第九話 覚悟

 「目を閉じていて。目の中に髪の毛が入ってしまうから」


 「…………」


 ローズがはさみを持って、前髪を切っている。もちろん誰の髪の毛を切っているのかといえば、さきほど初対面を果たした夫・アルフレッドのである。執事のルボワが用意してくれたケープを肩からかけて、髪の毛が落ちても服につかないよう準備は万全だ。床にはシートを敷いて、落ちてくる髪の毛が床に散乱しないようにする。

 アルフレッドといえば、何かぼぞぼそと言っている気がするものの、声が小さく聞こえない。ローズはアルフレッドが暴れていないので、不快ではないのだと勝手に判断して、ボサボサの髪の毛を整えるべくはさみを入れていく。


 シャリ、シャリ、シャリ。


 髪の毛を切ると、はらりはらりと肩から床をつたって切った髪の束は落ちていく。後ろ髪はしばらくはさみをいれていなかったのか、肩くらいまで伸びていた。それをばっさり切っていく。襟足がそろうくらいまでゆっくり、ゆっくり切っていき、次第に白いうなじが見えてきた。日焼けをしていないアルフレッドは、肌は白くはあるが、写真でみたような青白さではなかった。健康的なぷにぷにとした感触が目立ち、かえって今の方が健康であるようにも見える。

 耳を覆う髪の毛も、少し隠れる程度にそろえていく。最初はびくびくと震えていたアルフレッドではあったが、ローズが髪の毛を切る手際がそれほど悪くないと感じたのか、今はじっとしていた。

 近くでは事の成り行きを見守る、執事ルボワとローズのお世話係のメイドのハンナがいる。

 アルフレッドは人の視線が緊張するらしく、じっと目を閉じていた。普段は人のいないところで、1人で部屋に閉じこもっているのだから、慣れない状況なのだろう。

 すると、いったん手を止めるローズ。


 「前髪、短くする?それとも長めがいいかしら? 」


 ローズはルボワとハンナに聞く。2人は顔を見合わせ、「短く」とすぐに答えた。

 ローズはアルフレッドがぼそぼそとまた何か言っていたが、聞き取れなかったので、短く前髪を切ることにした。


 前髪を眉より上に切って、毛先がまっすぐにならないようにすいていく。

手際よく髪の毛を切っていき、アルフレッドの顔についた髪の毛を払い落とす。顔を指先で触れてしまっては、相手もびっくりするだろう。馬のしっぽを使った筆で顔の細かい髪の毛を払っていった。

 そしておそるおそる目を開けた、アルフレッド。

 視界が急に広くなったきがして、身の置き所がないように肩をすくめる仕草をする。ローズはケープを払い、髪の毛をシートの上に落とす。次に手鏡をアルフレッドに手渡す。


 「ぼ、く……」


 「ええ、すっきりした。なかなか男前じゃないの! 」


 黒目がちの大きな瞳で、手鏡をもち自分の顔を見つめるアルフレッド。鏡などしばらくみていなかったようで、自分の顔をこわごわと一瞥しながら、恥ずかしそうに手鏡を伏せた。


 「ありがとう、ございます……」


 「どういたしまして」


 やはり育ちはもともといいのか、お礼をしっかりするアルフレッド。気に入ったかはまた別として、髪の毛がすっきりしたので楽なようである。しかし人の視線が直に感じてしまうのは、やはり怖いと感じているようである。手鏡をアルフレッドから受け取り、ルボワが後片付けを始めた。


 「さて、アルフレッド様。お着替えもしたことですし、今日はお疲れになったでしょう。ベッドまわりはルボワとハンナが整えましたから、今日は清潔なシーツとふかふかのお布団で眠ることができますわ」


 まだ何かをされるかもしれないと身構えていたアルフレッドだが、もう今日は終わりと悟って安堵したようだ。少し警戒を解いた。


 「疲れた……」


 「甘いものとお茶をハンナが用意してくれますから、今日は窓を開けて、空気の入れ換えをしましょう。また明日お掃除を一緒にしましょうね」


 「明日も? 」


 「もちろん、ローズにお任せくださいね」


 明らかに嫌そうに問われたが、ローズはまったく動じることなく言い切る。ローズの威圧感に対抗するすべをもたないアルフレッドは黙ってしまった。ルボワもハンナもローズに期待をこめた視線を送っているので、ここには味方がいないと悟ったようだ。賢い気質であるとローズはアルフレッドを見つめた。


 「勝手に、捨ててほしく、ない」


 「では捨ててほしくないゾーン、捨てていいゾーンにわけましょう。わけてからいらないものを一つずつ片付けていきましょう?この部屋には物が多すぎますわ」


 「どれも、大切だから……」


 「でも、全部使っていますか?ものは使わなければホコリをかぶって、余計部屋が汚くなります。それに物を把握できてなかったら、それはなくてもいいものってことになりますよ。何年も触っていないもの、あるでしょう? 」


 「いつか、使うかもしれない」


 「じゃあ、3年使ってなくて、触ってない物はいらないものということにしましょう」


 「横暴だ! 」


 「どの口がいいます?アルフレッド様も大概横暴ですわよ、わがままを通り越して、自己中。みんなを振り回している自覚はありますか? 」


 「……僕は悪くない! 」


 「それを言って許されるのは、こどもだけ。あなたはわたしをメトりました。ただの子どもといえなくなりました。わたしたちはいわば、運命共同体ですもの」


 「僕が決めたんじゃない」


 「ええ、わたしだって。でもそれを言ってどうなりますか?婚姻をなかったことにします?できませんよ。王族であるわたしさえ、この婚姻を無効にすることはかなわなかった。一介の地方領主である、あなたがどうこうできる問題ではないのは、わかっているでしょうに」


 「………つ!! 」


 完全に言い負かされ、目頭に涙をためはじめるアルフレッド。

 子どもであるアルフレッド。両親を失い、天涯孤独になり、部屋にとじこもって3つ年を重ねた。いろいろ内面で葛藤があったに違いない。しかし同情をしても、状況は何もかわらないのだ。厳しいけれど、一歩この部屋を出て、外の世界で生きていく訓練をしていかなければならない。もちろんローズだって安易な気持ちで言っているのではない。失敗すれば、将来自分の命さえなくなる危険があるのだ。それにローズは、こんなに面倒くさいことを自分に関わりがなければ言わないし、しないであろう。

 多少の縁があり、夫になった。夫として、相手がどんな人かも、どんな人生をおくってきたのかも、人づてでしか知らない。それはアルフレッドだって同じだ。ローズがどんな思いをしてここにきたのか、どんな思いがありここにいるのか、それを知らない。だったらお互い知る努力をしなければ、何も変わらない。ローズは覚悟を決めたのだ。


 「一緒に、ゆっくり進んできましょう。どうしても無理なことは、時間をかけて。わたしも一緒にどうすればいいか考えます」


 「怖い、僕にはできない」


 「ええ、わたしも怖いです。でも、一日一日。進めば、きっといつかはできるようになります。わたしもそうでした」


 「君が? 」


 「ローズとお呼び下さい。わたしも部屋に引きこもったことがあります。アルフレッド様のように、誰にも会いたくない時期があり、部屋からでなかったことが長い期間あります」


 「どうして? 」


 「それは、また今度に。アルフレッド様のことも教えて下さい」


 「わかった…、僕はアルフレッド。ローズよろしく!」


 「ええ、また明日に」


 アルフレッドから名前を聞くことができた。ローズはまずは第1段階をクリアしたと思って、ほっと胸をなで下ろした。ハンナが焼きたての焼き菓子と紅茶をもってきて、部屋の片隅にあるテーブルに置く。ここからはルボワが世話をするというので、ローズとハンナは下がることにした。


 「素晴らしいです!奥様! 」


 廊下を歩きながら興奮したように、ハンナがローズに話しかける。


 「全部、思いつき。でも、やっと話すことができてよかった。アルフレッド様はなかなか手強そうね」


 「そうですね。ルボワ様もずいぶんお悩みになっていたようですが。どうすることもできなかったみたいですし。わたしも詳しい事情を知らずにいたものですから」


 「ゆっくり知っていけばいいわ。まだ時間はあるもの」


 「そうですね」


 部屋に戻り、服を着替えるとローズもお茶の時間にした。ローズはお茶を飲みながら、自分の夫のことを思い出した。たぶん見た目がふっくらしているのは、外にでないで、部屋にこもっていたので、横に育ってしまったと思われる。ルボワは定期的に栄養を考えた食事を提供していたようだし、福々しくなってしまうのは自然なことである。ゆくゆくは庭で運動をして、また勉強や、領主としての仕事を覚えてもらわなければならない。


 この領地のことはわからないことがまだまだ多い。ローズはアルフレッドにとってどんなことが、最良の選択肢かはわからなかった。だが、これから起きるだろう惨劇を考えると、それらを回避する未来をとりたい。そのためには、厳しく、怖い鬼嫁になることもいとわないと覚悟した。

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