異世界転移のプロ~余所の世界の魔法で無双するヤツ

シャル青井

プロローグA:竜の落とし物

 目を閉じていてもわかる眩しさに耐えきれず、俺はおもわず目を開く。

 なるほど眩しいはずだ。なにしろそこには太陽が二つもあったのだ。

 太陽が……二つ?

 それを認識したことで、水が広がり染み込むように全身に感覚が戻っていく。

 まずわかったのは、自分が横たわって空を見ていること。

 そしてそんな俺を取り囲むかのように、遠巻きにいくつかの影が立っていること。


「おお、《竜の落とし物》が意識を取り戻したぞ!」


 影の一つが自分の様子を見てそう声を上げた。

 それを聞き、ゆっくりと身体を起こし、周囲を確認する。

 そこはこれまでの人生で一度も見たこともない、どこまでも広がる草原地帯。そしてそんな光景の中に違和感なく立つ、白い胸当ての上に赤いマントを羽織った男たち。

 この違和感しかない光景を見てようやく、俺は自分の置かれている奇妙な状況についてハッキリと認識した。


 ここは……どこだ?


 少なくとも俺の知っている場所ではない。

 そのことにたどり付くと、連鎖的にさらにいくつもの重大な欠落があることがわかってくる。


 まず、そもそも、俺は……誰だ?


 俺は俺自身の世界を思い出そうとして、根本からそれが抜け落ちてしまっていることを思い知ったのだ。

 その事実を否定しようと脳内で少しずつ情報を整理していく。

 俺は誰だ? わからない。

 俺はどこにいた? わからない。

 俺は何人だ? 日本人だ。

 ああ、日本はなんとかわかる。地球のアジア大陸の東の果てにある、島国だ。俺はそこにいた。

 だがその先がもうわからない。

 適当に県などを思い出してみるが、そのどこにも、俺がいた記憶は残っていない。

 頭に浮かべた地図をいくら巡ってみても、試験対策に詰め込んだ空っぽな記号でしかないかのようだ。

 名前も、生まれも、自分を形成しているであろう全てが出てこない。


「大丈夫か、少年よ……」


 そんな俺を見かねたのか、周囲にいた男たちのリーダーと思しき男性がそう声をかけてくる。

 少年。

 どうやら俺は少年らしい。少なくとも、他の人から見える外見はそうであるようだ。

 言われてみるとそんな気もする。

 あまり大丈夫とは言いがたい状況ではあったが、見知らぬ人にこれ以上心配をかけ続けるのは精神衛生上よろしくない。


「ああ、ええまあ、なんとか……」


 答えにもならないそんな答えを返すと、男性の顔に安堵の表情が浮かぶ。

 どうやら言葉は通じているらしく、向こうもこちらの言ったことを理解し、少し考えてから一つの推測を口にした。


「それはよかった……なにしろこの先は《竜の巣》だ。君も《竜の落とし物》なのかもしれないな」

「竜の、落とし物……?」


 確認するように復唱してみるが、そうしたところでそれがなんなのかはわからない。それを察して、男はさらに説明を続けてくれる。


「ああ、街などを襲って財宝を持って行こうとした竜が、その周囲にいた人間まで一緒に運び、その人物が途中で落下したりすることがあるのだ。大抵は落下の衝撃などでそのまま命も落としてしまうのだが、これまでにも生き残っていた例がないわけでもない。我々はそれらの人々を《竜の落とし物》と呼んでいる」

「なるほど……」


 そう聞けば、なんとなく今の状況のようなものが理解できてきた。

 その竜とやらがどこからか俺をここまで運んできたということだろう。

 しかし、俺がまず疑うのは竜という存在の方である。

 竜。龍。ドラゴン。

 蛇や蜥蜴のような鱗に覆われた身体に巨大な翼を生やし、鋭い爪と牙を持つ、想像上の動物。

 ゲームやおとぎ話といったいわゆるファンタジー世界における、ある意味象徴的な存在だ。

 もちろん現実には竜などいない。少なくとも現代日本には。

 だがこの目の前にいる鎧とマントの男性たちは、その存在についていたって真面目に語っているのだ。

 いや、考えてみれば彼らもまた、現実ではなく想像上の人間のようでもある。

 なにしろ外見は完全に騎士なのだ。しかも歴史上に存在したそれより概念化され、物語の中に登場するようなものに近い。

 竜も、騎士も、そもそも二つの太陽も、現実感がなさすぎる。


「そうだ、自己紹介が遅れたな。私はレアラ・ロイム。ロアレイク王国の騎士団の団長をしているものだ。とりあえず、君は我々の国で保護しようと思うのだが、あいにく我々も《竜鎮征》の真っ最中なのでな……。流石に一緒に竜の元へと同行してもらうわけにもいかないだろう」

「はあ……」


 レアラと名乗った男性の話を、俺は半ば上の空で聞いていた。

 想像上でしか竜を知らない俺にとって、そこに向かうことがどの程度の意味を持つのかはわからない。

 ゲームなどでは最強クラスの怪物として君臨していることが多いが、彼らにとっても竜とはそれくらいの存在なのだろうか。


「……しかし、君をここでこのままにしておくわけにもいかないしな……そうだ、おい、イフネ! イフネはいるか?」

「はい」


 レアラがそう呼びかけると、一人の黒い髪の騎士がこちらへと駆け寄ってきた。

 声も顔つきもレアラに比べ明らかに若いが、それ以上に、ほとんど新品同然に見える鎧やマントがその経歴を物語っているかのようである。

 まあ若いとはいっても既に成人はしていそうではあるし、少年と呼ばれる自分よりは年上だと思われるが。

 だがその姿を見て、俺はこの若い騎士にどこか違和感を覚えた。

 整った顔ではあるのだが、他の騎士たちに比べてどこか垢抜けないというか、現実感のある顔なのだ。

 この違和感だらけの世界の中で、違和感がないのが違和感、というべきだろうか。


「イフネ。お前がこの少年を国までお連れしてやれ」

「ああ。ええ、はあ……」

「どうした、不服か?」

「不服? ああ、はい、そうですね、不服です。私は竜と、あの紅蓮竜コーザリウルと戦うために、生命を投げ打つ覚悟で持ってこの《竜鎮征》に参加したのです。どうか最後まで同行させてください」


 言葉だけをとってみればあからさまな反発であるが、イフネと呼ばれた若い騎士のその口ぶりは、俺の耳にはやけに棒読みに聞こえた。

 台本を文字のまま読み上げてみせればこのような感じになるだろうか。

 しかし、上司である騎士はそのことには不自然なほどに気に留めた様子を見せず、まるで猛烈な反発を食らったかのように少し首をすくめた後、諭すように語り始めた。


「そうは言うがイフネよ。《竜の落とし物》の確保というのも我々にとって重要な任務なのだぞ。なにしろ彼らは我々の国とはまったく異なる力をもたらしてくれるとこも多いのでな。見ろ、この少年の姿や服装を。明らかに我々の文化圏のものとは異なるではないか」


 そんなことを言われ、俺はあらためて俺自身の身格好に意識を向けた。

 少し濃い目のブルーのブレザーと白とも黒ともいえぬまさにグレーといった色合いの長ズボン。記憶になくとも、胸に縫い付けられた校章など、残っている知識だけでもこれがどこかの学校の制服であることは察しがつく。

 おそらくこれは日本の学生からすればごく一般的な格好だ。

 横になっていたこともあり多少汚れてはいるが、特に傷んでいる様子はない。

 だがこの騎士たちから見れば、確かにこれは特異な姿に映るかもしれない。

 しかし服装はともかく、一介の、しかも記憶喪失の学生が、騎士団や国家の役に立つことなどできるのだろうか。

 少なくとも、レアラという騎士は疑いもなくそれを信じているようであった。


「竜と戦うにせよ、今後のトリーナーやその他外敵との戦に備えるにせよ、彼らのもたらす知恵と力は確実にその助けとなるだろう。だからこそこれは竜退治と同等、いや、それ以上に重要な任務なのだ。わかるな?」

「はい」


 それだけ熱を持って諭されたにも関わらず、若い騎士の返事は、最初の言葉と同じように、反発も理解も篭もらない、どこか空虚なものであった。

 この騎士は、なにを考えているのだろうか。

 俺のそんな疑問を察したのか、彼はゆっくりこちらへと向き直り、あらためて自己紹介をはじめる。


「自分はイフネ……君を案内します」


 そう名乗った騎士は、まるで素人のようにぎこちなく礼をして、俺も釣られて一礼を返す。


「えっと、こっちも自己紹介をした方がいいのだろうけど……、申し訳ないが、俺は俺自身のことを思い出せないんだ……」


 俺のその言葉を聞いて、イフネとレアラは顔を見合わせ、そしてあらためてレアラが口を開いた。


「そうか……、しかしそれも無理からぬことかもしれぬな……。竜に襲われたとなればさぞかし恐ろしい思いをしたことだろうし、落下の際の衝撃もあろう。その辺りについても、ゆっくりと休まれておいおい思い出していかれれば……。しかし、なんと呼べばいいのか、名前がないのは少々困るな」

「確かに……そうですね」


 そう言われ、俺もなにか手がかりになるようなものを探してみる。

 しかし周囲にはカバンなどの自分の持ち元と思しきものはなにもなく、ただこの身体だけがある。

 そんな中で、俺は、制服の内のポケットの中一枚の封のされた封筒を見つけた。


『折真光さんへ』


 差出人の名前はなく、封筒にはただそう書かれているだけだ。

 これが俺の名前なのか、それとも、俺のほうがこれを『折真光』氏へ送ろうとしていたのか、今となってはわからない。


「オリマ、オリマ・ヒカル……多分それが、俺の名前だと思います」


 便宜上、俺はそう名乗ることにした。俺が唯一、自分で持っていた名前だ。

 しかしその『ヒカル』という名を口にした瞬間、自分の中でなにかが蠢くのを感じた。

 記憶の断片。しかしそれを手にしてはいけないという、警告。


「……オリマ、と呼んでください。おそらく、そう呼ばれていたと思います」

「なるほど、オリマ、オリマ・ヒカル。では、我々もそう呼ばせてもらうことにしよう。イフネ、改めて貴官に命じる。このオリマ殿を我が国へとお連れして、保護するように議会に掛け合え。なにしろ《竜の落とし物》と思われるお方だからな、大切な客人だ」

「了解しました」


 若い騎士は相変わらずの棒読みでただそう返答し、馬車の脇から一頭の馬を連れてくる。


「一応聞いておくけれど、君、乗馬の経験はあるかい?」


 それまでとうって変わって、イフネという騎士は穏やかな口調でそう尋ねてくる。

 それに対し、俺はただ黙って首を横に振る。

 実際のところは記憶に無いのでわからないが、一般的な日本の中高生はまず乗馬の経験などないだろう。


「まあそうだろうな。では、ひとまずはゆっくりと行くことにしようか」


 手助けしてもらい、俺はイフネの後ろに乗せてもらう。

 そう大きくない馬だが、こうして乗ると視線が高い。

 この光景を見慣れていないということは、やはり乗馬経験はないということだ。


「それではオリマ殿を頼むぞ……」

「はい」


 騎士たちに見送られ、俺はイフネの背中に捕まったままその草原を駆けていく。

 流れる景色を見てもやはりここがどこなのかはわからない。

 そんな全てが現実感がない中で、俺は自分の前にいるイフネという騎士に対してだけは、奇妙なほど確かにその存在を感じていた。

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