第8話 突然のニュース

9月に入ったとは言っても、外はまだまだ暑い。午後の大学は、人の熱気も相まって罰ゲーム並の暑さだ。


長かった夏休みが終わり、また授業が始まった。1限から真面目に出席していた裕貴は未だ残る蝉の声を遠くに聞きながら、心地良く冷房の効いた室内で、のんびりコーヒーを飲んでいる。


長期休暇明けはなぜか皆真面目に通い始めるという通例通り、昼間の食堂はイヤになるほど混んでいる。たまたま3限目が休講で、4限まで無駄に時間が空いてしまった裕貴と幸太は、皆が授業へと向かう13時すぎから昼食を食べに来ていた。


思っていた通り空いていた大学の隅にあるレストランは、食券で流れ作業のように食事を注文していく食堂とは違い、落ち着いた雰囲気でなかなか過ごしやすい。人混みが苦手な幸太も、初めて足を踏み入れたときは明らかにほっとした顔をしていたものだ。


今日も今日とてレストランにやってきた二人は、本日のランチパスタセットをお揃いで注文した。安くておいしい、ただそれだけの理由だが、今現在独り暮らしとなっている裕貴にとって、昼食は貴重な栄養源である。


すっかり食べ終わって、コーヒーを飲みながら、

「いつもの昼と比べ物にならないほど静かだな」

裕貴が言うと、

「いつもこうだったらいいのにね」

たらこのパスタを、をくるくるフォークに巻き付けながら幸太が返す。


幸太は食べるのが遅い。

猫舌だから、と本人は言っているけれど、そんな理由よりも、何らかの事情でゆっくりのペースを守っているような印象を受ける。

だから、裕貴は決して急かさない。

幸太が幸太のペースで暮らせるなら、きっとそれがいいのだろうとなんとなく感じているのだ。


病院で遭遇したあの夏の日から、幸太との間にあった見えない壁のようなものは、かなり薄くなっているように感じる。

今では、意識のない祖母の元へ花を持ってせっせと通う裕貴に週に一度は付いてきて、大学での裕貴の様子やその日裕貴が持ってきた花についてなど、優しく祖母に語りかけている。

「なんで来んの?」

人のばーちゃんの見舞いに来て、何もおもしろいことなどないだろうに。そう思って尋ねてみると、

「ユーキのおばあちゃん、もう僕の友達だから」

と、なんともよく分からない理由を話された。

「なんだそれ」

「友達と話すのに、理由なんてないでしょ」

友達ってか、オレのばーちゃんだし。しかも意識なくて聞いてるかどうかも分からないし。そんなことを思ってはみるけれど、裕貴がそれを口に出すことはない。

それは、裕貴の祖母に語りかける幸太があまりに柔らかい表情をしているから。

そして、それが実は不安で仕方なかった裕貴の心にそっと寄り添ってくれるから。

自分が守ってやりたい、なんとか支えになってやりたい、そんなことを思っていた相手だというのに、結局は自分が随分と支えられている。締まらないなぁ。そうは思うけれど、結構ギリギリの精神状態だった裕貴は、そんな幸太の気持ちに、遠慮なくもたれかからせてもらうことに決めた。

線が細くてどことなく儚いイメージのくせに、芯がしっかりしていて案外図太いのが幸太という男なのである。


ぼんやりそんなことを考えていたら、いつの間にやら幸太はスパゲッティを食べ終わっていたようだった。

「ああ、食べ過ぎた」

一人前のパスタとサラダとドリンクだけで何を言うか。とは思うけれど、この件もスルーだ。性質が図太い幸太の少食っぷりも、今に始まったものじゃない。

「そのうちこなれるだろーよ。まだ4限始まんねーし」

のんびり答えてみる。

「だね」

幸太ものんびりそう答え、食後のアイスティーに手を伸ばす。


まったりとした時間。あえて話題を見つけることもなく、二人で無言で過ごす。流されているテレビを見るともなく見つめながら、裕貴は心ゆくまでぼーっとするのだ。

見た目のうるささからか、明るくてよくしゃべる印象を持たれがちな裕貴だが、実はあまりしゃべるのが得意ではない。そつなく受け答えはできるけれど、話さないことが苦ではない相手なら、むしろ沈黙を楽しんでいたい。幸太も自ら話題を振ってくるようなタイプではないし、お互い沈黙が気にならない相手なので、食後はそれぞれでまったりしていることが大半なのだ。


静かなレストランにはテレビの音だけが響いている。食後の心地よい満腹感と、暑くもなく寒くもないちょうどいい空調、そして子守歌程度のテレビの響きに、裕貴はついうとうとしてしまったようだ。

「…次のニュースです」

テレビでは、全国のニュースから地元のニュースへと話題が変わった。

「昨晩、若い男性がマンションから転落死する事故が発生しました」

ああ、若いのになぁ。

眠い耳に届いたニュースに、なんとなくそんなことを思っていたら、

ガシャン!

突然間近で大きな音が響き、一気に目が覚める。

「…幸太?」

食器を片付ける準備をしていた幸太が、フォークを取り落としたらしい。

「どしたの?落とした?」

よく見ると、幸太の顔は真っ青で手は小刻みに震えていた。

「気分でも悪い?」

俯き気味の顔をのぞき込む。

「…だい、じょう、ぶ…」

ちっとも大丈夫じゃなさそうだ。

「どうしたの?全然大丈夫じゃなさそうだけど?」

「…ちょっと…」

顔色はどんどん悪くなってくるし、震えも全然止まらない。本当に何があった?

「コータ?」

熱でも出たかと額に触れた手をそっと払われた。

「ごめ…ちょっと、もう、ほっといて」

弱々しくも反論の余地を与えない硬い声で拒んだ幸太は、食器も荷物も何もかも放ったままレストランを飛び出していった。

「え?コータ?」

何が起こったのか全く分からない。でも幸太が何かにショックを受けたのだけは間違いない。

幸太がこうなる直前の行動を振り返る。

二人でまったりとレストランのテレビを見ていて。

「そうだ、ニュース」

若い男性が転落死したというニュース。幸太の様子がおかしくなったのは、その直後だった。

咄嗟にスマホを取り出し、先ほどのニュースを調べる。

地元のニュースだけあって、見たことのある景色がニュース画面に貼られている。

「このマンション…」

転落事故があったのは、裕貴の祖母が入院している病院の目の前のマンション。毎日のように横を通り過ぎているのだ。間違うはずもない。

「このマンションに何かある?」

思い出すのはあの夏の日。

病院で偶然会った幸太は、お見舞いに来た、なんて言っていたけれど、あれは本当にお見舞いだったのか。

あの日は自分の祖母のことでもういっぱいいっぱいで、結局幸太の事情を何も聞かないで今まで来てしまったことに気づく。

「クソっ。しくった」

本当にお見舞いだったにしろ、嘘だったにしろ、幸太があの病院と何かしらの関係があることには間違いないと見ていい。

そしてこのマンション。

幸太とこのニュースには、何かしらの関係がある。それもかなり深く。決して幸福ではない方向性で。

裕貴はそう確信すると、二人分の食器を手早く片付け、自分と幸太の荷物を持って走り出した。


早くしなければならない。わけもなくそう思う。早く、早く幸太のもとへ行ってやらないと。

真っ青になっていた幸太を思い出す。

痛々しいほどに震えていた姿。

あの一瞬が、感情を露わにすることを極端に避けようとする幸太が見せた、生身の感情だ。

さっきのニュースに対し何を思い何に対してツラいと感じているのかは分からない。

転落死した男性が知り合いだったのか。

あのビル自体に何かあるのか。

具体的なことは、何一つ分からない。

それでも裕貴には確信があった。

苦しい時に、幸太が駆けつけるのは、あの場所しかありえない、と。


それは、入学式の日に見た、あの桜の下だった。


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