第24話 始まりの魔法技師《マジックメイカー》3


 ——そして、時間は流れて夕方になった。


 変わらない一日はそろそろ終わりだ。夕焼けの差す自室に戻ると手紙の束が部屋の机に置かれていた。これも、いつものことではあるが、楽しみの一つではある。


 差出人はいずれも、グラン・テッラ帝国の住民だ。我が一家含め、王族の人間は世間には良い印象を持たれていると言える。税率を低めに設定し、民の生きやすいような保証制度を築く。それらに呼応して、民は懸命に働き、国として発展する。


 国と制度の間で互いを高め合い、発展を続けて来れたし、現在も続いている。その結果は俺達一家を民が愛することに十分に値する。そうして、俺達家族の元にはいつもこうして、感謝の手紙が届く。


「……十歳になって、より逞しくなった……子供が生まれた……国を支えてくれてありがとう……。俺に言うことではないと思うのも幾らかあると思うけど、やはりこれを見るのは楽しい」


 ベッドの縁に座り、手紙を眺める。一枚一枚手紙をめくるたび、別のことがつらつらと書かれていて、ほとんど知らない世界のことが、想像できる。それは知りたくても知れない、手に届かない産物で、だからこそ俺は楽しい。わからないからこそ、手に入らないこそ、そこに価値が生まれるような気がして、とても楽しいのだ。


 読んだ手紙を傍らに置いていくと、読んでいる手紙が知らぬ間に減ってしまう。それがむなしくてならない。手からこぼれる未だ知ることのない神秘。王宮の中では手に入らない存在。それも、すぐに終わってしまう。


「……今日も、これで終わりかぁ。…………残念だ」


 日が沈む黄昏の街をチラリと覗く。ガラス窓から透けて見えるその街は俺にとってはとても遠く感じて、窓の隔たりが、星と星の距離に思えて、俺はカーテンを閉じた。


 ——コンコンコン!


 俺の部屋の扉をノックする音。次いで、聞き覚えのある声が響く。


「……メルク、ちょっといい?」


 鈴の音のような、あるいは響くハープのような美しい声音。けれど、強くも感じさせるその声は間違いない母親だ。


「母さん? どうしたんだ?」


 外に響く声で、問い返す。


「……あなた、何か悩んでいるのでしょう? だから、少し面白いものでも見せてあげようと思って」


 母は強し、とはよく言ったものだが、やはり何か感じるものがあったのだろう。


「……とりあえず、わかった。……今、開けに行く」


 扉に向かい、開くと頑強そうな鞄を手にした、微笑みを宿す母の姿がある。俺は招き入れると、母さんはさらに微笑みをその口に浮かべて、俺のベッドに腰を落とす。


「……お母さんはね、自分の子供のことなら何でもわかるの」


 唐突に声を出した母は皇后とも母ともまた違う無邪気な微笑みになる。このような表情を俺が見たことはない。


「……何でも分かるって、俺の悩みの内容も、か?」

「もちろん。……だから、私はこれを持ってきたの。少しでもメルクのためになると思ってね」


 微笑みを絶やさぬまま、母さんは手に持っていた皮造りのスーツケースを、ベッドの上に広げ、その中身を俺に見せる。

 中には奇妙な形をした様々な道具のようなものが詰められている。


「……これは?」


 問うと、さらに笑みを強めて、彼女は言う。


「……私が創った魔法を起こせる道具。……魔法具マジックアイテムって、ところかしら。これは、あなたでも見たことがないでしょう?」

「これで、魔法が起こせる? 嘘だろ。魔法は精霊の力を介さなければ、発現しないようにできているのに……」


 確かに興味は沸いている。絶対に不可能なことを彼女は言っているのだから。たとえ天地がひっくり返ろうと『詠唱アリア』と『呪文スペル』が無ければ、魔法は実現しない。でも、もし……本当なのだとしたら、それは面白い。


「……さぁ、それはどうかしら? まずは、これを見てから、意見するべき、よ」


 ガチャガチャと音を立てて、母さんは手に収まる小さな箱のようなものを取り出す。細長い直方体のようなそれには、力を加えれば沈み込みそうなスイッチのようなものが、箱の上部に付けてある。


「これは、私の自信作の一つ『ライトラ』。この上のスイッチを勢いよく押すことで、小さな火が灯るようになっている。……魔法の一つ【フーラム】がもっと簡単にできる」


 母さんはその『ライトラ』とやらのスイッチに手をかけて、押し込む。すると、そのスイッチの真横の小さな穴から、米粒のような火が噴き上がるように灯る。


「ほら、凄いでしょう? これが、『ライトラ』の実力よ」


 母さんは俺に褒めてほしいのか、どことなく自慢げな表情をする。確かに、凄いけれど、これは正直言って……。


「……これって、なくてもいいんじゃ……」

「それは、禁句。それを言ってしまったら、作った意味が無くなっちゃう」


 と、俺が失言する前に、俺の口元に指を一本突き立てて、母さんに止められた。


「……そうよ。あなたが思っていることはわかる。確かにこんなものがなくても、魔法で火を起こせばいいし、意味なんてない。実際にこれは精密な仕組みと細工で、魔法のように見せているだけで、魔法なんて呼ぶにはおこがましい代物。魔法具マジックアイテムなんて銘を打っているけど、魔法なんて起きない、この世界にとって必要のないもの」


 魔法が蔓延はびこるこの世界で必要とされる道具はほとんど存在しない。その都度、魔法で創り出せばいいし、魔法で起こせばいいからだ。だけど、彼女がこれを作ったには……。


「けれど、それじゃあ……魔法だけで何もかもできてしまったら、面白くないじゃない」


 俺はその言葉に胸を叩かれた。母は眦を柔らかく、それはまるで子供のような純真な笑みを浮かべて、答えた。その笑みの向こうには内心、心配する母の姿が重なるようで、俺の心臓を脈打たせる。


「……できることをやって、機械的に手にする。そんなもの私は何も価値のないことだと思う」


 その言葉は皇后としてはあまりに致命的だが、俺は頷く。頷かずにはいられない。


「……だから、できることを違うことで再現して、新しいものを生み出す。決まりきった可能性を一度すべて諦めて、新しい糸を作って、手繰るの。……もし、あなたが後に来るだろう皇帝の道を進みたくないというのなら、私は全力でサポートする。あなたが本当に望む道を私は尊重するわ。だから、あなたに今の道を諦める勇気があるというのなら、心配しなくていいのよ。あなたはまだ子供なのだから……」


 純真な笑みは母の凛としたそれになって、彼女の傍に立つ俺をゆっくりと抱きしめた。


(……やっぱり、母さんなんだな。俺のことはお見通しなんだ……)


 それは俺にとって、どれほど嬉しいことなのか、母さんにすら計り知れないだろうと、内心俺は笑った。


 俺は今、疎外感を覚えていた。それは、俺の勝手な思い込みなのだろうけど、感じずにはいられなかった。住民と隔絶され、教育という名の躾によって、約束されたように他者よりずっと強くなってしまって、いつの間にか遠いところに行ってしまったとそう思っていた。


 けれど、彼女は、母さんは引き寄せてくれた。先の見えないほど遠い距離をたった一言で詰め寄ってくれた。


「……母さん……」


 小さく呟く。霧の晴れた心のまま、閉じ込めていたパンドラの箱の如き本音を吐き出す。


「……何?」


 女神然めがみぜんとした母の微笑み。しっかりと耳を傾けているらしい。


「……もっと、見せて」


 それが精一杯だった。……けれど、それが俺の未来に通ずることは違わないと断じることができる。


「……もちろんよ」


 鞄の中に詰められた夢をその目に焼き付ける。色も形も一つとして同じものはないそれらを、俺は外が暗くなっていることにも気づかず、ずっと眺め続けていた。


(……今度、造ってみよう)


 胸中にはそれが渦巻く。母の言う「理想を追い求め、くだらぬ現実を諦める」という思想。それは、今の俺が一番欲していた答えなのだと気づくのはもう少し後だった。

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