9.

 走っている車の量は多いけど、スムーズに流れている。

 街を東西に貫く高速道路の上は、駅の敷地内なのに改札の外という、特殊な場所だ。

 メディアの授業で見た、何十年も昔の映画のシーンを思い出す。ビルの合間を空飛ぶ車が走り回る中で繰り広げられる派手なアクション。

 でも現実はそんなに華やかじゃない。方向別で上下二段になっている高架の上の段を走ってるとはいえ、防音壁があるし、なにより周りに建っているビルはもっと高いから、街中を見渡せるというものでもない。

 そもそもあれ、遠い昔はるか銀河の彼方のお話だし。


 窓の外を流れる防音壁の単調なリズムを追いかけながら、私は考えている。あの頃と何も変わっていないのだと。

 授業が終わるたび、週末のたび、ケータイを部屋に放り出して、小さなノートとペンを片手に街を駆け回り、二人でベッドの上に地図を広げ、ナビにない新たなルートの発見に心躍らせていた日々を。

 あるいは、もっと昔。

 故郷の町、父と母とが生まれ育った場所、西の山々と東の川とに挟まれたあの土地で。小型車、自転車、そして自分の足で、自らの意思で道を選び前へと進んでいたあの頃。

 決して多くはなかった同級生と、伯母と、そして何より”兄さん”と、過ごしていた日々を。

 思えばあの場所からは変なことばかり教わった気がするけれども、ふとした場面で、それを使っている自分に気づくのだ。



 電話口に聞いたとおりの時間で、目的地にたどり着いた。

「ありがとうございました」

 私はお礼を言ってタクシーを降りる。

 料金の支払いは、電子決済専用の単機能トークンを相手の端末に読ませることで、すでに済ませてある。

 子供の頃使っていたものでも、キーリングに下げておけばこうやって時々は役に立つ。ケータイとは違って、誰がどう使ったのかを簡単には追跡できないのもいい。


 バス会社の本社ビル屋上に建てられたサービスエリアは、街の外から東区画へ直接アクセスできる玄関口としても機能している。

 たとえば、外の改札を通って、あの病院から東区画の繁華街まで移動しようとすると、まず病院から最寄りの改札——あの辺りだと南区画の駅だ——まで移動して駅の中に入る。ミニトだとちょっと距離があるから、メトロに乗って、東区画の駅で降りる、といった具合になる。乗り換えが絡んだりすると少々手間だ。

 その点、ここから街に入れば、タクシー代は多少かさむけれど、乗り換えの手間はないし、東西どちらかの出口を一定時間内に通過すれば高速料金もかからない。

 だから、今みたいな使い方をしても、運転手に怪しまれることはない。


 賑やかなフードコートエリア、その片隅にポツリと存在する改札を通って、駅の中へ戻る。

 居住者パスが持っている性質の中で重要なものの一つは、入場と出場を厳密に対応させなくても大丈夫だということだ。

 これがつまりどういうことかというと、出場の記録が残っていなくても入場することは可能だってこと。

 こういう仕組みだからこそ、今日みたいな手が通用する。


 ちょうど急行エレベータが止まっていたので、それに飛び乗る。三階で降りて、歩行者デッキに出る。

 この辺りはデッキが五層まであるけど、区画中央にある広い公園の部分が吹き抜けになってっているので、三層でも日がさして明るい。

 人々の群れの中を縫うようにして西へ向かう。

 ここまで戻ってくれば、もうケータイの通信を入れても大丈夫だと思うけど、一応そのままにしておく。念には念を、だ。



 この街に地図がないことは、何も管理会社の怠慢が理由というわけではない。

 上空からの航空写真を使った地図作成が難しいこと、ルートの利用可否が頻繁に変化すること、建物ごとに異なるフロアの高さ、もともとの地形によって生じる、複雑な立体構造をどうやって地図にするのか。

 単純に、難しい問題が多いのだ。

 現に、いまデッキの三層を歩いているのも、歩いているうちにここが二層相当になるからだ。

 だから、ナビで使われるのは確実に通れることが保証されている経路だけだし、ミニトは特にその傾向が強い。

 だからこそ、私たちは、自分の足で、歩きまわらなきゃいけなかった。



 目的のビルは、なんの変哲もない雑居ビルだった。

 メインの出入り口は二階。デッキも二層にしかない、どちらかと言えば人の行き来が少ない場所だ。

 そのメインエントランスは封鎖されていた。ドアには内側から張り紙がしてある。書かれているのは大きな”売物件”という文字と、不動産会社の連絡先だった。

 さすがに連絡を取ってみる気にはなれない。単に怪しまれて終わるだけだ。

 最寄りの階段で地上へ降りてみる。薄暗い中、キーホルダー代わりのミニライトを頼りに外を一周してみても、中へ入れそうな出入り口はなかった。


 一旦、二層のデッキへ戻る。

 私は空を見上げる。ビルは独立していて、連絡通路の類はなさそうだった。

 よし、試してみっか。上がだめなら下からだ。

 私は隣のビルに入る。ケータイを片手に、一応は迷ったようなふりをして。

 この街にある建物は、どんなに小さく見えても、地上や空中で隣の建物と繋がっている事が多い。そうやって、実質的に大きなビルとして、ひいては巨大な都市の一部として、振る舞っている。

 ならばこのビルも、隣と地下同士で繋がっているのではないか。ちょうど学校の駐車場のように。


 隣に立っているのと同じような、比較的小さなビルだ。

 フロアガイドを見る。地下は機械室らしかった。エレベータに地下フロアのボタンはない。いちおう、一階へ降りてみても、私が入れそうなところに、下へ降りる階段はなさそうだった。

 多分、ここじゃない。他に手がなくなったら戻ることにする。


 二つ目のビルであたりを引いた。

 ルート検索をした時、目的地に設定したコンビニのあるビルだ。大通りとの角にあって、普通の人が客として入るようなお店が入居する、比較的大きなビルだ。

 地下フロアにもお店があるから一般人も立ち入れるし、例のビルに面するところにまで廊下がある。

 エスカレータを駆け足で地下一階まで降りる。お世辞にも活気があるとはいえない、怪しげな占い師、マッサージ店、ネイルサロンなどが並ぶ通路を通って、目的のビルと面しているあたりへ向かう。

 行き止まりに見えた通路は、よく見るとL字に折れ曲がっていた。照明が切れているせいで暗く、スチール棚の物置で隠されているけれど、その奥に扉が見えた。

 ペンライトで照らすと、ドアノブにホコリが積もっていない。誰かが時々はここを通っている証拠だ。


 一度振り返ってから、ドアを開ける。鍵はかかっていなかった。

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