閉経

人を好きになる気持ちというのはとどめようがなくて、ひどく居心地が悪い。

それは月経のとき、洋式の便器のなかに落ちて流れて溜まっていく鮮血のような、そのときの、何かを叫ばずにはいられない腹痛のような、自分の意思ではどうにもしようがないなにかだ。

ただ「別れよう」とだけ言われても、それは飲んで素早く腹痛を収めるわけでもないし、そもそも飲ませられたかどうかも曖昧で、向こうは口移しで飲ませた気になってすっきりとした風采を呈しているのかもしれないが、こちらとしては薬が口に入ろうとする寸前で唇を離され、薬が地面にぽとりと落ちるところまでを瞬きもせずに見ているのである。

「突然どうしたの、」

ソーサーに置いたカップがガチャリと噛み合わない音を立てる。窪みとズレて置かれたカップからは砂の上に溜まって濁った水溜りの色をした液体が跳ねて店内を歪めて映す銀色のよく磨かれたスプーンの背に伝って漆黒のテーブルの木目を二つ三つ跨いで溜まった。

「お見合いすることになって。」

隣で申し訳なさそうにこちらを見下ろす彼女ももう28であるし、元来過保護であったらしい彼女の両親が独り身である彼女をみすみす放っておくはずはなく。

「話を受けないなら彼氏を連れてこいって言われたの。」

普段凛として明るく振舞っている彼女とは打って変わった表情で呻くように呟く。眉間のしわを押し伸ばすように人差し指を這わせ、そこに体重を乗せた。細く、白い人差し指がしなる。彼女が顔をあげた瞬間、その弓なりにしなった指から矢が放たれ私に刺さるのではないかと思うほどだ。彼女から放たれた弓で真っ赤に染め上げられるならばそれもまたいいかもしれない。

「…ごめん、ね。」

ズレて置かれたカップを規定の位置に戻し、スプーンで中身をかき混ぜる。砂色の液体の上にクリーム色の泡が薄く溜まって回っている。スプーンが私の顔を反射して、不細工に引き伸ばす。

「比良が悪いことなんてないよ、謝らないで。」

指が伸びる。そこから弓は放たれない。窓から入ってきた光が彼女のメガネの銀のフレームを青く照らす。私は、せめても笑う。

「わかった…別れよう。今までありがとう、朱梨。」

朱梨は、渋い表情のまま席を立った。支払い、済ませておくから気にせず出てね。彼女らしい言葉を残して彼女は歩き出す。


「ごめんね、お見合いさせるのを頼んだのは私なの。」

朱梨の揺れるポニーテールを眺めながら小声で懺悔した。薬を地面に投げ捨てたのは私だ。私は誰に赦しを請うために懺悔をしているのだろう。ヒラ、そう呼ぶ彼女の声が好きだった。今日も私の子宮は、使われなかった内膜を剥ぎ落として、粛々と産道に流している。

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