスになれるのかと、自分で自分が恐い。

何で失敗し、なんて愚かだったか。それらを今、まざまざと知る。


…そんな、そんな


しかし今頃それに気付いても、もう遅い。


僕には、何もない…何も残って、いない…


取り返せる機会はとうに過ぎ去り、暖かいものは全て手放してしまった。

残ったのは罪と罰、そしてクズな自分。


蘇る全ての記憶に様々な後悔が押し寄せては、


「ああぁあぁあああ!」


絶望が生まれ、胸の中にそれが満ちていく。


「あはははは!

 死ぬか? 絶望は人を殺すよ? 死ねよ馬鹿! 死ね!

 あははは! あはははははは!」


大笑いする悪魔。


自分の輪郭りんかくがわからない。こんなにも自分には形がなかったのか。

ぐにゃぐにゃと落ちる。

落ちていく。

堕ちることに底はないのだと言わんばかりに、僕は落ちる。

同時に空虚な気持ちがギリギリと首をめるように ――


…う!?


不意に、胸の中の絶望感が、ピタリと『とどまった』。


……


そう、僕は今、下に下にと落ちていた。

それは錯覚ではない。


「あはははは!」


落ちる上空には笑い続ける悪魔。

そしてその隣には、


…あんた、なんて顔してるのさ……


泣き出さんばかりに心配した顔をする、酒神の姿。


……


それにどこか自分の親を重ねつつ、僕は落ちていくのだった…。


深く。深く。


下に。下に。


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