アクアク 転換

「これが、今のところの経過です」


 次の日、俺は八田の元へ赴き、現在までの経過を報告した。夢見には、今日は俺たちは2人とも予定が入って遊べないと伝えている。

 経過といっても、この一週間遊んでいて少し気になったこととか、夢見がまだ倒れるまで睡眠をとっていないらしいこととか、あまり有益な情報は得られていないのだが。

 昨日、夢見の友人を名乗る女の子は、俺たちに対して一方的に「もう夢見と関わるな」と告げた後、逃げるように帰っていった。そのことも伝えると、八田は重苦しい溜め息を吐いた。


「友達、か。結城くん、彼女の言葉を聞いてどう思った?」

「どう思った、とは……まぁ、中学生を夜遅い時間連れ回しているわけだから、その友達が俺たちを良い目で見るわけはないだろうし。夢見ちゃんに、自分を心配してくれるような友達がいて、少し安心したって感じです」

「本当にそう思うか?」


 本当に、そう思うか……?

 八田の言わんとするところが全く見えず、俺は押し黙ってしまう。


「間くんは、中学の友達について、いない、と言っていたんだろう? ならなぜその女子中学生は間くんの『大切な友達』とやらを名乗るのか、気にならなかったのか?」

「え……いや。夢見ちゃんは、一緒に遊ぶ友達がいないと言っていたんです。ゲームセンターとかで一緒に遊べる友達がいないという意味であって。明るい性格だし、その女子中学生については、話していなかっただけでは?」

「私も、中学生女子の心理について詳しい訳では無いが。その『大切な友達』は、何故、間くんが一緒にいる状況ではなく、君たち2人だけの状況を狙って声をかけてきたのだろうか?」


 静寂の中で、俺の腕時計が秒を刻む小さな音さえ鮮明に聞こえ始める。思考を焦らせるその音に、俺は、少し手汗をかきはじめていた。

 夢見との交流を始める前に、八田はなんと言っていた?

 『彼女の言葉を、信じすぎるな』。

 頭の中で、この1週間の夢見の姿が再生される。走馬灯のような記憶の奔流の中で、彼女は、いくつか……何か、引っかかることを言っていなかったか。


「おそらく、間くんの友達を名乗る彼女は、ある理由から間くんに君たちとの接触を知られたくなかった」

「それは……何故、なんでしょうか」

「私たちは中学での彼女を全く知らない。目の下に大きなクマを作り、フラフラ歩き、それでも部活動には参加し、自分の事情を頑なに語りたがらない。そんな彼女は、中学校でどう振舞っているのか? 他の生徒の目に、どう映っているのか?」

「…………」

「そもそも、全く寝ずに毎日学校に通い、同じく毎日、激しい運動を伴う部活動を行うことは。果たして女子中学生に可能なのだろうか?」


 話している間に、気付く。

 これまで、自分の目をくらませてきた、灰色のモヤの存在に。

 俺はいつの間にか、間夢見に刻まれた掛詞が『悪』であるのなら、『善』の心を以て接することで、容易に掛詞を解いてやることができると、そう簡単に考えていた。

 最悪の油断である。短絡的な思考に囚われ、いつからか俺は、最も重要である、彼女を知ろうとすることを放棄し始めていたのだ。


「目が、『悪』くなっていたのだろうな」

「それが……本当の、彼女の掛詞ですか?」

「まだ分からんがね」


 『悪夢』を見る、ということ自体、俺は、夢見の口からそう聞いただけで、本当のところは実際に確認のしようがない。

 何も話したがらない、何も明かさない夢見の真意は、一体どこにあるのだろうか。


「そういえば結城くん、準くんは連れてこなかったのか?」

「ああ。あいつは、さっき話した昨日の中学生が気になると言って、夢見の中学に向かいました。串原南中学」

「……そうか。少し、嫌な予感がするな」


 その予感を、さっそく肯定するかのように、俺のスマホが荒く振動する。

 二ノ瀬からの電話だ。


「もしもし?」

「結城、できるだけ急いでこっちに来て!」


 彼女の言葉に、心臓が、ドクッと嫌な脈を打つ。

 スマホを耳に押し当てたまま、俺は飛び乗るように自転車に跨った。


「何があった!?」

「説明できない。けれど、夢見ちゃんと、私たち2人で話し合わないといけない」

「……? 分かった、とにかく向かう!」


 八田の方を振り返る。こく、と頷き、早く向かえと目で叫んでいる。

 俺はペダルを踏んで、串原南中学へと急いだ。


 通話を切る直前、二ノ瀬が絞り出すように言った一言は。


「……彼女の『悪』は、『善』なんかじゃどうにもできないのかもしれない」



 串原南中学校門前に着いた俺を待っていたのは、ジャージ姿の壮年男性に怒鳴るように詰問を浴びせている二ノ瀬の姿だった。


「それではあなたは、彼女の様子がおかしいと知りながら、見て見ぬふりをしたのですか!?」

「落ち着きなさい。部外者が口を挟むことではないだろう、いい加減警察を呼ぶぞ」


 警察はまずい。夢見のこともあるし、今お世話になったら色々と終わってしまう。

 自転車に乗ったまま彼女らに近付いて、「どうかしましたか」と声をかける。串原南の教諭らしき男は、俺の顔を視認するなり視線を下へずらし、


「君も六灯の生徒だな。何なんだまったく……」

「あの。彼女がどんなことを話していたのか分かりませんが、俺たちは、ここに在籍している間夢見という女子生徒が心配なだけなんです。先日倒れているところに遭遇して、何日も家で寝ていないと言っていたので……」


 直接的な理由としては嘘だが、事実としては嘘ではない。それに教職員として、そのような話は無視出来ないだろう。

 そんな俺の目論見も虚しく、彼は心底嫌そうに首と手を横に降る。


「知らない知らない。たしかに間はうちの学年だし不登校ぎみなのも事実だが、俺に関係ないだろう」

「なんだって……」


 不登校ぎみ、という点が引っかかったが、それよりも、この男の態度に腹が立った。

 関係ないって何だよ。無責任が過ぎないか。子供を守ってやるのが親で、その親に何も言えずに苦しんでいるなら、教師は、受け皿となるべきじゃないのか。

 しかし警察への通報をチラつかせている以上、そんな不満を口に出すことはできない。俺は頭を下げて、二ノ瀬の手を取った。


「失礼しました。後日、正式にアポをとってお話に来ます」


 何か言われる前に、二ノ瀬の手を引いて自転車を押して、その場から立ち去る。二ノ瀬は少し抵抗を見せたが、俺の視線の意図を汲んでくれたのか、従ってくれた。

 中学から少し離れたコンビニの裏、少し匂いの気になる喫煙スポットに隠れる。


「腹が立つのも分かるが、警察はまずい。中学生を夜の時間連れ出してるって点でかなり不利だ、夢見の親がどんな人間か分からないが、親を呼ばれたりして夢見に悪影響が及んだら最悪だ」

「分かってるけど! でも許せない、あんなの見て見ぬふり出来るなんて、ほんとに大人なの!?」


 いつもクールな彼女が、肩を上下させて、声のボリューム調整もきかないほど怒っている。


「教えてくれ。『あんなの』って何だ。お前は何を見たんだ」

「夢見ちゃんが……あの子を、殴っていた」


 あの子。

 この状況、この場所、この呼び方。聞かなくても分かる、昨日俺たちに「夢見に関わるな」と言ってきた、夢見の友達を名乗るあの子だ。


「殴っていた? そんな……それを早く言えよ! 彼女の身が危ない、警察なんか気にしてる場合じゃない!」

「いえ……もう今は、終わっているわ」

「どういう事だよ」

「夢見ちゃんと彼女は、校舎の裏にいたの。とても怒っていて……馬乗りになって、何度も彼女を殴って、蹴りつけていたわ」


 校舎の裏って。串原南中の構造には詳しくないけど、体育館の裏とかならまだしも、そんな場所で派手な暴行沙汰をしてたら、すぐバレてしまうんじゃないのか?


「入り口に教職員も誰もいなかったから、敷地内を歩いていたら、その光景を見てしまって。私は止めに入ったんだけど……暴行現場のすぐ近くを、他の生徒や先生たちが通り過ぎていくの。誰もが、見て見ぬふりをして……」

「なんだよそれ……どうなってるんだ」

「暴行を止めたら、夢見ちゃんは、『この女が準さんたちのことを悪く言うから』って。そして、このことは忘れてくださいって言って……その。私、怖くなって……」


 怖くなって、と言う二ノ瀬の顔は、単純に、夢見の言動に恐怖したという感じではなかった。


「何があった? 何かされたのか?」

「……お金を……」

「金?」

5の」


 ひゅっ、と強く息を飲み込んで、僅かに開いた唇が、上下に震える。

 それは単純に、恐怖だった。


「女子生徒が、迷いもなく、当たり前みたいに、財布から5万円出してきた。見られて困ることを目撃されて、慌てるでも、弁解するでもなく、お金で解決しようとしてきた。怖くなって、その手を払って逃げてきてしまった」

「……それで、校門前で、あの教師に捕まってたってところか」

「あの教師もそう。彼女の暴行を、見て見ぬふりをしていた」


 だから二ノ瀬は、怒っていたのだろう。当然あるべき関心がないことに。


「……あの教師、夢見が不登校ぎみだと言っていたな」

「けれど、この一週間、夢見ちゃんは学校帰りの装いをしていた。いえ、串原南の制服を着ていただけだけど、それだけで私たちは、夢見ちゃんがちゃんと学校に通っているって、信じてしまっていた」

「あの子に、夢見の友達に話を聞かないと」

「そんな必要ありませんよ」


 背筋に氷塊を押し当てられた感覚。

 全身から汗を吹き出しながら振り向くと、夢見は、変わらない可憐な笑顔で、愛らしい上目遣いでこちらを見ていた。

 その傍らには、虚ろな目をした成人男性が2人。


「先輩。今日は、私のおうちで遊びませんか?」

「……夢見。お前、何を……」

「全部話してあげますよ。今なら大丈夫な気がするんです。なんでもできる気がする」


 夢見の瞳に映る、情けなく身を縮めた俺たちと、燦然と輝く『アク』の掛詞。


「……が、そう言ってる」

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