第16話 女王と占い師1


 サン・カレッド王国中央に屹立きつりつする王族が住まう巨大な建築物。サン・カレッドの建築技術を結集させて創り上げられたその高く聳え立つ建築物には周囲を囲む美麗な庭園。専属の剪定者が季節折々に植物を整え、王族達を喜ばせるその庭園を抜けた先に、選ばれし者しか進めないその建築物が見える。


 横にも縦にも長い少し年季を感じさせる焦げた茶の色のその建築物には、塔のように伸びた箇所が三か所あり、尖った部分とそうでない箇所、高いところと低いところの対比が、建築物としての美しさを見事に表現している。


 その王宮にて、時間は少し巻き戻り、パレードが終わった夜、月が美しく照り輝く時間。王宮の廊下をゆるりと歩く女性が一人。大理石で白く光る廊下の上を、それに勝る煌びやかな白いドレスで歩く女性の姿は蠱惑的こわくてきで、凛々しい。

 碧眼の双眸で前を向き、足にかかりそうな金色の髪を一つに束ね揺らしながら前進する彼女はサン・カレッド王国現国王アルカナ・レティアその人である。


 彼女が向かうのは自室の隣の部屋。王宮の中でも高層階の端の角部屋に当たる部屋である。

 王宮にある扉にしては少し薄汚れたそれをアルカナは三度コンコンとノックをする。


「マリリカ、私だ。まだ起きているか? 起きているならば、中に入れてほしい」


 アルカナの声に呼応して、扉の中から響いてくるのは、少し意外な様子の女性の声音。


「陛下? わかりました。今開けます」


 ガチャリと音を立てて扉が開くと、アルカナの目の前には紫紺のローブで姿を隠した女性が出迎えた。アルカナより幾許か背の低いマリリカという女性は自室に迎え入れる。


 マリリカの部屋は不可思議な雰囲気がしてならない。部屋の片隅に置かれたセミダブルサイズのベッドのすぐ近く、部屋の中央付近には木のテーブルと敷かれた紫のテーブルクロス。その上には手に余りそうな、球形で透明の水晶が部屋に吊るされた灯篭の炎の光を屈折させながら、輝いている。

 部屋の壁紙も、テーブルクロスに合わせて、淡い紫で統一されており、いかにも呪術師のような内装だ。


 マリリカという女性はそのテーブルに付属した椅子にアルカナを座らせると自室のキッチンで、湯を沸かし、紅茶を入れて提供する。


「ありがとう。頂くことにしよう」


 アルカナはふぅふぅと湯気の立つ紅茶を、息を吐いて冷まして、その口腔に飲み入れる。


「……それで、こんな時間にどうしたのですか、陛下?」


 マリリカは向かい合う椅子に座り、アルカナに問いかける。


「マリリカ。今は家臣としての君ではなくて、マリリカ・ルークスという一友人に聞きたいのだ。その他人行儀な口調はやめてはくれないか?」


 アルカナは柔らかな微笑をその紅のリップで浮かべ、マリリカに希望する。すると、ローブの影からマリリカの口の端が柔らかに上がる。


「……そうだな。こんな時間にアルカナが来るということは、余程のことなのだろうし、友人として相談に乗ろう」


 マリリカはふと顔を覆ったフードをかき上げ、さらりと伸びた紫紺の髪が麗しいそのお顔を露わにする。黒目に少し赤みがかったその双眸をアルカナへと見せ、自身が入れた茶を口にする。


「……アルカナ、それで私への相談とは何だ? 君の役に立てるかはわからないが、答えられることは占うなり、何なりしよう」


 マリリカは紅茶のカップを受け皿に置いて、問いかける。


「いや、マリリカが占ってくれるまでもないというか、君自身には直接関係のないことなのだが……私の娘のクレアについて、少し相談をしたい」


 アルカナのその表情は思い悩んだそれであって、そんな顔を今まで見たことのなかったマリリカは心配そうに見つめる。


「クレアのことか……。私はあまり会ったことがないからな。相談と言われても、あまり自信がない」

「それでもいい。君なら、クレアの秘密くらいは知っているだろう? そのことについて、最近、少しばかり厄介なことが起こりつつあってな」

「そのことか。確か、娘が魔法を使えないとか、そういうことだったか。フロンティアにいる者にしては珍しいことではあるが、厄介ごととは何だ?」

「それがなぁ……どうやら、隠れて外へと飛び出しているらしくて、魔法が使えるように街で色々とやっているらしい。本人は外に出ていることは知られていないと思っているようだが、王宮にいる数人のメイドなどが噂をしていて、そのことが広まりつつあるのだ」

「別にいいのではないか? 自身のできないことをできるように努力しているのだから、それは価値のあることだと私は思う」


 マリリカの言い分は理にかなっていて、もっともであると言える。しかし、それはクレアの立場としては成り立たない。それに気づいていたのは紛れもないクレアの母たるアルカナであった。


「しかし、それは私達の願いに近い。実のところ、魔法を使えないと公に広まれば、クレアは世間から非難を受け、王族という立場を失いかねない」

「……それもそうだな。母としての君は私と同じ考えなのだろう?」


 マリリカはアルカナの意見に納得しつつ、なお質問を投げかける。アルカナは小さく頷いた。


「理想と現実はあまりにかけ離れ過ぎている。望んでも叶うことなどほとんどないし、そうかと言って、クレアを止めてあげたくない母としての気持ちも私にはあるのだ。すまないな、こんな答えのない相談をして」


 アルカナが暗い表情でそう言うと、マリリカは首を振って、口の端を上げた。


「それは仕方のないことだ。親として、母として、王として。君はあまりにも重責を抱えすぎている。私を頼りにしてくれているのは、とても嬉しいことだ」


 マリリカは再び紅茶のカップに指を掛ける。一口した後に、小首を傾げて、どう答えようかと思案する。


「……アルカナ、君は王である前にクレアの母だ。まずは、娘のために何をしてあげられるのかを考えるべきではないだろうか? 私が言えるのはこれくらいだ」


 マリリカの真摯しんしな答えをアルカナは噛み締めるように聞き入れる。正直、してあげたいことは決まっていたが、少しばかり勇気が足りなかった。だから、アルカナは背中を押して欲しかった。その言葉で、その言動で、自らが望む考えを親友たるマリリカに肯定してもらい、背中を押してもらいたかったのだ。


 マリリカの答えはアルカナを押し出すに値する見事な解答だった。


「そうだな。……今はクレア自身に任せてみよう。彼女の得心がいくまで、研鑽を続けてもらおう。正直、外に何があるのかわからないが、彼女が正しいと思うなら、それを尊重してあげよう」

「それがいい。きっと、それがアルカナの為にも、娘の為にもなるだろう」


 二人は向かい合い、語り合い、微笑を浮かべる。親友として、王と家臣として、二人は会話を続けた。


「……そうだ! 今日の夜の仕事をしなくては」


 散々語り合った二人だったが、紅茶がカップから無くなった頃、マリリカが大切なことを忘れていたように、唐突に声を上げた。


「あぁ、いつも済まないな。君にしか使えないから、頼りきりで」


 マリリカはアルカナのその言葉に首を振る。


「私がこのアルカナの傍にいられるのも、この魔法が使えるからであって、普通は王宮に入ることすら許されない。こちらこそ、いつまでも雇ってくれて礼を言いたいくらいだ」


 マリリカは自嘲気味にそう述べる。けれど、アルカナは優しく微笑んで。


「君の魔法が必要なのではない。君という存在が私には必要なのだ。そんなに自分を卑下しないでくれ」


 と、答えた。アルカナはしばらく照れ臭そうに手を右往左往させ、深呼吸をして、落ち着きを取り戻す。

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