幕間-4 開戦前夜

 大陸歴1933年。大陸に暗雲が立ち込めつつあった。


 3年前から始まったイスパニア半島紛争は、大陸列強に帝国軍の精強さを見せつけていた。

 共和国を中心とした義勇軍が当初支援し、優勢になっていた民主主義同盟は、帝国義勇軍の参戦により僅か3ヵ月で総崩れとなり、結局王政派の勝利で終わっていたのだ。

 その結果、共和国は西部戦線に帝国を。南部国境にイスパニア王国を潜在的な敵国として想定せざるをえなくなっていた。

 無論、イスパニアは内戦により国内は疲弊しており、とてもではないが他国と戦争出来る状態ではないと考えられていたが、それでも南部国境を丸裸には出来ない。

 

 共和国が焦燥を強める中、帝国は次々と手を打っていった。

 19世紀の半島戦争以来、常にいがみ合ってきた大北方帝国と歴史的な和解を果たし、不可侵条約を締結。

 次いで、かつての敵国である東方連邦とも不可侵条約を結ぶ。

 明確に対共和国戦を帝国は画策していた。しかも、それを防ごうにも共和国軍単独では、帝国軍に対して明確に劣勢であることは先の紛争で明らかになっており、共和国の懊悩はより深まっていった。


『共和国にとっては悪夢のような状況で有効な手はまだ見つかっていません』


 当時の共和国中枢部にいた政治家の一人は書簡の中で素直にそう表現している。

 辛うじて、列強の中では帝国南方の半島国家であるウィトゥルス王国が中立を保っているとは言え、古来以降、戦場で頼りになったためしがない国家である。

 たとえ、帝国に対して戦端を開いたところで、地形防御戦闘に徹しても、数か月で半島を蹂躙されるだろう、というのが作戦本部が出した冷徹な判断であった。

 最悪の場合、漁夫の利を狙って参戦してくることさえ考えられた。

 バルカン半島諸国は蚊帳の外に置かれていたが、ワラキア公国は既に帝国の一部だと考えられていたし、その他の小国が束になっても帝国に太刀打ち出来るとは誰も考えていなかった。


 この苦境下にあって、共和国は帝国の脅威を世界に対し発信。

 帝国と国境を接している、高地・低地王国との間に水面下で軍事同盟を結び、両王国に今まででは考えられない規模の軍事援助を開始する。

 祖国を守る為には、前面にある『盾』を出来る限り補強しておくことに越したことはないからだ。

 帝国は、高地・低地両王国に対して表面上友好的であったが、信じられる要素は皆無だった。

 

 19世紀の英雄戦争以来、外交上疎遠になっていた連合王国に対しても支援を要請。


『帝国が大陸全土を制したら、次は貴国ではないか』


 共和国大使が時の連合王国首相に迫ったのは有名である。

 連合王国は軍事同盟締結こそ拒んだものの、物資等の支援を確約するに至る。


 海を渡り合衆国に対しても、特命全権大使が派遣され『悪の帝国』を熱心に訴えた。

 しかし、合衆国市民は大陸の戦争などに興味がなく、当時不景気のどん底にあったことからその対策に追われる政府中枢の反応も極めて鈍かった。

 大使は失望して帰国を余儀なくされている。


 

 対して共和国戦を既に大筋では決意していた帝国であったが、国内は一枚岩とは言い難かった。

 当時、帝国を率いていたのは三代帝国大宰相であったが、彼は初代以降の国是である『戦争をせず、内政に専念せよ』を初めて明確に破り(二代は数度の戦争を経験しているが、そう仕向けた事はあっても自ら戦端を開いたことはなかった)イスパニア紛争へ派兵したことで、とかく評判が悪かった。

 そして、次は本当の戦争である対共和国戦を画策していたのだから尚更だった。

 帝国建国を成し遂げた特別な家系出身とはいえ、初代、二代と比べて自らの能力を誇示する事を厭わず、今日の帝国を築いた方針を一考だにしない三代を敵視する者は思った以上に多かったのだ。


 しかし、国民は熱狂していた。

 イスパニアでの華々しい勝利は、四方を仮想敵国に囲まれている帝国という国家において、軍が信頼に足る存在であることを示し、また破った相手が初代以来の宿敵である共和国という事実が拍車をかけていた。

 彼はここに目をつける。

 国内の敵対者を黙らすために、国民に対して勇ましいプロパガンダを多発。

 予想以上の効果をもたらし、国民は対共和国戦を口々に叫んだ。

 そして同時期、外交政策においても、初代、二代が成し遂げられなかった、北と東の安定化を達成。支持率は初代を超えたとも言われる程であった。


 ことここに至り、帝国中枢は対共和国戦に一気に傾いていった。

 未だ、晩年の初代を記憶している老人達も帝国中枢には残っていたが、既に彼等も老齢であり第一線を退いていた。

 二代の懐刀と呼ばれた能吏も彼の後を追うように亡くなっており、帝国内で三代を止めれる人物は最早、唯一皇帝のみになっていたのだ。

 そして、時の皇帝は幼馴染でもある三代を支持していた。


 かくして、大戦、別名『騎士戦争』と呼ばれ、大陸全土を巻き込んでゆくことになる戦争の舞台は整った。整ってしまった。


 後世において、何故三代帝国大宰相が対共和国戦を画策したのか諸説ある。

 その中で最も説得力があるのは『帝国大宰相』という肩書に対するコンプレックスを原因とするものだ。

 初代、二代共に、その内政手腕をさることながら生涯戦場において不敗という名将でもあり帝国大元帥の称号を持っていた(初代が戦術・戦略両面の名将だったのに対して、二代は戦略家であったが)。

 しかし、三代である彼にはその才が乏しかったらしく、二代は士官学校を希望する彼を無理矢理大学へ進学させている。

 

 これに生涯屈折した思いを持ち続けたとされる彼には、初代、二代を超える栄光を祖国へもたらすしかなかった。

 そして、彼は自分にそれだけの才があることを強烈に信じていたのだ。


 帝国三代大宰相の野望に引きずられ、帝国が共和国及び高地・低地王国の三国に宣戦を布告したのは大陸歴1934年4月15日。

 その二週間後、アートオブウォーの傑作、と後世讃えられる『ワルプルギス会戦』――帝国と共和国の決戦が開始される事になる。



ジェラルド・イーグルトン著(大陸歴1985年)『騎士戦争物語』第3章より 

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