第4話 最後の梅

「かあさん! ねえさん!」

「どうしたの?」

「宴は? まだ途中でしょう?」

 しかも髪を振り乱して、走って。

 これはただごとではない。母と二人、蘭君らんくんにかけよる。ばいが背中をさすると、蘭君はきこみながらも言葉を発した。

「ねえさん! ねえさんが!」

「どっちのねえさんだい」

 まるで要領を得ない言葉に、母が聞きかえす。

「し、し……」

 ここで蘭君はぶわりと涙を浮かべ、床に伏した。しかし、いちばん大事なことを言い切ることだけはした。

「死んじゃった……!」

 泣きじゃくる蘭君の上で、梅花は母と顔を見合わせる。

 そして同時に立ちあがる。


 どちらが死んだのかはわからない。だがとにもかくにも確認をしなければならなかった。



 梅花たちを出迎えたのは、板に乗せられた死体だった……竹葉ちくようの。



 一声叫んで崩れ落ちる母の身を支えながら、梅花は竹葉の体にすがりついていた菊珍きくちんに問いただす。

「なにがあったの!? どうしてねえさんが!」

 菊珍はのろのろと顔をあげ、唇を震わせて言った。

「無礼だって……」

「なにが!?」

「話さないのが」



 竹葉の演奏に感激したある武官が、言葉をかけたのだという。

 しかし竹葉の返礼はすべて無言で行われたため、これを侮辱と感じたその者が激怒し、そしてその場で竹葉を斬り殺したのだとか。

 あっというまのことで、誰も止められなかったという。



「ねえさんが話せないなんてこと、この界隈かいわいの人間だったら、みんな……!」

 人気はそこそこ程度ではあったものの、口をきけない妓女というのは、それだけで話の種になる。だから彼女は、物珍しい存在として名前は知られていた。

 しかし菊珍は首を横に振った。

「遠方から招かれた人だったから、そのこと、知らなかったのよ」

「なにそれ……どこの誰なの!」

「長官に問いただしたけど、教えてくれなかった」

 その代わり、竹葉の不名誉にならないように、場をとりつくろってくれたと……。つまり客側を悪者にする代わりに、彼の評判に響かないよう、その名前を公開しなかった。相手は地方に籍を置く者だったため、話はそこまで広がらず、収束した。


 ――なるほど、それは上手な処理だ。


 梅花の頭の中で、冷静な声が響いた。このような場で妓女が手討ちになったとしても、相手は罪には問われない。

 自分たちはその程度の存在だから。それなのにそのような措置をとったというのは、温情とすら言えるかもしれない。


 ここの長官は女性だ。妓女に籠絡ろうらくされることのないという点でごわい相手であるが、反面妓女に対して配慮をしてくれることもある。今回がまさにそれだ。


 自分たちは「そこまでしてもらった」と思うべき立場だ。

 だから、これ以上追及はできない。


 母の体の重みが梅花の腕にかかる。彼女の体を抱きしめながら、梅花はやるせない想いに、ただただ唇をんだ。血の味が口中いっぱいに広がっても、ずっと。


        ※


 一月後。

 庭に出た梅花は振りかえり、自分が育った家をじっくりと眺めた。

 今度ここに帰ってくるのはいつになることか……そんなことを思いながら。


「梅花」


 妓楼の中から母が出てくる。この一月で彼女はずいぶんせた。

「かあさん。中で休んでいてください」

「お前を行かせてしまうのに、見送りをしないわけがないだろう」

 母の声にはどこか後悔がにじんでいた。

 梅花はかすかに微笑んだ。

「そんな顔をしないで、かあさん」


 梅花は竹葉の葬儀のあと、母に言った。選考には菊珍の代わりに自分が出ると。菊珍に行かせる理由はもうなくなってしまったから。

 その言葉に母は無言でうなずいたあと、静かに泣いた。

 そしてつぶやいた――自分がお前をそういうふうに育ててしまったと。


「……お前はもしかして、竹葉の敵を討ちたいのかい?」

 そう問いかける母の言葉に、梅花は少し考えた。確かに宮妓になれば、武官だという竹葉を殺した相手と接する可能性はある。

 だがあくまで可能性だ。それもかなり低い。

「そうできたらうれしいですが、きっと無理でしょうね」

 淡々と答える梅花に、母は苦笑いを顔に浮かべる。

「お前らしい言い方だね。お前はずっとそういうふうなのかね」

「どういうことですか?」

「わからなくていいの。それで生きていけるのなら、それがいい」

 言って母は、梅の木に手を伸ばし、一枝手折る。

「一輪だけ残っているわ。最後の梅と一緒に行くといい」

「ありがとう」

 差し出された枝を、梅花はそっと受け取った。

「……時間ね」

「はい」

 迎えに来た輿こしに梅花は乗りこむ。

 母はろうの中には入らない。最後まで見送るつもりらしい。

 梅花はそっとじりを押さえた。菊珍と蘭君を外出させていてよかったと思った。妹たちには涙を見せたくない。



 輿に揺られながら、梅花はこの先の未来に思いをはせる。

 これから自分は歌妓としてのどれるまで歌い、そして歌えなくなったときに宮城を辞すのだろう。そのあとはなにかが理由で死ぬだろう。多分病で。

 花街で死ぬと思っていた未来と、少し違っている。だが大差はない。だから梅花は特に期待はしていなかった。


 その予想は実際の未来――宮城に入ってすぐ奴婢ぬひの身分に落とされ、そこから女官として立身していくというものとはまるで違うものであった。ましてや自分が皇后の側仕えとなり、あるじを叱り飛ばす日々を過ごすようになるとは、このときの梅花はまるで思っていなかった。

 そして自分が、母の言うところの「そういうふうな」人間ではなくなってしまうことも。


 このときの梅花は、手にした枝から最後の梅がこぼれ落ちてしまわないかどうかだけを、ただ心配していた。

 十八歳の春が、終わろうというころだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る