清喜

第1話 大好きな兄

 ――お達者な老人よりもなお、口が達者な奴。

 ――夜中になってもあかりがいらないくらい、無駄に明るい奴。


 ようせいという人物に対する人物評は、だいたいそんな感じである。もっと素直かつ簡潔に「あんたうるさい」と言いきる者もいる。

 そんな彼が幼少時、無口で暗い少年だったと言ったら、信じない者が多数だろうなあと思っているので、清喜はあえて口に出さないことにしていた。


 清喜の性格がそんなふうに極端から極端へ振りきれたのは、基本的に両親のせいである。

 清喜には少し年が離れた兄がいた。顔よし頭よし腕っぷしもよしで、ご近所でも評判かつ、両親の自慢の息子だった。

 しかしそのしばらくあとに生まれた清喜は、体が弱く言葉の発達も遅く、両親はこの次男にあまり関心を持たなかった……なんかもう、それですべての説明がつくだろう。



そんなわけで、清喜はこの両親が嫌いである。やりきれない気持ちがあるとかでもなく、もうただただ嫌いである。



 清喜の実家はそこそこ裕福ではあるが、素封家というほどのものではない。だから下働きなどいなかった。

 そんな中、両親からの関心を向けられなかった清喜を育ててくれたのは、ほかでもない兄である。

 兄はそれはもう、清喜のことをなめるようにかわいがって、大事に育てた。「清喜」という名前をつけたのも彼であるというあたり、兄ができた人物というより、両親ができなすぎである。

 ごく自然な流れで、清喜は兄によくなついた。

 なお、清喜が初めて発した言葉は兄を呼ぶ声だったという。兄が言っているだけなので本当かどうかはわからないが。


 その結果両親は、自分に懐かない次男からさらに興味を失っていったが、もうそれは巡りあわせとか相性とかが悪かったんだなとしか思えない。


        ※

 

 ある程度成長したころ、両親が自分に構ってくれないのは兄が原因だということが、清喜にもわかってきた。しかしだからといって、兄に対する思慕の念が消えることはなかった。

 またそこについて、兄に対する複雑な思いとかが芽生えることもなかった。ただ両親は駄目で、兄は偉いなあという感慨しか清喜には得られなかった。


 実際そうだったと、大人になっても思う。


 なお当時、そう思ったことを兄に告げると、「お前はませてるなー」と妙に感心された。このころの清喜は内向的である反面、外に対する興味は強く、周囲をよく観察していた。

 後に「あんたほんと余計なとこだけ見てる」と、主に小玉に言われる観察眼は、このときつちかわれたのである。


        ※


 清喜がある程度成長したころ、兄は帝都の軍に入隊した。地元の感覚では大出世である。


 本当は家出した十五歳の女の子……女の子が、その場の勢いで入れるような場所なのだが、そういう機微は田舎者にはわからない。


 皆が兄を褒めたたえた。兄に気持ちを寄せる娘さんたちは、去っていくのをそでを絞って見送っていたけれども。

 清喜も清喜で、泣くほどではなかったが、兄が去るのは寂しかった。けれども兄には兄の人生があると思いもした……そんなところが、「ませてる」と言われるゆえんである。


「手紙書くからな」

 清喜は無言でこくんとうなずきつつも、兄はきっと都会に染まって、そして自分のことを忘れてしまうだろうと思った。

 そうなったらきっと寂しくなって、自分はちょっと泣くだろうなとも。


 ……このあたりの発想についてはませているどころか、完全に置いていかれる彼女のものである。



 清喜の考えは半分外れた。



 兄が帝都に行ってからくれた手紙には、「ここは呼吸がしやすい」と書いてあった。

 やっぱりそうだろうなと思ったものの、その手紙は次から次へと届く新しい手紙に埋もれていってしまった。

 暇な自分と違って、仕事があるはずの兄はいつ書いているんだろうと清喜が首をかしげるくらい、兄はけっこうな頻度で手紙を送ってきた。一通ごとの文面は短かったから、きっとちょっとした暇な時間に書いていたのだろう。

 とりあえず涙をくために手巾しゆきんを送ってくださいとか書く必要はないなーと思いつつ、清喜は返事をしたためたのだった。


 なお両親は、自慢の息子が不肖の息子へどんどこ手紙を出す件について、変な女に捕まるよりはましだろうという意向をしめしていた。

 確かに俸給のかなりの量を郵送料につぎこんでいるんじゃないかというくらいの勢いだったので、女遊びをする余裕もなかったにちがいない。


 兄から送られる手紙の内容は、存外ふつうだった。


 ――今日は友人たちと食事に行った帰り、犬にえられた。


 ――今日は上官に叱られて、皆でやけ酒を飲んだ。


 ――今日は面白い女の子に会った。俺にほうきを押しつけてくるんだ。


 あまりにもふつうというか、手紙よりも日記に近い文面に、清喜は「たまには兄さんの活躍も書いてください」と送った……いや、最後の手紙についてはもうちょっと詳しく知りたいけれども。

 ともあれ、兄から届いた返事は意外な内容だった。


 ――特に活躍なんてしていない。ここだと俺はふつうの人で、それが楽しい。


 その文面を、清喜は何度も読みかえした。ただの謙遜けんそんというには、ひっかかる内容だったからだ。

 けれどもその手紙も、新たにやってくるそれに埋もれていってしまった。



 兄の出征で何度か中断されたものの、清喜と兄の文通はその後も続いた。



 そしていつのまにか、兄の手紙にはある娘について書かれることが多くなった。どこか間抜けでそれでいて鋭い彼女の名前は、手紙には記されていなかったが、清喜にもわかった。


 兄はこの娘のことが好きなのだ。

 ……正直、もっと落ち着きのある人を選ぼうよ、と思わないでもなかったが。


 そんなことを思いつつも、清喜は兄の想い人について書かれた手紙だけ、そっと隠した。

 母に見つかったらたいへんなことになる。彼が帰ってきたら地元の名士の娘を嫁にと張りきっていて、しかも先方も乗り気なものだから。

 そんなささやかな情報工作をする日々の中、手紙では兄と娘の関係は少しずつ進展していった。そしてある日、兄からの手紙を読んで、清喜はかすかに微笑んだ。


 ――彼女と付きあうことになった。


 手紙の最後に、とってつけたように書かれた一文が、兄の照れを示しているようで面白かったのだ。清喜はこう返した。


 ――未来の義姉ねえさんの名前を、いいかげん教えてください。


 あと、母が勝手に嫁を決めようとしていることも教えておいてやった。



 きっと近い将来、兄は花嫁を連れて帰ってくるだろう。清喜にはそれが、とても楽しみだった。

 ただ父と母の反発は心配だった。清喜に冷たい両親のことを、兄はいつもたしなめつつも相応に孝養をつくしていた。清喜にしてみればどうしようもない連中だが、兄にとっては大事な親なのだ。

 もしかしたらいさかいになるかもしれない。そうなったらどうやって、兄に加勢しようかなと思いながらその日を待った。


 ついぞ来なかったその日を。

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