科学世界6 本物のお嬢様

 問題が、山積みだった。俺は、目の前にある問題を次々と解決していく。こんなにも迅速に解決できるやつは他にいないだろう。それは、周囲に漂う気配からも明らかだ。


 あなたが主人と街を歩いていると、前を歩いていた小さな子供が転び、泣いてしまいました。どうしますか? 俺は、その問題を読み切った後、素早く答えを記入する。

 無視をして通り過ぎる。邪魔をしているようなら、早く立てと怒鳴りつける。よし、次だ。

 俺は問題を解決していく。試験用紙に書かれたいくつもの問に、答えていく。何のためらいもなかった。正解なんて分かりきっていた。頭を出来る限り働かせたくなかった。

 その後も答えを記入していき、一番に席を立った。たくさんの視線を感じつつも、試験用紙を提出し、さっと退室する。これ以上、こんな所にいられるか。俺は一つあくびをした。



 ……。



 姫乃と俺が学園に通うまでには、一週間の余裕があった。編入という形で入学する俺たちだが、今はちょうど長期休み。一週間後、学園の二学期が始まるため、どうせならその日に合わせようという考えだ。

 そして当然のように、元々通っていた学園を退学させられていた俺。誰とも深く関わりを持っていなかったとはいえ、一つの挨拶もすることなく、俺は去ってしまう形となった。

 ちなみに生徒達の間では、俺の退学した理由は、宇宙人に連れ去られた、もしくは女と駆け落ちしたという根も葉もない噂で広まっているらしく、そのうち宇宙人の女と結婚するため地球を捨てて旅立ったという、ハイブリッドな構成になるのではと、俺は睨んでいる。

 もう、あの学園の奴らとは一生会いたくない。後腐れのない退学にしてくれて、ありがとう姫乃。いつか何らかの形で復讐してやる。


 朝早くの、突拍子もない呼び出し。事前に用意だけはされていたのだろう、学園近くの屋敷へ引っ越しをするという姫乃の手伝いに、俺は駆り出されていた。

 業務範囲外だ、という強い言葉は後が怖いので飲み込み、反抗的な意思だけを胸に刻むと、俺は仕方なく姫乃の屋敷へ向かった。


「部屋はいくつか余っているからね。空いているところなら、どこでも好きに選んでいいよ」

「僕ごとき矮小な市民が、こんなお屋敷に住んでもよろしいのでしょうか?」

「あなたは私専属の護衛じゃない。当然でしょ。部屋が決まったら、あとで教えてね」


 引っ越しの荷物の中に、下着があれば振り回してやる。屋敷に近づくにつれ、具体的になっていた俺の強い反抗の意思は、影も形もなかった。

 やったぜ。ボロアパートとはおさらばだ。……え? まだあんな所に住んでいる物好きがいるのか? ちょっと、俺には分からないっすね。


「一週間か。何をして過ごそう……何だ! じゃなかった。何でしょう!」


 荷物運びが終わり部屋で寛いでいると、部屋の扉をノックされる音。自由な時間に想いを馳せていた矢先のこと、何となく嫌な予感がしたものの、立場上応答しないわけにはいかなかった。

 俺が扉を開けると、姫乃が立っていた。


「ソラ。この一週間で、何か予定は?」

「予定表を確認してみます。ああ、駄目ですね。びっしりと埋まっ――」

「全部キャンセル」


 中身を聞くこともなく、人の予定を全てキャンセルにしてしまう傲慢お嬢様。それなら、最初から予定なんて聞くなよ。何もなかったけど。


「頑張ろうね」

「えっと、何をでしょう?」

「それはもちろん、初級ボディガードライセンスの取得よ」


 何それ? 何がもちろん? そのライセンス、必要か?



 ……。



 危ないところだった、と室外に出て大きく息を吸う。少し歩くと、手入れの行き届いた広い庭を見つけた。手頃なベンチがあったので、俺はどっかりと腰をおろす。


「ふう」

「お、重い……」


 俺の性別が女であれば、重いなんて失礼だ、と怒っている場面だ。違うか。この場合は、性別関係なく怒ってもいい場面。

 俺の座ったベンチには、すでに先人がいた。


「失敬」


 俺が立ち上がると、ベンチ一つを丸々陣取り横になっていたその女も、体を起こした。乱れていた長い黒髪と服の裾を直すと、隅の方に座り直し、どうぞと俺に隣を勧めてくる。

 立ち去ろうかと思っていたが、ニコニコと優しい笑顔を浮かべている彼女を見て、俺は座る。せっかく勧めてくれているのだし、という思いもあったが、ここで何も言わずに立ち去れば、彼女を拒否したようで気分が悪い。


「すみません。わざわざ、立ち上がらせてしまいまして」

「そうだな。二人でも三人でも座れそうなこのベンチを、一人で占領するのはよくないよな。反省しろ」


 空いているベンチは他にもある。悪いのは俺のような気もするが、彼女が先に謝ってきたのをいいことに、俺は非難する側へまわっていた。


「申し訳ございません。反省します」

「素直に謝るのはいいことだ。今回だけは、許してやる」

「お許しいただき、ありがとうございます。ふふ」


 口に手を当て、上品に笑う女。冗談の通じる奴でよかった。合わせて、俺も笑う。


「体、どこか悪いのか?」


 元々、色白であることは分かる。それを除いても顔色が悪い気がしたのと、ベンチに横になっていたこともあり、俺は問いかけていた。


「いえ。病気というわけではないのですが、朝から少し体調が。今はもう、平気です」

「気持ちよさそうに寝ていたもんな。誰かがいるなんて、気づかなかったよ。完全に、ベンチと同化していたぞ」

「言わないでください。それに、また私のせいにしましたね。あなたも相当お疲れのご様子。普通、知らない女性の上に座ります?」

「お前の名前は?」

大和奈子やまとなこと申します」

「夢見ソラだ。俺にとって、大和撫子は知らない女性ではなくなった。座ることも、あるかもしれないな」


 俺がそう言うと、彼女は眉をへの字に曲げ、おかしな顔をした。


「なでしこではなく、なこです。言い直しましょう。知り合いだとしても、女性の上に座るのはいかがなものでしょうか。というよりも、知り合ったのはその後で……ああ、よく分からなくなってきました。いいです、もう」

「それが作戦だ。細かいことは気にするなよ」


 奈子は口を尖らせ、ぷいっと俺から顔を逸らした。一呼吸置き、くすりと微笑んでいた奈子は、ちらりと目だけを俺に向ける。

 意地の悪い表情でその様子を見ていた俺は、奈子と目が合うと口を開いた。


「俺のは、ただの寝不足だ」


 夢の続きを見るのが怖くて、実はあれから一睡もしていない。体は頑丈だが、睡眠の欲求には抗えない。覚悟を決めなくてはと、思ってはいるのだが、やはりどうしてもな。


 先程、早々に終わらせた第一試験も、寝てしまうのが怖かった。いい加減な答えを書いたのも、試験に落ちて早く帰りたかったからだ。ああいった問題は、人格が正常かどうかをみるような、よくある問題。まともな答えは分かりきっていたが、わざと間違った答えを記入していった。

 姫乃が学園を卒業するまで、つまりボディガードを二年やったあと、俺はこの仕事を続けるかどうかは決めていない。ライセンスがないことで、姫乃に迷惑をかけるかもしれないが、そのような話も特に聞いていない。何に使えるのかも分からないライセンスなんて、取得できなくてもいいと考えているのだ。


「私のここでよろしければ、お貸しいたしましょうか?」


 今度は奈子が、先程のお返しとばかりに意地の悪い笑みを浮かべ、自身の太股をとんとんと両手で叩く。知り合ったばかりの男女。俺が、断るとでも思っているのだろう。だが。――あまり、俺をなめてもらっては困るなぁ。


「お、いいのか?」

「どうぞ、どうぞ。私はすっかり元気になりましたので」

「じゃ、遠慮なく~」

「え? あ……」


 俺は、抵抗する暇も与えることなく、奈子のやわらかそうな太股を枕にし、ベンチに寝転がる。


「あ。ちょっと、ソラさん」

「すべすべ、もちもち。いーい気持ちだ」

「ありがとうございます。では、なくてですね、その」


 ああ、本当に気持ちいい。眠気と暖かい日差しも相まって、最高の気分だ。ありがとう、奈子。恥じらいの交じるその声も、今の俺にとっては子守唄のようだ。おやすみ。


「はあ、仕方ありませんね。三十分だけですよ」


 奈子の小さな手が、俺の額に添えられる。

 最高の環境、最高の気分で、俺は眠りに落ちていった。こんなにも気持ちが良いのだ。きっと、素晴らしい夢を、みられるに違いないと信じて……。


「って、バカ! 俺を殺す気か!?」

「ええ?」


 目をかっと見開き、殺人未遂の奈子を責める。

 驚き、固まってしまった奈子の手を、俺は額からゆっくりと引き離すと、隣に座り直し安堵の息を吐いた。


「なんですか、もう!」

「あぶねえ。殺されるところだった」

「だから、殺されるって何ですか? 三十分だけならって、私も覚悟を決めたところでしたのに」

「女の太股は、男を殺す。覚えておけ」

「あなたの言っていることは、何も分かりません」


 そういうことなのだ。俺は危うく、太股に殺されるところだった。ふざけているわけではない。二世界を同時に生きる俺にとって、片方の自分の死が、もう片方にどういった影響をもたらすのか、何も分かってはいないのだ。

 もしかすると、同時に死ぬなんてこともあるかもしれない。同時にとは言うが、どちらも間違いなく俺だ。体は死ななくとも、意識だけが消え去ってしまうかもしれない。それはもう、死と同然の意味だろう。


「お前に重荷を背負ってほしくないという、俺の優しさだ」

「本当に……もう」


 しばらくはいじけていた様子の奈子だったが、本気で怒っているわけではなく、俺が話を再開すると、また楽しそうな表情に戻っていた。


「――と、いうわけでな。俺は一度の人生で百回寝たら死ぬんだ」

「今まで、ほとんど眠らない人生を過ごしてきた人が、眠気なんて感じるのでしょうか」

「つい最近、こんな体質になった。あれは、そうだな。雨の降りしきる、真夜中の出来事だった……」

「そうだなって、なんですか。今考えた話でしょう?」


 俺が寝ないよう、話し相手になってくれると言った奈子。くだらない会話を続けていた俺たちだが、ふと、遠くを見つめるような表情をした奈子が、呟く。


「私と、こんな風にお話してくださったのは、あなたが初めてかもしれません」


 初めてを、奪ってやったぜ。と、言いかけてやめた。奈子の表情が、少し寂しそうに見えたからだ。俺は何も言わず、口角だけを上げる。


「ソラさん。ここにいるということは、あなたは、どなたかのボディガードでしょうか?」

「そうだな」

「そうですか。そう、でしょうね」


 立ち上がり、俺に背中を向けていた奈子の表情は見えない。

 今更ながらに、気付く。目立たないよう、目立たないようにと意識して、俺は人前での言葉遣いを変えていた。猫をかぶっていると言いかえてもいい。だが、寝不足だったのか、予期せぬ出会い方のせいで咄嗟にということもあるだろう、奈子に対して、俺本来のというべき言葉遣いで話してしまっていた。

 こんな場所にいるということは、奈子もまた、ボディガードを連れて歩くようなお嬢様だろう。物腰から見ても、まさにといった雰囲気。こいつ自身がボディガードということも考えづらい。

 どこのどなた様かは知らない。偶然出会った他人の一人。この先、出会わない可能性の方が高いとはいえ、少々まずかっただろうか。俺が、そんなことを考えていると。


「お~い! お嬢様ぁ!」


 前髪をピシッと横に流した、爽やかな男が走ってきた。輝く白い歯。あれが、奈子のボディガードなのだろう。


「ソラさん、あなたは」

「ああ」

「変な人ですね」


 爽やかな男に小さく手を振ったあと、振り向いた奈子がそう言った。俺は、ずるりとベンチからすべり落ちる。


「たくさんのお話を聞かせていただき、ありがとうございます。とっても、楽しい時間でした」

「どちらかと言えば、俺が感謝する方だがな。お前のおかげで寝ずに済んだ。ありがとう」

「ふふ。この後も、寝てはいけませんよ? 息をしたあなたと、またどこかでお会いできればと思います」


 茶目っ気のある表情で、釘をさしてきた奈子。俺はしっしと手を払い、早く行けと促した。

 再び、背中を向ける奈子。それは、俺に聞こえるか、聞こえないかの小さな声だった。


「彼もいつかあなたのように……お話してくださるのでしょうか」


 独り言かもしれない。しかし、聞こえてしまったからには。


「俺と同じ体質になれば、すぐにでも。生きている間に、たくさんの奴と関わっておきたいという意識が生まれたからな。というかあいつ、お喋りそうな顔しているけど、喋らないのか?」

「そういうことでは、ないのです」


 そして、顔だけを俺の方へ向けた奈子が、最後に言った。


「でも、そうですね。そのうち、彼もきっと……」

「心配するな。大丈夫だ」


 綺麗な礼を俺に見せると、奈子はボディガードらしき男と、どこかへ歩いていった。

 立ち去る前、最後に見せた奈子の表情は笑顔だった。しかし……。

 その小さな背中が消えるまで、俺は目で追いかけていた。


「あ! あんなところに! こっち、こっち。こっちにいたわよ、葵」

「待ってください~。お嬢様」


 鈴の鳴るようなか細い声から、自信に溢れたはっきりとした声。どうやら、俺の護衛対象がお出ましのようだ。

 近付いてくる姫乃。意識しないようにとは思っていたが、どうしても比較してしまう。


「もう、探したわよ。随分と早く終わっていたみたいだけど、それなら連絡くらいよこしなさいよね」

「すみません」

「それで、自信のほどはどうかしら」

「内容が難しすぎて、さっぱり。合格には至らないのではないかと」

「早く終わったのに?」


 まいったまいった、とあらかじめ予防線をはっておく。ま、落ちていることは間違いないけどな。


「ふ~ん。葵が合格したときとは問題が変わったのかな。いいや。それであなたは、こんなところでたそがれていたってわけね……一人で?」


 あの女、ライセンスなんて持っていたのか。この話題は、出来る限り避けたほうがいいな。ぼろがでる。

 それよりも、何だ。何が聞きたい? 一人で? 一人ではなかったが、それで何か不都合があるのだろうか。分からない。

 少し、考えすぎだな。変に嘘を吐くのもまずかろうと、俺は正直に話すことにした。


「いえ。どこかのお嬢様と、少し会話を。いや~、あれがお嬢様ってやつなんですね」

「何を、初めて見たかのようにしみじみと。私も、お嬢様よ」


 可愛い仕草ではある。だが、両手の人差し指を頬に当てていた、あざとい姫乃を俺は否定する。


「いえ、違います。本物の、生粋のお嬢様ってやつです」

「違うってなに? 私もお嬢様だってば! 私がお嬢様でなければ、この国にはお嬢様なんていないから!」

「ご自身の口から、お嬢様お嬢様と言うのはどうなのでしょう?」

「あなたから言い出したんじゃない!」


 そう、だったか? まあいい。いつまでも、考えていたって仕方がない。俺には俺の仕事があるのだ。本当に守りたかったものさえ、守ることができなかったのに、その上で他人の心配をしている余裕なんてない。

 今はこいつを。こいつのことだけを。俺は。


「あ、言い忘れていたけど、この試験に合格できないようじゃ、給料なんて出せないって、お父様が」


 は? おいおい。


「でも、安心して! 授業料だけは出してくれるそうだし、首にはしないそうだから! だから、私が学園に通う間は、あなたに仕事を続けてもらうからね」

「早く言ってくださいよ! そういうことは!」

「ごめんごめん。でも、初級ライセンスなんて取れて当たり前らしいし、調べた限り、あなたの頭と力なら問題ないらしいけど……」


 安心なんてできるか。給料が出ないなんて、契約違反だ。そんな状況で誰が続けるかよ。いやでも、授業料だけでも出るならアルバイト時代よりはいいのか?

 言いたいことは、いろいろあった。だがひとまず、俺が口にしていた言葉は。


「太股の神様! 僕のところにも、本物のお嬢様が現れないでしょうか!」

「あなたが信仰している神、そんなのでいいの!? それに失礼ね! 何度も言っているけど、私がいるでしょうが! あなたは、私の、ボディガードなんだからね!」


 太股の神様が、俺の耳元で呟く。その娘は、たった三十分でさえも、太股を貸してくれるような娘ではないぞ。


 俺は頷いた。もちろん、姫乃の言った言葉に対してではない。


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